毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ルールはとうに変わっている

2021年08月14日 21時41分57秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
私たちは 小さい頃から、物事を 言葉を駆使して論理的に運ぶよう習慣づけられてきました。

弁が立ち 明確な証拠を示して多数を納得させられる者が正しいとされ、形がなく五感でつかめないもの、公に証明できないものは、多くの場合切り捨てられてきました。

その慣わしは、感じる世界を大切にし ほんとうの自分として生きようとする者には けっこうな足枷となることが多かった。

でも、それも最近は少しずつ変わってきているようです。

コロナやオリンピック開催についての菅総理の説明が紋切り型で中身が空っぽなどとあちこちで批判されているようですが、形あるものだけを信じるのであれば、何をどう言おうと その言葉が表すところを額面どおりに受け取るだけのことでしょう。

なら、「中身が空っぽ」 だと感じる氣持ちは どこから生まれてくるのか。。。。それは、私たちが言葉の向こうに 言葉にならない “何か” を感じ取っているからこそ。

自分は五感を超えた世界なんて信じないし興味もないと言う人でも、実は知らず知らずのうちに 五感の向こうの領域からの情報をけっこう受け取っているのですね。

だから いくら言葉を飾っても、うわべと中身が違ったりしたら たちまち伝わっちゃう。

これからは 自分の感性や感覚に信頼を置く人が増えてきますから、この傾向にもますます拍車がかかることでしょう。

「なんとなくそう感じる」 というのは 理数系の証明や裁判の証拠としては使えないけれど、言葉を超えたエネルギーレベルの情報は ウソがつけないから、実際にはもっとも確かな判断基準となり得るのです。




最近は政治家さんなどの形ばかりとりつくろった言動にも手厳しい意見が多いけれど、こういう方たちの中身の薄い物言いって 別にいまに始まったことでもないですよね。

ただ、以前はそれでもなんとなく押し通せて 面子を保っていられたのが、いまはそうはいかなくなったというだけで。

これはやはり、本質から離れる力が後押ししていた “行き” の道と、本質に戻る力が後押ししている “かえり” の道の違いだと思います。

バブルが弾けたあたりから、言ってみればゲームのルールが変わったんですね。

それに氣づかず 以前と同じ態度で押し通そうとすると、総スカンを食ってしまう、と。

もう見目や体裁にばかり氣を使っていればいい時代ではありません。

エネルギーのしっかり乗った言葉で語れるか、現状を的確に感じ取って行動できるかが問われる時代に、とっくになっているのです。

そんな世界では、言葉や理屈でないところで感じるものを頼みにできることが、生きていく上での一番の拠りどころとなります。