毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

“自分ならざる自分” が新しい世界へと私たちを導く

2022年08月04日 13時58分48秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
それまで個の意識としての自分しか知らなかった貴秋が、おぼろげながらも “自分ならざる自分” の意志を感じたのは、奈良の家を出て南紀に向かったとき。

慣れ親しんだ環境を離れて知らない人ばかりの知らない土地に行くなんて、いまならへっちゃらですが、当時はありったけの勇氣を振り絞っても到底受け入れられないことでした。

が、そんな感情を超えて 「それが必要だ、大事なことなんだ」 と促す “なにか” の静かな意志を感じ、結局は従うことになって、今思えばそれが大きな転機となったのです。




次にその “なにか” の意志をより明確に感じたのは、車中泊の旅がマイブームとなったあるときのこと。

能登半島一周の旅を終え、その夜は滋賀県大津市内の琵琶湖畔の駐車スペースで一泊することにして、とりあえず入浴できるところを探そうと走っていると、ふと 「○km先 伊勢」 の標識が目に入りました。

そうしたらなぜか、伊勢に向かおうとする意識がひっそりと出現し、標識の指す方向にぐんぐん車を走らせ始めたのです。

が、個としての貴秋の意識は まだ琵琶湖畔泊のつもりのままですから、「え、ウソでしょ? なんでなんで? 戻ろうよ-」 と騒ぎますが、それを穏やかに聞き流して伊勢に向かうもうひとつの意識が 確かに存在します。

あんな妙な氣分は 生まれて初めてでした。

もしあのとき 個の貴秋があくまでも我を通していたら 案外すんなり従っただろうと思うほど、それは力まずおとなしやかな意志でしたが、静かでフレキシブルなのに 目的に向かって進むことを諦めない強さがあり、結局個の意識は 駄々をこねていた子どもが根負けするような感じで それに従うことになり、以来伊勢は貴秋にとって特別の意味を持つ地となったのでした。




意識の中で9割方を占めるといわれる潜在意識は 私たちの五感では知覚することができず、もちろん貴秋も例外ではありませんが、ならばなぜ それが存在すると言い切れるのかといえば、こういう体験があったから。

とはいえ、これぐらいのことで 長年慣れ親しんできた 「顕在意識がすべて」 という感覚をあっさり手放せたわけではなく、そこからえんえん十数年に及ぶ顕在意識と潜在意識の綱引きが始まるのです。

なにがキツいといって、潜在意識を信じて委ねようとしては 顕在意識に激しく非難されるほど 自信や氣力をすり減らすものはありません。

意識内で内輪もめが起こることもあれば、自己不信の念が他者の姿を借りて投げつけられることもあり、特にまだまだ顕在意識寄りだった初めのころは、事あるごとに 「足元に火がつきかけているのに感覚フォーカスとか、氣は確かか!そんなことしてるヒマがあったら さっさと回避のための手を打たなくてどうする!」 と自分自身からすさまじくなじられる。

そう言われるとたしかに、感覚フォーカスなんて空想の産物に頼って手をこまねいたままわが身を危険にさらすとは 自分は頭がおかしくなりかけているのではないかとさえ思えてきて、そんな葛藤の果てしない繰り返しは いま思いだしても胸が苦しくなります。

しかし、ぱっと見動いているように見えない太陽や月も はっと氣づくとかなりの距離を移動しているように、足踏み状態としか思えなかったわが意識も ふと氣づくとかなり変化していて、いまでは顕在意識が潜在意識に全幅の信頼を置いて従うまでになりました。




これまでは 直感だのスピリチュアルだの五感を超えた領域だのというと、バカにされたりいかがわしいもの扱いされたりしがちでしたが、それでもうまずたゆまず諦めず ここまでエネルギーと時間と情熱をつぎ込み 人生の大半を費やしてきた理由が、いまになってやっとわかりました。

自然界の循環と私たちの社会システムとの不調和が限界にさしかかり、さまざまな問題が表面化して、不安や不満から人々の心が乱れ、そのまま滅びるか 起死回生の意識変容を遂げるかの二択となったとき、顕在意識の袋小路から抜け出す手立てをお伝えできるよう、まずは自分がやってみて、大丈夫、できる! という手応えを掴む、と魂レベルで決めてきたためらしい。。。。って なんちゅーロングスパンでハードなタイムスケジュールだ。

数千年の長きに渡って 五感で掴める世界がすべてだと思っていた私たちですが、その本質は形を持たない意識体であり、問題解決に必要なのは、行動を起こすより先に まず意識のありようを変えること。

いまのように世界を挙げてドタバタやってる真っ只中では、パニックに陥り 他者の声に耳を傾ける余裕をなくした人々に引きずられるリスクもありますが、同時にこれほどのピンチだからこそ、それまでなら動かなかったであろう人も 「ここから逃れるためならなんでもやってやる」 という氣力が湧いてもくるわけで、いまはちょうど そんな両者のバランスの針がどちらに振れるかというギリギリのタイミングのようです。

ならば貴秋は全力でお伝えしたいです、状況がどれほど八方塞がりに見えても、潜在意識への扉を開きさえすれば、必ず出口はあると。

自分の中の 静かで穏やかだけれど 決して諦めず間違わない小さな声に心を開けば、絶望が希望に、不安がやる氣に変わります。
















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