前回の「モモ」のカナリヤのエピソードから ふと思い出したんですが。
和歌山に来て3年目ぐらいだったかな?
二度目の職場は やはり前と同じく旅館だったんですが、これがなかなかにハードなところで。
最初に働かせてもらったところは、経営者さんは良くも悪くも放任主義、以前からの友だちが二人すでに働いていて、ほかの年長のベテランさんたちも親切で面白くて、家族みたいに和氣あいあいと過ごさせてもらってたので、なんとなくその延長のように思ってたのですが。
新しいところは、組織やシステムがしっかり組まれ、規律正しく統制がとれていて 意欲的な方も多かったのですが、その分メンバーひとりひとりが組織の歯車としてきっちり機能しないと 皆に負担がかかるということで、不慣れな新入りの私に容赦ない方もけっこうおられて。
いや、そういうところに行くことになったのも、甘えた思い込みを正して よりよい人生を歩むため、あの頃の自分にぜひとも必要なことだったのだと 今ではよくわかるのですが。
それまで恵まれ過ぎていて 知らず知らずのうちに傲慢で我が強くなってしまっていた私には、慣れないことゆえの間違いや要領の悪さをいちいち責められるのが ひどく苦痛でした。
3日目ぐらいには もう辞めたい!と思うまでになっていたのですが、懐事情で どう考えてもむこう3ヶ月ぐらいはそこで辛抱するしかない。
(そういうふうに見事に仕組まれてたんですね)
このままでは精神が崩れてしまう、とまで思い詰めたとき。
今思うと、あれは 防衛本能がとっさに思いつかせた ストックホルムシンドローム的破綻回避手段だったんじゃないかと思うんですが。
度重なる非難に 内心反発しつつすっかり疲れた私、窮余の一策をふいに思いついたのです。
実際のところはどうであろうと、「非難」ではなく「教え」「親切な忠告」だと 無理やりでも思い込むこと。
で、仕事が終わったあと、先輩方ひとりひとりに「いろいろ教えていただいて助かります、ありがとうございます」と 笑顔で挨拶してみました。
そうしたら。
みなさん揃ってにっこりし、「最初から出来る人はおらんのよ」って優しく言われるではありませんか。
いや、それなら最初からそう言おうよ、っていうのは ぐっと喉元で飲み込んで(笑)
とにかく発見でした。
誰でも自分のことを善意の人だと思っているし 思いたいし、こちらからそういう面を誘い出せば そのとおりになるのだと。
それ以来、機会を捉えては この発見をさらに確かめるようになりました。
大きな旅館ゆえ 従業員数も多く、いろいろな先輩と組むことができ、またお客さまもそれはそれはバラエティに富んでおられて、観察には格好の環境。
うわ、ヤバイ、と思うたびに 何度この手を使ったことでしょう
その都度バッチリ身を守ってもらい、結果、この発見は 確信として私の中にしっかり根を下ろしたのです♪
どんなコインにも 必ず表と裏の二面があるように、人の心の中にも 必ずいい面と悪い面(ととりあえず表現しておきます)がある。
そのどちらに焦点を当てるかで、出てくるものが180度違ってくる。
先に書いたように いい面を誘い出すことは充分に可能だし、一方で 最初私が体験したように、とことんダメな奴と決め付けられれば 萎縮してひねくれて、ほんとうにそのとおりの人間になってしまいもする。
よく言われる話ですが、身をもってとことん学ばせてもらったというのは強いもの。
単なる小手先のテクニックなどというのでなく、これ、間違いなくそのとおりだと思います。
そして今。
この事実をうまく使うことが、私の“天職”のひとつだという氣がしています。
もとから素敵な人はますます輝くし、一時的に自信や元氣をなくしている人だって、心の奥に引っ込んでしまっている素晴らしさに焦点を当てて ちょこっとお手伝いすれば 必ず復活できる。
中でもとくに、子どもたちには 最初から自信と輝きを持ち続けていてほしいと思うしね♪
・・・っていうか、まずはやっぱり自分から、かな(^^ゞ
それにしても、あの頃がこんなふうに 伏線として今につながってたなんて。
人生のどん底、と思い込んでしょげていたときに、実はいちばん大きな恵みや氣づきをもらっていました。
つくづく天の愛だなって思います
ありがたいことです
わが人生最悪の場、と決め付けていた元職場、もう一度戻りたいとは思いませんが(笑)、今では最高の学びの場だったと 心から感謝しています(^^)
和歌山に来て3年目ぐらいだったかな?
二度目の職場は やはり前と同じく旅館だったんですが、これがなかなかにハードなところで。
最初に働かせてもらったところは、経営者さんは良くも悪くも放任主義、以前からの友だちが二人すでに働いていて、ほかの年長のベテランさんたちも親切で面白くて、家族みたいに和氣あいあいと過ごさせてもらってたので、なんとなくその延長のように思ってたのですが。
新しいところは、組織やシステムがしっかり組まれ、規律正しく統制がとれていて 意欲的な方も多かったのですが、その分メンバーひとりひとりが組織の歯車としてきっちり機能しないと 皆に負担がかかるということで、不慣れな新入りの私に容赦ない方もけっこうおられて。
いや、そういうところに行くことになったのも、甘えた思い込みを正して よりよい人生を歩むため、あの頃の自分にぜひとも必要なことだったのだと 今ではよくわかるのですが。
それまで恵まれ過ぎていて 知らず知らずのうちに傲慢で我が強くなってしまっていた私には、慣れないことゆえの間違いや要領の悪さをいちいち責められるのが ひどく苦痛でした。
3日目ぐらいには もう辞めたい!と思うまでになっていたのですが、懐事情で どう考えてもむこう3ヶ月ぐらいはそこで辛抱するしかない。
(そういうふうに見事に仕組まれてたんですね)
このままでは精神が崩れてしまう、とまで思い詰めたとき。
今思うと、あれは 防衛本能がとっさに思いつかせた ストックホルムシンドローム的破綻回避手段だったんじゃないかと思うんですが。
度重なる非難に 内心反発しつつすっかり疲れた私、窮余の一策をふいに思いついたのです。
実際のところはどうであろうと、「非難」ではなく「教え」「親切な忠告」だと 無理やりでも思い込むこと。
で、仕事が終わったあと、先輩方ひとりひとりに「いろいろ教えていただいて助かります、ありがとうございます」と 笑顔で挨拶してみました。
そうしたら。
みなさん揃ってにっこりし、「最初から出来る人はおらんのよ」って優しく言われるではありませんか。
いや、それなら最初からそう言おうよ、っていうのは ぐっと喉元で飲み込んで(笑)
とにかく発見でした。
誰でも自分のことを善意の人だと思っているし 思いたいし、こちらからそういう面を誘い出せば そのとおりになるのだと。
それ以来、機会を捉えては この発見をさらに確かめるようになりました。
大きな旅館ゆえ 従業員数も多く、いろいろな先輩と組むことができ、またお客さまもそれはそれはバラエティに富んでおられて、観察には格好の環境。
うわ、ヤバイ、と思うたびに 何度この手を使ったことでしょう
その都度バッチリ身を守ってもらい、結果、この発見は 確信として私の中にしっかり根を下ろしたのです♪
どんなコインにも 必ず表と裏の二面があるように、人の心の中にも 必ずいい面と悪い面(ととりあえず表現しておきます)がある。
そのどちらに焦点を当てるかで、出てくるものが180度違ってくる。
先に書いたように いい面を誘い出すことは充分に可能だし、一方で 最初私が体験したように、とことんダメな奴と決め付けられれば 萎縮してひねくれて、ほんとうにそのとおりの人間になってしまいもする。
よく言われる話ですが、身をもってとことん学ばせてもらったというのは強いもの。
単なる小手先のテクニックなどというのでなく、これ、間違いなくそのとおりだと思います。
そして今。
この事実をうまく使うことが、私の“天職”のひとつだという氣がしています。
もとから素敵な人はますます輝くし、一時的に自信や元氣をなくしている人だって、心の奥に引っ込んでしまっている素晴らしさに焦点を当てて ちょこっとお手伝いすれば 必ず復活できる。
中でもとくに、子どもたちには 最初から自信と輝きを持ち続けていてほしいと思うしね♪
・・・っていうか、まずはやっぱり自分から、かな(^^ゞ
それにしても、あの頃がこんなふうに 伏線として今につながってたなんて。
人生のどん底、と思い込んでしょげていたときに、実はいちばん大きな恵みや氣づきをもらっていました。
つくづく天の愛だなって思います
ありがたいことです
わが人生最悪の場、と決め付けていた元職場、もう一度戻りたいとは思いませんが(笑)、今では最高の学びの場だったと 心から感謝しています(^^)