毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

探究 ・ 実験 ~ こころとからだの相関関係  その5

2016年08月17日 11時59分38秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


立位体前屈と 肩甲骨まわりのストレッチ、さらに 床に座り あぐらをかくように脚を曲げ 足裏を合わせて上体を倒す 股関節ストレッチも加えて、それぞれに感覚フォーカスを試みるトレーニングに、ホ ・ オポノポノの4語、中でも特に 「ありがとう」 を唱えることで ネガ記憶浮上の繰り返しをストップさせられるかどうかの実験が加わりました。

前回書いた仮説 どうやら的外れではなかったようで、痛みの記憶が減ったのか 柔軟度がぐぐっと上がり、このテーマ記事を書き始めたときにはまだできなかった 「立位体前屈で 足をまっすぐ伸ばしたまま 手のひらをべたっと床につける」 が 何回やってもできるようになり、より調子のいいときは さらにひじを軽く曲げられるほどになりました。

何回やってもできる ということは、筋の痛みやつっぱり感が もう戻ってこなくなったということ。

脚の裏側や内側に数本、ゴムのようにしなやかな筋繊維の束の中に 太い針金でも混じったように 伸縮性がなく ちょっと強く引っ張ると 今にも切れるんじゃないかと怖くなるほど痛くなる筋が 数本感じられて、いったん痛みが消えても 次回にはまた復活するので、手の指の付け根あたりまでつくようになったところから先へ なかなかいけずにいたのが、一氣に進展しました。

その数本の 「針金筋」 が 心のどのようなわだかまりと対応していたのかはわかりませんが、戻らなくなったということは わだかまりもクリアになったとみていいでしょう




ところが、このあと さらにトレーニング&クリーニングを進めるほどに 負の思いやイメージもまた 次々切れ間なく上がってくるという “わんこそば状態” に陥ってしまったのです (T▽T;)

なんなんだ、この引きも切らず押し寄せてくる ネガイメージの大群は~

倒しても倒しても敵の数が増えるばかりの 時代劇の大立ち回りか ゾンビ映画の主人公にでもなった氣分 (T_T)

なによりこの状態、来る日も来る日も 強い不安にさらされ続けていた昔と なんら変わりないではありませんか。

なにがどううまくいってないのか、それともそもそも根本からすべてが失敗だったのか。

不安がいや増し、「ありがとう」 プラス 「ごめんなさい」 「許して下さい」 「愛しています」 の4語が頭の中をぐるぐるまわり、しびれたようになって なにをなんのためにやっているんだかわからなくなりかけたとき、ひらめきが飛び込んできました

違う、失敗じゃない、成果が上がってるんだ

だから、これまでずっと見えないところに隠れていた負が 続々浮上してきたんだ、終らせるために




とたんに こっちがゾンビのごとく復活です

ほんっと われながらしぶといというか、あきらめ悪いというか (笑)




そうとわかれば、それまでの不安はウソのように雲散霧消し おお張り切り、勢いを得て クリーニングに拍車がかかる中 またしてもひらめいたのは、なんてあまのじゃくなんでしょう


          “やっぱり消すだけじゃダメだ、ちゃんと味わってからじゃなくちゃ”


感覚フォーカスだけでは対処しきれないと思ったからこそのクリーニングだったのに、そのさなかに 感覚フォーカスの重要性が再認識されることになろうとは ( ̄∇ ̄;)




いやいや、あまのじゃくというよりも そもそもそういうものなのでしょうね。

極端に偏りすぎて バランスを崩しかけたところに 新しい道が開ける、というような。