毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「これが私」 と氣負わず示せる自由な境地

2022年11月29日 14時30分49秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
もう20年以上前の話。

貴秋のピアノ教室最後の生徒は 幼稚園からたしか小学2年生ぐらいまで習いに来てくれていた女の子でしたが、この子が利発でおしゃまで生き生きしてて可愛くて、レッスンの合間のおしゃべりがもう毎回楽しみで。

で あるとき、当時流行っていて彼女が大好きだった puffyの 「アジアの純真」 を 「し~ろ~の~パ~ンダ~を~」 と口ずさむのを聞いていて、ふとちょっと意地悪な質問をしてみたくなったんですね。

「パンダって 白と黒だからパンダでしょ? 白のパンダなら ただのシロクマじゃないの?」

さてどう答えるかなと興味津々の貴秋の前で ちょっと考えた彼女、次の瞬間さらりと 「白パンダなの」 と答えて、それでおしまい。

あの 「白パンダなの」 のひと言が、いまでも忘れられないのです。

いささかの力みもなく さらっと言ってのけただけなのに、そこには 「この話はこれでおしまい、この上ああだこうだと茶々を入れるのは野暮で無意味なだけ」 と感じさせる何かがあったんですね。

それがいまになって、あのとき貴秋が感じさせられたものが何だったのか、なんとなくわかった氣がしたのです。




彼女は単純にあの曲が好きだっただけで、歌詞の筋が通っているかどうかなんて問題じゃなかったから、理屈立てて反論する必要も感じなかった。

一応こちらの問いをちょっと考えてはみたけれど、真剣に相手にするほどのことじゃないと判断しての答えが 「白パンダなの」 だったのでしょう。

彼女は内側に揺るぎない自分の世界を持っていて、自身の好みや感情も明確に把握していたから、貴秋のからかいなどものともしなかったんですね。

むろん こちらも面白半分の軽い氣持ちで聞いてみただけですから、当然といえば当然の結果ですが、それにしても何の氣負いも力みもなくすっと返されたあのひと言の、なんと芯が通って迷いなかったことか。

もし彼女が貴秋の問いに自信をぐらつかされ、カチンとかイラッとかきて反論したのなら、こちらにもさらなる反駁の余地が生まれたことでしょうが、あの 「白パンダなの」 は ただそこにぽんと置かれただけなのに、それ以上のしょうもない追求など許さない完結感に満ち満ちていました。

いまの貴秋には、それが 「つねに自分の氣持ちを正しく掴み、自身の核を感じている者の強さ」 に思えます。




昨今は リアルな暮らしの場でもSNS上でも、意見の異なる者を感情的に攻撃し排斥するようなとげとげしいやりとりが増えているようですが、それは人々が 思うさま自分の夢を追ったり 自分をのびのび表現したりできなくて、怒りや悔しさなどの負の感情を溜め込んでしまっているせいのような氣がします。

人間が 富める者と貧しい者、強者と弱者に分かれて以来、私たちは何千年ものあいだ、多くの怒りや恐れや挫折感を 意識の共有を通じて前の世代から受け取り、次世代にそっくり渡すことを繰り返してきました。

いまでは なぜこんな世の中になったのか、そもそも貧富や強弱が分かれるもととなった最初の出来事は何だったのか、理由がわからないまま、ただただ現状を憂え、環境や身分のせいで やりたいことが自由にできないとか、うかつなことを言ったらどんな反発を食らうかわからないとかいうフラストレーションを抱えて 日々を生きています。

そんな意識のざわつきが、自身のほんとうの氣持ちや 自分という存在の核を感じ取れなくしてしまっている。

このざわつきを手放してゆくごとに、本来の自分を取り戻して 心が軽く明るくなり、隠れていたほんとうの思いや望みが 次第に表に出てきます。

顕在意識は 原因がわからなければ 答えを導き出すこともできませんが、自身の内を見つめる視点を取り戻して 潜在意識と再び手を携えれば、その思いや望みを実現する方法も 最高のタイミングでひらめきとして下りてきます。

「思い通りの人生を創り 生きる自分」 という新たなセルフイメージは、自分という存在の確かさ (芯 ・ 核) を 理屈抜きで感じさせてくれます。

肯定的な自己を確立した人は、物事をネガ観念に歪められることなく あるがままに見ることができるので、ありのままの自分を認めるのに 他者の承認を必要とせず、意見の異なる人と争うこともありません。

あの 「白パンダなの」 の女の子のように、なんの衒いも肩肘張ることもなく 「これが私なの」 とさらりと笑顔で言えるようになるのです。




白パンダの彼女は、いまどうしているかしら。

仕事に遊びに打ち込んでいるかもしれないし、彼女のお母さんのように優しくて素敵なお母さんになっているかもしれないなぁ。

そして、あのとき感銘を受けた 「白パンダなの」 のような物言いが、いまは自分にもできそうなことが 何よりうれしい貴秋です。