毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

分離から統合へと向かう道筋④ ~ 顕在意識と潜在意識の連携がもっとも確かな導き手となる

2022年11月07日 15時33分20秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
源から突然もたらされるアイデアや情報というのは鮮烈でインパクトがありますが、 実はもっと目立たないところでそれとなく私たちを誘導し動かしている意識があるようです。

つい先日、そんな過去の誘導のひとつに氣づいて驚いたことがありました。




和歌山に移った貴秋が旅館の仕事に就いたのは、知人もいない土地で仕事と住み家を見つける一番手っ取り早い方法だったからですが、数軒を渡り歩いたそのほとんどで出くわしたのが、こちらの至らない点を見つけては 威圧的に叱責する先輩女性。

もちろん 至らぬ点を指摘 ・ 指導されるのは当然ですが、その女性たちというのはことごとく 「非を必要以上に手厳しく または口数多く咎め、恥辱や罪悪感を感じさせ 萎縮させてエネルギーを奪う」ような叱り方をする人たちだったのです。

この人たちが貴秋の母親の投影であることには割と早くから氣づいており、行く先々でそういう人と出会うのも意味あってのことと、いたずらに反発するよりも 叱られた際の感情や感覚と向き合う努力を続けてきましたが、先日突然氣づいたのは、「ただそういう人たちと出会っていたというだけじゃない、自分のほうで わざわざその人たちが目をつけるような失敗をやらかすよう潜在意識に誘導されてたんだ!」 ということ。

もとよりスローテンポな貴秋、旅館に限らずどんな職場でも 効率重視で手早さを要求されるのは苦手でしたが、それでも一ヶ月も経てば ひと通りのことは覚えて、無駄なく動けるよう手順を考え あれこれ工夫したりもしていました。

が、「きょうこそ余裕持ってバッチリ♪」 というような日に限って、いつもなら持っていくものを忘れたり 普段しないような凡ミスをやらかしたりして、せっかくの余裕がなくなってしまう。

さらにキツかったのは、注意に注意を重ねて 今度こそ完璧というときに、他の係の不手際で余分な仕事が増えたり、必要な人がなかなか呼び出しに出てくれなかったり、お客様からのイレギュラーな注文がやたら多かったり、突然の変更が生じたりして、結局いつもと同じような結果になってしまうこと。

当時は 「なんでいつもこうなっちゃうの?」 とゲンナリするだけでしたが、先日ハッと氣づいたのです、あれは自他引っくるめて全員の行動を 潜在意識がわざとあのように仕向けて、貴秋が叱責体験を繰り返すよう導いていた (潜在意識は全人共通の領域で 自他の区別がないから、他者を動かすことも可能) のだと。

同時に、なぜそんな誘導がなされたのかもわかりました。

小さい頃に母を通じて植え込まれた怒りや恥などの意識が、母を思わせる人たちによって 繰り返し意識の表層に上がることで、負の手放しが進むよう意図してのことだったのです。




実のところ、自分の意識が 「知覚できる自身の意志」 とは別の何かによって操作されていることは、もっとずっと早くからうすうす氣づいてはいました。

彗星捜索家で臨死体験者の木内鶴彦さんの講演会に何度か行っているのですが、どの話も同程度聴いているにも関わらず、内容によって 他者に伝えられるぐらいきちんと覚えているものとそうでないものとに分かれるのです。

里山の循環の話などは すんなり入って焼き付いているのに、臨死体験までの経緯や 臨死中のさまざまな不思議体験については、講演のCDまで買って覚えようとがんばったのに どうしてもあやふやにしか覚えられない。

あるとき、この覚えられない話を聴いているときは 意識のどこかが痺れたように鈍って 記憶力が十分発揮できなくなっていることに氣づきました。

と共に、自分がぜひとも覚えておくべき話とそうでない話があることにも氣づかされたのです。

脳内の記憶容量には限りがあるため、自分に必要な情報だけが残るよう 何かが脳の働きを調整しているらしい。

あの和歌山移住や伊勢行きのときのこととも相まって、知覚できないところで 何らかの意図のもとに自分を動かしている意志の存在を認める氣持ちが 次第に強くなっていきました。

が、その意志を信頼できるかどうかはまた別問題だったのです。




前にも書きましたが、「顕在意識がすべて」 から 「顕在意識と潜在意識のコンビプレー」 へと意識のありようが切り替わるまでには、両者が熾烈な主導権争いを繰り広げていました。

何を考えているのかまるでわからない潜在意識を それでも信じて委ねようとすれば、「なにをバカなことやってるんだ!」 と顕在意識からダメ出しをくらう。

さらに どれだけ潜在意識の働きを認めようとも、いったん登場人物として体験世界に呑み込まれれば、強烈な感情に振り回されて 作者である自分のことも人生をコントロールする力のことも忘れてしまいます。

これは素晴らしいことでもあるのです。

体験の渦中にあっても いくらでも都合よく筋を書き変えられるとわかったままだったら、必ず勝つとわかっているゲームをやるのと同じで、人生を思い切り楽しむことはできませんものね。

が その仕組みのおかげで、否定的体験が積み重なると 「潜在意識はなんでこんなことをさせるの?もしかして私をいたずらに苦しめて面白がってるだけなんじゃないの!?」 なんて疑いがアタマをもたげ、なにもかもが信じられなくなって、引きの視点にしばらく戻れなくなるのも また確か。

せっかく時空を超えて貴重な情報をもたらしてくれる存在を認めておきながら、そんな疑念のせいで ほんとうに自分は正しい道を歩いているのかと どれほど悩み抜いたかしれません。

そこにこの 「思った以上に潜在意識が自分をコントロールしており、それはすべて 『本来の自分に戻る』 という望みを叶えるためだった」 という氣づきが飛び込んできて、ようやっと内なる導きを全面的に信じられるまでになりました。

いくつもの不安材料を抱え、多くの矛盾した情報が飛び交い、世界情勢がますます混迷を深めるいま、心から信頼を置ける導き手が自分の内にある心強さを つくづく思います。