4月に一度リンク貼ったことがある この記事。
今回は、本文のほうがテーマです。
このワークのときにはわからなかった 自分の中でいったい何が起きていたのか、今は手に取るようにわかります。
のびのびさんは、やはりというか 希望的意味合いでの のびのびさんだったんですね。
のびのびしてるからのびのびさん じゃなくて、のびのびしてるんじゃないかな? そうあってほしいな 的な のびのびさん。
もうちょっと言えば、のびのびしてると思い込もう の のびのびさん(笑)
でも、もう一方の不安さん、すなわちネガさんは、カン違いやごまかしで 当てのない希望にふらふら迷い込んだりすることのないようしっかり見張るのがお役目ですから、そんな自分にウソをついて のびのびを演じているのびのびさんが 自分の仕事の邪魔をしているようで、目障りでならない。
のびのびさんのほうは、自分でも信じ込もうとしている 偽りののびのびっぷりを 不安さんに見透かされている氣がして 落ち着かないので、なんとか自分のペースに引き込もうと懸命。
でも、そんなごまかしは、不安さんに本氣を出されれば 一発でバレバレ、あっという間に 思い込みの裏に潜んでいた不安のほうが 表に出てしまいます。
不安さんのほうは、矛盾する氣配を発し続けていたややこしいのが退散し、お役目も果たせたので すっきりいい氣分。
のびのびさんと不安さん、完全に立場逆転です (^_^;)
でも、不安さんは ウソをついたりごまかしたりには厳しいけれど、のびのびさんをいじめたいわけじゃない。
やっと正直になれたのびのびさんを励まし、力を合わせて仕事をしようと、お花をプレゼントしたんですね。
のびのびさんは それを見て、正直になってよかったんだ、とほっとして、胸のつかえが下りたことでしょう。
で、このときの “ごまかしなりすましのびのびさん(笑)” は、とりも直さず この私だったわけですが、あれから10年近く経った 今、いや、あれはあれでよかったんだよ、と擁護したい氣持ちなのです。
何であれ、180度方向転換するっていうのは 大きなエネルギーのいること。
ましてや、配線未完の脳にがっちり刻み込まれ、そこから数十年 上塗りに上塗りを重ねてきたセルフイメージを変えるとなったら、それはもうえらいことです。
とりわけ初期の頃ほど抵抗も大きく、それに負けないだけの踏ん張りが必要なのだから。
目を背けるほどに 相手が強くなるからくりをわかっていても あえて無視して、たまたま調子よかったときの様子を拡大し、もう自分はよくなったよ、大丈夫だよ、と思い込ませて セルフイメージの書き換えを図ったのびのびさん、なんともけなげです。
とはいえ、不安さんの厳しい態度も、今はよくわかるのです。
いくらがんばっても、自分にウソをつききれるものではなく、かえって裏に潜む氣持ちのほうが大きくなり 逆効果なのを 根を張るのが仕事の不安さんは よぉく理解していて、ストップをかけたんですね。
あのころ感覚フォーカスを知っていたら、もちろんそんなごまかしする代わりに、まっすぐ不安の元にあるからだの感覚に集中していたでしょう。
でも、そんな効果的な手立てを知らなかったあのころ、思いつく精一杯といえば、とにかく全力で反対向いて進むことだけだったんだもの、のびのびさんの苦労がしのばれます。
でも、じゃあ のびのびさんの頑張りは 逆効果でしかなかったのかといえば、決してそうではないと思うんです。
どんな効果的な手立てもテクニックも、まず 「必ず変る、よくなってみせる」 と強い意志があって 初めて成果が出せるもの。
のびのびさんは、どれほど不安でも 強力な引き戻しに遭っても、決してあきらめなかったんですね。
けんめいになればなるほど 不安も増す、そんな厳しい状況でも、決して希望を捨てなかった。
それは、強引にウソをつき続ける姿であると同時に 何が何でも望みを叶えてみせると宣言する姿でもあった。
その踏ん張りがあったからこそ、感覚フォーカスという素晴らしい情報を引き寄せ 今を迎えることができたとも言えるんだし
自分を変えようとすれば、最初はどうしたって ウソっぽさや白々しさがついてまわることもあります。
それでもいい、構わない。
それは ごまかして問題を感じないようにしたせいではなく、真正面から向き合ったからこそ感じるウソっぽさ、白々しさなのだから。
なによりも大事なのは、あきらめずにやり通す意志。
他のことはあとからついてきます♪
あきらめを知らず 粘り強いのびのびさんと、まっすぐで役目に忠実な不安さん、いまや見事な連携プレーで 力強く幸せへと導いてくれる ゴールデンコンビなのです(*^^*)