【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

初夏のなぎさウォーク(大津から膳所:ぜぜ)へ 2019-5-14

2019-05-19 | いきいき健康ウォーク
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク
コース
JR大津駅→曳山展示館→なぎさ公園→義仲寺(ぎちゅうじ)→JR膳所駅解散
曳山展示館を訪れました。こちら












このミニチュアは、故中谷広次さんが15歳(昭和13年)の時に夏休みの宿題として作製された物です。

大津まつり
わんちゃん的には祇園祭とちょっと似てるかな?っと思いましたよ、曳山を引くのに順番を籤で決めるとか、ちまきをまくとか・・・のところがね。
2019年大津まつりの日程はこちら

なぎさ公園でお弁当タイム
観光船ミシガン、ビアンカが停泊中

「琵琶湖はホンマに大きいなぁ・・・」


琵琶湖からの心地よい風に満足しながら、同行の友とおしゃべりしながら楽しく歩きました。

義仲寺(ぎちゅうじ)こちら

木曽義仲のお墓はもちろんだけど芭蕉のお墓があるとも聞いたこちら
なるほどね、バショウの木があった


最も耐寒性のあるバナナの一種、地上部は枯れるが、関東以南では戸外で越冬。
まれに7センチほどの果実がなり、黒い種子ができる。俳人松尾桃青は、江戸深川に庵をかまえ、庭に茂るバショウから号を芭蕉に。原産地は不明。日本には平安時代に渡来。『古今和歌集』物名歌に「ばせを」の名で初出。
朝日新聞:花おりおり二巻

「このお花は?」

「マユミですよ」

「コレは?シャリンバイかな?」


シャリンバイ(車輪梅)
この木は海岸(東北南部以南)に生えてて乾燥や強い日差しに強い。その特性を生かし、中央分離帯にも植栽されている、わんちゃん的には高い街路樹の根元にず~~っと一列に植栽されてるのを見かけたことあったなぁ・・・
JR膳所駅で解散後わんちゃんたち3人は京都駅そばのカフェ・ベローチェでお茶会して帰路に就いた。歩数計は16904カウントしていた。


「湖上を渡り艱みし蜻蛉に寄す」 岩野泡鳴

昔ながらの琵琶の海、
浪平らかに風和ぎて、
治まる御世の面影を
天に向つて示せども、
青き底なるうろくづに
菱の網目の迫るごと、
しげき悲みまつはりて、
渡り兼しか水とんぼ。
水より出でし物にして、
その水故に艱むとは、
世に生れ来し人々の
この世苦む如くにて、
尊とき釈迦が御教の
約束ごとか、如何なれば、
浅瀬の葦を飛びかはで、
この大わだに溺れけん。
比叡の御山は西にあり、
近江の富士はその東、
周囲七十五六里の
岸辺は遠きたヾ中や、
(1901年刊 『霜じも』より)

道草さん、ありがとうございます。

【おまけ】
岩野泡鳴(いわのほうめい)とはこちら
艱むとはこちら
蜻蛉とはこちら




松尾芭蕉:義仲寺(ぎちゅうじ)

2019-05-15 | いきいき健康ウォーク
NHK「偉人たちの健康診断」という番組がある。
松尾芭蕉が取り上げられていた。
何とはなしに観ていたら、つい最近「精華町いきいきウォーク」で歩いたとこのお寺(義仲寺)がどうのこうのと・・・
木曽義仲はもちろんのこと芭蕉さんにもなんか深い縁があるとか・・・
お寺の境内では撮影フリーとかでいろんなとこパチパチ撮らせていただいた。

芭蕉は旅先の大阪で生涯を閉じました。
その墓は意外なとこにあります、琵琶湖のほとりにたたずむ小さな寺「義仲寺」

芭蕉のお墓⇒松尾芭蕉の本墓


「なぜ?芭蕉は琵琶湖のほとりに眠っているのでしょう?」
それは奥の細道の旅を終えた47歳の時のこと、芭蕉は琵琶湖を訪れ旅の疲れを癒そうと大津の弟子が用意してくれた庵に入ります。この時、琵琶湖の広々とした景色に心を打たれました。



「かりそめに入った山だが、もう二度と下りたくないと思い始めた」
美しい景色に安らぎを覚えた芭蕉、そんな芭蕉を優しく迎えてくれた近江の人々。

こんな句を残しています。


『行春(ゆくはる)をあふミ(おうみ)の人とおしみける』 芭蕉桃青(ばしょうとうせい)
人生という長い旅を終えたらここに眠りたい
遺言で芭蕉は弟子たちの手で琵琶湖のほとりに葬られました。
芭蕉の魂は今も俳句という文学の中に生き続けているのです。
(NHK「偉人たちの健康診断」ナレーション一部抜粋)

義仲寺にある芭蕉像。

芭蕉は普段でも僧のような姿をしていたのだろうか。
杉風(さんぷう)の作。芭蕉の実物像に近いといわれている。

芭蕉さん愛用の杖


翁堂(おきなどう)


芭蕉天井絵図:伊藤若冲筆四季花卉(かき)の図


芭蕉翁は元禄七年(1694)十月十二日午後四時ごろ、大坂の旅舎で亡くなられた。享年五十一歳。遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、去来(きょらい)、其角(きかく)、正秀(まさひで)ら門人十人、遺骸を守り、川舟に乗せて淀川を上り伏見に至り、十三日午後義仲寺に入る。十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。門人ら焼香者八十人、会葬者三百余人に及んだ。
其角の「芭蕉翁終焉記」に「木曽塚の右に葬る」とあり、今も当時のままである。墓石の「芭蕉翁」の字は丈艸(じょうそう)の筆といわれる。
芭蕉翁の忌日は「時雨忌」といい、当寺の年中行事で、現在は旧暦の気節に合わせて、毎年十一月の第二土曜日に営む。
(義仲寺案内より)


京都城南宮の枝垂れ梅をたずねて 2019-3-1

2019-03-10 | いきいき健康ウォーク
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
せいか健康づくりプロジェクト・いきいき健康ウォーク

コース
桃山御陵前⇒御香宮神社⇒西大手筋⇒東高瀬川堤防⇒京都パルスプラザ(昼食)⇒城南宮⇒北向山不動院⇒安楽寿院⇒竹田駅(解散午後3時頃予定)約8キロ

「今の時季城南宮は枝垂れ梅が満開や、ウレシイな。前に行ったことがあったわ。」
こちら
車でピュッと行ったんですが、今回は「いきいき健康ウォーク」なので近鉄桃山御陵前で下車してウォーキングです。

御香宮神社を訪ねました。








大きな樽を一生懸命お掃除されてる方がおられました。「あの、酒蔵にあるあれですか」「そうです、あれです、雨樋の受けに使ってます、時々掃除をしないとゴミとか埃で詰まってしまうんですよ」「ふ~~ん、そうなんですか、ご苦労様です」
“あれ”は???(記事の最後に【おまけ:御香宮にある大きな木製桶】追記してます。)
御香宮由緒こちら

大手筋を歩きます、両側にお店が続いてます。

大手筋を抜けて東高瀬川の堤防を歩きます、

あれはレンガ造りでしょうか?

立派な建物の酒蔵が見えました。


京都パルスプラザで昼食。
「隣の京セラ美術館が面白いですよ、行ってみませんか?」っと、スタッフさんのオススメで京セラ美術館へ移動。こちら

城南宮に着きました。

城南宮由緒こちら
境内をぐるりと見事な枝垂れ梅を撮りまくり













城南宮で春・秋に2回「曲水の宴」ぜひいっぺん・・・と思うわんちゃんです。
北向山(きたむきざん)不動院



境内の様子こちら


安楽寿院


竹田駅まで歩いて帰路につきました。
歩数計は17017カウントしてました。
城南宮にはヤブツバキも可憐な花を咲かせてました、いろんな椿の花あるけれど、わんちゃん的にはヤブツバキがダイスキ。


そのヤブツバキが枝垂れ梅の根元に散ってました。









【おまけ:御香宮にある大きな木製桶】
月桂冠株式会社にお尋ねしました。
・おたずねの桶は「天水桶」と呼ばれるものです。
・御香宮神社では桶に雨水をため、防火水槽として利用されています。
・弊社では、過去に、酒造りに使用していた高野槇製の桶を手直しして神社へ
奉納しました。
雨水の貯留の具体例として、御香宮神社での事例を、弊社のホームページで紹介しています。
こちら

月桂冠お客様相談室 御中
ご丁寧なお返事ありがとーございました。








植田から菅井へ。美しい里をめぐる。河井寛次郎の足あと。2019-1-17(木)

2019-01-26 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク

植田から菅井へ。美しい里をめぐる。河井寛次郎の足あと
精華町役場⇒釈迦の池⇒来迎寺⇒豊川稲荷⇒天王神社:菅井の井戸⇒畑の前公園遺跡の杜⇒稲植神社⇒蓮台寺⇒精華町役場

釈迦の池


植田地区の中にある池。
河井寛次郎が足しげく通った精華町一帯のなかでも、お気に入りの場所であったことが日誌からうかがえる。
河井寛次郎(1890-1966)について
陶芸家。大正9(1920)年、京都市五条坂に住居と窯を持ち独立。生涯にわたり作品を発表している。大正末期より「民藝運動」の中心メンバーとしても活躍。昭和19(1944)年7月発表の機関紙「民藝」の中で、精華町植田にある釈迦の池の美しさを紹介。また、著書の『火の誓い』では、菅井や新祝園駅まで歩いたことを書いている。
こうなると、河井寛次郎さんの記念館に行ってみたい気がしました。

鳥さんたちゴキゲンさん
マガモの番(つがい)がほっこり日向ぼっこ

潜ったり出たり






カワウ

傍の田んぼの畦道ではタネツケバナが


民家の塀の外にロウバイ(ソシンロウバイ)

思わずニッコリのわんちゃん。
植田区の中を歩いて来迎寺に移動です
来迎時


天平勝宝元年(749)行基が開いたと伝わる。
江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作家の近松門左衛門が書いた『心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)』で有名な、お千代と半兵衛の墓がある
主人公、お千代が、地元の植田村(作品では上田村)の大百姓、嶋田平右衛門の二女であったことから、墓石が置かれている。

お墓は3人一緒に一つにされてます。


通月融心信士:つうげつゆうしんしんし(半兵衛)
離身童子:りしんどうじ (五ヶ月の嬰児)
声応貞現信女:せいおうていげんしんにょ(お千代)
『心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)』のあらすじこちら

来迎寺の梵鐘


梵鐘は、女性的で響きも良いことから、お千代鐘といわれる。ちょうど近松門左衛門が活躍した江戸中期のもの。鐘楼は平成9年に新築。
梵鐘 - 貞享元年(1684)の銘がある。大晦日にこの鐘の響きを聞くと、借金取りも引き上げたという伝承がある。太平洋戦争中の金属類回収令によって一度回収されたが、材料として溶かされる事なく終戦を迎え、当地に戻された事から、延命鐘との別称がある。

寺にある大クスノキは幹回りが4.6m

精華大通りに出ました、菅井区を通り抜けて・・・

左向うの方に堀池川堤の桜並木が見えます、
田んぼや畑の中に赤い鳥居が見えました
豊川稲荷こちら






田園風景の中に奉納された赤い鳥居が立ち並ぶ光景は、鮮やかな色彩がひときわ目を引く。社殿の手前には、牛頭天王(ごずてんのう)神社御塚跡と彫られた石標がある。
鳥居の数を数えてみた二十基と一基
田んぼの中の道を西へ歩き菅井を抜けて踏み切り二ヶ所と府道を渡り天王神社へ

天王神社:菅井の井戸

 



本殿


菅井の井戸


昔、コンコンと清水が湧き、清々井戸と大切にされたが、時が経ち菅ノ井に名が転じたという説。もうひとつは、菅原道真が京都に上る道すがら、清ノ井の水を愛飲したので、菅ノ井になったとも言われる。
ちなみにそぉ~~っと竹で編んだ蓋をずらすと、鉄板の蓋がありました。
神社の裏手から薮を拓いた道を歩き精華大道りに出ました。

畑ノ前公園遺跡の杜こちら










弥生、古墳、奈良の3時代にわたる複合遺跡。弥生時代の竪穴式住居跡、古墳時代後期の横穴式石室をもつ円墳7基、奈良時代の23棟分の掘立柱建造物群などが見つかっている。





わんちゃん
精華町畑の前公園に居ました、今日撮った鳥です。
「そよ風のなかで」のマイフォト:鳥⇒こちらで「イソヒヨドリ:オス」に似てるような気がしますが、違うような気もします。教えてください。
そよかぜさんより
イソヒヨドリのオスにまちがいありません。
磯の岩場の鳥でしたが、最近はビルなどの凸凹した人工物を岩場にみたてて営巣場所にし、どんどん海から離れた場所にも進出しています。
わんちゃん
ありがとーございます。

畑の前公園から精華台1丁目の住宅街を抜けてすぐの
稲植神社





稲植神社は、南稲八妻・植田両地区を氏子として建立された神社で、御祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。
口伝承によると、元祇園(京都八坂神社の元)といわれるほど、古い歴史を持っています。
最初は、牛頭天王社(ごうづてんのうやしろ)として祀られ、のちに祇園社として祀られたという記録も残っており、記紀神話のなかでは特別に豊かな性格づけがなされています。
源平の戦いや応仁の乱などで焼失し、一時期衰微していましたが、再建され、両地区の氏神として祀られています。

なお、末社として、
八幡宮,天満宮、熊野宮、八王子社、





四ノ宮があります。
精華町HP稲植神社より。

南稲区で電信柱に注目


民家の庭に「冬の薔薇」


蓮台寺





裏山から向こうに精華町役場が・・・

文禄2年(1593)寺号を青蓮奄から蓮台寺に変えた伝わる。境内の薬師堂には町指定文化財の薬師如来立像が、本堂には四宮神社ゆかりの延命地蔵菩薩立像が安置されている。
寛次郎の日誌にも登場「ここで、弁当を食べた」とある。
蓮台寺の山門前階段下でフウセントウワタに出会いました。

フウセントウワタこちら
フウセントウワタ(風船唐綿) ガガイモ科 

1月17日 1月25日


精華町役場北駐車場で解散でした
「ランチやけど、マンションの1階でカフェがあってみんなが噂してはんねん、いっぺん行ってみたい」っとMちゃんが言う「『ここらく』やね、行こ行こ」
Mちゃん、Uさん、わんちゃんと3人で同じメニュー「今週のランチ」いただきました。

『ここらく』でのサラダの出方


逆さまにサラダボウルに移します


ふかしたさつまいも、キュウリ、リンゴ、ヤマイモ、赤・黄パプリカ等々の賽の目といろいろな豆がトッピングになるという仕掛けです。
歩数計は16816歩カウントしてました。
各史跡の解説文は「いきいき健康ウォーク」スタッフさん手作りのパンフレットからの一部分引用させていただきました。

その日のコース地図


京都北山方面の古寺・自然をたずねる2018-11-19(月)

2018-11-24 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク


コース
近鉄新祝園駅 9:34発(京都行き急行乗車~竹田乗り換え 10:29市営地下鉄国際会館駅 着)
市営地下鉄国際会館駅→宝が池公園(昼食)→妙満寺(拝観)→圓通寺(拝観無し)→深泥池→北山駅(解散・14時ごろ)
歩行:約8.0km 約13,000歩

宝が池公園(老若男女が水辺に憩う)
江戸時代に造られた、周囲約1.8kmの人工池。宝が池公園として桜並木の散歩道や貸しボートなどが整備され、市民の憩いの場になっている。
わんちゃん的にこの池は2011年に鳥撮りに行ってるんですこちら
またここは桜の名所でもあります。ここで、お弁当タイムでした。

キレイ

 撮影:Aさん 









妙満寺(インド風仏塔が建つ「雪の庭」の寺)
インドのブッダガヤ大塔を模した仏舎利塔がそびえる顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山。
妙満寺HP




 撮影:Aさん 






安珍・清姫伝説の鐘(道成寺由来の霊鐘)


「鐘に恨みは数々ござる」で知られる紀州道成寺の霊話は長唄、歌舞伎等の芸能に取り入れられています。その物語に縁あるこの鐘は数奇な運命で当山に伝わりました。
正平14年(1359)3月31日、道成寺では安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳し鐘供養を盛大に営みました。すると、その席に一人の白拍子が現われ、舞い終わると鐘は落下し、白拍子は蛇身に変わり日高川へと姿を消してしまいます。その後、近隣に災厄が続いたため、清姫のたたりと恐れられた鐘は山林に捨て去られました。
それから200年あまり経った天正年間、その話を聞いた「秀吉根来攻め(1585)」の大将・仙石権兵衛が鐘を掘り起こし京都に持ち帰りました。そして、時の妙満寺貫首日殷大僧正の法華経による供養で怨念を解かれ、鳴音美しい霊鐘となったと伝えられます。 (由来詳細はこちら)
当山では、例年の春に鐘供養を営み安珍・清姫の霊を慰めており、道成寺を演じる芸能人はこの鐘に芸道精進を祈ります。

仏舎利大塔

 撮影:Aさん 



圓通寺の門前


「不許酒肉五辛入門(しゅにくごしんにゅうもんにいらず)」の石碑が建っております。
いわゆる結界石で・・・酒も肉も、にんにくなどニオイのきついものを食すのを禁じるということ。酒や臭の強い物を持ち込んでは修行になりません、心構えを持ってお寺にお入りください。・・・
つまり五辛(ゴジン)とは
『梵網經』に説かれる四十八軽戒の第四食五辛戒の中に
「若佛子。不得食五辛。大蒜革葱慈葱蘭葱興蕖。是五種一切食中不得食。若故食者。犯輕垢罪」よりで、葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)。

妙満寺から圓通寺の前を通り深泥池へと歩きました。
深泥池(みぞろがいけ):浮島が浮かぶ伝説の池
この池には氷期のとされる ミツガシワが自生しています。
他にジュンサイ、ヒメコウホネ、タヌキモなど珍しい水生植物(天然記念物)が見られる。
周囲約1.5Kmの池。大蛇伝説など、魔界、心霊スポットとしても有名。
わんちゃん的にはここにも何年か前に鳥撮りに来たことがありました。
地下鉄北山方面に向かって歩きまもなく解散でした。
「ちょっとお茶しよか?」ッということになり、すぐ近くの「進々堂」で反省会となりました。
「おっ!いきいき健康ウォークのスタッフさんも焼き立てパンを・・・」でした。



文中の解説は「いきいき健康ウォーク」スタッフさん手作りのパンフレットから部分的に引用させていただいたのもあります。

マンホール


京都市の紋章は、昭和35年(1960年)1月1日に制定されたもので「京」の字を図案化したものに御所車を配し、金色と古都を象徴する紫色の2色を用いています。 
略章は、明治24年(1891年)10月2日に制定された京都市き章を、 紋章の制定に伴い略章として用いているものです。

橿原市・新沢千塚古墳(にいざわせんづかこふん)群公園から今井町 2018-10-24

2018-10-31 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク

近鉄新祝園駅9:42(橿原神宮前行き急行乗車~10:20着)⇒近鉄・橿原神宮前駅
⇒久米寺⇒新沢千塚古墳群公園⇒新沢千塚ふれあいの里(昼食)⇒橿原神宮⇒神武天皇陵⇒今井町(午後3時ごろ解散)
橿原神宮前駅からスタート駅前で人数確認、ほぼ円になって順番に番号を言うていきます。
1・2・3・・・・・・29・30・31⇒参加人数


駅前に黄色のポストが珍しいかな?

久米寺





西国薬師四十九霊場(さいごくやくししじゅうくれいじょう)第七番霊場
久米仙人像


多宝塔


聖徳太子の弟である来目(くめの)皇子の創建。眼病のご利益があるとされるご本尊の薬師如来像は、胎内に金銅薬師如来が安置されている。境内には京都・仁和寺より移築された重要文化財の多宝塔があります。毎年5月3日には久米寺練供養が行われます。また、6~7月には境内のあじさいが見ごろとなりあじさい祭りやあじさい祈願が行われます。
もう一つの久米寺
久米仙人は伝説上の仙人。大和国の竜門寺にこもり空中飛行の術を体得したが、吉野川で衣を洗う女の白い脛(はぎ)⇒向こう脛・ふくら脛に目がくらんで墜落。その女を妻として世俗に帰った。のち、遷都の際、木材の空中運搬に成功して天皇から田を賜り、久米寺を建立した。「今昔物語集」「徒然草」にみえる⇒わんちゃん的にはこちらの方を教えていただいた記憶があります。

新沢千塚古墳群






そこから見えた畝傍山


新沢千塚古墳群公園




平成24年度から整備を進めてきた新沢千塚古墳群公園も平成30年7月15日(日) 龍の広場がついにオープン!
公園の南群では龍のモニュメント(ミストの噴き出す)やコンビネーション遊具、ビオトープ、芝すべりなどが整備され、子ども達が楽しめる龍の広場としてオープンしました。と、言う場所でお弁当タイム

橿原神宮




神武天皇陵


畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接する神武天皇陵は、円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。
日本書紀、古事記によると、初代天皇とされる神武天皇(在位:前660年~前585年)は日向(宮崎)地方から、瀬戸内海を東に進んで難波(大阪)に上陸しましたが、生駒の豪族に阻まれたため、南下して熊野に回りました。そこで出会った3本足の「八咫烏」(やたがらす)というカラスに導かれて、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力も従えて、大和地方を平定しました。そして、紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位し、初代の天皇になりました。

今井町で解散となりました



電線が地下に埋設されています。

「今朝、狛田の駅でお会いしてますよね?」と、話しかけられました。
お話をしてて分かったのですが、住んでるところがお互いにちょっとばかり近所だった。旧知の友達のようにお話が弾み解散後はその方が「展覧会の案内状をもらったの、よくよく見ると今井町なのよ、なので展覧会と同じその日の『いきいき健康ウォーク』に参加したの」と言うことでその場所を案内状のハガキの地図で探し一緒に 行って来た

「日々の暮らしに絵の悦びを」藤田千代の向日葵 


大きな10号のキャンバスにいろんな向日葵が描かれている、









いっぱい元気をもらえたような気がした、そんなタッチの向日葵だった。


展覧会会場のお庭に「水時計」が。
その会場は今井町の


絵を鑑賞後、藤田千代さんに近くのカフェを紹介していただいた。

ケーキセットを注文、久しぶりにホンマモンのベイクドキーズケーキをいただいたような気がした。

今井町のマンホール

中央に今井町のシンボルの馬繋ぎの金具、周囲を屋根瓦が取り巻いている。


古い町並みの絵柄。



春日神社(かすがじんじゃ=滝ノ鼻地区)

2018-10-05 | いきいき健康ウォーク
わんちゃんが住んでる精華町には春日神社が三社あります。
9/27(木)のいきいき健康ウォークでは春日神社舟地区・菱田地区の二社を参拝してます。
こちら

わんちゃんの地元、滝ノ鼻の春日神社へ、お参りしてきました:10月3日(水)
春日神社(かすがじんじゃ=滝ノ鼻地区)




奈良の春日社から分祀されましたが、その鎮座の年代は明らかではありません。昭和58年の本殿修覆の際、内陣床下から5枚の棟札が発見されています。そのなかで最も古い年紀は「天和3年(1683)9月13日」と書かれたものです。木津川の堤防から約100メートルのところに鎮座しているため、往古よりたびたびの水害をこうむり、前記の神鏡・棟札・老杉以外その徴証となるものは何一つありませんが、その鎮座が300年以上の昔にさかのぼることは間違いありません。
祭神=春日神(かすがのかみ)
なお、同神社前には、樹齢400年と推定される幹廻り3メートルに及ぶ老杉があり、神社の古い歴史を物語るかのようです。精華町HPより(教育部 生涯学習課)




 
老杉が伸びているのが見えますがどんなんかワカラヘン、ちょっと斜め格子の隙間から覗いてみました。
鳥居はコンクリートになってます、丁度前に二カ所穴のあいた石標のようなものが立ってます、丁度地元のIさんがお詣りされてたのでお尋ねしたところ「鳥居が今はコンクリートになってますがね、昔は木でできてましたんや、鳥居が倒れやんように添える木を通したんですわ」と、説明してくださいました。
地元の写真愛好家の方から
「あんなぁ わんちゃん滝ノ鼻の神社の境内から東の方向いてカメラ構えてたら鳥居の真ん中からお日さん昇ってくるねんよ」



「えっえ~~ソレっていつのこと?ですか?」
「ソレわな、年末からお正月にかけての1週間ぐらいの間やねん」
お正月は何かと忙しいわんちゃんですが元日の朝にカメラもって駆け付けました。
夜明け前境内でウロウロしてたら、何やら祭壇での儀式の準備をされてたお方が
「何してはりますん?神聖な元日の朝のお宮さんで、氏子はんでないんですやろ?」っと睨まれて早々に引き上げました。
元日の朝に行ったのが悪かったんやなぁ・・・反省。
鳥居の真ん中から朝日が昇ってくるのを撮るなら元日の朝や無くて・・・っと思いつつ、まだ撮れてませんのわんちゃんなのであります。

いきいき健康ウォークPART2の日(10/2)とか春日神社:滝の鼻(10/3)にお参りした日とかに農道や田んぼの畦道で撮ったいろんなお花たち

ホシアサガオ
 

ヒレタゴボウ                   
 

アカバナユウゲショウ


イボクサ              
 

ホソバウンラン


ヒメツルソバ              
 

マルバルコウソウ


アレチヌスビトハギ
 

ヨメナ                   
 

チヂミザサ


マメアサガオ
 

ハルタデ                 
 

ニラ


ツルマメ
  
大豆の原種です、花は9/21撮影

ツユクサ               
 

キンエノコロ


 

精華町の古社を訪ねる:木津川堤防沿い 

2018-10-02 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーク:2018-9-27(木)

近鉄新祝園駅東口スタート⇒仇討ち地蔵⇒常念寺⇒武埴安彦破斬旧跡⇒郡山街道道標⇒祝園神社⇒木津川堤防からの眺望⇒京都・八幡・木津自転車道⇒無縁仏の石仏群⇒春日神社(舟)⇒春日神社(菱田)⇒狛田駅解散
一つ一つの旧跡をネット検索していたら、なんとわんちゃんがいつも何気に散歩しているコースに点在しているんです、そしてそこらは奈良と京都を結ぶ重要な地点だったり古い歴史があったりしてるんです。もういっぺん歩いてみようと思いました、他に大きな理由が?(コレは最後に)
一つのお楽しみを最後に置いといて、ウチからやと、逆コースがええんですわ・・・
わんちゃんちをスタートは10月2日(火)8:30

春日神社(菱田)

重要文化財 春日神社本殿 室町時代前期



菱田地区の氏神。
奈良市にある春日大社の若宮社殿を移したと伝わる本殿は重要文化財。
拝殿に掲げられている白馬と黒馬は近世初期の絵馬として有名。

春日神社(舟)





下狛地域に三社ある、春日神社の一つで舟地区の氏神。
社殿は昭和54(1979)年に再建されたもので、安永2(1773)年の絵馬が残る。
例祭は毎年10月17日。

無縁仏の石仏群をお参り






京都・八幡・木津自転車道


道路延長:45km(幅員3.0m)
起点:京都市西京区嵐山(渡月橋右岸)
終点:木津川市木津町(泉大橋左岸)
「京都・八幡・木津自転車道線」と「ならクル『せんとの道ルート』(奈良県)」をつなげることで、奈良県飛鳥から嵐山に至る、飛鳥京、藤原京、平城京、恭仁京、長岡京、平安京といにしえの都を巡る約90kmサイクリングルートができました。
自転車・歩行者専用道路となっています。

木津川堤防からの眺望


この辺りの木津川堤防は、奈良の若草山、生駒山、京都比叡山、愛宕山など遠くの眺めが最高だ。
もちろん精華町の里山や、古代に「狛山」と詠まれた対岸地域の山々などの景色も良い。
嵐山~木津間の自転車道をツーリングする人々にも出会う。
木津川堤防から坂道を下り浜の道を通りむくのきセンターへ。

ここで、ちょっとトイレ休憩

むくのきセンター南側から農道を南へ

祝園神社










本殿の西側から北側~東側へ 順番に
西宮神社(事代主命)              天満宮(菅原道眞公)
  

稻荷神社(稻倉魂命)              出雲神社(大己貴命)
             
有功神社(布留御霊大神・道臣命相殿)


祈雨神社:きうじんじゃ             熱田神社(日本武尊)
 

熊野神社(伊邪那岐神)              大神宮(大日要命)
 

1月に行われる居籠祭は、京都府の無形民俗文化財の指定を受けている。2日目に大松明を先頭に祭場へ向かう御田(おんだ)の儀。3日目に竹で邪鬼をかたどった綱をひきあう綱曳き(つなひき)の儀という神事が行われる。

郡山街道道標

江戸時代には、大和郡山藩、小泉藩の参勤交代の行列や伊勢参りの旅人などが往来していた道。
道標には「左 なら(奈良) 右 京(京都)よど(淀)八わた(八幡)」とある。


武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)破斬(はざん)旧跡



常念寺

寺の創建は不明。薬師堂の本尊の菩薩形立像は、精華町で最も古い仏像の一つ。
高さ約169cm,
一木造りで、頭から体部、両手首までを一材から彫り出している。
キゲンよく写真撮っててふと見ると・・・


仇討ち地蔵






郡山街道の仇討地蔵
六部と子供が仇を探してこの地に来た時、仇と出逢い相討ちで三人とも息絶えた。
その霊をなぐさめる仇討地蔵
ここで、いきいき健康ウォークPART2は終了なのであります。
参考資料:いきいき健康ウォークスタッフ手作りパンフレット
【おまけ】
9月のいきいき健康ウォーク9/27(木)は祝園がスタートでゴールは狛田でした、後でスタッフのA子さんからLINEが・・・
「わんちゃん、きょうのウォークどやった?狛田で解散の後ね、スタッフの皆さんと祝園まで歩いたんよ、聖マリア幼稚園の向かいにある『ここらく』でランチして帰ったの。」
わんちゃん的には『ここらく』って?とネットで検索。
A子さんに「『ここらく』って?南都銀行のそばの?」
「そうよ、西隣マンションの1階、この前私が食べたのはハンバーグランチ、¥700これにコーヒーをつけると¥100引きで¥900(税込み)なの、最初に出てくるのが野菜サラダ、コレがねアッと驚く出方なのよね・・・お楽しみに~~」
ホンマにアッと驚く野菜サラダの出方やった。




奥にあるボトルにサラダが入ってる、手前のボウルに移す、底に沈んだドレッシングがうまい具合に・・・
ボトルの底にあった何種類かのサラダ豆&小さく小さく四角く切ったさつま芋(蒸し済)&リンゴ&赤・黄パプリカ等々がトッピングに・・・なるんです。







ピアノがあって、床にはカーペットが敷いてあって小さなお子様連れも??
季節限定のきのこソースのハンバーグ・ランチ 
レジで「ご馳走さまでした」と、美味しかったという意思表示を・・・

この日、懐かしい風景を見ることができました、
うん?稲架掛(はざかけ)?
昔、見たのは田んぼの中に木を組んで立てて竹を渡して稲束が干してあるという光景だったんですが?
上手いこと農道わきの柵に掛けてあります。


2~3日経って散歩の途中で

脱穀済のようですね。






北・山の辺の道、新緑の息吹をたどる 2018.5.22(木)

2018-05-30 | いきいき健康ウォーク


≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫


精華町健康づくりプロジェクト・いきいき健康ウォーキング


スタートは近鉄天理駅から



両側にお店が並んだアーケードの下を歩きます。





酒蔵の看板が見えました。ふと、「酒蔵みてある記:稲田酒造」⇒こちら思い出しました。


アーケードを抜けると左手に天理教教会本部(壮大な木造神殿)誰でも参拝できるとか・・・



石上神宮(いそのかみじんぐう)に到着





神話の時代からの古い神社で神宝を振る特別な神事から布留(ふる)の社とも言われその神宝は『七支刀(しちしとう)』で国宝である




 



 



 



なぜ?鶏さんが居るの??



神代の昔、天岩戸開きの神話に、 常世(とこよ)の長鳴き鳥を鳴かせて、闇を払い夜明けを告げ、天岩戸を開いたという神話により、鶏は神道と大変関係の深い吉祥の霊鳥と言われています。 この謂れにより当宮には鶏を境内に放し御神鶏として大切にしております。 ちなみに、鳥居の語源は、天岩戸開の折、長鳴き鳥を止めた(鳥の止まり木)⇒(鳥の居る木)⇒(鳥居)という説があります。 「落ちずに落ち着いて鳴いたので、夜が明けたとさ」





「布留の高橋」を経て白川ダムに向け歩きます。


ここでお弁当タイム。 さて、「白川ダム」とか「白川溜池」とか言われてます、ダムと溜池の違いは ダムと言うても発電ダムや治水ダムとはちょっと違ってここは農業用ダム、水をせき止める堤の高さが15m未満なら溜池、白川溜池の標高は30.0mなので白川ダム・・・





お弁当の後は北へ(奈良方面)歩きます、弘仁寺や正暦寺の標識が見えましたが、そっち方面はスルー


 


のどかな田園風景の中、おしゃべりもはずみ元気よく歩きます。 山村町バス停で解散、 「バスに乗る?それともJRおびとけ(JR桜井線)からにする?」この路線は30分に一本あるかなしか。「このまま歩いて行って、丁度良い時間の電車に乗れますよ」っとスタッフの方が教えてくれはりました、なるほど、何本かの列車のおびとけ発車時間を調べといてくれはったんやね。みんなで「ありがとうございます」 単線で2両でワンマン列車で・・・奈良で京都行に乗り換え木津で学研都市線に乗り換え帰路につきました。
山の辺の道は何回も歩いてます、季節が違って、同行のメンバーも違って、コースも違えばビミョーな楽しみが毎回あります。
この日のウォーキングのタイトル「新緑の息吹をたどる」まさにその通り、モミジの緑、柿の木林の元気な緑、山々の緑は幾通りもの緑色を見せてくれてます、キモチ良かったです。


桜紀行4:桜咲く斑鳩の里へ(法隆寺~三室山)2018-4-06

2018-04-17 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーキング


JR法隆寺駅→法隆寺→藤ノ木古墳→斑鳩文化財センター
→龍田神社→吉田寺(きちでんじ)→竜田公園→三室山→昭和橋→王寺駅

「明日は法隆寺やけど新聞の桜情報はどない?」
ウ~~ン「法隆寺・桜・終わり」

法隆寺は昔、宗次郎さんのオカリナ演奏で境内での野外コンサートに・・・以来でした。

   
うまやど の みこ の まつり も ちかづきぬ 
 まつ みどり なる いかるが の さと
                 会津八一(あいづ・やいち)
(厩戸の皇子の祭も近づきぬ松みどりなる斑鳩の里)

歌意
厩戸の皇子のお祭も近づいた。松の緑が美しいこの斑鳩の里に。
聖徳太子千三百年忌を前に詠んだ4首の第1首、法隆寺の内外に美しく広がる松の緑を取り上げて、斑鳩の里を簡潔にさわやかに歌う。
数々の偉業を成し遂げた聖徳太子への懐古の情を感動を持って展開している

真っ赤な大きなモノは?何?

藤ノ木古墳から発掘された石棺のレプリカと説明版にあった。




詳しくは こちら


斑鳩文化財センター
藤ノ木古墳をより詳しく知りたいときは・・・そうだ斑鳩文化財センターに行こう

龍田神社


崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。
明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の官幣大社龍田神社(現・龍田大社)の摂社となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。
かつて経蔵、三重塔等が存在したが現在では失われている。⇒Wikipedia参照

ぽっくり往生の寺「吉田寺」


わんちゃんの舅・姑は揃ってこのお寺にお詣りしてます、なので、ホンマに寝たきりになることなく、特に姑はぽっくり亡くなりました。
霊験あらたか、わんちゃんもジックリお詣りしたかった、次回の宿題にしましょう・・・と決心しました。

竜田公園でお弁当タイム




千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
   からくれなゐに 水くくるとは

         在原業平朝臣(17番) 『古今集』秋・294
詳しくは こちら

三室山は返す返すも残念無念、今年の桜は、あわてんぼさん。


ところが探せばヤエザクラが・・・





聴くと全山ピンクに染まるらしい、そんならいつかリベンジですね。(紅葉の頃も良いらしいですよ)
そんなこと話しながらJR王寺駅から帰路につきました。

斑鳩町


三重塔と竜田川とモミジ。町の花・サザンカと町の木・クロマツも描かれています。
周囲の模様は、寺の金堂の高欄に使われている万字くずしの模様。「いかるが」「げすい」の文字。
※斑鳩町の関係部署へマンホールに描かれている仏塔は「法起寺」「法輪寺」のどちらのものか。 と問い合わせた経緯が御座います。 「特定の塔ではない」との回答でした。 町内には斑鳩三塔が建ちますね。 五重ならば「法隆寺」を想起されますが、 描かれているのは、三重と見て取れます 「法隆寺」に在らず「法起寺」か、はたまた「法輪寺」か三方丸く治めた処でしょうか。(幻論乙坊さんより)
下水管マンホール蓋

王寺町


町の木ウメ、町の花サツキと、 聖徳太子の十七条の憲法第一条「以和為貴」(和をもって貴しとなす)の精神を引継ぐ地域のシンボルの和(やわらぎ)の鐘のカラーデザイン。 周囲は4重の凸模様。「おうじ」「おすい」の表記。
汚水管マンホール蓋

いきいき健康ウォーキング 平成29年度皆勤賞
 
長さロングで汗かきなわんちゃんにはとてもありがたいです。

『歴史の道を辿ろう(西の京寺社巡り)』 2018.2.22(木)

2018-03-01 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
せいか健康づくりプロジェクト:いきいき健康ウォーク


近鉄西ノ京駅からスタートです。
①しばらく薬師寺に沿って歩き踏切を渡り

②「養天満宮」に立ち寄りました。

養天満神社社叢(ようてんまんじんじゃしゃそう) こちら
主祭神は、菅原道真です。

社叢(しゃそう)とは
神社において社殿や神社境内を囲うように密生してる林。植生ではなく自生によって成立した樹叢であることが多い

③お濠に囲まれたこんもりとした森が見えます、垂仁天皇陵 こちら


垂仁天皇とは こちら

④菅原はにわ窯公園 【すがわらはにわかまこうえん】




菅原東遺跡埴輪窯跡群は約1500年前の古墳時代に埴輪を焼いた窯跡で、発掘調査により出土しました。菅原はにわ窯公園は、この遺跡を保存し、展示公開するために整備したものです。「菅原」の地は古墳築造に関わっていた土師(はじ)氏が居住していた場所で、土師氏により埴輪づくりが行われていたとみられます。公園には、埴輪窯を発掘した状態で展示しており、また、出土した埴輪を元に作成された馬形埴輪などのレプリカを設置しています。

⑤喜光寺





奈良時代の養老5(721)年、高僧・行基(ぎょうき)が創建したと伝える古刹。後に東大寺造営に尽力した行基が喜光本堂を参考にしたとの伝承から「試みの大仏殿」の異称も。付近の地名に因んで菅原寺と呼ばれていたが、参詣した聖武(しょうむ)天皇が、本尊から放たれる光を見て喜び「喜光寺」の寺号を賜ったという。室町時代再建の本堂などが重要文化財。境内には多数の蓮の鉢植えがあり6月下旬から8月上旬が見頃。(スタッフ手作りパンフより)
喜光寺の蓮 こちら

⑥菅原天満宮







 


菅原道真は梅を愛した人でした 

平安時代の文人政治家、右大臣・菅原道真などを祀る神社。道真は、この付近を本拠地とし、垂仁天皇に埴輪の採用を勧めたことで知られる野見宿祢(のみのすくね)の子孫という。
全国に菅原神社や天満宮は多いが、この菅原天満宮は菅原家発祥の地にあり、道真生誕地も近いことから、太宰府天満宮とともに別格の存在。境内には130品種200鉢の梅の木があり、早春にはすばらしい香りが漂う(スタッフ手作りパンフより)

⑦西大寺






菩提樹の実(丸印の中)西大寺では種で数珠を作ってはります。

奈良時代の女帝・称徳天皇の発願により創建された官寺(かんじ)創建当時は、東の東大寺と並ぶ西の大寺にふさわしく東西約1200m、南北約800mの寺域に東西両塔など百数十もの堂塔が建ち並んでいたという。再三の自然災害で衰退したが、鎌倉時代に再興され、現在は真言律宗の総本山。本堂や本尊・釈迦如来立像など重要文化財も多数。巨大な茶碗を使って毎年春秋などに実施される茶会・大茶盛が有名だ。(スタッフ手作りパンフより)
西大寺境内で解散でした、ちょうどお昼時「ランチは奈良ファに行きましょうか?」
CHIKAちゃん、カヨちゃん、みかちゃん、Uさん、わんちゃんとランチの後「さて、ウチまで歩く?ヒトは?」「それはちょっとムリですよ、近鉄高の原までなら・・・」
わんちゃん提案「御陵の中を歩いて平城に出てそっから高の原駅に行くステキなコース、知ってますよ」
御陵(垂仁天皇皇后陵)のそばを歩き平城の駅の踏切を渡りもう一つの御陵(成務天皇陵)のそばを通りちょっと田園風景な山陵町(みささぎちょう)を歩きました。東大寺学園高校・中学校の下校時の生徒さんたちも高の原駅まで歩いてはりましたよ。ここで電車に乗ったのはUさん、わんちゃんの二人、他の三人は山田川駅まで歩いて電車に乗った人、とうとう祝園の自宅まで歩き通した人と。
わんちゃん的には歩数計23138カウントしてました。
ところで「わんちゃん、どうして、この裏通りみたいな道を知ってるの?」
「うん、それは、わんちゃん行きつけのカラオケのお店がね・・・さっきお店の前を通ったのよ」
「それやったら、お店に入りたかったんじゃないの?」とかなんとか話は盛り上がったモンでした。


奈良公園の鹿と桜。
中央に、奈良市の花・ナラノヤエザクラと「奈」をデザインした市章があります。


精華ふる里めぐり 近鉄山田川駅~光台 2018.1.22(月)

2018-01-31 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
せいか健康づくりプロジェクト:いきいき健康ウォーク

近鉄山田川駅集合、ウォーキングの前に大きく輪になって「ブラブラ体操」、ストレッチで身体をほぐし、スタートです。

新殿神社に皆でお詣り



舞殿の向こうに拝殿

十三重石塔(重要文化財)


シイやカシ等からなる豊かな鎮守の杜の中に、高さおよそ4メートル、国の重要文化財に指定されている十三重石塔がたたずむ。この建立は延徳3年(1491)と刻銘されており、建立の時期が明らかになっている塔は、極めて珍しい重要文化財の一つである。室町時代の延徳3年、百万遍念仏供養のために建てられた。

ここら辺りで、「大坂道の道標」が目につきました。

南面には「左 大坂」
西面には「右 きすいが(木津・伊賀)」
    「左 はぜミち(吐師道)」
明治まで「大坂道」と呼ばれ、大阪と伊賀を結ぶ街道であったことを物語っている。
今は、国道163号の旧道です。

池谷公園でトイレ休憩です




「おや?向うの方でなにやらグラウンドゴルフらしきことを?」精華町でのグラウンドゴルフ仲間でした、Nさんが走ってこられてアメちゃんを差し入れてくださいました、とても甘くカンジ、歩くエネルギーには最高なプレゼント。


のどかな里山の風景を遠くに見ながら・・・


途中、山田川の堤防にある距離標(200m毎)をたどってまず、
「200mを何歩で歩けるか?比べてみましょう」
わんちゃんは286歩、Mさんは270歩、男性スタッフの方は250歩
ここで、歩幅の差が脚の長さに通じることを実感のわんちゃんでした。
日出神社と柘榴の地名の起源と 雨乞い石の謎?


光明皇后を祭神としている。裸足で詣でると病気が治ると言われている。神石「雨乞い石」が鎮座している。この石は奈良県鹿畑から流れてきたと言われ、重さは約230キログラムある。干ばつの時、この石を青年の手で運んで山田川に置くと必ず雨が降ると言うことで近郷にも知られていました。

この「雨乞い石」とは


延暦年間、生駒市に鎮座していたご神体の大石が大洪水によって流され、巨木に引っ掛かってこの地に留まった。このことから、「石が木に留まる」すなわち「石留」に木偏を添え柘榴という地名に定まった[1]。この石は現在、雨乞い石として小字向井にある日出神社に祀られている

山田川井堰(ニューラバーダム)

 江戸時代、山田川には17箇所の井堰(いぜき)が設けられて、灌漑用水を引き耕地を潤
していました。上流の住宅開発等による洪水防止のために河川改修がされ、川床が掘り
下げられたために敷設された、新しく珍しい形式(ダム式)の井堰です。

けいはんなプラザ日時計前で解散
時間的にはちょうどランチタイム
Mさんが「トンカツするなら割引券進呈するわよ」「ちょうだい!ちょうだい!」




[今回のコース] 
近鉄山田川駅~新殿神社~大坂道・道標~池谷公園~日出神社~光台~けいはんなプラザ日時計前(解散)                   歩行距離:約7.5キロ 約12000歩
★なんと、わんちゃん的には歩数計24022カウントしてました。

宇治市植物公園:紅葉狩りウォーク  2017年11月16日

2017-11-25 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーキング

スタートは近鉄大久保駅から。
住宅街の緩やかな緩やかな上り坂を植物園向かって歩きます・・・

宇治市植物園の入り口はフラワーブリッジになってます。



入園券は団体割引が適用されました。

この時季、温室の中を散策、ありがたいですね。


ビヨウタコノキ            パポニア・インテルメディア
 

ヘトロケントロン・エレガンス


バナナ                      カカオノキ
 

ドンベヤ・ブルゲシアニ
 

ディフルゴッサ・コロラータ      シャーリーベイビー
 

スイレン・ペンシルバニア         シルホペタルム
 

温室を出て、園内で可愛い柿に出会いました
 
ツクバネガキ(衝羽根柿)[別名:ロウヤガキ] カキノキ科カキノキ属
中国原産で、果実の鑑賞様に植栽される落葉小低木。

タペストリーが見えるベンチでお弁当タイム、

その時わんちゃんたち気が付かなかったのですが、スタッフの方がタペストリーの頂上からパチリ。

午後は園内を散策

紅葉が見ごろ、キレイでした。







植物園を出てからは寺田駅に向かったのですが、 水度神社(みとじんじゃ)に寄って、お参りしました。

寺田駅で解散。

この時季、お花の鑑賞は温室が最適っとばかりに、けど、撮影会じゃないです、ウォーキングです。
なので、ユックリお花たち撮ってませんわ。
以前に訪れたときの温室 こちら




京都東山古寺巡り(東福寺・泉涌寺・今熊野観音寺)

2017-10-21 | いきいき健康ウォーク

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
いきいき健康ウォーキング

近鉄十条から歩きました。
東福寺
ここの 三門がスゴイ!!


東福寺


摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎(かてい)2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。
ちょっと昔に紅葉シーズン真っ盛りの日に参拝したことありました。
通天橋を渡ったり苔の上に散った見事な紅葉にウロウロ写真を撮ったりの記憶があります。
が、ピクチャーのフォルダのどこを探しても見当たりません、ザンネン!!。
それから、もう一つ、もう何年前になるかな?久米宏さんがメーンキャスターをされてた頃のニュースステーションで紅葉が旬のころ東福寺の通天橋の真ん中あたりの展望台になったようなところで羽田健太郎さんがピアノ演奏されたことが記憶に残ってます。
そんなこと思い出しながら、はるか向こうの通天橋をパチリ。



【トピックス】
東福寺塔頭の一つ 「天得院」

凛と咲く桔梗の花がダイスキなわんちゃんには見逃せません。(来年の夏、忘れてなかったら・・・)

東福寺を出て閑静な住宅街を、絶え間ないおしゃべりをしながら泉涌寺へ。
途中、 悲田院(ひでんいん)の朱な山門が印象的でした。



悲田院へ着く手前、日吉ヶ丘高校の横の狭い道を歩いて階段を登った。⇒一緒に歩いたUさんの記憶から
階段を上ったところで右が泉涌寺方面へ、ところが先頭集団左への道

スゴイスゴイ・ビューポイント遠くに見えるは京都タワー・・・(クリックで拡大します)



泉涌寺


楊貴妃観音像
「観音様の口の周りにはおひげのようなものが描かれていますが、これは実はありがたいお話をされているときの口の動きの表現なのだそうです。決しておひげではありませんので、間違えないようにしましょう。」っと、注意書きがありました。⇒ナルホドです。

黎明殿


今熊野観音寺へは
泉涌寺から今熊野へはロープを張った暗い道や滑りそうな階段を下りたと思う。⇒Uさんの記憶から

向うの赤い橋は鳥居橋
今熊野観音寺は西国三十三所第十五番札所

本堂

子まもり大師
「子どもの心身健康・学業成就・諸芸上達・交通安全にご利益がある」と、言われています。


御朱印をいただきました、なんと、14年前の夏の暑い時節にお参りしてます、重ね判をいただきました。
御朱印をいただく列に並んだわんちゃんですが、結構な人たち並んではります、健康ウォーキングに参加の他の方たちずっと、待ってて下さって、ちょっと申し訳ない気がしました、ここで解散なのでそれからでも良かったんやわ・・・っと後で気がつくわんちゃん。
今熊野観音寺で解散でした。
ちょうど時計はお昼過ぎ、お腹の虫が要求してます。
「この辺りで鯖鮨の美味しいとこがあるみたいよ」っとのUさんの情報で東福寺の駅方向に歩き本町通りで3軒隣り合わせで「鯖鮨」の幟を発見
「う~~ん、どのお店にしようかな?」「ここは?おうどんとセットになってるわ」
丹波屋に決定
おうどんは「通天もみじうどん」鯖寿司、美味しくいただきました。











幻の大仏鉄道遺構めぐりPART2

2017-09-25 | いきいき健康ウォーク
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

幻の大仏鉄道、ほぼほぼ同じルートをウォーキングの会で2回参加しました。
こちら

9月15日のいきいき健康ウォーキングの日は、ちょっと寄り道がありました。
「鹿背山不動尊」へ。
鹿背山橋台を過ぎ梶ヶ谷隧道の手前だったかな?山道に入ったんとちゃうかなぁ?なんともあやふやなことで・・・
「ちょうど大和路線の鹿背山トンネルの真上に当たるね。」っと、どばっちゃんが教えてくれはった。

ここのご住職さんが鹿背山不動のお話をしてくださいました。
中で最も印象に残ったのは、
「しょんべたれ地蔵」=鎌倉時代後期の作


このお地蔵さんに七日間お参りすると「夜尿症」が治るといわれています。お地蔵様のお腹のあたりに小さな凹みがあり、そこから下に向かって水が流れていたのでしょうか、酸化したように赤っぽくなっています。お地蔵さまが代わって「寝小便」をして下さるようです。最近のお子ちゃまたちは、寝小便とは縁がなさそう、あんまりお参りしたカンジがなさげに見える、ように思った。
(ちなみに「しょんべ」とはこの地方の方言)

「春日のおばはん」=室町時代の作


お地蔵さまのお立ちになっている方向が、奈良の興福寺・春日神社から見て鬼門筋に当たるところからこれを守るお地蔵さまと言われてきました。ここ鹿背山にはかって「鹿山寺」と言って、鎌倉時代から興福寺と関係の深かった寺がありました。お地蔵さまのお腹がぷっくりと膨れたように見えるところから「中年のおばさん」を連想したのでしょうか。「おばはん」とは関西地方の方言.

お寺の本堂の横から裏山に上ってそのお地蔵さんに会いに・・・

鹿背山の三角点がありました、標高が222mに見えるような見えないような・・・


「三角点(?)というか不動尊の裏山の最高地点の標高は「国土地理院」の地図で見ても
200mはおろか100m足らずしかないよ。222とか書いてたね、あれは標高ではなさそうだよ。」
っと、どばっちゃんの見解で一件落着。
道中ではいろんな野草に出会いました、が、ウォーキングが主ですから・・・
けど、少しだけ撮ってました。

ヘクソカズラ                   タカサブロウ
 

コガマ                     キツネノマゴ
 

アメリカミズキンバイ             クズ
 

のどかな里山の風景を楽しみながらのウォーキング楽しかったです。

以前に木津川市植物同好会での植物観察会でJR加茂駅から梅美台あたりまで大仏鉄道遺構を歩いて、いっぱいお花の観察やってました こちら