【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

フクジュソウ(福寿草、学名:Adonis ramosa)キンポウゲ科

2021-02-27 | 折々の花~お庭編~
別名:元旦草。賀正蘭。献歳菊(ケンサイギク)。報春花(ホウシュンカ)長寿草。福徳草。朔日草(ツイタチソウ)。歳菊。側金盞花(ソクキンセンカ)。

雪の中から咲く花。旧暦の正月の頃に咲き始め、貝原益軒は福寿草と共に元日草の名を記す。現代も正月に鉢植えを飾るが、それは秋に掘りあげて促成栽培したもの。岩手や青森では、マンサグとかツチマンサグと呼ぶ。「土からまず咲く」の意。盃状に半開きの花弁は太陽光を受けやすい、その花弁を使って日光を花の中心に集め、その熱で虫を誘引している。その為、太陽光に応じて開閉(日光が当たると開き、日が陰ると閉じる)する。
コンペイトウの様な実をつけ梅雨前に地上部が枯れ休眠します。つまり初春に花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラルである。
スプリング・エフェメラル (Spring ephemeral)とは、春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとは地下で過ごす一連の草花の総称。. 春植物 (はるしょくぶつ)ともいう。. 直訳すると「春のはかないもの」「春の短い命」というような意味で、「 春の 妖精 」とも呼ばれる 。.

行く先々で福寿草に出会うとついついカメラを向けてしまうわんちゃんなんです。




 



 




2021年わんちゃんちの庭で

『地に低く幸せありと福寿草』 保坂伸秋
早春の花のうち、多くは黄色い花と言われる。その筆頭が福寿草。白雪の大地から真っ先に顔を出すことから、”春を告げる花”として知られる。
まだ寒さが残る時期に花を咲かせるため、花粉を運ぶ昆虫が少ない。そこで、福寿草は太陽に花を向ける。花びらは太陽光を反射しやすい形をしており、花の中央部の温度は気温よりも高くなる。それが虫たちを引き寄せる。
聖教新聞 2021年3月8日一面『名字の言』


2月22日 にゃんにゃんにゃんの日

2021-02-23 | デジカメ日記


2月22日 朝日新聞朝刊第一面 絵本の広告より
ねこは るすばんこちら

ネコに流れるトイレ 夢かなった ドリカム中村さん発案


「猫の日」2月22日、大和ハウス工業は猫用のユニットバス「ネコレット」を売り出したと発表した。
ネコレットは下の部分が猫用の水洗トイレ、上の部分が猫のシャンプー用シンクになっている。水洗トイレは、市販の砂が入ったトイレをかぶせて使う。落ちた尿を水洗で流し、飼い主がペットシーツを交換する手間をなくせる。
センサーで猫の動きを検知し、自動で流すこともできる。フンは従来通り、砂と一緒に処理する。シャンプー用シンクは猫を洗いやすいよう、深めに設計したという。価格は税込み36万3千円。新築やリフォームなどを含め、年間500戸への導入をめざす。ネコレットの発案者は、人気バンド「DREAMS COMETRUE(ドリームズ・カム・トゥルー)」の中村正人さん。猫3匹を飼っていて、すでに利用しているという。同日の発表会で「猫用トイレの環境を保つことが大変で発案した。これまでのトイレからの移行もスムーズで、猫たちにもストレスは見られなかった」と語った。(栗林史子)朝日新聞朝刊 2月23日6面経済


絵手紙 二月 山茶花・蕗の薹・手袋

2021-02-19 | 絵手紙

山茶花 Mさんちのお庭から

「さざんか」ときたら思い出すこの歌こちら

手袋

この手袋はとっても優れもの、裏はモフモフでチョーあったかい、
親指、人差し指、中指と色が違うのは手袋したままでスマホが使えます。

蕗の薹

「コレって何処に咲いてたん?」
「ウチの庭の隅っこの方で咲いてた、毎年忘れやんと出てくるのよ」
っとHさんのお庭から
晩御飯に天ぷらで早春のお味をいただきました。

マスクの材質について
『二重マスク』が増加中 専門家「効果2倍ではない」 
新型コロナウイルスの感染対策で、マスクを2枚重ねて着用する動きが広がっている。ウレタンマスクや布マスクだけでは機能に不安があるとして、効果が高い不織布マスクを重ねることが多く、中には不織布マスクを二重にしてさらなる予防効果を期待する人も。
専門家は、おしゃれや肌荒れ対策に使用には理解を示した上で、「重ねても2倍の効果になることはない」とくぎを刺す。
2倍重ねを選ぶ理由は他に、不織布マスクを直接着けると肌が荒れるとして、内側にウレタンや布マスクを着ける人や、効果が増すと考えて不織布を重ねる人もいる。
こうした動きについて、東邦大看護学部の小林寅喆教授(感染制御学)は「肌荒れやおしゃれが目的で不織布マスクを重ねるのは構わない。予防効果は上がる」とした一方、「不織布を重ねても2枚分の効果はない。せいぜいプラスアルファ程度」と指摘する。
不織布が外でも内でも、順番で効果は変わらないとした上で「不織布マスクを密着させるように着け、隙間を作らないようにすることが、効果を発揮する上で大切だ」と述べた。

いちごサロン フクロウのブローチ

2021-02-16 | いちごサロン



はやり病が私たちの生活を脅かしていますが皆様、お元気でしょうか?
2月はフクロウのブローチの制作になります。フクロウは福来郎=福が来るや、不苦労=苦労しないなどの縁起のいい当て字があてられ「福が来る」「苦労がない」などを願った縁起物として知られていますね。


始めに材料がセットされてるのをいただきました.


ふくろうの背中側とお腹側を中表に合わせチクチク丁寧に縫います。
ひっくり返して先っちょを折り、留める(黄色で嘴なカンジに)


ワタを詰めます、隅々までいきわたるように竹串で丁寧に詰めていきます。


底を縮めて縫い合わせ、目を布用ボンドで貼り付ける。
大:横3cm 縦3.5cm 小:横2cm 縦2.5cm

二つ横に並べて背中側にピンを縫い付ける。糸を枝に巻き付けてフクロウを付ける。
これでフクロウ・ブローチの出来上がり、愛用のカバンに取り付けましょうか。
あまりに可愛いのでもう一個作りましたよ。


明鏡止水の花姿

2021-02-11 | 折々の花~お庭編~


『梅、咲きました』のパンフレットが新聞の折り込み広告に入ってました。

明鏡止水の花姿
いにしえの日本では、花と言えば早春を感じさせる『梅』でした。梅をテーマにした芸術や文学、伝説がたくさん残っているのもそのためでしょう。それだけ梅は、日本人に愛され身近な花であり、私たちはその優美で気品ある花姿に魅力を感じてきたと言えます。
冬の寒さをじっと耐え、時季がくれば可憐な花をひとつ、ふたつ・・・と静かに咲かせる姿は、『華麗』というより『清廉』で凛とした印象を与えます。
この花姿が、日本人の美意識や感性を揺さぶるのではないでしょうか。
花姿に負けない優美な香りと共に、今もなお私たちの心を魅了する梅の数々に今年も会いに行きましょう。けいはんな記念公園管理事務所・パンフレットより

どんな咲き具合かなっと行ってきました。
くるりんバス『アピタ・コーナン前』で降りて、テクテク、けいはんな公園芝生広場はこの寒い時季なのに、親子連れが楽し気に憩う姿が遠目に見えてました。


冬枯れの木は全部、桜の木、桜の頃のけいはんな記念公園こちら
 
けいはんな記念公園芝生広場でツグミ(左)とハクセキレイ(右)に出会いました。
 


水景園に向かう小川沿いの斜面に梅の木、白梅がふっくらと咲いてます。






水景園の入り口近くにも白梅の木が並んで居ました。



入り口の棚にちっちゃなお雛さまが飾ってありました。

可愛かったです。
「もっと、大きなのが観月楼の中に飾ってありますよ」っと、
スタッフさんがおっしゃってました。あの時の?こちら










えっ?『明鏡止水』って、どういう意味?
「明鏡」の由来
まず、「明鏡」に関するエピソードを紹介します。
古代中国には、共通の先生のもとで勉強する2人の生徒がいました。
1人は、子産(しさん)という人物です。宰相(さいしょう)の立場であった彼は、いつも自分の高い身分をひけらかしていました。
もう1人は、申徒嘉(しんとか)という人物です。彼は元犯罪者で、足切りの刑を受けたために片足がないのです。
子産は、自分よりも身分の低い申徒嘉と同席して勉強することを嫌がりました。
しかし、申徒嘉は「同じ先生に師事する以上は、自分と子産の関係は対等である」と考えていました。そこで、子産に対して「鏡が明らかであるのは、塵や曇りがないからだ。反対に、塵や曇りがついている鏡は明らかでない。」と言いました。
この言葉を易しく言い換えると、「まっさらな鏡は綺麗だが、余計なものが付着している鏡は汚い」という内容になります。申徒嘉は、「鏡についた塵や曇り」を子産の心ににたとえたのです。つまり、「外見や地位で人を見極めるのは、やましいことである」という指摘がこめられています。
このエピソードから、「邪念が一切なく、心が澄み渡っていること」を表す「明鏡(明らかな鏡)」という言葉がうまれたのです。
「止水」の由来
次に、「止水」に関するエピソードを紹介します。古代中国に、王駘(おうたい)という人物がいました。彼は、かつて足切りの刑にあったことがあるため、片足がありません。
通常、受刑を経験した人は、周囲から「身分の低い人」「いやしい人」とみなされてしまいます。しかし、王駘には大勢の弟子がいたのです。
これを知った孔子の弟子は、孔子に「なぜ王駘は多くの人に慕われるのでしょうか。」と問いました。すると、孔子は「人は、流水ではなく止水を鏡とする。だから、不動の心をもつ人物は周囲に安らぎを与えることができるのだ。」と答えました。
孔子の言葉を分かりやすく言い換えると、「流れが止まっている水は、人を引き付けて安らかな気持ちにさせる」ということです。このエピソードが由来となって、「止水」は「静かで穏やかな様子」を指すようになったのです。
このように、「明鏡」は、「一切の邪念がなく、澄み渡っている気持ち」を指し、「止水」は「静かで穏やかな状態」を指します。したがって、この2語が組み合わされた「明鏡止水」は、「一切の邪念がなく、穏やかで澄み渡った気持ちをもつこと」という意味なのです。







夕焼け

2021-02-04 | デジカメ日記
「立春にもなると、日暮れがちょっとゆっくりやなぁ」っとカンジるときがある、散歩に出るのがちょっとでも遅かったら途中で真っ暗になってたのに、最近ではキレイな夕焼けに出会うことができる。


17:20木津川堤防から

山の向こうのこんなんに出会うと、思い出す歌がある
♬あれをご覧よ 真っ赤な夕陽 落ちてゆくのに まだ燃えている♬ 
南部蝉しぐれ 歌:福田こうへい
ホンマやわ~~っと感心してドボッと夕陽が落ちた後、眺めてるわんちゃんなのです。

今日の朝刊から
網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)で視力を失った友が「感動しました」と記事(読売新聞オンライン1月26日付)を送ってくれた。同じ病で全盲になった壮年が、10年以上、地元の小学生に支えられてバス通勤をしているという内容である。
視力が低下してバスの乗り口を探すにも苦労していたある朝、停留所で少女の声がした。「バスが来ましたよ」さらに「乗り口は右です。階段があります」同じバスで通学する児童だった。
以来、少女は壮年を毎日サポート。彼女が卒業してからは、別の児童が支えた。
「おはよう」「寒いね」そんな会話が壮年の楽しみになった。手助けしてくれる児童が休みの日には、ほかの子が代役を担った。
目の前で困っているとはいえ、見も知らぬ大人に声を掛けることは、小さな子にとって大きな勇気がいっただろう。さらに今はコロナ禍により「フィジカルディスタンス(身体的距離)」を保つことが求められる時だ。その中で、子どもたちのたくましい「優しさ」は、人間として大切なことを教えてくれる。
体の距離が必要だからといって、こころの距離まで遠ざけない。それが「ウイルスに負けない」挑戦の一つだろう。小さなことでもいい。他者を思う一人一人の行動が積み重なれば、もっと豊かな社会が見えてくる。
(1月4日 聖教新聞朝刊:将)
今日1月5日、夕方のNHKニュースほっと関西あのとき支えてくれた『小さな手のリレー』の物語
の少女たちがおじさんと、出演してはった。
和歌山大学教育学部付属小学校の児童たちだった。
「困ってる人のお役に立ててうれしい」と、コメントしてはった。