【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

東海自然歩道・槇ノ尾~清滝~嵯峨 2018-12-7

2018-12-29 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング(SKW)

JR京都駅前バス停JR3乗り場から高雄・京北行き乗車 槙ノ尾バス停下車
西明寺こちら拝観から
槙尾(まきお)山と号し、真言宗大覚寺派の準別格本山である弘法大。師の弟子智泉が開基し、鎌倉時代建治年中(1275~1277)和泉国槙尾山の自証上人が中興した。その後衰微し現在の堂舎は元禄12年(1699)徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院と伝える清涼式釈迦像である。この地を槙尾といい、上流の栂尾、下流の高雄とあわせ世に三尾(さんび)と称し、いづれも紅葉の名所として知られる。右京区梅ヶ畑槇尾町




見事に苔むした灯篭

鐘楼

ユズリハの木

苔の上に散ったもみじ

境内の真ん中に植えられているご神木の”高野槙(こうやまき)“です。



樹齢は700年以上で、日本最古の高野槙の木と言われています。
西明寺から神護寺へは歩いてすぐのところ。







神護寺で思い出すのはこちら
こんなこと思い出しながら清滝橋の方へ歩き清滝川沿いの休憩所でお弁当タイム。
清滝バス停からバスに乗って??じゃなくって、



散り残りのもみじ

「わんちゃん、ほら上を見てごらん!!」







町並み保存館

化野念仏寺まで歩き、またそこから釈迦堂清凉寺へ歩き、

↑ 釈迦堂清凉寺

ここで解散、歩いてJR嵯峨嵐山駅まで⇒JR京都駅⇒近鉄線
化野念仏寺からのコースはこの秋の紅葉狩りのコースと一部分かぶってましたこちら
釈迦堂清凉寺の山門を出てすぐ左の森嘉(もりか)こちらに立ち寄って飛竜頭(ひろうず)をお土産に買いました。お豆腐を買われた方も結構おられました。ここは新幹線で買いに来られる、お得意先には京都駅まで配達っと聞いたことがあります。

ちなみに三尾(さんび)の名刹とは⇒いずれも紅葉で超有名
槇尾(まきのお):槇尾山西明寺
高雄:高雄山神護寺、
栂尾(とがのお):栂尾山高山寺 こちら

わんちゃん的には、「忙中閑あり」の環境下です。
諸般の事情が重なり、健康ウォーキングや植物観察会の記事が遅れてしまいました。
ちょこっと、旬を過ぎた感がありますが、アップしていきたいと始めてます。
「ぼちぼち行こか・・・」なので、知らんまにお正月になってしまうかも・・・



冬に聴きたい・歌いたい歌

2018-12-26 | 映画・演劇・ミュージック・コンサート

冬物語:チョーヨンピル

ダイスキな歌手の一人です。
この前の発表会でこの曲を心を込めて歌ったわんちゃんです。

冬が来る前に:紙ふうせん


恋人よ:五輪真弓


津軽のふるさと:松原健之
こちら

津軽恋女:新沼謙治
こちら

冬の色:山口百恵


雪の華:中島美嘉


雪化粧:テレサ・テン
こちら

冬の歌:kiroro


雪が降る:アダモ


雪の朝:グレープ


ゆきやこんこ:童謡


冬の夜:文部省唱歌


冬景色:唱歌


冬の星座:白鳥英美子 ⇒こちら

冬の歌、集めてみました、今の時季になると必ずカラオケで歌う歌もあります、中学生だったころコーラスした歌もあります。

絵手紙:年賀状&寒中見舞い

2018-12-22 | 絵手紙
11月の二人絵手紙会の日のことでした
「11月のモチーフ、何が良い?かな?」
「やっぱり年賀状でしょ?」
「来年は亥年やね?」
「そう、イノシシの置物とかあるよね、そやかてイノシシって・・・」
それで、ちょっとかわいく描いてみましたのわんちゃんです



「コレ、何に見える?」長男に聞いてみた
「ブタにしか見えんなぁ、そやけど、年賀状のつもりなんやろ?大きく己亥(つちのとい)と赤文字で描いてはりますなぁ・・・」「う~~ん」

「12年前のノシシが出てきたコレはアカンかなぁ」


「ふ~~ん、コレはまさしくイノシシや、12年前に描いたん?で、年賀状に使ったんか?それやなかったら、こっちの方が断然エエで」
「12年前に使ってる、黙って内緒にして使おか?やっぱりアカンかなぁ」
「12年前にもろた人たち、歳とってはるやろし、覚えてはらへんと思うよ、断然そっちの方が迫力あるなぁ、そやけど、コレも捨てがたいなぁ、どや、キバを描き加えたら?」


っと、出来上がったのがこちら。
それと、年内に喪中はがきいただいた方たちに年明けに寒中見舞いポストインしよう。
毎年恒例、わんちゃん手作り吊るし柿もモチーフに

絵手紙二人会の相棒Hさんの作品も・・・

いわさきちひろ

2018-12-15 | 絵本
いわさきちひろ:画家で絵本作家
1918年(大正7年)12月15日福井県越前市生まれ 今年生誕100年 
いわさきちひろの絵は、とってもやわらくて、決して主張するタッチや無いねんけど、どっか印象に残る作風・・・子供たちを描いた水彩画、ホンマに癒されます。そんなとこがダイスキなわんちゃんです。
東京と安曇野に「いわさきちひろ美術館」があります。

わんちゃんの周りにも、いわさきちひろファン多いです、色とりどりでお母さんの優しさっというのがイメージされるホンマにそんな絵。
わんちゃん的には東京か長野ッとばっかり思ってました、福井県出身やったんや。
ちひろの生まれた家記念館⇒こちら
お父さまは陸軍築城部建築技師、お母さまは女学校の教師。彼女には二人の妹が居ます。
一家はその後東京に引っ越しますが、ちひろが見当たらない時は地面に描かれた絵をたどっていくと必ず見つかったと言われていました(小さいころから絵がダイスキやったんやなぁ)
小学校入学前に児童雑誌「こどものくに」に描かれた大きな満月と月見草を見て「いつか自分もこんな絵を描きたい」っと、思ったそうです。(自分の未来を予言していそうなカンジ)
しかし、現実はそう甘くはなかったみたい・・・
女学校時代はスキーや登山も楽しみ14歳で洋画家・岡田三郎助の画塾に通い本格的に絵を学び始め、17歳になると洋画展で入選するようになり、当然女学校を卒業後は画家になりっと自分では思っていたそうです。しかし当時は女性の幸せとは結婚することでした。なので、三姉妹の長女であるちひろは養子をとって家を継がなければならない・・・
結局、二十歳の時婿養子を迎え結婚、夫の赴任先である大連へ赴きました、ところがこの結婚はわずか2年で・・・離婚? いえいえ、夫が自殺。
何があったんでしょう?夫婦間のことはうかがい知ることはできないけど、ただ、ちひろは「夫のことは愛することができず、そばに寄ってきても鳥肌が立つ」っと妹たちには話していたそう。
なんか辛いハナシやなぁ・・・そやかて、パートナーを亡くすっちゅうんは寂しかったやろなぁ、ショッキングなこと。
1941年22歳のちひろは夫の遺骨を抱いて一人帰国します。時代が戦争へと進む中、彼女は書道教師として再び中国へ渡ります、しかし戦局が悪化し帰国。1945年5月東京で空襲に遭い、家も大切にしていた絵本も描き溜めた絵も、そして可愛がっていた猫も一瞬にして失ってしまいます。
8月疎開先の松本で終戦を迎えました。
終戦後東京に戻ったちひろは、日本共産党宣伝部芸術学校に入ります。
1947年28歳で『紙芝居・おかあさんのはなし』を描き画家として生きていくことを誓います。
同じころ彼女は一人の男性と出会います。
7歳年下の松本善明「僕は世の中で一番苦しい人たちと一緒に歩いて行こうと決めたんです」と言う言葉に心を打たれ結婚。司法試験合格を目指す夫を経済的に支えました。
さらに1951年には長男も誕生。家事と育児だけやなく、一家を支える大黒柱でもあるちひろの負担は相当なモンやった。結局生後間もない長男を長野県に暮らす両親に預けています。それでも時間を見つけて長野に通い愛する我が子との時間を過ごしたちひろは10ケ月と1歳の赤ん坊をモデル無しでも描き分けることができたそう⇒わずかな成長も見逃さない、それだけ子供の成長した姿を脳裏に焼き付けていた。
子供と過ごす時間は「長さ」ではなく「密度」かもしれない(ホンマやわ)
やっと、夫・善明は司法試験に合格し1952年夫婦は東京上石神井(かみしゃくじい)に居を構える。
この場所が現在の『ちひろ美術館・東京』⇒こちら

弁護士になった夫は1967年に衆議院議員に、ちひろは絵本作家として忙しい毎日を過ごしていた。
そんな時、ベトナム戦争が勃発します。戦争で亡くなっていく子供たちに心を痛めたちひろは1972年『戦火のなかの子どもたち』の制作をスタートしますが、彼女自身が病に倒れてしまいます(心身ともにムリがたたったんやなぁ)
それでも、絵筆を持ち1973年絵本を出版。



翌1974年55歳の若さでこの世を去っています。
『戦火のなかの子どもたち』におさめられている「焔のなかの母と子」は彼女が描いた作品の中でも唯一と言われる怖い顔をした母親が描かれている。
「母さんといっしょに もえていった ちいさなぼうや」
迫り来る焔から子どもを守ろうとする厳しい表情の母親に対して、
腕のなかのあかちゃんはどこまでもあどけない。



『戦火のなかの子どもたち』きっと自身の戦争体験が大きく影響しているのでしょう。
戦争への怒り、平和への願いがこもった一冊、わんちゃんの手元にあります、ぜひぜひ皆さんにも読んで欲しいと思います。
ここで、わんちゃん的には『ちひろ美術館』に行ってみたく考えてます。
♪は~る~まだ浅い~ 信濃路へ~~♪
⇒こちら

なので、行くなら『ちひろ美術館・長野』でしょうか・・・それも春に。
ちなみに8時ちょうどの あずさ2号では現存しません。
8時ちょうどの新宿発は「スーパーあずさ5号」です。

黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』挿絵はちひろさん

部屋の本棚に並んでます。
他にも「いわさきちひろ」の本が並んでます

大切な人を亡くしたとき・・・
哀しみをこえて生きる勇気を与えてくれる”いのちの詩”に、ちひろの絵がつきました。

はじめてのなつやすみ  いわさきちひろ・おはなしえほん~夏~


子どもの心を見つめた画家:いわさきちひろ   別冊太陽 2007年4月

巻頭には
あどけない顔、笑った顔、ぼんやりした顔、考えてる顔。
いわさきちひろが描き続けたのは、
好奇心と夢にあふれた子どもたちの世界。
だれでも、ちひろの絵のような子だったね。

「LINEで福井新聞の抜粋なんかをたまに読むんだけどこんな記事があったのを思い出した」
っと、福井県出身で時々福井新聞をLINEで読んでる友人からの情報
『いわさきちひろのババロア再現』⇒こちら

【おまけ】
1世紀企業:2018年に創業100年を迎えた有名企業             
ニチバン Ж セロハンテープ、ラベル
パイロットコーポレーション Ж ボールペン、万年筆
パナソニック Ж 家電、住宅、電池
ホーチキ Ж 火災報知機、消火システム
象印マホービン Ж 炊飯器、ステンレスボトル
松井証券 Ж 株式の販売
関西ペイント Ж 建築、自動車用塗料
シチズン時計 Ж 腕時計、工作機械
帝人 Ж 繊維、医療機器、フィルム
神戸屋 Ж 菓子パン
2018年12月20日 朝日新聞:朝刊




紅葉だより 最終章 光台散策 2018.12.02

2018-12-10 | 折々の花~散歩道で~
もう、今の時季になると木々の葉っぱは地面に落ちて虫たちの良い休息場所になっているのかな?



11月25日に光台遊歩道の紅葉だよりいただいて、次週日曜日(12月2日)のグラウンドゴルフの練習後に光台遊歩道から精華大通り歩いてきました。


黄・紅・緑のグラデーションが見事・・・




スマホで、カシャカシャカシャ、撮りまくり・・・
 

 


ドウダンツツジ

  

少しだけ散り残りの真っ赤な葉っぱの木は?実も付いてます。

モミジバフウ(別名:アメリカフウ)

ホトトギス
 

民家の庭に皇帝ダリア

このお花はホンマに青空がよう似合いますなぁ
精華大通りに出るとメタセコイアがキレイ・・・


精華大通りのメタセコイア=こちら

ここで、コーナン辺りまで歩いてUターン、東光小学校へ。
愛車がお待ちかね・・・


紅葉だより PART2 2018.11.26(月)

2018-12-03 | 折々の花
「そうだ京都、行こう」こちら
というJR東海のキャンペーンポスターがあります。
今年は京田辺市の一休寺です。
何年か前に「宝筐院」があったそうです、永観堂も東福寺もね。
わんちゃん的には2011年に「宝筐院」行ってます。
こちら
もういっぺん宝筐院に行ってみたく思った。
そうだそこまで行くのならお墓参りもしてこよう。
嵯峨野の釈迦堂清凉寺内嵯峨薬師寺から歩いてお墓(六尊坊)まで、そしてお墓守りさんとこへ供花をいただきに・・・
お墓守さんのお宅から、すぐのところに、いつも息子たちがカメラ構えてる山陰線の陸橋がある、橋の上からふと線路の西方向を見るとトロッコ嵐山駅にトロッコ列車が停車中、スワッ!っとカメラを構えた。





お墓のエリアはとても静かでした、平日なのでお詣りする人もわんちゃんぐらい。
年末・春秋のお彼岸・お盆・石楠花忌とお参りしますが、季節外れのお参りに、お墓の中のメンバーもさぞやビックリ仰天。
「よお おこしやすぅ」とでも・・・
お墓参りを終えて宝筐院の方へ歩いて・・・
宝筐院(こちら)は釈迦堂おもての西南角辺りに位置します

山門を入るとスゴイッと、言う言葉以外に何がありましょうか・・・の心境。





木造十一面千手観世音菩薩立像










お墓

向かって右  小楠公:楠木正行(くすのき まさつら)
向かって左  足利義詮
    
クチナシの実                 ヤノネボンテンカ


宝筐院の紅葉にカンゲキして宝筐院を出てから、ぶらり嵯峨野路を散策、化野(あだしの)念仏寺に辿り着いた。

化野念仏寺


空海(弘法大師)が五智山如来寺を建て野ざらしの遺骸を埋葬。のち法然が念仏道場としてから今の寺名に改めた。本堂は1711年(正徳2)寂道上人の再建。境内8,000体の石仏・石塔群は、化野に葬られた人たちの墓で、毎年8月23・24日に灯明をあげ、幽玄な千灯供養を行う。浄土宗。
(念仏寺HPより)
もう50年以上前に来たことがあった、辺りの様子は変わっただろうに、まるっきり覚えてない、その頃は石柱の垣根なんか無かったし拝観料など要らなかった。
今はしっかり払いました。




















本尊 阿彌陀沸:鎌倉時代
伝:湛慶作

そろそろ、お昼な時間、念仏寺を出てちょっと歩いたところに.泉仙がありました。
何年前になるかな?次男と一緒に大徳寺・大慈院・泉仙(こちら)の鉄鉢精進料理を賞味したことがありました。
「ここの場所で泉仙の鉄鉢精進料理を味わえる?」思わず中に入りました。





鉄鉢とは、僧侶が托鉢(たくはつ)で食物などを受けるのに用いる器のことです。大小の鉄鉢で出てくる料理を頂いた後は、鉄鉢を重ねることでコンパクトに一つに収まります。
美味しくいただきましたのは言うまでもないこと。
ぶらぶら歩いて嵐山の方へ、まぁ~~な・ん・と、休日の心斎橋を歩いてるみたい、人が多い。
「そらな、京都は観光都市なんやしぃ、どこ行っても空(す)いてたらカンジでぇへんやんか」と、思うわんちゃんなんですが・・・


渡月橋の向こうに見える嵐山はキレイでした。



紅葉だより PART1

2018-12-01 | 折々の花
わんちゃん宛にA子さんから旬のお便り届きました

第一報
10月初旬「姥ケ平紅葉」が届きました

 姥ケ平の少し上の方

2018年初の紅葉だよりです。

第二報
10月下旬「夜叉ケ池」




ここは夜叉ケ岳登山への途中なの、福井と岐阜の県境にある、標高1,100mの地点にある池なんだけど、この池を上から見ようと思ってシンドイ道を登って撮った写真はどうかしら?



池の左上、一番奥が「三周ヶ岳」池の向かって右の稜線を登るんだけど、キレイに見えているけどね、北陸地方特有の笹薮の道を行くことになるのよ、タイヘンなのよね、今回は止めにしたわ。

第三報11月25日(日)光台遊歩道

わんちゃんキレイでしょ。

我が家から歩いてちょっとのところ、天気が良かったので紅葉撮ってみたの、何色ものグラデーションがステキよね、青空がとてもよく似合ってるでしょ?わんちゃんも天気のいい日に見に来てね。

第四報11月30日(金)

天理に用事があってね、銀杏がスッゴイキレイかったの思わず写メ。
時間があったのでちょっと、石上神宮までお散歩したわ。

わんちゃんにプレゼント

わんちゃん編
11月10日(土)
 井手町大正池に行ってきました。
バンガローがあったりそこでバーベキューができたり「楽しいとこやなぁ」っと思いました。

池の周りを散歩してみました、

逆光に紅葉がとてもキレイでした。

同じ紅葉の木も対岸から撮ると順光になって全然違って見えました。
紅葉だより続く