毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その8

2019年12月12日 22時01分37秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見





30年ほど前に買った絵本、トリーナ ・ パウルス作 「もっと、なにかが・・・」 。

ただ食べて生きるだけじゃつまらないと冒険と探求の旅に出たシマシマ毛虫のシマくんが主人公のお話です。

ある日見つけたのは、押し合いへし合いしながら空高く登って行く毛虫たちの柱。

雲に隠れて見えないてっぺんに探しているものがあるかもと仲間入りしたシマくんですが、仲間を踏みつけ はじき出されて落ちないよう必死になりながらの登頂に疲れ果てる中、知り合った黄色毛虫のキーちゃんと柱を降りて 一緒に暮らし始めます。

しばらくは仲睦まじく暮らしていた二匹ですが、満ち足りるにつれて再び柱のてっぺんへの思いが募ってきたシマくんはキーちゃんを置いて出発し、悲しみと共に残されたキーちゃんは ある日さなぎになりかけている毛虫と出会い、自分たちが蝶になる ・ なれることを教えられます。

毛虫としての自分がなくなることに不安を覚えながらも勇氣を出して繭を作り始めたキーちゃん、一方非情に徹して仲間を踏みつけにし ついにてっぺんにたどりついたシマくんが知ったのは、そこが何もない空っぽで ただ留まり続けたあげくあとから登ってくるものたちに力負けして弾き落とされるしかない場所であることと、そんな柱があっちにもこっちにもにょきにょき突っ立っている現実。

進退窮まったシマくん、とそこへ黄色い羽の美しい蝶が飛んできて、愛に満ちたその目に見つめられたシマくんは 向きを変えて まわりの毛虫たちに 「頂上には何もないけどそんなことはどうでもいい、僕たちは蝶になり飛び立つことができるんだ」 と告げながら柱を下りてゆきます。

やがて地上に降り立ったシマくんは、黄色い蝶に導かれるまま 自身も木の枝に登り、やがてある日。。。

そのあと文字はほとんどないまま、毛虫たちが次々柱を降りてさなぎになり羽化して 地上が蝶の楽園となるさまが絵で示され、物語は終わります。




またもざっくりしたご紹介になりましたが、絵本と言いながら百数十ページある深くて示唆に富む物語、できれば実物をお読みいただきたく思います。

お金 ・ 時間 ・ 法律の催眠をテーマにブログを書き進めるうちに ふとこの本を思い出し引っ張り出したのですが、物語の毛虫たちを現実の私たちに置き換えて考えると、ピラミッドのてっぺんに私たちが漠然と期待するものはなんなのか。

嵐のような賞賛、莫大な報酬、地位、名誉、と形はいろいろあるけれど、それらを通してみながほんとうに切望するのは 誰からも愛され認められ受け入れられることなのではないでしょうか。

いい子で優等生だった貴秋ももちろん積極的に柱登りに加わろうとしたクチですが、そのころの自分がてっぺんに行けばなにがあると思い込んでいたかといえば、もちろん物質的豊かさもあるけれど、なにより望んでいたのは 取り巻く人々に笑顔で肯定され誉めそやされたときに感じる安心感や暖かさだったように思うのです。

そこまで行けば もう否定される痛みや不安にさいなまれることなく生きられるようになるんだ、と。




ここで蝶に生まれ変わったキーちゃんのエピソードが光を放ちます。

貴秋には、蝶とはほんとうの自分、幸せに生きるのを妨げる刷り込みを手放し変容した意識のありように思えます。

自分そのものだと思い込んでいたさまざまな思考パターンを手放してゆくと、後ろに隠れていたほんとうの自分が次第に前に出てくる、それは柱のてっぺんで与えられることを望んでいた愛であり自己肯定感であり安心感であり温もりそのものなのです。

柱の世界のそれらはてっぺんに留まっていられるあいだだけの条件付きですが、自分の中のそれらは絶対で無条件で決して失われることのないもの。

いったんこれを思い出すと心が落ち着き、人にどう思われるかなどは氣にならなくなります。

導きは内にあると氣づき、外に刺激や娯楽を求めずとも 自分の生み出したもので自分をいくらでも満たし喜ばせることができるとわかります。

探していたものは ずっとすぐそばにあった。。。。「青い鳥」 のお話が現実になる瞬間ですね。



人本来のありようにかえることを思うとき、「尊厳を取り戻す」 という言葉が浮かびます。

いまは人間を含むすべての生き物が数量化されて有限となり、選別されて無価値のレッテルを貼られたり 役立たずと白い目で見られたりする時代。

そんな私たちみなが、お金や時間や法律の物差しなど及ばない絶対で無限の素晴らしい存在なのだということを もう一度思い出すときがきているようです。