「沈黙とはあたまとこころとからだが完全につりあっている状態」 ~サンテ・ラコタ~
長いことブログ書けずにいましたが、実家で日ごろ目にしないテレビ番組や新聞記事を見るにつけ、思うことは多々あって。
ニュースの冒頭や新聞の一面などに取り上げられる 原発、いじめ、オスプレイ問題、などなど、うれしいとはいえないニュースの数々に触れるたびに思うのが、
「言いたいことではち切れんばかりになってる人はたくさんいるのに、じっくり耳を傾ける人がいないみたいだなぁ」
みな 聞いてほしい思いがこみ上げてほとばしらんばかりになっていて、相手の言葉をじっくり聴くだけの余裕がない。
そういう心境もよくわかります。
私だって、少し前までそういうところすごかったもの。
話したい人ばかりだと、誰も彼もしっかり聴いてもらった満足感が得られないままなので、よけい互いの主張がエスカレートしちゃうんだよね。
わかるんだけど。。。これをどこまでやっても、納得いく結論にはまずたどりつけないだろうなぁ。。。
また、本音を言わないまま、追及を逃れたい人や 思い通りに状況をコントロールしたい人などもおられるようですが。
これについて、前に書いたミヒャエル・エンデの「モモ」にこんな場面が出てきます。
人々の時間を奪おうとする「時間貯蓄銀行」の「灰色の男たち」。
彼らはもちろん 自分たちが時間を奪おうとしていることは悟られないよう、言葉巧みに説きつけて みなに時間の節約こそ美徳だと思わせるように仕向けてゆくのですが、彼らがどんなに手を尽くしても陥落させられないただひとりの人間が、モモ。
モモのところにやってきた灰色の男たちのひとりに モモが何をしたかというと・・・例によって 彼のひと言ひと言にじっくり耳を傾けるんですね。
それも、ただ言葉の表面を追うのではなく、相手の心に入り込んで 言葉の元にある思いを感じ取ろうとする。
すると、それまで余裕たっぷりだった灰色の男が だんだん自信と冷静さを失っていき、ついには本来秘密のはずの彼らの計画を 意に反してしゃべってしまうのです。
カナリヤの歌声を誘い出したように、彼らの本音を誘い出してしまうのですね。
誰でも感じる力を持っているから、「この人ウソついてるな」っていうのは 案外あっさりと伝わってしまうもの。
でも、そこを問い詰めれば問い詰めるほど、相手のガードは固くなる。
旅人の外套をむりやり脱がせようと吹きつける北風に、旅人がますますしっかりと 外套を身に巻き付けたように。
旅人の外套を脱がせたのは、全身をあたたかく包み込むお日さまの温もりだったんだよね。
自分の言い分をしっかり聞いてほしいっていうのは、自分をあたたかく受け止めてほしい、大切に扱ってほしいっていうことなんじゃないかと思います。
本音を言わない人の心の底には たぶん恐れがあって、それを溶かすのはやっぱり 責め立てるのでなくあたたかく受け止める人の心なんだろうとも。
モモのように、ひとりひとりの発言のおおもと、その言葉を言わせる根っこの思いを聴き遂げようとする力が 今とても必要なんじゃないかという氣がします。
・・・と言ってはみたものの。
人の話をそこまでしっかり聴くのって。。。難しい~
聴くことの大切さがひらめいて以来、ずっと努力はしてるんだけど。。。
相手のたまり溜まった怒りや怨念に恐れをなして逃げ出したり、うっかり自分の過去の怒りと共鳴させてしまって平静でいられなくなったり、同じ話の繰り返しに耐え切れなくなったりと、だめだこりゃなケースのまあ多いこと(笑)
冒頭の一文は、ツィッターの「ネイティブ・アメリカンの言葉集」から。
あたまとこころとからだがつりあって沈黙が保てるというのなら、しゃべらずにいられないのは バランスが崩れた状態だっていうことなのかな?
う~ん、まずは 自分の心のバランスをしっかり保つことが先かもね(^^ゞ
と、そこから思ったんだけど、一番大切なのは、ほかの誰よりもまず 自分自身の心の声をしっかり聴くこと、なのかもしれないなぁ☆
みんながみんな、自分のほんとうの氣持ちをちゃんとわかった上で、忌憚なく話し合い聴き合うことができれば、それだけで 今起こってる問題の大半はなくなっちゃうかもしれないね。
「聴く力」という課題、長いおつき合いになりそうです。