きょうはお隣小学校の卒業式でした。
今年の卒業生は 女の子6人。
思い起こせば、私が初めてこの学校に足を踏み入れたのが この子たちが一年生のときの学校開放週間でした。
教室の移動でもあったのか、ちっちゃな女の子6人がずらりと縦一列で 廊下を小走りに駆けていった可愛い姿が今でも目に焼きついています。
それが二学期のこと、そしてこのとき知り合いのお母さんに教えていただいたのがきっかけで、三学期から絵本の読み聞かせに参加させてもらうことになったのです。
あのときのおちびさんたちが、すらりと背が伸びて すっかりお姉さんになって、お揃いのリボンの造花をつけて きょうの晴れの席に主役として座っている。
私からすれば 手を伸ばせば届きそうなのに、あの公開授業の日からいったいどれだけの年月が経ったんだろう。。。と なんともいえない思いでした。
もう「女の子」というより「女性」といってもいいほどの存在感、みんな立派に大きくなったねぇ、としみじみ感慨深くて。
私でこれだから、娘の晴れがましい姿を見守る親御さんたちの思いはどれほどだったことでしょう。
開式前の「思い出の写真映写」や 卒業証書授与の際にひとりひとりが将来の夢を語るなど、少人数ならではのアイデア演出も魅力的な、とってもいい卒業式でした。
お天氣もきのうに引き続き春らしい晴天、あたたかい一日でほんとうによかった♪
もうじき中学生になる女の子たちの語ってくれた夢、芸人に自衛官、文具デザイナー、保母さん、絵本作家、ピアノの先生♪
あの年の子たちから見える自分の未来って どんなんだろう。
もしかしたら 夢は変わるかもしれないけど、形はいくら変わっても あの子たちの一番の望み・ほんものの望みが どうか叶いますように
私があれぐらいの頃は、いい子で優等生で心にゆとりがなくて、「自分が何がしたいか」ではなく「人にどう思われるか」ばかりを氣にして生きていました。
自分の氣持ちなんか見ようともしてなくて、当然 ほんとうの望みなんかわかるはずもなくて。
だから、成人してからも わけもわからぬまま 暮らしを立てるためにあれこれやってみては 失望することの連続だった。
そんな私も、いろんな人の力を借りて 自分のほんとうの心を少しずつ思い出させてもらい、子供の夢のようなものではないけれど、自分のこの先にも大きな希望が持てるようになりました。
子供の頃と違うのは、「何がしたいか」ではなく「どうありたいか」が常にまっ先に浮かぶこと。
他の誰よりも 自分に対して嘘のない人間でありたい。
人も自分も心から愛して 大切にし続けたい。
まだまだ残しているそぐわない思い込みから解き放たれて、自分を磨いて成長し続けたい。
いつも優しく柔らかい心を保っていたい。
すべてはひとつであることを もっともっと身近に感じていたい。
ひけらかしたり競ったりするのではなく、ただ自然にあるがままで 快い香りを放つ花のような存在でありたい。
そんな中で、自分の一番したいことをして 豊かな(贅沢な、ではないです・笑)暮らしが成り立つ巡りの一部になれたら最高だな♪
「一番したいこと」って具体的にイメージするときのほうが漠然とした印象になっちゃうのはおかしなものだけど、
自分の手で細やかに暮らしを紡ぐこと、土と共にあること、本や音楽と共にあること、言葉になりにくい世界を言葉にすること、自分の内側に新しい何かを発見し続けること、縁ある人の、とりわけ子供たちのために尽くすこと。。。そんな感じかな♪
子供の頃から 自分のしたいことがはっきり見えている人、夢に向かって着実に歩いている人って、とてもまぶしくて魅力的です。
そんなふうだったらなによりだなって思います。
それと同時に、半世紀近くかかって やっと揺るがない喜びを見つけた自分のことも けっこう好きだったりします(^^)
早い遅いは関係ないのかもね♪
今 自分の道を歩いていられること、それが幸せっていうものなのかもね♪
望めば必ず叶う。。。だから、すべての人が 自分のほんとうの心、ほんとうの望みと出会えたらいいね
今年の卒業生は 女の子6人。
思い起こせば、私が初めてこの学校に足を踏み入れたのが この子たちが一年生のときの学校開放週間でした。
教室の移動でもあったのか、ちっちゃな女の子6人がずらりと縦一列で 廊下を小走りに駆けていった可愛い姿が今でも目に焼きついています。
それが二学期のこと、そしてこのとき知り合いのお母さんに教えていただいたのがきっかけで、三学期から絵本の読み聞かせに参加させてもらうことになったのです。
あのときのおちびさんたちが、すらりと背が伸びて すっかりお姉さんになって、お揃いのリボンの造花をつけて きょうの晴れの席に主役として座っている。
私からすれば 手を伸ばせば届きそうなのに、あの公開授業の日からいったいどれだけの年月が経ったんだろう。。。と なんともいえない思いでした。
もう「女の子」というより「女性」といってもいいほどの存在感、みんな立派に大きくなったねぇ、としみじみ感慨深くて。
私でこれだから、娘の晴れがましい姿を見守る親御さんたちの思いはどれほどだったことでしょう。
開式前の「思い出の写真映写」や 卒業証書授与の際にひとりひとりが将来の夢を語るなど、少人数ならではのアイデア演出も魅力的な、とってもいい卒業式でした。
お天氣もきのうに引き続き春らしい晴天、あたたかい一日でほんとうによかった♪
もうじき中学生になる女の子たちの語ってくれた夢、芸人に自衛官、文具デザイナー、保母さん、絵本作家、ピアノの先生♪
あの年の子たちから見える自分の未来って どんなんだろう。
もしかしたら 夢は変わるかもしれないけど、形はいくら変わっても あの子たちの一番の望み・ほんものの望みが どうか叶いますように
私があれぐらいの頃は、いい子で優等生で心にゆとりがなくて、「自分が何がしたいか」ではなく「人にどう思われるか」ばかりを氣にして生きていました。
自分の氣持ちなんか見ようともしてなくて、当然 ほんとうの望みなんかわかるはずもなくて。
だから、成人してからも わけもわからぬまま 暮らしを立てるためにあれこれやってみては 失望することの連続だった。
そんな私も、いろんな人の力を借りて 自分のほんとうの心を少しずつ思い出させてもらい、子供の夢のようなものではないけれど、自分のこの先にも大きな希望が持てるようになりました。
子供の頃と違うのは、「何がしたいか」ではなく「どうありたいか」が常にまっ先に浮かぶこと。
他の誰よりも 自分に対して嘘のない人間でありたい。
人も自分も心から愛して 大切にし続けたい。
まだまだ残しているそぐわない思い込みから解き放たれて、自分を磨いて成長し続けたい。
いつも優しく柔らかい心を保っていたい。
すべてはひとつであることを もっともっと身近に感じていたい。
ひけらかしたり競ったりするのではなく、ただ自然にあるがままで 快い香りを放つ花のような存在でありたい。
そんな中で、自分の一番したいことをして 豊かな(贅沢な、ではないです・笑)暮らしが成り立つ巡りの一部になれたら最高だな♪
「一番したいこと」って具体的にイメージするときのほうが漠然とした印象になっちゃうのはおかしなものだけど、
自分の手で細やかに暮らしを紡ぐこと、土と共にあること、本や音楽と共にあること、言葉になりにくい世界を言葉にすること、自分の内側に新しい何かを発見し続けること、縁ある人の、とりわけ子供たちのために尽くすこと。。。そんな感じかな♪
子供の頃から 自分のしたいことがはっきり見えている人、夢に向かって着実に歩いている人って、とてもまぶしくて魅力的です。
そんなふうだったらなによりだなって思います。
それと同時に、半世紀近くかかって やっと揺るがない喜びを見つけた自分のことも けっこう好きだったりします(^^)
早い遅いは関係ないのかもね♪
今 自分の道を歩いていられること、それが幸せっていうものなのかもね♪
望めば必ず叶う。。。だから、すべての人が 自分のほんとうの心、ほんとうの望みと出会えたらいいね