今回の仕事の また別の収穫として、「二元対立の世界と それを越えてゆくもの」 についてのイメージが より明確になったことがあります。
7月下旬、ちょうど仕事が忙しくなり始めたころ、勤務先が 同じ敷地内の別の建物に変わりました。
そこでの対人関係は これまでになく良好で、この職種に就くようになって文句なしに一番、この夏はいい氣分で過ごせそうだと喜んだものでした。
それが、これというきっかけもわからぬまま 徐々に変わっていって、それまでと同じく氣の重いものになってしまったときは、なんでこうなったのかと落胆しきりでしたが、起こることすべてに意味があるもの、これほどの変化は きっと重要なメッセージに違いないと、とにかく体験し、観察し、記録することに徹してきました。
そして その意味がわかったのが、8月18日、ブログにも書いた 7連勤のあとの久々の休日の朝のこと。
私はずっと 幸せでいたい、心安らかでありたいと望んできたけれど、実際に追いかけていたのは、その対極の要素と対をなす幸せや安らぎだったのです。
幸せと不幸せ、安らぎと不安、対立する二極の一方である幸せや安らぎを手に入れては、これでもう大丈夫と思い込んでいた。
でも、その二極は もともと表裏一体のひとつもの、片方を手に入れれば 反対の要素ももれなく付いてくるのは どうしたって避けられないわけです。
その氣づきと今回の体験を重ね合わせて、二元対立の世界での幸せや安らぎは どうあがいても長続きするものではなく、しかも ちょっとしたきっかけで あっさり反転してしまうもろいものなんだ、と思い知らされたのでした。
さらにそこから、私がそんな不安定なものを手に入れてしまった理由もわかってきました。
まず、現在置かれている状況を 「いやだなぁ」 と否定的に捉えた自分がいた。
で、それとは違う もっと楽しい世界を望んだ。
自分では ポジティブな望みのつもりだったけれど、否定形から入った時点で、それはネガを元に生まれた ネガを引き寄せずにおかない望みだったわけです。
これまでえんえんと体験し続けてきた 否定的な世界は、生まれてほどなく植えつけられた情報を元に、他ならぬ私自身が それと氣づかぬまま 繰り返し再創造してきたものだったのですが、では、そんなふうに ネガティブな世界を創り上げることに長けてしまった自分が、安定した幸せや安らぎを実現するには、どうすればよいのか。
そう思うか思うわないかのうちに 答えは出ていました。
対立する二極とは別の、揺らがない幸福や安らぎがある、と。
しばらく前から、どんなときでも 「そのときの一番」 を選び続けようと 意識していました。
今 一番ワクワクすること。
イメージしたとき もっとも心地よく思えること。
一番抵抗を感じないこと。
どんな些細なことでも、そのときのベストチョイスをし続けていこう、と心に決めて、うまくいくときもいかないときもあったけれど、とにかく実行してきました。
この 「そのときの一番」 こそ、二元対立を越えて 望みを叶える道だったのです。
「そのときの一番」 には、対立要素はないのです。
ただ やりたいからやる、それだけ。。。。小さい子どもが遊びに没頭しているときのように。
他の選択肢と比べて もっとも有利か、選んで後悔しないか、そんな疑いやためらいや迷いはいっさいない。
これやるー! と 笑顔でまっすぐ突進し、満足したら、または面白みが失せたら、「次の一番」 に移るだけ。
そして、決して裏切られない。
最初に否定形ありき、ではないのです。
ただただ 「やりたい」 「楽しい」 があるだけ。
そして、このときの 「楽しい」 は、私たちの本質、本来の私たちの要素そのものなのです。
対立する二極を越えるとは、ほんとうの私たちに返ることだったのです。
以前取り上げた 本田健さんの言葉の意味が、あらためてよぉくわかりました。
最初は 「見返してやる」 などの 否定的感情からスタートしてもいい、でも うまくいき出したら、もっとポジティブなエンジンに乗り換えないと、ネガベースのままでは 否定的な事柄を引き寄せてしまう、とは、まさにこういうことだったのですね。
二元対立の中にいたままでは ほんとうの幸せは 手に入らない、そこを越えて ほんとうの幸せの道を行きなさい、と。
このテーマ、もう少し続けさせてもらいますね☆