毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その5

2019年12月02日 18時27分06秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


唐突ですが、赤ちゃんってすごいと思いませんか?

世話する者がなければひとりでは生きてゆけない頼りない身の上なのに、氣にする様子も不安がる様子もない。

娯楽や退屈を紛らわすものなどなくても 氣分がよければにこにこごきげんさん、お腹がすいたりおしめが濡れたりすれば ためらうことなく声を張り上げてなんとかしろと要求し、収まればたちまちもとのごきげんさんに戻る。

人にあれこれしてもらうことに躊躇や罪悪感なんて感じない。

つねにいま ・ ここにぴたりと留まり、過去を嘆いたり未来を心配したりする氣配などみじんもない。

そして非力ながら無垢で無邪氣なその姿は、不思議と人の心を魅了し動かす力がある。

最近貴秋は、これが私たち人間の本来の姿なんだと思うようになりました。

そもそも私たちの誰もが例外なく、人生のスタートはこんなふうだったのです。

そこからいろいろな情報が入り込み、余分なものがくっついてややこしいことになってしまいましたが、その余分なものを取り去ってしまえば またそんなおおらかな心を取り戻すことができるはず。




特定の法則やルールが 天が定めたものか人為的なものかは、人間以外の生物が影響を受けるかどうかを見ればわかります。

人間には金曜の夜が近づくとウキウキし 日曜の夜にはテンションが下がる人が多いけれど、人間以外の生物は曜日もカレンダーも関係ないから そんな浮き沈みなどない。

お金だって時間だって法律だって同じこと、影響され振り回されるのは自我や言葉を持った人間だけです。

つまりそれらは、私たちの意識の中にだけ存在するのです。

ならば、私たちの同意を得ず一方的に刷り込まれたルールはいったん白紙に戻して、改めてニュートラルな見地から 再びそれを選ぶかどうか決めればいい。

成人としての記憶やわきまえは残しつつ、赤ちゃんのようにためらいなく自由で的確な選択ができる意識のありように 少しずつでも戻ればいいのです。




引きの視点から見れば、正誤や良し悪しはなく “在るものが在る” というだけです。

そして すべては必要があって生まれたのであり、無意味なものはなにひとつない。

私たちは本来の自分にない要素をも体験したくてこの世界にやってきたのですから、どれほど命に背くことでも心を痛めることでも 頭から否定してかかることはなく、好みでないならその体験を選ばなければいいだけのこと。

ただひとつ 選択の基準にエラーが生じて思い通りの選択ができない場合があるので、そのときは潜在意識に知らぬ間に入り込んだ望まぬ観念を書き換えて 赤ちゃんのころの判断力実行力を取り戻しましょうという話です。

ほんとうの自分を忘れ 望まない体験を積む 「行き」 の道、ほんとうの自分を取り戻す 「かえり」 の道、どちらも生まれる以前の魂の観点からいえば計画どおりなのですから、望まないことはもう十分と感じたら すみやかに潜在意識の修正にとりかかればいい。

いまをどん底と感じたなら、それは方向転換するときが来たという合図です。

お金だろうが時間だろうが法律だろうがなんだろうが 縛りとなる要素は自分の意識の中にあるのですから、意識を変えれば自分が変わり 世界が変わります。




念のために申し上げれば、これはあくまでも引きの視点 ・ 五感を超えた意識での話。

形ある世界で いきなりお金の取り決めや時間や法律を無視しろと言っているのではありません。

貴秋がお勧めするのは ただ意に染まない世界を選ぶのをやめてそこから降りること、望まないものを後に残し立ち去ること、現存の人類がいまだかつて試みたことのない新しい手立てです。

前と同じことを何度繰り返しても同じ結果に行き着くだけ、変化を起こしたいなら 意識から変えましょう。

赤ちゃんを見てほほえましく愛おしく思う私たちの心は、表層意識では忘れていても かつての自身の自由さ素晴らしさをちゃんと留めています。

そうしたいと感じたら いつでも戻ることができるのです。