【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

ひろしまのピカ

2023-10-25 | 絵本
 表紙

丸木 俊 え・文

 
その朝、ひろしまの空は、からりとはれて真夏の太陽は、ぎらぎらとてりはじめていました。
ひろしまの7つの川は、しずかにながれ、ちんちん電車が、ゆっくりはしっていました。



 東京や大阪、名古屋など、たくさんの都会がつぎつぎに空襲をうけ、やけてしまいました。
ひろしまだけがいちどもやられずにいましたので、「どうしたんじゃろう」と、はなしていました。
「いまにやられるで」といって、火がもえひろがるのをふせぐために、建物をこわして道をひろくしたり、水を用意したり、にげていく場所をきめたりしていました。
みんな、どこへいくときも、防空ずきんをかぶり、すこしばかりのくすりのはいったふくろをもっていました。


 
みいちゃんは、おとうさんとおかあさんといっしょに、朝ごはんをたべていました。
ごはんの色は、もも色です。きのう、いなかのしんるいからもらってきたさつまいもでした。
「わー、うまい」
おなかのすいているみいちゃんは、うれしそうにほおばりました。
みいちゃんは、7さいでした。
「うまいのー」おとうさんも、いいました。


 
そのときです。とつぜん、ピカッとおそろしい光が、つきぬけました。
オレンジ色。いや、青白い100も200ものかみなりが、いっぺんにおちたような光でした。
それは、アメリカの爆撃機B29のエノラ・ゲイ号からおとされた、人類はじめての原子爆弾でした。
その原子爆弾には、リトル・ボーイ(ぼうや)という、やさしくかわいい名まえさえつけてあった、ということです。
1945年8月6日、午前8時15分のことでした。


 
みいちゃんが気がついたとき、あたりはまっくらでした。
しーんとして、しずかなのです。どうしたことでしょう。どうなっているのでしょう。
からだがうごかないのです。パチパチという音がしてきました。
まっくらなむこうに、赤いほのおがたちのぼりました。
火だ。火事だ。
「みいちゃん!」おかあさんのさけぶ声がきこえます。
みいちゃんは、からだじゅうをおさえつけているおもい木のあいだから、ありったけの力ではいだしました。
かみをぼうぼうにしたおかあさんがみいちゃんをだきよせました。
「はやく、はやく、火が……。とうさーん」おとうさんは、火のなかでした。



「もう、だめじゃー」おかあさんとみいちゃんは、火にむかって、手をあわせました。
そのときです。ぼうっという音といっしょに、おとうさんが、ほのおのなかにあらわれました。
おかあさんはそのなかにとびこんで、おとうさんをたすけだしました。
「とうさんのからだに、あながあいとる」
おかあさんはおびをほどいて、おとうさんにぐるぐるほうたいをしました。
おかあさんのどこに、そんな力があったのでしょう。おとうさんをせおい、みいちゃんをつれてはしりだしました。


 
「かわ」おかあさんがさけびました。「みず」みいちゃんがさけびました。
3にんはころがるようにして土手をおり、川のなかにはいりました。
みいちゃんの手が、おかあさんとはなれました。
「はやく、しっかり」おかあさんが、はげまします。
火におわれてきたひとたちが、おおぜいいました。
きものはもえおち、まぶたやくちびる、やわらかいところがひどくふくれて、目のあかなくなったこどもたちが、「みず、みず」「みずを……」と、かすかな声でいっていました。
からだの皮がやけて、むけて、ぼろのようにたれさがり、ゆうれいのようにさまよっているひと、力つきてうつぶせになっているひと、そのうえにまたたおれて、ひと、ひとがおりかさなって小山のよう……。
じごくも、これいじょうおそろしゅうない!




 
 
3にんはむちゅうで、もうひとつ、川をわたりました。
そこで、おかあさんはおとうさんをおろすと、くずれるようにすわりこみました。
チョン、チョン。みいちゃんのあしもとを、とんでいくものがいます。
はねがもえて、とべなくなったつばめでした。チョン、チョン。
川かみのほうから、ゆっくりと、ひとがながれてきました。ねこも、ながれてきました。


 
みいちゃんがふとふりかえると、わかい女のひとが、あかちゃんをだいてないていました。
「ここまでにげてきて、ちちをのまそうとおもうたらしんでいるの」と、みいちゃんにいいました。
そのひとは、あかちゃんをだいたまま、ざぶざぶと水をこぎわけ、だんだんふかいほうへいき、やがて、みえなくなってしまいました。


 
空がくらくなって、かみなりがなりはじめました。雨がふりだしました。
あぶらのような、黒い雨でした。
真夏だというのに、ひどくさむくなりました。
やがて、くらい空に七色のにじがかかりました。
しんだひとのうえに、きずついたひとのうえに、きらきらと、かがやきました。


 
おかあさんが、おとうさんをまた、せおいました。
3にんは、だまってはしりだしました。
火がおそろしいいきおいで、おいかけてくるのです。
われたかわらやおちてきた電線、たおれた電柱であるくこともできないところをはしり、ごうごうともえる家のあいだをぬけ、また、もうひとつの川にでました。
川のなかで、みいちゃんは、ふうっとねむくなりました。
がぶっと、水をのみました。ぐっと手をのばしておかあさんがたすけてくれました。


 
3にんは、やっと宮島口にたどりつきました。
宮島は、むらさき色にかすんでいました。
おかあさんは、舟にのって宮島へわたろうとおもっていたのです。
島には、まつやもみじがたくさんはえていて、すきとおるような海がありました。
火は、もうここまではおいかけてこん。そうおもったとき、みいちゃんの目は、ひとりでにとじてしまいました。おとうさんもおかあさんも。


 
日がくれました。夜が来ました。夜があけました。朝がきました。
また夜がきて、太陽がのぼり、夜がきて、朝がきました。


  
「もし、もし、きょうは、なんにちじゃろうか?」
おかあさんが、とおりかかったひとにききました。
たおれているひとを、つぎつぎにのぞいていたひとが、「9日」と、こたえました。
おかあさんは、指をおり、かぞえてみました。「あれから、4日もたっとる」


 
みいちゃんは、しくしくなきはじめました。
しんでいるとおもったおばあさんが、むくりとおきあがり、ふろしきからおにぎりをだしてくれました。
むぎのおにぎりでした。
みいちゃんがうけとると、おばあさんは、そのままぱたりとたおれて、うごかなくなりました。


 
「まあ、このこは、まだはしをもっとる。はなしんさい」
おかあさんは、びっくりしていいました。でも、はしは、みいちゃんの手からはなれないのです。
おかあさんはかたくにぎりしめている指を一ぽん一ぽん、ほぐしてやりました。
8月6日のあのときから4日め、ポトリとはしがおちたのです。

ちかくの村から、消防のひとがたすけにきました。
兵隊さんたちは、しんだひとをかたづけています。
しんだひとのくさるにおいと、ひとをやくにおいでいきもできないほどです。
やけのこった学校は、病院になりました。でも、ベッドも、シーツもありません。床のうえにねかせるだけです。
お医者さんもいません。くすりやほうたいもない病院でした。
おかあさんとみいちゃんは、おとうさんをかついで学校の病院にいれました。





 
「みいちゃんの家は、どうしたんじゃろう。はよう、いってみよう」
おかあさんとみいちゃんは、すんでいたあたりにいきました。
「あっ、みいちゃんのちゃわん!われとる、まがっとる」
おとなりのさっちゃんはどうしたんじゃろう。みいちゃんのおともだちはひとりもいません。
ひろしまは、草も木も家もない、みわたすかぎりのやけ野原になっていました。
おとされた原子爆弾は、いっぱつでした。けれど、かぞえきれないおおぜいのひとがしに、そのあとでもぞくぞくとしんでゆきました。


 
この原子爆弾でしんだのは、日本人ばかりではありませんでした。
むりに日本につれてこられ、はたらかされていた朝鮮のひとも、おおぜいしんだのです。
そのしがいをいつまでもほうっておいたので、からすがなん百羽もきてつついていた、ということです。
8月6日につづいて、8月9日、長崎に、二ばんめの原子爆弾がおとされました。
おおぜいの日本人がしにました。たくさんの朝鮮のひともしにました。
ひろしまでも長崎でも、原子爆弾をおとした国のアメリカ人も、なんにんかしんでいるのです。
中国人もロシア人もインドネシア人も、しんでいるということです。


 
みいちゃんは、いつまでたっても、7さいのときのままです。ちっともおおきくならないのです。
「ピカのせいじゃ」と、おかあさんは、なみだをふきます。
「かゆい」といって、みいちゃんは、ときどき頭に手をやります。
おかあさんが、かみの毛をわけてよくみますと、ひかるものがあります。ピンセットでひっぱると、ぬけてでます。ピカのときとんできた、ガラスのかけらなのです。
おとうさんは、からだに7つもあながあいたのに、みんなふさがってげんきになりました。
けれど、その秋の雨のふりつづいた日、かみの毛がぞっくりぬけ、血をたくさんはいてしにました。むらさき色のはん点が、からだのあちこちにでていました。
どこにもやけどもけがもなく、「いのちびろいをしたで」と、よろこんでいたひとが、おとうさんのようになって、しばらくたってからしんでゆきました。
「ひろしまが、たいへんじゃ」ときいて、やけた街にかけつけて、したしいひとをさがしまわったひとも、けがもないのにしんでゆきました。
あれから35年もたっているのに、いまでも病院にはいっているひとがおおぜいいます。そして、つぎつぎとしんでゆきます。


 
まい年、8月6日がくると、ひろしまの7つの川は、とうろうであふれます。
ちよちゃん、とみちゃん、おにいちゃん、おかあさん、おとうさん……。
それぞれ、ピカでしんだひとの名まえをとうろうにかくのです。
川は、ぱあっとあかるくなります。
ひろしまの7つの川は、火の川のながれとなります。ゆらり、ゆらりと、海へゆくのです。
ピカのとき、ながれていったひとのようにいまは、とうろうがながれてゆくのです。
みいちゃんは、とうさんとかきました。もうひとつのとうろうには、つばめさんとかいてながしました。

もう、かみの白くなったおかあさんはいいます。7つのままのみいちゃんの頭をなでながらいいます。
「ピカは、ひとがおとさにゃ、おちてこん」
え・文 丸木 俊(まるきとし)1980年6月25日 第1刷発行


「ひろしまのピカ」制作のきっかけとなった、ある女性との出会いこちら


バスが来ましたよ 

2022-10-05 | 絵本

由美村 嬉々 文
松本 春野 絵

ある朝。
「おはようございます」
小さなかわいい声がきこえてきました。
「バスが来ましたよ」

  ここは、みかんや梅がおいしい、ある南の町。

  わたしは、目が見えません。
  若いときに目の病気になってしまったのです。
  だんだんと目が見えなくなっていき、
  10年後には、まったく見えなくなってしまいました。
  それでも、仕事をつづける決心をしました。
  

  2年間は、家族につきそってもらって
  仕事場である市役所に通い、
  そのあと1年、仕事をやすんで、白杖をもって歩く練習をしました。
  なにも見えないなか、杖で前をたしかめながら、一歩ずつ一歩ずつ、すすみます。
  そしてこの日から、ひとりでバスにのり、通うことにしたのです。


  ある暑い夏の日の朝、月曜日。
  「もう、ひとりで歩ける、だいじょうぶ」と自分をはげましながら、
  わたしはバス停に立っていました。
  バスにのって、5つさきの「市役所前」までいく、たったそれだけのことです。
  でも、バスが来たことがわかるのか、ひとりで、のりおりできるのか……。
  ほんとうは不安でいっぱいでした。


  ようやくバスにのりこんだときには、ひやあせをかいていました。
  それから毎朝、バス停に立ってバスをまちましたが、
  集中して耳をすましていないと、バスが来たことに気づかずに、
  のりそびれてしまったこともありました。
  バスにのってからも、ずっと右手で白杖を、左手でつりかわをにぎりしめていました。


  そんなある朝。
  「おはようございます」  小さなかわいい声がきこえてきました。
  「バスが来ましたよ」


  わたしのこしのあたりに、小さな手がそえられたのが、わかりました。
  「えっ……」
  白杖をにぎりしめていたわたしの手が、ふわっとゆるみました。


  声の女の子は、「ここが、かいだんですよ」といい、バスの入り口のほうに、
  わたしをおしあげてくれたのです。
  
  わたしがぶじにバスにのりこむと、女の子はさらに、
  「席、ゆずっていただけませんか?」
  と、すわってる人に声をかけました。

  「いいですか?」とだれかれともなくいうと、
  「どうぞ」と声がかえってきて、わたしは席にすわることができました。


  「どこまでいくの?」わたしがきくと、「和歌山小学校」女の子がこたえました。
  「何年生?」「3年生です」
  どうやら、わたしのおりるバス停とおなじ「市役所前」でおりる子どものようです。
  小学校はおりて右、市役所は左にあります。

  「わたしは『市役所前』でおります。ほんとうに、ごしんせつにありがとう」

  バスのなかは、心なしかしずかです。
  わたしは、じぶんのおりるバス停をまちがえないよう、
  ひとつめ、ふたつめ……と、心のなかでかぞえていました。
  
  
  「つぎは市役所前~、市役所前~。
  おおりのかたは、おちかくのボタンをおしてください」アナウンスがはいります。
  わたしが降車ボタンをおそうとさがしていると、
  女の子が「おります」といって、かわりにおしてくれました。
  そして、こんどは出口まであんないし、あんぜんにおろしてくれたのです。


  ぶじにバスからおりて、
  「あなたは、右だね。どうもありがとう」というと、
  「いえ、横断歩道までおくります」そういって、
  彼女はまた、わたしのこしに小さな手をあてて、
  小学校とはぎゃくの市役所前の横断歩道まで、いっしょに歩いてくれたのでした。

  「さよなら、おじさん」
  「さよなら、いってらっしゃい。車に気をつけてね。ありがとう」
   声のするほうに、わたしはふかぶかとあたまをさげました。


  つぎの日の朝、バス停にならんでいると、昨日とおなじかわいい声がしました。
  「おはようございます」「ああ、昨日のおじょうさんだね」「バスが来ましたよ」
  女の子の名前は、さきちゃんといいました。
  彼女は昨日とおなじように、わたしのこしに小さな手をあてて、
  やさしくバスにのるてつだいをしてくれました。


  そしていつのまにか、バスが来たことをしらせ、
  いっしょにのりおりしてくれることが、あたりまえのようになり、
  来る日も来る日も、それはつづいたのです。


  やがて、季節は冬になり、また春が来て、夏が来て、  
  おだやかに月日がながれていきました。
  「おはよう」「さむいね」「あついね」「げんき?」などと、
  わたしたちは毎日、ことばをかわしました。


  ある秋の日、今日はだれの声もきこえません。
  バスが来た音がして、ひとりでバスにのりこむと、
  さきちゃんのことが心配になってきました。
  「今日は、どうしたのだろう。ねつでも出してしまったのかな?」
 
  さきちゃんとひとこと、ことばをかわすのが、
  いつのまにか、朝のたのしみになっていたことに気づきました。
  バスをおりると、市役所にいくまでの道で、
  キンモクセイのいいかおりがして、おもわずかおをあげていました。


  翌日、
  げんきなさきちゃんの声がきこえたときは、ほっとしました。
  それからも、
  バスののりおりをやさしくてつだってくれる日々が、つづきました。
 

  月日はめぐり、
  日ざしがあたたかく感じられる4月になりました。

  いつものように「バスが来ましたよ」の声。
  あれ?声がちがう、と気がつきました。  
  「あなたは、さきちゃん?」
  「いいえ、わたしは、みなです。おねえちゃんは、卒業しておとなりの中学校にいきました。
  これからは、わたしがあんないしますね」


  それからというもの、わたしをたすけてくれることが、
  いろいろな子たちにリレーされていきました。
  「わたしたち3姉妹なの。わたしは3ばんめの、ゆあです」
  「わたしは、ゆあちゃんの友だちの、かれんです」
  「ぼくはともだちの、ゆうたです」
  「えーっと、たくまといいます」

  さきちゃんからはじまった「バスが来ましたよ」は、
  さきちゃんのすがたを見ていたまわりの子たちへ、うけつがれていきました。
  わたしは、横断歩道までおくってくれる、子どもたちにむかって、
  いつも大きく手をふっていました。
  「ありがとう。いい一日でありますように」


  10年以上もの間、毎日つづけてくれた、小さな手のぬくもりのリレー。
  今年、おかげで60さい。わたしは、仕事の定年をむかえます。


  だれかにおそわるのではなく、はじまったしんせつ。
  それを見ていたまわりの子どもたちが、なにもいわないのに、うけついでいってくれた。

  わたしの心のなかにある、
  いろいろな子どもたちの「バスが来ましたよ」の声。
  これからも子どもたちのなかで、ぬくもりがリレーされていきますように……。

あとがき
1月下旬、ある記事に目を留めました。
それは、「網膜色素変性症」という難病におかされて目が見えなくなってしまったあとも、地元の小学生に10年以上もサポートされ、ついに定年を迎える直前まで働き続けることができたという、ある男性についての記事でした。
この実話は、彼自身が「あたたかな小さい手のリレー」と題して書き、懸賞作文「小さな助け合いの物語賞」に応募し、「しんくみ大賞」を受賞しました。
6月下旬、わたしはその男性、山﨑浩敬さんを取材するため、和歌山をたずねました。みかんや梅の生産で有名な、一年じゅうあたたかい気候の和歌山の町。彼が通勤に利用していたバスにも乗ってみました。
温かくむかえ入れてくださった山﨑さん、和歌山大学教育学部付属小学校の先生方、信用組合のみなさまや、この話題をキャッチし、世に出してくれた読売新聞の記者・太田魁人さん、根気強く取材を続けてくれたNHKの記者・植田大介さんにも心から御礼を申し上げます。
また、コロナ禍にもかかわらず、この絵本の絵を描くために、取材に同行し、本書の世界観を共有してくださった松本春野さんとの出会いも幸せでした。

あらゆる人の思いをのせた『バスが来ましたよ』。
善意のバトンが日本全国、そのまた海の向こうに渡っていきますように……。
2022年 夏  
由美村嬉々(木村美幸)


ぞうれっしゃがやってきた

2022-09-08 | 絵本

②小出隆司・作 箕田源二郎・絵


③さむい、冬のある朝。
 どんよりくもった、はい色の空から、つめたい雨がふっていました。
 そのなかを、四頭のぞうが、ぞうつかいのおねえさんたちにつきそわれて、のっし、のっしと、あるいていました。
ぞうの名まえは、アドン、エルド、マカニー、キーコです。
すみなれたサーカスだんから、名古屋の東山動物園にうりわたされたのです。
ぞうつかいのおねえさんたちは、目になみだをうかべていました。


④動物園につくと、ぞうたちは、雨にぬれたぞうのひろばに、せいぞろいして、子どもたちにあいさつです。
ごばんのりや、さかだち、たるまわしを、じょうずにしました。


⓹また、長いはなで、たいこをたたいたり、ラッパやしょうをふいたりしました。
チンドン チンドン チンドン ドン
ジャンジャン ブーブー ジャン ブーブー
おとぎの国の音楽会のようです。みんなは、おおよろこびでした。


⑥動物園の人たちは、ぞうをむかえて、うきうきしていました。
けれども、ぞうつかいのおねえさんたちは、ぞうとわかれるのが、かなしくてたまりません。
おりにはいったまま、いつまでも、ぞうのそばから、はなれようとしませんでした。
はしらのかげから、そのようすを見ていた園長さんの目には、なみだが、ひかっていました。
そして、「おねえさんたちのためにも、だいじにそだてなくては。」
と、心のそこから思いました。


⑦その年(1937年)日本は、となりの中国と、せんそうをはじめました。
「日本かった」
「兵たいさん、ばんざい」
動物園では、かざりをつけてもらったぞうたちが、日の丸のはたをくわえ、軍歌にあわせて、こうしんしたり、ばんざいをしたりしました。

⑧しかし、それを見ている人たちのなかには、これから、せんそうにゆかなければならない人のすがたが、ありました。


⑨ぞうたちのだいすきな食べものは、こんがりこげたおにぎりです。
しいくがかりのおじさんたちが、たきたてのごはんに、ふうふうと、いきをふきかけながら、おおきなおにぎりをつくります。
そのにおいをかぎつけた、ぞうたちは、三かくにとがった、かわいらしい口から、ぽたぽたとよだれをたらします。もう、じっとしていられなくなり、おりのなかをうごきまわります。
そんなぞうたちの口に、おにぎりを、ぽいとなげこんでやります。ぞうたちは、ほそい目をさらにほそめて、ひと口に、ぱくんとのみこみます。しいくがかりのおじさんたちは、ぞうが、ますますかわいくなっていくのでした。


⑩せんそうが長びき、ぞうたちのくらしも、くるしくなってきました。
冬だというのに、だんぼうも、じゅうぶんにはしてもらえず、さむさに、ふるえていました。
だいすきなおにぎりも、もらえなくなり、いつも、おなかをすかしていました。
しいくがかりのおじさんたちは、せめて、えさだけはと思い、園内のあき地や、近くの山をたがやして、やさいやいもをつくりはじめました。
ところが、日本は、さらにアメリカなど世界の国ぐにと、せんそうをはじめてしまいました。


⑪あつい夏の日。しいくがかりのおじさんたちが、畑をたがやしていると、東京の上野動物園から、かなしいしらせがとどきました。
軍のめいれいで、ぞうやライオンなどの動物が、ころされたというのです。
「つみもない動物たちを、なぜだ!!」
おじさんたちは、くわをなげなげ出して、そのばにしゃがみこんでしまいました。

はじめのうちは、いきおいよく、かちすすんでいた日本軍は、やがてまけはじめました。
そして、アメリカ軍のひこうきが、たくさんとんできて、しょういだんや、ばくだんを日本の町におとすようになりました。


⑫東山動物園にも、ついに、ばくだんがおとされました。チンパンジーのバンブーは、あたたかいおりをこわされ、園長さんにしがみついて、かばのおりにひなんしました。


⑬くうしゅうは、だんだんはげしくなり、名古屋の町は、つぎつぎとやかれていきました。
子どもたちは、家をはなれて、いなかへそかいしました。


⑭園長さんは、動物園をけいごする人たちに、とりかこまれています。
「われわれは、動物園のかいごのために、家にもかえれない。」
「人間がだいじか、動物がだいじか、どちらだ、ひこくみんめ!!。」
「早く、動物たちをころさせろ!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
園長さんは、なんとか、動物たちをまもりぬけないものかと、ひっしに考えましたが、よいほうほうがみつかりません。
園長さんのまぶたに、むねんのなみだがひかり、ひとすじ、ふたすじと、ほおをつたいました。
「ざんねんです。やってください。」
あとは、ことばになりませんでした。


⑮おなかをすかしていたとらは、どくいりのにくを食べ、くるしみながらしにました。
りこうなライオンは、それを、口にしようとはしません。ダダダダっとじゅう声がとどろき、そのばで動かなくまりました。


⑯よくなついていた月のわぐまは、えさがもらえると思い、よろこんで立ちあがったところを、ねらいうちされました。

園長さんは、ぞうだけでも助けたいと、軍やけいさつに、なんどもたのみにゆきました。
そのかいがあって、ぞうはころされずにすみました。

⑰ところが、キーコが、しんでしまいました。
さむいうえに、食べものも、じゅうぶんもらえず、よわっていたのです。

アドンも、キーコのあとをおうように、しんでしまいました。
生きのこっている、マカニーとエルドも、日に日にやせほそり、よわっていきます。
「おまえたちだけは、しなないでおくれ。」
しいくがかりのおじさんたちは、ぞうによりそってはげましました。


⑱そして、わずかなえさを、手にいれるために、大八車(だいはちぐるま)をひいて遠くの村まででかけました。


⑲日本の軍隊が、とつぜん、東山動物園にすみこみました。そのため、動物園の門は、かたくとざされました。
ひっそりとした動物園には、二頭のぞうと、チンパンジーなどが、わずかに生きのこっているだけでした。
しいくがかりのおじさんたちも、兵隊にとられ、あとにのこったのは、ほんのすう人でした。ぞうのえさをさがすのは、ますますたいへんになりました。
ところが、ぞうのおりのつうろに、軍馬のえさが、つみこまれました。しいくがかりのおじさんたちは、それを、こっそりぬきとり、ぞうにあたえました。


⑳長かったせんそうは、やっとおわりました。
マカニーとエルドは、生きのこりました。園長さんは、しいくがかりのおじさんたちと手をとりあってよろこびあいました。
でも、マカニーとエルドは、すっかりよわってました。かわいい目はくぼみ、からだは、しぼんだふうせんのように、たよりなくなっていました。そして、いつも、おなかをこわしていました。
しいくがかりのおじさんたちは、ぞうをおりから出し、うら山をさんぽさせたり、池であそばせたりしました。


㉑ぞうたちは、だんだんげんきになり、やがて、ごばんのりや、さかだちのれんしゅうをはじめました。


㉒園長さんのもとに、東京の子どもぎかいの、だいひょうから、手紙がとどきました。ぞうを一頭かしてほしいというのです。
おおきなぞうを、東京まではこぶほうほうが、みつかりません。
まちきれなくなった東京のだいひょうが、東山動物園にやって来ました。
園長さんは、エルドをおりにのこして、マカニーを外につれ出しました。すると、エルドはたちまちなきさけび、マカニーをおいかけようとして、とびらに頭をぶつけ、けがをしてしまいました。マカニーもエルドのかなしい声をきくと、しいくがかりのおじさんをおしのけて、エルドのほうへ、かけていきました。
園長さんは東京のだいひょうに、ぞうをかすことは、できないと話してきかせました。


㉓その話をきいた国鉄は、ぞうを見たいとねがっている子どもたちのために、とくべつれっしゃを出すやくそくをしました。
これが、ぞうれっしゃです。
名古屋へむかいきしゃの中では、子どもたちが、はしゃいでいます。
「ぞうさんの大きさは、どれくらいかなあ。」
「ぞうさんには、毛がはえているとおもう?」
「ぼくは、ぞうのはなにぶらさがってみたいな。」
れっしゃが、名古屋に近づくにつれて、子供たちの心に、ぞうにあえるころこびが、だんだんとふくらんできました。
こうして、日本じゅうから子どもたちが、ぞうれっしゃにのって、ぞくぞくと東山動物園へやって来ました。


㉔マカニーとエルドは、子供たちを出むかえました。
はじめて、ぞうを見た子供たちは、おおよろこびでした。かわるがわる、ぞうのせなかに、のせてもらい、動物園をのっし、のっしと、さんぽしました。ぞうのはなの、すべりだいにものりました。


㉕♪ぶうらり、ぶうらり、ぶうらりこ
ながい、おはながたのしそう
きょうも、げんきなぼくたちに
おいで、おいでを、しているの♪
緑に包まれた、動物園に。『ぞうさんの歌』が、ひびきわたりました。

あとがき                  小出隆司
戦後まもないころ、日本に二頭しかいなくなった、名古屋の東山動物園の象を貸してほしいと、東京都台東区の子供議会の代表が、来名しました。しかし、象の輸送の方法や、象が年老いて弱っていることなど様々な条件から、その願いは、実現しませんでした。この事を知った国鉄は、特別列車(=ぞうれっしゃ)を仕立て、ぞうをひと目、見たいという子供たちのゆめをかなえてくれました。敗戦直後の殺伐とした生活を余儀なくされていた子供たちに、よろこびをもたらしました。それにしても、きびしい戦時下で東山動物園の象だけをなぜ守りぬけたのでしょうか。
それは、何よりも、北王英一元東山動物園園長の、象への限りない愛情と、軍部や警察に対しての必死の説得や、職員の皆さんの努力があったからです。
それに、最近教えていただいたことですが、当時、名古屋市千種区城山町の八幡社(末森城跡)にあった、中部軍管区司令部所属の獣医大尉であったM氏(故人)が、軍部の兵糧であったふすまを、東山動物園の象舎の通路に運びこませ、配給もとめられていた象のえさにと無言の支援をしてくれたからです。
ところで、戦争は、いつも子供や女性など、弱い者を最大の犠牲者にします。
わたしたち日本人は、今こそ、十五年戦争の歴史的、民族的な教訓を正しく受けとめ、世界に向けて、反核、軍縮の世論を高めていく運動の先頭に立つべく、歴史的な使命を負っていると思います。止めどもない軍拡競争では、決して世界の平和は実現しません。
ここに、北王英一元園長と当時の職員の方々に心から敬意を表しつつ、明日に生きる子供たちに、この歴史的事実を、現代の民話としておくります。

「ぞうれっしゃがやってきた」 
合唱動画こちら
アニメこちら

かぜのでんわ

2022-05-24 | 絵本

かぜのでんわ

作・絵 いもとようこ 金の星社 刊
岩手県大槌町にある「風の電話」。線はつながっていない・・・・・
電話にこめられた「想い(おもい)」を絵本に。

やまのうえに 1だいのでんわが おいてあります。
きょうも だれかが やってきました。
せんのつながっていない そのでんわで はなしをするために。


たぬきのぼうやがのぼってきました。
たぬきのぼうやは じゅわきを とると、いきなりいいました。
「もしもし、おにいちゃん。どこにいるの?はやくかえってきてよ!
『おにいちゃんは とおくへあそびにいった』って
おかあさんから きいたけど・・・・・
ぼく さびしいよ!いつものようにあそんでよ!
ぼく、いいこにするからさ!ねっ!はやく、はやく かえってきて!
ぼく、まってるから・・・・・

つぎのひは うさぎのおかあさんがやってきました。
「もしもし、ぼうや。げんきにしてる?いいこにしてる?」
いつものように『ただいまー』ってかえってきて!
そして『おかあさーん』って よんでちょうだい!
いつものように・・・・・
いつものように こもりうたを うたうね!
・・・・・おやすみぼうや」
この辺りでわんちゃんの目は涙でいっぱい。

以下は👇この絵本のあらすじです。
次の日は雨がザーザー
狐のお父さんがやってきました。
電話の前でいつまでも泣いていました。
「俺と子供たちを残していっちゃうなんて、ひどいよー」っと・・・・
「本当は『いままでありがとう』を言いに来た」って。
そして、狐のお父さんはいっぱいいっぱい泣きました。

幾日か経って、ねこさんがやって来ました。
「かみさま、人は なぜ死んでしまうの?なぜ生まれてきたのですか?
生きるということ、死ぬということは・・・・・どういうことですか?
教えて下さい神様」

山の様子は季節とともに変わっていきます。
どれだけの人がこの電話でお話をしたことでしょう。
寒い夜のこと、熊のおじいさんが眠っていると、電話が鳴ってます。
山の上の電話はこの熊のおじいさんが置いたのでした。
毎日、ピカピカに磨いてました。
電話のベルが鳴る方に歩いて行きました。
「あの電話は線が繋がってないんだから鳴るはずがない・・・・・」
雪がちらちら降る中を、登って行きました、やっぱりおじいさんの電話が鳴ってました。
おじいさんが受話器を取ると雪はピタリとやみ、数えきれないほどの星がキラキラと輝き始めました。
まるで「電話、ありがとう・・・・・」っと繰り返し繰り返し聞こえました。
おじいさんは空を見て、叫びました
「とどいたんだ!みんなのおもいが とどいたんだ」



風の電話
岩手県大槌町の佐々木格(ささきいたる)さん(ガーデンデザイナー)が、自宅の庭に「風の電話ボックス」をおきました。「会えなくなった人に伝えたい・・・・・」ひとりっきりになって、
電話をかけるように相手に想いをつたえる空間で、実際の電話線はつながっていません。
電話機のよこには、こう書かれています。

風の電話は心で話します
静かに眼を閉じ 耳を澄ましてください
風の音が又は波の音が或いは小鳥のさえずりが
聞こえたなら あなたの想いを伝えて下さい


佐々木さんが震災前から考えていたものだそうですが、心の復興のきっかけになればと思い、実現させたそうです。

「あまりにも突然、多くの命が奪われた。せめてひとこと、最後に話がしたかった人がたくさんいるはず。そして今回の震災だけでなく、会えなくなった人に 伝えたい想いを持っている人は多いと思います。どなたでもいらしてください」

ふゆめがっしょうだん PART2

2022-02-24 | 絵本

 みんなは

ハリエンジュ(針槐)マメ科 別名:ニセアカシア

日本には1873年に渡来した。
用途は街路樹、公園樹、砂防・土止めに植栽、材は器具用等に用いられる。季語は夏である。

 みんなは 

クサギ(臭木)シソ科
 

葉には名の通り特異なにおいがあるが、茶の他に、ゆでれば食べることができ若葉は山菜として利用される。収穫時には、臭いが鼻につくが、しばらくすると不思議なくらいに臭いを感じなくなる。果実は草木染に使うと媒染剤なしで絹糸を鮮やかな空色に染めることができ、赤いがくからは鉄媒染で渋い灰色の染め上がりを得ることができる。

 きのめだよ

キブシ(木五倍子)キブシ科 雌雄異株の落葉低木。別名、キフジこちら


 はるに なれば

サンショウ(山椒)ミカン科 別名・ハジカミ。
 
ウチのガレージのそばに居ます、そばを通る時、衣服が触れるといい匂いがします、好きな匂いです。

山地の雑木林などに自生し、料理に添えられる若葉は食材として木の芽とも呼ばれる。雄株と雌株が別々であり、春に葉のわきに黄緑色の花を咲かせ、雌株のみ実をつける。葉と球果に独特な香りを有し、香辛料として使われる。

 もっと きれいに なるんだよ

クマイチゴ(熊苺)バラ科

日本では、北海道、本州、四国、九州に、東アジアでは中国、朝鮮に分布。
山間部の林道沿いなど、森林があって、その中でやや荒れたところによく顔を出す。
丈夫な茂みを形成するので、このヤブに入り込むと痛いめに遭う。
クマイチゴ 画像⇒こちら

 パッパッパッパッ:あずさ


 たいようも

クズ(葛)マメ科

根を用いて食材の葛粉や漢方薬が作られ、万葉の昔から秋の七草の一つに数えられている 。

 かぜも

ニガキ(苦木)ニガキ科
ニガキ⇒こちら

 すてきねえと

ユクノキ(雪の木)マメ科 別名:みやまふじき
本州(富士・箱根を除く関東地方西部〜富山県以西)〜九州の山地に生える。
大きいものは高さ20mに達する。花期は6〜8月。

 ニコニコするよ

サンゴジュ(珊瑚樹)レンプクソウ科
サンゴジュ - 植物図鑑 - こちら

 みんなは

カラスザンショウ(烏山椒)ミカン科

サンショウ と違って アルカロイド を含むので食用に適さない。
カラスザンショウを食草とする蝶にはカラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、モンキアゲハ、ナミアゲハ、クロアゲハなどがある。

 みんなは

ネムノキ(合歓木、合歓の木)マメ科

夜になると小葉が閉じて垂れ下がる就眠運動を行うことが知られている。
天声人語ネムノキ⇒こちら
 きのめだよ

エノキ(榎 、朴樹)アサ科

オオムラサキ、ゴマダラチョウ、テングチョウ、ヒオドシチョウ、エノキハムシ、タマムシ、ホシアシブトハバチ、エノキトガリタマバエ、エノキワタアブラムシなど多くの昆虫の餌、食樹である。特に、日本の国蝶オオムラサキの幼虫の食樹としてよく知られている

 きのめだよ

ニシキウツギ(二色空木)スイカズラ科 ニシキウツギ樹木図鑑⇒こちら


冨成忠夫(とみなり ただお)・茂木 透(もぎ とおる)=写真 
長 新太(ちょう しんた)=文     



ふゆめがっしょうだん PART 1

2022-02-18 | 絵本



ウサギさんや、コアラ君の顔があったり、帽子をかぶった子どもの顔に似ていたり・・・
どの写真も、木の芽の冬姿を拡大して写したものです。
顔に見えるところは、実は、落葉した葉の柄がついていた跡です。その中に、目や口のようなもようがありますが、これは葉に養分を送っていた管の断面です。この顔の上にある、円形や円錐形をした部分、これが冬芽で、これから葉や花になるものが中に小さくたたまれていて、春をまっています。
どの木も、特殊なものではなく、大部分は身近に見られるものです。
冬の公園で、雑木林で、ちょっと注意してさがしてみてください。木の種類によって、それぞれごらんのとおりのきまった”顔“ですので、なんの木か、名前をあてる指紋のような役割もしますよ。

みんなは

オニグルミ(鬼胡桃)クルミ科こちら
みんなは

ゴシュユ(呉茱萸)ミカン科こちら

中国中~南部に自生する落葉小高木。日本では帰化植物。雌雄異株であるが日本には雄株がなく果実はなっても種ができない。地下茎で繁殖する。

 きのめだよ

ムクノキ(椋木 、椋の木 )ニレ科

ムクノキは、ケヤキやエノキと同じニレ科の落葉高木です。 関東以西の山地に自生しており、古来から日本によりそってきた植物です。 環境の変化に強く、鮮やかな緑色の新芽と堂々とした木姿が美しいため、街路樹などでもよく見かけられます。

はるになれば

ミツバウツギ(三葉空木)ミツバウツギ科
こちら

はがでて はながさく
 
サワグルミ (沢胡桃 ) クルミ科 サワグルミ属 別名: カワグルミ 、 ヤマギリ 、 フジグルミ 。
日本全国の沢など山間の湿った場所に生える。 和名は、沢沿いに生えることから付けられた。

パッパッパッパッ:あずさ

梓 - こちら

 ゆきよ 

イヌザンショウ(犬山椒)ミカン科
よく似るサンショウは葉や実に芳香があるが、イヌザンショウは香りがほとんど無い。
食草とする蝶にはナミアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハ、モンキアゲハなど。

 こおりよ 

オオカメノキ(大亀の木)レンプクソウ科 別名:ムシカリ

2014-4-26 童仙房

 さようなら 

フジ(藤)マメ科 別名: ノダフジ こちら

わんちゃんとこの庭で


 はやく はるが 

クワ(桑)クワ科

カイコの餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用される。土留色(とどめ色)はこの植物の実の色を指す事もある。
土留色(とどめ色)とは
この言葉は人や地方によって解釈が異なるものであるが、主には桑の実が関連する色である。「どどめ」とは、埼玉県や群馬県など関東の養蚕が盛んな地域で古くから使われている方言であり、蚕のエサである桑になる実の事を指す。それが転じてどどめ色は桑の実の色として使われる。桑の実は熟すにつれて赤色から黒紫色へと変化するため、人によって意味する色が異なる原因にもなっている。また比喩表現としては特に熟した桑の果実を潰した際に紫色の汁が皮膚に付いたその状態にちなんで、青ざめた唇や青アザになった皮膚を表現する。

 こないかな 

ノリウツギ(糊空木、糊樹)アジサイ科 別名サビタ 、ノリノキ(糊の木)

2012-9-13 童仙房
 パッパッパッパッ:あずさ





手ぶくろを買いに

2022-01-13 | 絵本




冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は毛糸の手袋を買ってやろうと思います。
その夜、母狐は子狐の片手を人の手にかえ、銅貨をにぎらせ、かならず人間の手のほうをさしだすんだよと、よくよく言いふくめて町へ送り出しました。
はたして子狐は、無事、手袋を買うことができるでしょうか。
新実南吉がその生涯をかけて追及したテーマ
「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」を、今、黒井健が情感豊かな絵を配して、絵本化しました。


寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました。
ある朝、洞穴から子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ。」と叫んで眼を抑えながら母さん狐のところへころげて来ました。
「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴、早く早く。」と言いました。
母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。


母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解りました。昨夜のうちに、真っ白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽さまがキラキラと照らしていたので、雪は眩しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。


子供の狐は遊びに行きました。真綿のように柔らかい雪の上を駈け廻ると、雪の粉が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした。
すると突然、うしろで、「どたどた、ざーっ。」と物凄い音がして、パン粉のような粉雪が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹絲のように雪がこぼれていました。


間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする。」と言って、濡れて牡丹色になった両手を母さん狐の前にさしだしました。母さん狐は、その手にはーーっと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖かくなるよ、雪をさわるとすぐ暖かくなるもんだよ。」と言いましたが、かあいい坊やの手に霜焼ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊やのお手々にあうような毛絲の手袋を買ってやろうと思いました。


暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮かびあがっていました。
親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。


やがて、行手ににぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねぇ。」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ。」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。「あれは町の灯なんだよ」
その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思い出しました。およしなさいっと言うのもきかないで、お友達の狐が、ある家の家鴨(あひる)を盗もうとしたので、お百姓に見つかってさんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん、何してんの、早く行こうよ。」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊やだけを一人で町まで行かせることになりました。


「坊やお手々を片方お出し。」と、お母さん狐が言いました。その手をお母さん狐はしばらく握っている間に、かわいい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手を広げたり握ったり、抓(つね)って見たり、嗅(か)いで見たりしました。
「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、又その、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円いシャッポの看板のかかってる家を探すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間から、こっちの手、ほらこの人間の手を差し入れてねこの手にちょうどいい手袋を頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ。」と母さん狐は言い聞かせました。
「どうして?」っと坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴(つか)まえて檻(おり)の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ。」
「ふーん」
「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ。」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨を、人間の手の方へ握らせてやりました。


子供の狐は、町の灯を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十(とお)にもふえました。
狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。


やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
けれども表の看板の上には大(たい)てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画(えが)かれ、あるものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分からないのでした。


とうとう帽子屋が見つかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電灯に照らされてかかっていました。
子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は。」
すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸(約3cm)ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、(お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手を)すきまからさしこんでしまいました。


「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木の葉で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい。」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指のさきにのっけて、カチ合わせて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚から子供用の毛絲の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言って又、もと来た道を帰り始めました。


「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有(おっしゃ)ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの。」と思いました。けれども子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何というおっとりした声なんでしょう。
「ねむれ ねむれ
 母の胸に
 ねむれ ねむれ
 母の手に  」
子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。 


するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼(な)いてるでしょうね。」
すると、母さんの声が
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ。」


それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖かい胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。


二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや。」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖かい手袋くれたもの。」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」とつぶやきました。



この本は、『校定 新実南吉全集』(大日本図書刊)所収の「手ぶくろを買ひに」を底本としています。読みやすくするため、旧かなづかいを新かなづかいにあらため、一部改行しましたが、そのほかは原文のままです。(巻末より)
【作者紹介】
作・新実南吉(にいみ なんきち)
1913年愛知県に生まれる。東京外国語学校英語部文科卒業。
中学時代より文学に興味をもち、童話・童謡・詩・小説などを書き続ける。
1943年没。その作品は民芸品的な美しさと親しみ深さを感じさせ、今も多くの人に愛されている。
主な作品に「ごんぎつね⇒こちら」「手ぶくろを買いに」「おじいさんのランプ」などがあり、全業績は『校定・新実南吉全集』(全12巻・大日本図書)に網羅されている。
絵・黒井 健(くろい けん)
1947年新潟市に生まれる。新潟大学教育学部中等美術科卒業。
1983年、第9回サンリオ美術賞を受賞。主な絵本作品に『ごんぎつね』『手ぶくろを買いに』(新実南吉作)
『猫の事務所』(宮沢賢治作)画集に『雲の信号』(宮沢賢治詞)『ミシシッピ』(偕成社)がある。

新実南吉  ごんぎつね PART2

2021-10-16 | 絵本


新美南吉・作
いもとようこ・絵


これは、わたしが小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。むかしは、わたしたちの村の近くの、中山というところに、小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
その中山からすこしはなれた山の中に、「ごんぎつね」というきつねがいました。ごんは、ひとりぼっちの小ぎつねで、しだのいっぱいしげった森の中に、あなをほってすんでいました。そして、夜でも、昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。
畑へはいっていもをほりちらしたり、なたねがらのほしてあるのへ火をつけたり、百しょうやのうらてにつるしてあるとんがらしをむしりとっていったり、いろんなことをしました。
ある秋のことでした。二、三日雨がふりつづいたそのあいだ、ごんは、外へも出られなくて、あなの中にしゃがんでいました。


空はからっとはれていて、もずの声が、きんきん、ひびいていました。
ごんは、村の小川のつつみまで出てきました。
あたりの、すすきのほには、まだ 雨のしずくが光っていました。川はいつもは水がすくないのですが、三日もの雨で、水がどっと増していました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、はぎのかぶが、きいろくにごった水によこだおしになって、もまれています。
ごんは川しものほうへと、ぬかるみ道を歩いていきました。
ふと見ると、川の中に人がいて、なにかやっています。
ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
「兵十(ひょうじゅう)だな。」と、ごんは思いました。


兵十はぼろぼろの黒いきものをまくしあげて、こしのところまで水にひたりながら、さかなをとる、はりきりという、あみをゆすぶっていました。はちまきをした顔のよこっちょうに、まるいはぎの葉が一まい、大きなほくろみたいにへばりついていました。
しばらくすると、兵十は、はりきりあみのいちばんうしろの、ふくろのようになったところを、水の中からもちあげました。
その中には、しばの根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でも、ところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、太いうなぎのはらや、大きなきすのはらでした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみといっしょにぶちこみました。
そして、また、ふくろの口をしばって、水の中へいれました。
兵十はそれから、びくをもって川からあがり、びくを土手においといて、なにをさがしにか、川かみのほうへかけていきました。


兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。
ごんは、びくの中のさかなをつかみ出しては、はりきりあみのかかっているところよりしもての、川の中をめがけて、ぽんぽんなげこみました。
どのさかなも、「とぼん」と音をたてながら、にごった水の中へもぐりこみました。


いちばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、なにしろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。
ごんはじれったくなって、頭をびくの中につっこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎはキュッといって、ごんの首にまきつきました。そのとたんに兵十が、むこうから、「うわあ、ぬすとぎつねめ。」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。
うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま、よこっとびにとび出して、いっしょうけんめいに、にげていきました。
ほらあなの近くの、はんの木の下で、ふりかえってみましたが、兵十はおっかけてはきませんでした。
ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして、あなのそとの、草の葉の上にのせておきました。


十日ほどたって、ごんが、弥助というお百姓の家の裏をとおりかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋の新兵衛の家のうらをとおると、新兵衛の家内が、髪をすいていました。
ごんは、「ふふん、村に何かあるんだな。」と思いました。
「何だろう、秋まつりかな。まつりなら、たいこやふえの音がしそうなものだ。それにだいいち、お宮にのぼりが立つはずだが。」
こんなことを考えながらやってきますと、いつの間にか、表に赤い井戸のある兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢の人があつまっていました。よそいきのきものをきて、こしにてぬぐいをさげたりした女たちが、おもてのかまどで火をたいています。大きななべの中では、なにかぐずぐずにえていました。
「ああ、葬式だ。」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう。」


お昼がすぎると、ごんは、村の墓地(ぼち)へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠くむこうには、お城のやねがわらが光っています。墓地には、ひがん花が、赤いきれのようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーンと、鐘が鳴ってきました。葬式の出るあいずです。
やがて、白いきものをきた葬列のものたちがやってくるのが、ちらちら見えはじめました。話ごえも近くなりました。葬列は、墓地へはいってきました。人びとが通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。
ごんは、のびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌(いはい)をささげています。いつもは、赤いさつまいもみたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
「ははん、死んだのは、兵十のおっかあだ。」
ごんは、そう思いながら、頭を引っこめました。


その晩、ごんは、あなの中で考えました。
「兵十のおっかあは、とこについていて、うなぎがたべたいといったにちがいない。それで、兵十が、はりきりあみをもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとってきてしまった。だから、兵十は、おっかあにうなぎをたべさせることができなかった。そのまま、おっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎがたべたい、うなぎがたべたいと思いながら、死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらしなけりゃよかった。」


兵十が、赤い井戸の所で麦をといでいました。
兵十は、今までおっかあとふたりきりで、まずしいくらしをしていたもので、おっかあが死んでしまっては、もうひとりぼっちでした。
「おれとおなじ、ひとりぼっちの兵十か。」
こちらの物置のうしろから見ていたごんは、そう思いました。
ごんは、物置のそばをはなれて、むこうへいきかけますと、どこかでいわしを売る声がします。
「いわしのやすうりだあい。いきのいい、いわしだあい。」
ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが、うら戸口から、「いわしをおくれ。」と言いました。
いわし売りは、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助のうちの中へもって入りました。


ごんは、そのすきまに、かごの中から五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もときたほうへかけだしました。そして、兵十のうちのうら口から、うちの中へいわしをなげこんで、あなへむかってかけもどりました。
とちゅうの坂の上でふり返ってみますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。
ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。


つぎの日には、ごんは山でくりをどっさりひろって、それをかかえて兵十の家(うち)に行きました。
うら口からのぞいてみますと、兵十は、昼めしを食べかけて、ちゃわんをもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。
へんなことには、兵十のほっぺたに、かすりきずがついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとを言いました。
「いったい、だれが、いわしなんかを、おれの家(うち)へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、ぬすびとと思われて、いわし屋のやつにひどいめにあわされた。」
と、ぶつぶつ言っています。


ごんは、これはしまったと思いました。
かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんなきずまでつけられたのか。
ごんはこう思いながら、そっと物置のほうへまわって、その入口に、くりをおいてかえりました。


つぎの日も、そのつぎの日も、ごんは、くりをひろっては、兵十の家(うち)へもって来てやりました。その次の日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三本、もっていきました。


月のいいばんでした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通って、すこしいくと、ほそい道のむこうから、だれかくるようです。話しごえがきこえます。チンチロリン、チンチロリンと、まつむしが鳴いています。
ごんは、道のかたがわにかくれて、じっとしていました。話ごえは、だんだん近くなりました。
それは、兵十と、加助(かすけ)というお百しょうでした。
「そうそう、なあ、加助。」
と、兵十がいいました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とても、ふしぎなことがあるんだ。」
「何が?。」
「おっかあが死んでからは、だれだか知らんが、おれにくりやまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ。」
「ふうん、だれが?」
「それがわからんのだよ。おれの知らんうちにおいていくんだ。」
ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見にこいよ。そのくりを見せてやるよ。」
「へえ、へんなこともあるもんだなあ。」
それなり、ふたりはだまって歩いていきました。


加助がひょいと、うしろを見ました。ごんはびくっとして、小さくなって立ちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさと歩きました。吉兵衛(きちべえ)というお百しょうの家(うち)までくると、ふたりはそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと、木魚の音がしています。まどのしょうじにあかりがさしていて、大きなぼうず頭がうつって、動いていました。ごんは、「おねんぶつがあるんだな。」と思いながら、井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また、三人ほど人がつれだって、吉兵衛(きちべえ)の家(うち)へ入っていきました。
お経(きょう)をよむ声がきこえてきました。


ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、またいっしょにかえっていきます。ごんは、ふたりの話をきこうと思って、ついていきました。
兵十のかげぼうしをふみふみいきました。
お城の前まできたとき、加助が言いだしました。
「さっきの話は、きっと、そりゃ、神さまのしわざだぞ。」
「えっ?」
と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうもそれゃ、人間じゃない、神さまだ。神さまが、おまえがたったひとりになったのを、あわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんでくださるんだよ。」
「そうかなあ。」
「そうだとも。だから、毎日、かみさまにおれいをいうがいいよ。」
「うん。」
ごんは、「へえ、こいつはつまらないな。」と思いました。おれがくりやまつたけをもっていってやるのに、そのおれにはおれいをいわないで、神さまにおれいをいうんじゃぁおれは、ひきあわないなあ。」


そのあくる日も、ごんはくりをもって、兵十の家(うち)へ出かけました。兵十は、物置でなわをなっていました。それで、ごんは、家(うち)のうら口から、こっそり中へ入りました。 そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねが家(うち)の中へはいったではありませんか。こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしにきたな。


「ようし。」
兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火なわ銃をとって、火薬をつめました。
そして、足音をしのばせて近よって、いま戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。


ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよってきました。家(うち)の中を見ると、土間にくりが、かためておいてあるのが目につきました。
「おや。」と、兵十はびっくりして、ごんに目をおとしました。
「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は、火なわ銃をばたりと、とり落としました。青いけむりが、まだつつぐちからほそく出ていました。
 
子どもの心に優しさ灯す
「ごんぎつね」は1956年に小学校国語教科書に登場して以来、半世紀以上、掲載され続けている不朽の名作です。
主人公は、いたずら好きの子ぎつね・ごん。ある日、漁師の兵十が病気の母親のために捕ったウナギをごんが奪ってしまいます。その後、兵十の母の死を知ったごんは、自分と同じ一人ぼっちになった兵十に、せめてもの償いをと、こっそり栗やマツタケを届けます。でも善意は伝わらず、悲しい結末を迎えます。
新実南吉は1913年愛知県半田市に生まれました。「ごんぎつね」を書いたのは1931年満州事変の起きた年です。雑誌『赤い鳥』の翌年1月号に掲載。この時南吉は18歳でした。南吉は病弱な母を持ち、自らも体が弱く1943年、29歳で結核のため亡くなった。
新実南吉は「ストーリーには悲哀がなくてはならない、悲哀は愛に変わる」の言葉を残しています。
「ごんぎつね」を読んで、ごんと兵十の心のふれあいを望みながら、悲しい結末に心をふるわせ、愛を感じとってくれる子どもたちへ。
「手袋を買いに」など数々の名作を残した南吉。
戦時下、多くの文人が戦争賛美の作品を書く中で、小さきもの、弱きものへの目線を失いませんでした。社会主義運動と接点があったことも、戦後、発掘されています。
アカハタ日曜版より

あなたへ・・・・・  いもとようこ
私が「ごんぎつね」に最初に出会ったのは電車の中でした。電車の揺れるたびに動く文字を読みにくいなあと感じながら追っていくうち、いつのまにか、どんどん話の中にひきこまれていきました。そして最後の行まできたとき、どっとこみあげてくる思いと涙で、頭をあげることもできず下車駅までずっとうつむいたままだったことを今も忘れることができません。
それから何度このお話を読んだことでしょう、最後の「青いけむりがまだつつぐちからほそく出ていました」というところは、なんと余韻を残す言葉でしょう。それはなんともやりきれない運命の悲劇を感じさせます。
この作品に出会って以来、いつか私も「ごんぎつね」を描きたいと思いつづけてきました。でもいつも「今はまだ描けない,描いてはいけない、私などが触れてはいけない!」この作品はそんな崇高さをずうっと感じさせてきました。
今回「ごんぎつね」を描かせていただくにあたり、正直いってこの気持ちは消えていません。
あまりにも多くの人に読まれ愛されている「ごんぎつね」それ故にそれぞれのイメージがあると思います。
でも、どれもみなそれぞれほんとうの「ごんぎつね」なのではないでしょうか。
私にとってこれほど描きたくて、描きたくなかった作品はありません。
みなさんのごんと兵十に愛をこめて
(「ごんぎつね」カバーのそでより)


ことばあそびの絵本

2021-08-27 | 絵本


文:石津ちひろ
絵:藤枝リュウジ

表紙裏:たしかにかかしにかしたかさ


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裏表紙裏

すっぱいパイナップルいっぱいたべておなかいっぱい

     漢字を当てはめてみたら・・・
     表紙:子猫にこにこ寝床で寝転ぶ
     表紙裏:確かに案山子に貸した傘
    1.昼にひらひら散る桜
    2.夜にはらはら舞う桜
    3.ほらを吹くフクロウは不幸なフクロウ
    4.みかんに近づき見つかる三日月
    5.深い海にぷかぷか浮かぶフカ
    6.空飛ぶ豚のたっぷりのお弁当
    7.バラの好きなゴリラリラの好きなゴリラランの好きなゴリラ
    8.カモメもカモもご機嫌ななめなのかも
    9.元気なペンギン機嫌よくペンキ塗り
    10. 身体が楽だからラクダに乗る
    11. 気晴らしにしばらく砂漠に行く
    12. 魚が囁くささやかな約束
    13. 傘ささない魚に傘さしかけた
    14. 私が渡した綿菓子逃がした
    15. カラスが借りたガラスのマラカス
    16. 着物着たママと着物着た姉のきままな豆まき
    17. お姫さまもお雛様も好きなお日さま
    18. 汗を拭き拭きうきうき雪かきの絵描き
    19. メガネが似合う女神が乗るウミガメ
    20. 野原でばらばらに咲く野ばら
    21. かなり明るい隣のカナリア
    22. シチューとチャーシュー麺を注文の几帳面な七面鳥
    23. セキセイインコは成績いい子
    24. カッコウ午後から学校ごっこ
    25. いつか解体外国の骸骨
    26. リングにころころ転がるりんご
    27. よく聴く究極の交響曲
     裏表紙の裏
     酸っぱいパイナップルいっぱい食べてお腹一杯

どうぶつのおかあさん

2021-07-02 | 絵本

どうぶつのおかあさん

小森 厚(こもり あつし):ぶん
藪内正幸(やぶうち まさゆき):え

おかあさんねこは こどもを くわえて はこびます。


おかあさんらいおんも こどもを くわえて はこびます。


おかあさんざるは こどもを おなかに しっかり しがみつかせて はこびます。


おかあさんちんぱんじーは こどもを だいて はこびます。



おかあさんこあらは こどもを おぶって はこびます。


おかあさんなまけものは こどもを おなかに のせて はこびます。


おかあさんかんがるーは こどもを おなかのふくろに いれて はこびます。


おかあさんぞうは こどもを はなで おして あるかせます。


しまうまのこどもは おかあさんの あとから ついてゆきます。


いのししのこどもたちは おかあさんのあとから かたまって ついてゆきます。


はりねずみのこどもたちは おかあさんのあとから いちれつになって ついてゆきます。



幼児絵本シリーズ:2才~4才むき






絵本:こうさぎシリーズ

2021-04-29 | 絵本






















ねむねむ こうさぎ
麦田あつこ・文 森山標子・絵























こうさぎ ぽーん
麦田あつこ・文 森山標子・絵

Mくん(甥っ子)、N子さん(お嫁ちゃん)赤ちゃん誕生、オメデトー
「初めて出会う絵本にどうぞこの絵本を・・・
先におばちゃんが読ませてもらいましたよ、何より感動したのはお母さんウサギの慈愛に満ちた優しい目。安心しきってる赤ちゃんウサギのホカホカの毛。この絵本見てて、おばちゃんは何回もウルウルしっぱなし・・・たいせつに読んで聞かせてあげてね」
Mくんより
「先程、絵本が届きました。
早速、春花が、読みたそうにしていた為、読んで聞かせました。春花は『こうさぎ、ぽーん』を読もうとしたら、『ねむねむ、こうさぎ』の方が好きなのかなあ、っと思われました。取り急ぎ、お礼のLINEを入れさせていただきました、ありがとうございます。ところで、おばちゃんお元気ですか?」
わんちゃんよりMくんへ
「元気ですよ~~赤ちゃんお誕生のお祝いに何が良いかなぁっと考えた末に絵本にしました、おばちゃんは図書館に行ったらまず、絵本コーナーで過ごします。今ね、嵌ってるのはグラウンドゴルフ、週3~4回の練習のほかに遠征もあったり・・・何かに夢中になることってエエことやないかなぁって頑張ってるところ。喜んでもらえて何よりです、ご丁寧にアリガトー、」
Mくんより
「絵本コーナーで図書館過ごすンすね~~グランドゴルフ週3~4回も練習して遠征も?マジすか!!頑張ってるンすね」
Mくんへ
「エイエイオーの心境で~す。可愛い天使たち、もう夢ン中かな?オヤスミナサイ」





ねこは るすばん

2021-01-04 | 絵本


MOE絵本屋さん大賞 4位入賞‼
Amazon絵本部門第一位(2020年10月6日付)

にんげん、でかけていった。ねこは、るすばん・・・・・
とおもいきや・・・・・?クスッと笑えて癒される大満足の猫の絵本。



ねこは、るすばん。とおもいきや、どこへいく?


ねこ、どこかにとうちゃく。おおきくのびをする。


とっても いいてんき。 ヒゲのむくまま きのむくまま。


ねこ、まずは のどをうるおす。 ねこじただから、フーフーフー。


ねこ、みだしなみを ととのえる。 うむ。これぞ プロのわざ。


猫、こう見えてもほんがすき。 これ、これ。このかどがたまらんのよ。


ねこ、きたいにシッポを ふくらませる。 わくわく わくわく わくわくわく。


ねこ、たまには ほんきをだす。 まぐろ、まぐろ、ぜったい まぐろ!


ねこ、あきらめが はやい。 ちゅうトロ、さびぬきでね。


ねこ、はらごなしをする。 じくあしに たいじゅうをのせて・・・・・


カッキーン


ねこ、きょうというひを まんきつ。 ハア~、ごくらく ごくらく。


さて、そろそろ かえるとするか。


ねこは るすばん、ねてばかり。 ひまでいいねと いわれるけれど。


ねこの るすばん、いそがしい。


おかえりなさい。



にんげん、でかけていった。
ねこは、るすばん。

さて、ここからは自由な一人の時間。のんびり存分に家でおひるねするんでしょ、いいなあ……とおもいきや。タンスの奥へゴソゴソ、ねこ、どこかへいくの?
着いたのは知らない場所。大きく伸びをしたかと思うと、ねこは2本足で歩きだした! カフェでコーヒー、床屋で身だしなみ、映画館では期待にしっぽをふくらませ、次に向かったのはなんと。
なんか。なんというか。
ねこ、ものすごく庶民的。
姿かたちは「ねこ」なのに、顔だって思いっきり「ねこ」なのに。
これじゃあ、私たちの休日と変わらない。
本気を出したくせにあきらめの早いねこは、回転寿司で舌鼓。腹ごなしにはバッティングセンター、おまけに……。
なんて表情なの。いや、これがいつもの姿なのか。
私たちの知らない猫の時間。
……ちょっとおじさんぽいけど、可愛い。
町田尚子さんの描く魅力的な猫の絵本、だけど何だか今回は様子が違います。触りたくなるような毛並みも、鋭い目つきも、愛らしいポーズも、そして美しく描かれた背景も、期待を上回ってくるその世界観。だけど、気づけば不思議と笑いが止まらないのです。
なんだ、なんだ? と思った方は、すぐにでも覗いてみてくださいね。おしぼりで顔、拭いてますよ。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)

朝日新聞朝刊一面に絵本の広告が時々載ってる、
「あっ!ふうちゃんやんか」こちらすぐAmazonに注文した。

大晦日

2020-12-31 | 絵本
今日は大晦日、お正月の準備を終えてノンビリしている方「それどころじゃないよ!」と大忙しの方、さまざまでしょうが、今夜の除夜の鐘ですべての人にリセットがかかります。人間にも百八の煩悩があると言われますが、除夜の鐘はその一つ一つを祓うため、同じ数だけ突かれます。
「“百八”そんなに煩悩があるのかなぁ・・・」とも思えますし、
「たったそれだけかしら」っと考えることもできそうです、いずれにしてもきっぱりと過去の自分には別れを告げて明日の朝は真っ新(まっさら)な新しい自分と対面したいモンです。過去と未来の間のこの一日、大切に過ごしたいですね。
古代ローマの哲学者セネカ⇒こちらの言葉です
『過去はもはや関係がなく、未来はまだ来ない』

朝日新聞朝刊一面に絵本の広告が時々載ってる、「あっ!ふうちゃんやんか」こちらと、すぐAmazonに注文した。





にんげん、でかけていった。ねこは、るすばん。とおもいきや・・・・・?
猫だってカフェに行くし、身だしなみを整える。
~あなたの知らない猫の世界。クスッと笑えていやされる、ねこ絵本。
町田尚子作  対象年齢:5歳から

新幹線のたび

2020-08-31 | 絵本
図書館では絵本のコーナーが好きです。
ぱらぱら~っとめくりながら絵を見ます、そのお話に合うた絵です、もちろん。
何冊か書架から手に取って閲覧コーナーで読みますっというか見ます。我が家の息子たちは乗り物、なかでも電車がダイスキ。幼稚園時代に近鉄電車に乗って通園してたんです。
朝、一か所に集まってお当番で二人の保護者が付き添って狛田駅まで送っていきます。狛田駅から新祝園駅までは子どもたちだけ、新祝園駅では幼稚園の先生が待っておられて、幼稚園まで付き添ってくださいます。男の子たちは運転手さんのすぐ後ろの場所が好きでそこに立ちたいんだけど、バラバラにならないよう、ガマンしてたんだって。
帰りは新祝園駅まで先生が送ってくださって、わんちゃんたちは狛田駅の改札で待ってウチの近くまで付き添って解散・・・という段取りでした。もう40年以上も前のお話ですが・・・
今は、幼稚園バスが運行されてるようです。

この絵本が目につきました
『新幹線のたび~はやぶさ・のぞみ・さくらで日本縦断』


おじいちゃんとおばあちゃんへ
げんきですか?
春休みになったら、あいにいくよ。
おとうさんと新幹線にのって、いくんだよ。
すごいでしょ!まっててね。
          はるかより

はるかちゃんのおうちは青森県。お父さんと新青森駅から東北新幹線『はやぶさ』の旅の始まりです。
新青森駅にはおかあさんと小さな弟が見送りに来てました。
おじいちゃんは鹿児島県に住んでます。
新青森駅を出発したらすぐに長いトンネル、新幹線のトンネルではいちばん長いトンネル『八甲田トンネル』※七戸十和田駅⇔新青森駅 26,455㍍(日本で最も長い陸上鉄道トンネル、2位はいわて沼宮内(ぬまくない)駅⇔二戸(にのへ)駅25,808㍍)
はるかちゃんは盛岡駅で秋田新幹線『こまち』の連結を列車の中からカメラでパシャ。
仙台を過ぎて福島駅では山形新幹線『つばさ』の連結を見ることができます。
郡山駅を過ぎて三つか四つ目に大宮駅に到着、この駅からは新潟までの上越新幹線『Maxとき』
長野行き長野新幹線『あさま』があります。
大宮の次は上野、その次が東京。
東京駅では700系、N700系、E2系、E3系、E4系、E5系などたくさんの新幹線を見ることができます。
ここで東海道新幹線『のぞみ』に乗り換え。
「わー富士山だ!」窓側に座ったはるかちゃんはカメラで富士山を撮りまくり。
※新富士駅⇔静岡駅間にある富士川鉄橋は、富士山を背景に新幹線を撮影できる場所として有名です。
名古屋を過ぎて京都、新大阪へ。
新大阪駅で、はるかちゃん撮影に大忙し。500系、700系、N700系等々。
ここで、山陽新幹線『さくら』に乗り換え。
神戸、姫路、岡山、広島と過ぎて新関門トンネルを渡り九州です。博多からは九州新幹線。
鹿児島中央駅に到着、おじいちゃん、おばあちゃんがはるかちゃんをお迎えに。

おかあさんとしんちゃんへ
いっぱい新幹線を見たよ。
すごくかっこよかった!
鹿児島は、あたたかくて、もう桜がさいてるんだ。
びっくりだね!もうすぐかえるから、まっててね。
はるかより

「今日ね、絵本『新幹線のたび』図書館で借りてきた、絵なんかも結構詳しく細かく描いてある」
「その絵本やったらウチにあるよ、鹿児島中央駅まで新幹線が走るようになって青森から鹿児島まで新幹線でつながった年にその絵本が売り出されてすぐ買うた、たしか東北震災の年(2011年第一刷発行)やった」
「え~っ ホンマに?どこにあるん?」
「ほらそこの棚に」「ホンマやわ~~、読みたいときいつでも手に取ることできるわ」

なまえのないねこ

2020-01-10 | 絵本

表紙


(名前のない)猫たち


Subタイトル


ぼくは ねこ。なまえのない ねこ。

だれにも なまえを つけてもらったことが ない。
ちいさいときは ただの「こねこ」だった。
おおきくなってからは ただの「ねこ」だ。

まちの ねこたちは、みんな なまえを もっている。

くつやさんの ねこは、レオ。
「ぼくの なまえは ライオンという いみなんだぞ」
レオは いつも じまんしている。

ほんやさんの ねこは、げんた。

げんたの げんは げんきの げんだって。
「げんちゃん、こんにちは」
おきゃくさんが かならず こえを かけていく。
げんたは みせの にんきものだ。

やおやさんの ねこは、チビ。

 「いやあ、これでも むかしは ちいさかったんだけどね」
 おおきな チビは ちょっぴり はずかしそう。

おそばやさんの ねこは、つきみ。

パンやさんの なかよしコンビは、ハイジと クララ。

きっさてんの ねこは、なまえを ふたつも もっている。

おばさんは「ミミちゃん」と よぶし、
おじさんは「しろまる」と よぶんだ。
どっちで よばれても、「にゃー」と おへんじ。

おてらの ねこの なまえは じゅげむ。

ながいきする えんぎのいい なまえなんだって。

「いいな。ぼくも なまえ ほしいな」

「じぶんで つければ いいじゃない。じぶんの すきな なまえをさ。
ねこ いっぴきぶんの なまえくらい、さがせば きっと みつかるよ」

すきな なまえ すきな なまえ。まちを あるきながら、ぼくは さがす。

かんばん。やじるし。くるま。じてんしゃ。ほんじつとくばい。ちゅうしゃきんし。
どれも ちがう。ちょっと ちがう。ぜんぜん ちがう。

「あら、タローくん、ひさしぶり」「モコちゃん、げんき?」

いぬにも なまえが ある。
「この ダリアと ガーベラ きれいね」
はなにも なまえがある。

のらねこ。きたないねこ。へんなねこ。そんなのは なまえじゃない。

こら!!あっちいけ!!しっしっ!!
そんなのは なまえじゃない

なかなか やまない あめ。あめ、あめ、あめ。

こころの なかが あめの おとで いっぱいになる。

「ねえ。おなか すいてるの?」

あ。
やさしい こえ。いいにおい。
「きみ、きれいな メロンいろの めを しているね」


そうだ。 わかった。
ほしかったのは、なまえじゃないんだ。

なまえを よんでくれる ひとなんだ。


「おいで メロン」


「おや、みんな、ねこちゃんたちに なまえがついてる」

わんちゃんがよくよく見ると、右のページの一番左の上「フウタ」って居るじゃない?
きっと茶トラだわ、ウチの「ふうちゃん」とおんなじのが居る居る居るヨ。


裏表紙