Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

M

2009-10-09 | 日本映画(あ行)
★★★★ 2006年/日本 監督/廣木隆一

「理由のない女」

主演女優の存在感の薄さが物語の吸引力を下げているのは残念なのですが、最後に明かされる事実は少なからず衝撃的です。現代人の抱える空虚感。それを廣木監督は、高らかに鐘を打ち鳴らすようには示しません。空っぽな女の空っぽぶりは、あくまでも日常の1コマのシークエンスで投げやりに見せてみる。ちょっと注意深さが必要なシーンかも知れません。

聡子と対比されるように描かれる青年、稔。稔は小さい頃、父を殺しています。ゆえに物語の終盤までは、稔も聡子も、人生を投げやりにしてしまう明確な理由があって交差するのだと観客は思わされるのです。優しい夫もいて、かわいい息子もいる。なのに、出会い系サイトで体を売る。そこには、そう彼女を駆り立てるトラウマや過去があるのだろうと。そして、聡子は稔にある事実を告げるのですが、これがラストのどんでん返しにつながります。

観賞中は、つかみどころのない感じに苛立ったりしましたが、こうして思い返して見るとなかなか味わい深いです。男には理由があり、女には理由がない。理由などなくとも、自分の体を多数の男にさらし、恥辱と快感にまみれている内にずるずると底なし沼に落ちてしまう。全ての女は聡子になる可能性がある。いやそもそも、売春の第一歩へのバーのあまりに低いこと。自分自身を痛めつけたい衝動でもなく、自分自身に向き合いたくない逃避でもない。ただひたすらに心がぽっかりした女が何気なくサイトへアクセスする。無感情という魔物に取り憑かれた女は、街のあちこちで蠢いている。

モデルの美元は美しい肢体を惜しげもなくさらして熱演、なのですが、やはり演技力に物足りなさが。本作で好演しているは、稔を演じる高良健吾。眼力鋭く、若いながらも影のある役を丁寧に演じています。本作の後、「蛇にピアス」「サッド ヴァケイション」「フィッシュストーリー」「ハゲタカ」と良作に連続登板。「ノルウェイの森」では松ケンの親友役が決定とますます目が離せない存在です。廣木監督はさすがに女性の裸にちゃんと向き合って撮っています。この作品が持つテーマ性といい、やはり「蛇にピアス」は廣木監督に撮って欲しかったと改めて強く思いました。