毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

またまたちょっと食べ物の話(^^)

2012年03月13日 22時55分11秒 | 紡ぐ暮らし
今夜の夕食は 「菜の花ペペロンチーノ」。

去年の春にやみつきになったメニューです♪




パスタを茹でるときに 残り時間1~2分というところで菜の花(軸の硬いところは細かく刻んでおきます)を加え、茹で上がったら一緒にザルにとり、鷹の爪とニンニクのみじん切りを炒め 塩と昆布茶で味付けしたオリーブオイルで和えれば出来上がり♪

菜の花の緑と黄色に 鷹の爪の赤がぴりっと加わって、目にも楽しい簡単料理です♪

奈良からの帰りに寄ったスーパーで 菜の花見つけて 今年もこれを作ろうといそいそ1パック買っちゃった♪




こちらは3月3日のひな祭りに実家で作った散らし寿司♪



今回もおでんやら餃子やらコロッケやらロールキャベツやらと ひたすら料理三昧だったけど、これが一番喜ばれたメニューかな☆

盛り付けは母が担当してくれました。

ハマグリの潮汁にも菜の花をあしらって 春らしく、ね♪



3月6日は 父の傘寿の誕生祝いで、朝から張り切って台所に立ちました。

お赤飯は 昔からおなじみの和菓子屋さんに頼み、父のリクエストのお煮しめと、鰆の塩焼きに茶碗蒸し、アサリの味噌汁。

作って並べるのに手一杯で 写真撮れなかったのが残念だなぁ。。。

お煮しめを作ったのは初めてだったけど、ビギナーズラックでしょうか、なかなかにいい出来栄え、と自画自賛(笑)



何があっても、食べ物を楽しく作れるうちはやっぱり大丈夫、な私なのです








多層構造で見ると世界が変わる♪

2012年03月13日 15時59分25秒 | 奈良・実家・家族
これ。。。もう書いてもいいよね。

今となっては 母が自力でこのブログを読みに来るなんて まずあり得ないもの。



3年前、母の姉と妹が相次いで亡くなり、そのショックが引き金になったのか、やがて母の記憶力の衰えがじわじわと進行し始めました。

それにつれて、もともとネガ思考で感情的にも決して安定してるとはいえなかったものが、その度合いが増してきました。

本人も 自分の記憶におかしなものを感じるようになった不安からか、以前ならまだかかっていた理性のブレーキが外れた状態で 身近な家族(主に父)に剥き出しの苛立ちをぶつけることが多くなりました。

心の衰えはやがてからだにも影響を与えるようになって、それまでそつなくこなしていた日々の家事労働が苦痛になり、それもまた苛立ちの一因となったようです。

昨年は 短期記憶がいよいよ怪しくなり、それを逆手にとって?とでもいうのか(笑)、自分に都合のいいストーリーを作り上げては信じ込んで、まわりを驚かせるようなことをあれこれやらかすようになりました。

私がGW前後の実家での手伝いから戻った直後、珍しく昔のお友達をお客様に迎えたもてなし疲れからか 突然父に対して妙な妄想にかられて怒りを爆発させ、二晩家から閉め出してしまったときは、父も私も弟も 唖然呆然もう大変(笑)

ついに三日目、電話での説得もまったく効果ないまま これ以上このままにはしておけないと 弟が休日返上で西宮から出張ってきて、半ば力づくで父を家に押し込むと、今度は母が飛び出していくという騒動に。。。まあ結局はちゃんと戻ってきましたが(^_^;)

その後、9月の台風被害で 私との連絡が数日取れなかったときも、父や弟は 母をなだめるのに並大抵ではない苦労をしたようです。

彼女の頭の中では、私が電話を無視して返事もよこさないという話になっちゃってたらしい。。。実際は 小学校に避難した直後にかろうじてまだ繋がってた携帯でちゃんと状況説明しておいたのになぁ

その後も記憶力の減退は徐々に進行し、それでも 家族の顔を忘れるとか ガスを点けっ放しにするとか 徘徊して家に帰れなくなる、というような 日常生活に支障をきたすほどのことはなく、知らない人が見たら何の異常も認めないだろうなぁという感じなのですが、内輪での感情の嵐はいよいよひどくなり、また生きる意欲も低下したようで 身の回りのこともかまわなくなり、家事の負担が父に大きくかかってくるようになりました。

厄介なことに 家事をきっちりこなして家族の面倒を見てきた、というのが 彼女の自己存在の唯一といっていい拠り所、しなければならないけどしたくないという矛盾を受け止められないまま 辻褄合わせにもならない辻褄合わせを無理やり作り上げては父に当り散らすという毎日で、父の話を聞くたびメールを読むたびに暗澹とした氣持ちになるのは避けられず(T_T)


何よりも困るのは、こんな状態であっても 母ががんとして医者にかかろうとせず、ヘルパーなどの外部助力も拒んでいること。

まあ記憶や感情の変化については そもそも本人が認めてないのだから仕方がないとしても、11月に訪ねたときは 持病の喘息が悪化したのか 常時セーセーいうようになっていて、立ち居振る舞いも見るからに苦しそうなのに、そちらについても絶対首を縦に振らない。

いまだかろうじて人らしい暮らしを保っていられるのは ひとえに父の頑張りのおかげなのですが、つい先日傘寿を迎えた父、現役の社会保険労務士で、慣れない家事の負担が仕事を大きく圧迫しているようなのです。

私が応援に行くたびに 「(母を)デイサービスに預けて解放された氣分」と喜ばれるのは なんともフクザツな思い。。。


とまあこんな次第で ちょくちょく実家に出向いてるわけなんですが(^^ゞ




実のところ、あちらに行くことや家事を引き受けること自体は どうってことはないんです。

家の仕事も 十津川の山道のドライブも大好きだし、氣ままな一人暮らしで自由もききやすいし♪


私を大きく消耗させるのは、昔ながらの母娘の軋轢。


以前カミングアウトでも書いたように、第一子であり長女である私の目から見て、母は幼い頃から横暴な人でした。

一見筋が通っているようでいて、その実自己正当化が激しく、いつもまわりの人間を無理やりコントロールすることで 心の平安を得ようとする傾向があり、親の庇護を受ける子の立場として、私は常に母の圧力に屈しざるを得ず、長年に渡って溜まりに溜まった怒りや恨みは半端ないものでした。


それを、とにもかくにも物理的に距離を置くことで 母から自分を切り離し、あちこちから助けをもらって内観・修正を重ねて、ようやっとここまで回復できたというのに。

今度は弱った自分を武器に またしてもワガママのし放題で私を振り回そうっていうの?

地雷を踏まれるたびに 反射的に怒髪天を衝いてしまい、そのあと悶々とする日々。


・・・・・な~んて書くと いかにもヒサンな親子関係なんですが。


これはあくまでも 三次元視点での話

ちょっと視点を変えてみると、まったく違った世界が見えてくるのです♪



もっと大きな存在の一部としての、魂としての視点から見るとね



その見方でいえば、私は生まれる前に ある意図を持って この両親を選んで生まれてきた。

いろいろと制限された存在として、その制限ゆえにできるさまざまな体験を重ね、自分を磨いて成長してゆく楽しみを味わうために。

愛や平和とおよそ対極のところにわざわざ身を置いたのは、そこから旅を始めることで 「ほんとうの自分ってこんなに素晴らしいんだぁ~」っていう喜びを知ることができるから\(^o^)/


この視点に立つと、「被害者意識」っていうのが足止め以外の何ものでもないことがよぉくわかります。


被害者の立場に立ち続ける選択っていうのは、

“私は幼い頃から親にひどい目に遭わされました

 背負わされたハンデが大き過ぎて 自分の力でそこから抜け出すことができません

 だから私は親を憎みます、恨みます”

って宣言してるのと同じことだから。


ここまで見えてくると、親を・親との関係をどうするかっていうのは もはや問題じゃないんだよね。

問題は 私がどういう道を選ぶのか。

無力な被害者として 恨み続け 戦い続ける?

それとも、すべてを「飛び越えるために置かれたハードル」と受け止め、クリアして成長する?


こう訊かれて後者を選ばない人ってまずいないと思うんだけど。

私ももちろん☆

ただね、わかっていても 悲しいかな昔のクセで ついつい前者に引っ張られちゃうのが私の未熟なところ(笑)

実家に行くたびに 何回かはわちゃ~ってなって、それでもそのたびに学習して 懲りずにまたまたチャレンジ、それがここしばら頻繁になってる奈良行きの真相(笑)なのです♪

だから、消耗しても それだけの値打ちはあるわけ(^_-)


多層構造の 低い次元とちょっと上の次元を行ったり来たり、そんな中でも徐々に前進の手応えを感じているきょうこの頃です