毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

“正義の味方“ の正体は

2018年01月26日 10時24分49秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


これは貴秋特有のクセなのか 他の方にも起こることなのかわかりませんが、これは!と思う文章や動画を何度も何度もリピートして、次のページ ・ 次の場面の文やせりふが先行して思い浮かぶまでになったころ、突然氣が重くなるというか 飽きがくるというか、「もうこれ以上何度繰り返したって。。。。」というような空しい氣分に襲われるのです。

なまじ言葉としてしっかり入ったために 意識が言葉のところで止まってしまい、言葉の向こうにある肝心のメッセージが届かなくなり 感動が薄れるといった感じ。

実際は 「もうこれ以上」 どころか まだまだここからが本番なのですが、これが起きるといったんは置かざるを得ません。

こんなとき、よくしたもので すかさず次に読む ・ 見るものが登場します。

新しい出会いのこともあれば、すでに知っているものをふと思い出して再び手に取るということもありますが、この二番手のおかげで しばらくすると いったん離れた前のものに 再び新鮮な氣持ちで向き合えるようになるのです。

しかも この二つは関連する内容のことがほとんどなので、同じテーマを複数の角度から眺めることで より理解が深まります。




で、今回のムージ師の動画にも 年明け早々これが起きまして、そこに登場したのがこちらのブログ。

「HIROAKE HAMADA official blog」 (通称 「ショットバーマスター濱田浩朱のブログ」 )

このマスター濱田氏のブログには 以前から大変お世話になっています。

そもそも 感覚フォーカスを思いついたきっかけというのが、この方の前のブログで 「感情が湧くより先に からだの感覚が起こる」 という情報をいただいたこと。

また この方の記事には、ちょうど今欲しかった手がかりとか、自身の氣づきとシンクロする内容とか、なんか氣になっていたら あとからああこのことだったのかと思い当たった話などが数多くあって、何度も助けられたり励まされたりしています。

そして今回も ムージ師の動画と重なりそうなテーマがあったことをふと思い出し、久々にじっくりと過去記事から読み返させていただいたのですが。




あ! と氣づいたのは こちらの記事、「安定は幻想ってどういうこと?」 から。

内容については ぜひ本文をお読みいただきたいのですが、ここに出てくる 「コンフォートゾーン (なんとなく居心地よくて つい戻ってきてしまう領域のこと) 」 の説明に はたと思い当たったのです。

感覚フォーカスでいくら手放しても すぐまた復活するさまざまな負の感情、「在る」 にい続けようとしても たちまち湧き起こる思考や記憶、こういったものすべてが このコンフォートゾーンに引き止めようとする働きなのでは?

否定的な感情 ・ 思考 ・ 記憶、どれもこれも不快なものばかりですが、おぞましくも慣れ親しんだ “わが領域” として つねにここに引き戻そうと働くことで、えんえん居座り続けているのでは?




そこに不意に マスターの別の記事 「どれが本物のわたし!?」 の内容が重なり、 となりました。

これまでずっと 否定的な思いが湧くたびに 「ああもうまた!?」 「どうしたらこれが上がってこないようにできるんだろう?」 と悩む自分がいて、何かいい手立てはないかと探し回ってきたわけですが、その “悩み解決しようとする自分” も 否定的思考などと同じく あの主のない自動反応の産物だったのです。

自分を苦しめるものがあって、それを退けようとする “正義の味方” がいて、という悪玉対善玉のあくなき戦いそれ自体が架空の物語であり、真我を無視して空回るマインドを主体の座に据え続ける原因だったのです。

ここにきてようやっと、あのムージ師の 「現れては通り過ぎるものすべてから意識を離し、真我にい続けてください」 という言葉が納得できました。

それが敵に思えようが味方に思えようが、主のないすべての思考や感情や記憶はことごとく 意識を真我から遠ざけ 悩みや迷いを生み続けるばかりの幻の存在だったのです。