毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

世界を変えるのは北風か太陽か

2021年08月16日 07時38分50秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
貴秋は現在新聞もテレビも見ていませんが、それでも世界でいまなにが起きているか一通りのことは知っておきたいので、時たまこれはと思うニュースサイトの見出しにさっと目を通し、氣になる項目のみ読むことにしています。

で 最近目についたのが、DaiGoというタレントさんの差別発言炎上について。

貴秋はこのニュースで初めて DAIGOさんという方がもう一人おられて これまでお二人を混同していたことに氣づいたぐらい、DaiGoさんについては何も存じ上げませんが、読んでいてふと連想したのが、元東京五輪大会組織委員長 ・ 森喜朗氏の女性蔑視発言問題。

どちらも発言を撤回し謝罪したのに その後も批判が止まなかった点に共通するものを感じたのですが、それはやはり あの 「言葉の向こうになんとなく感じられるもの」 を嗅ぎ取った人が多くいたためだと思うのですよ。

何を嗅ぎ取ったかといえば、撤回とお詫びはあくまでも鎮火のための方便に過ぎず、掛け値なしの本音は最初の発言に現れていて それはいまも少しも変わっていないということ。




私たちの誰もが、幼少期に身近な大人から受け継いだ観念に 自身の体験が重なって形作られた 独自の価値観世界観を持っています。

まず三つ子の魂百まで状態で意識の奥深く入り込んだその家特有の価値観に加え、育った家庭環境も 当然ながらその観念に色濃く染まっており、そんな家族独自の世界観は 幼い子どもの目には 空氣と同じぐらい自然で当たり前なものと映ります。

女性蔑視や弱者軽視は そういった環境の下で当然のように身についたもので、それがどれほどいびつなものであっても 本人にはわかりようがない。

長じて周囲から奇異の目で見られるようになって初めて 「なにかおかしいのかな」 と氣づくわけですが、そこで感情的な攻撃にさらされると 自らを省みるより防衛本能が先に立ち、歪んだ価値観を正すどころか 反撃に転じることでかえって強化してしまうのですね。

お二人とも 謝罪はあくまでもわが身を守るための建前で、身についた価値観はほとんど変わっていないであろうことは想像に難くありませんが、誰だって 小さいころから当たり前とされてきたことに疑問などなかなか持てるものではありませんから、周囲のほうがおかしい、自分は正しいことを言ってるのにと思ってしまうのは ある意味仕方ないこととも思うのです。

「神との対話」 のヒトラーについて書かれた章に 「どんな者でも、自分なりの世界モデルにてらせば、何も間違ったことはしていない」 とあるのは、まさにこのことだと思います。




そしてこれは、攻撃する側だって同じこと。

自分が当然と信じて疑わないことの中に いのちの流れに背くことが混じっていても、容易に気づけるものではありません。

そもそも寄ってたかって叩いたところで相手の考えを根本から変えるなどできないとわかっていながら、なぜ感情的に反応せずにいられないのか、ということですね。

皆薄々でもわかっているはずなのですよ、どれだけ叩いたって大声上げたって、結局は何も変わらないことに。

この先もしばらくはこの話題が取り上げられるでしょうが、日を追うごとにもっと差し迫ったニュースにとって代わられ やがて消えてゆくことでしょう。。。。これまでいくつもあった類似の事件同様に。

とここまでわかっていてなぜ、同じことの繰り返しになってしまうのか。

この堂々巡りを脱け出して 事態を打開できるのは、やはり自分自身を冷静に見つめられる人たちからだと思うのです。




まずは、問題発言をきっかけにかき立てられた感情を 言葉を挟まず感じてみてください。

そこにはおそらく、明らかにおかしいのに少しも変わらない現実へのイラ立ちや、心ならずもそんな現実を土台に生かされていることへのとまどいや後ろめたさなど、さまざまな引っかかりやわだかまりが潜んでいることでしょう。

それらを手放してゆく中から、意に染まない現状の下でも自分にできることが 少しずつ見えてきます。

ありのままの自分として生き、しかも自分にしかできないことで 今度こそ自信を持って新しい世界の一翼を担える、そんな喜びが徐々に伝わって まわりの人々を変え始めます。

そんな輪があちこちで広がり 互いにつながって大きなうねりとなってゆくのを目の当たりにしたとき、やはり世界を変えるのは北風ではなく太陽だったんだと得心がいかれることでしょう。