【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

けいはんなプラザ日時計広場から国立国会図書館関西館見学

2017-08-25 | せいか小さな旅

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
ふるさと案内人と行く『せいか小さな旅』は『22日の9時』集合です!!
「どこ行かはるのですか?」「ハイ、ちょっとそこまで・・・」

けいはんなプラザ日時計広場9:00集合


徒歩で国立国会図書館関西館へ移動なんですが、まだ、少し時間があるということで、「ふるさと案内人」のMさんが「けいはんなプラザ日時計」についてお話をされました。
それによりますと、なんと1995年、文字盤に当たる部分の面積が世界一、ということでギネスブックに登録されたって・・・
ギネス成立の経過
①1990~1992年にかけて、けいはんなの前庭空間に「モニュメントを含む広場」という国際的競技が行われた。
②作品の応募:世界26か国より306件(日本189件、海外116件)その結果、箕原氏の案が採択された。
③完成:1993年 工期:1992年6月~1993年3月

設計者(箕原真:箕原正デザイン研究所)の日時計への思い。
「地球的視野が可能な時代に、けいはんな丘陵に相応しいものとして『日時計』が浮かんだ。古代遺跡等でも、天体の動きを捉えてそれを形にしているものには霊感さえ感じる。」そういう憧れから、その場に立つと空間的に地球を感じ取れるものを作りたい、という思いで提案された。

けいはんな日時計のしくみ
地球上で人々は、それぞれ違った地面に立っていて、同じ太陽を違った角度から見ている。それが、日の出、日没の違いや日射量の違いを生じている。
ここの広場は、異なる3地点(けいはんな、佐世保、宮古)の地面を、そのままの傾斜角度で重ね合わせた日時計になっていて、各地面にそれぞれの真太陽時(地方時)と、共通の日本標準時を刻んである。
それほど離れていないこの3地点だけでも意外に差がみられる。この広場に立って、地球の丸みを現実のスケールとして、身体を通して感じ取ることができればと思う。

日時計の針
日時計の針は地軸に等しく、太陽がこれを中心に回っているように見える。地軸は、地面が違っても同じ一つのものであり、各地面から見た角度が違うだけである。
針は真北方向に向かっていて、夜は針(地軸)に沿って北極星に向かって緑色のレーザー光線が発射され、それを中心に星空が回転しているように見える。
なお、レーザー光線は1996年に機械が故障しそのままになっていたが、2012年、地域の企業グループ、住民など有志の方々の協力により、16年ぶりに復活し、日没の30分後から午後10時まで、毎日照射されている。
せいか小さな旅:ふるさと案内人さん手作りのパンフレットより引用させていただきました。


日時計の針の影が、ちょうどその時刻(8時43分)を指してました

けいはんな(京都府)北緯34.45度 東経135.45度
佐世保  (長崎県)   33.09度 129.44度
宮古   (岩手県)   39.39度 141.58度
ここの日時計は地面の色で上記の3地点の時刻がわかるようになってます。
日の出は宮古⇒けいはんな⇒佐世保の順でしょうか?

けいはんな日時計のお話のあと「こんな暑い時期ですから、涼しい場所での見学会を企画しました」っと、国立国会図書館関西館へ徒歩で向かいます。







国立国会図書館関西館参観
国立国会図書館関西館を利用するにはまず最初にこちら

館内は写真撮影禁止
いろんなところ案内していただき、ランチタイムには4階のカフェテリアへ




午後は PCの前に腰かけて実際に本を借りるっという体験にチャレンジ
わんちゃん的には、実際に本を借りれるっというのは想定外「え~~っと、田中澄江さんの花の百名山に決まりかな」っと、順番に検索して閲覧室受付まで・・・
もう、「花の百名山」はお待ちかね。
「あのう、いつまで借りられます?」「館外に持ち出しは出来ません、こちらの方で・・・」
だったんですよ。
ページをパラパラ~ッとめくってみると、文字がいっぱい、写真はあんまりなかったような、花の百名山ごと咲いてる詳しいお花の説明があります「コレはじっくりとウチで読む本だわ」
はじめて見学ツアーに参加して「登録利用者カード」を交付していただき、むこう3年間有効だそうです。
わんちゃん的には国立国会図書館関西館どういうふうな利用方法があるのかな?ちょっとワカラナイ。

せいか小さな旅:精華町最高峰「嶽山(だけやま)」行き 2017.3.22

2017-03-26 | せいか小さな旅

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう

早春の里道を楽しみ 景色のいい わくわく嶽山広場でいも煮会。
精華町最高峰の嶽山って前に 「華の塔」の展望台から「けいはんなプラザの向こうの方に見えるのが精華町で一番高い山、嶽山・・・」っと教えていただいたことがありました。いっぺん頂上に立ってみたいと思ってました。
コース
けいはんなプラザ 日時計広場⇒歯痛地蔵⇒東畑古道の里山の道⇒白土採掘跡⇒東畑北ノ下の棚田里山の道⇒カニマ池⇒夜泣き地蔵⇒松頭峠⇒嶽山(精華町最高峰:海抜260m)わくわく嶽山広場(いも煮会)⇒東畑集会所(解散)
せいか小さな旅は毎月22日9時集合

けいはんなプラザの日時計は?

「ハイ、9時ちょっと前!」

せいか大通りを西へ向かいます、東光小学校の辺りは緩い登り坂になってるって歩いてみて改めてカンジました。
民家の間の狭い道を少し登ったところに

「歯痛地蔵さん」

地元の年配の方のお話によると、昔は自分で作った新しいお箸をお供えしてお詣りしたとか・・・
歯が痛くなったらよだれかけを作ってお詣りしたとも・・・
「歯痛地蔵さん」のすぐそばに「アレッ!!桜?」

馬酔木の大きな木も


東畑地域ののどかな里山の道を歩きながら満開の梅の花も愛でながら・・・

道端の足元には「フキノトウ」


カニマ池、白土採掘跡、嶽山、専光寺:精華町の史跡と民俗

夜泣き地蔵

夜泣きしていた子をお地蔵さんのところに連れてったら着く頃に泣き止んでいた・・・とか。

カニマ池


山肌を削ったところがありました

「白土採掘跡」

嶽山山頂

山頂にある打田の石仏


嶽山の山頂から


嶽山の山頂から少し下ってきたところに「わくわく嶽山広場」
さ、ここでいも煮がふるまわれ体の芯まで温まりました、



おにぎりの付録付き、美味しかった。

アオモジの木にいっぱい花がついてました、カワイイ!!
 

専光寺


 



東畑集会所まで歩いて解散でした。
さてと、くるりんバスに乗って帰るか、近鉄新祝園駅まで歩くか、どっちにしよう。
っと、考えたとき小学生たちの下校時間に遭遇「東光小学校までこんなに小さな子たちが歩いて通ってるんやモン、思い切って祝園駅まで歩かへん?」「うん、そうしよか、緩~い下り坂やもんね」
途中、元気塾でお茶タイム、美味しいコーヒー(手作りケーキ付)よばれてますますシャキッ!!
Uさんと、いろんなことおしゃべりしながら、早春の景色も楽しみながら・・・ゆるい下り坂に助けられて新祝園駅に到着、駅舎が見えると流石に「ここからウチまで歩きはムリやね」っと、一駅電車に乗って・・・
歩数計22,000歩カウントしてました。

公共施設巡り:精華町消防庁舎・精華中学校~せいか小さな旅~

2016-08-26 | せいか小さな旅

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
ふるさと案内人と行く『せいか小さな旅』は『22日の9時』集合です!!
「どこ行かはるのですか?」「ハイ、ちょっとそこまで・・・」

精華町広報「華創」8月号に
第34回せいか小さな旅:公共施設巡りは「精華町消防庁舎」と「精華中学校」
精華町役場北側駐車場 9:00集合

「精華町消防庁舎」も「精華中学校」も新しくなったんですよね
2015年8月 華創

2015年7月 精華中だより

目いっぱい夏のお天気の中「精華町消防庁舎」へ歩いて移動です

消防庁舎の南側には訓練塔建設が予定されてます。

庁舎の2階に案内していただき講堂で担当の方からお話を伺い見学です。

ガラス越しに「通信指令室」を見学、


「あっちからもこっちからも救急車の出動依頼があったらどうなるんですか?」
「ウチだけでなく近隣に要請して出動してもらうんですよ」
「救急車の要請をするときは家の固定電話からお願いします、こちらの地図の方でピンポイントで分かるようになってますので、携帯電話からだと場所が特定できないんですよ」
「出動指令があったとき昔なら2階から登り棒のような鉄棒で下りたって聞いたんですが、ここの建物には無いですね?」
「集中して下りると怪我をしたりの例があったので、今はありません、出動準備室から直接ガレージの方へ出れるようになってます」

1階に移動です
近年、女性の消防士さんもおられます、女子専用の更衣室と仮眠室がこちらです。

しっかり、鍵がかかってました。

出動準備室でのロッカーが合理的になってまして、

3人分の出動用品一式がかけてあるのがグルリ~っと回って、取り出せるようになってます。
3人兄弟の勉強部屋にこのロッカーがあったら便利やろなぁ、明日の準備がいっぺんに整えられるかも?

浴室                        仮眠室
 

トレーニングルーム




画像は2回クリックで拡大します

2階の講堂に戻り、冷たいお茶をいただいて消防庁舎を後に精華中学校の方へ移動です。


エントランスには栄光の数々の表彰状が・・・


明るくキレイになってます。
 



夏休みなのにブラスバンド部の生徒たち熱心に練習中










卓球部も・・・


被服教室では何やら製作中。


コンピューター室


調理室はIHコンロが・・・



各教室の入り口にはクラスメイトの名前が。
 

修学旅行は沖縄へ


少人数教室
 

教室にはエアコンの設備はないのですが、特別室には何か所かでエアコンが作動してました。

精華中学校はウチの二人の息子たちの母校であり、
つい2~3年前には、私、シニアスクールに月一で2年間通った中学校です

こんなに行き届いた設備、キレイな場所で、さぁ!しっかりお勉強しましょう・・・
「勉強だけやないやろ?」っと、どっかから聞こえてきそう。

「冬鳥を探して歩くけいはんな記念公園」編:せいか小さな旅 2016.1.22

2016-01-25 | せいか小さな旅

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

ふるさと案内人と行く『せいか小さな旅』は『22日の9時』集合です!!
「どこ行かはるのですか?」「ハイ、ちょっとそこまで・・・」

水景園入り口に9:00集合
顔見知りの方たちと会うとホッとします。
OさんもNさんもそれぞれ自宅(桜が丘,北の堂)から水景園まで徒歩でって言うてはりました、わんちゃん的にはまず「ほぉ~~」です。
冬鳥の観察っということで、野鳥にお詳しい Yさんを講師にお迎えして一緒にお話など伺いながら観月橋を渡り永谷池の方へ行きます。


観月橋から巨岩石の谷を見下して下の方の石を指して

「あの、白いのはカワセミの糞です、カワセミに出会えるかもしれませんよ」大きな期待を胸に・・・

観月楼前のデッキで

「あっ、五郎丸!!」

永谷池に沿って歩きました、池の水面をじい~っと見ながら・・・
遠くの方でカモが泳ぐ(?)のが見えますが遠い遠い、オシドリも見えなくもないのだけど何せ遠い・・・
カメラのレンズで捉えるのは困難。
「割とじっとしてるので、こちらの方覗いてみてください」
フォレストスコープで覗くとどの鳥たちもキレイ!!
残念ながらオシドリたちは向こう岸の茂みの中に入ってしまって見れませんでした
「神経質なんかなぁ・・・」

わんちゃんのカメラのレンズで捉えられたのは
カルガモ
 

マガモ


カイツブリ
 

池の水面見ながらも右手の森の中にも注意を怠りなきよう・・・
居ました、高い木の上の方に
カワラヒワ


イカル
 

湿地の小枝の先に
ジョウビタキ♀


一周して観月楼に行くのに近道で池の中の飛び石伝いに、心なしかドキドキ・・・
最後にみんなで鳥合わせ
姿、見ました!!
イカル、オシドリ、カイツブリ、カルガモ、カワセミ、カワラヒワ、コガモ、ジョウビタキ(♀)、シジュウカラ、セグロセキレイ、ツグミ、ハシボソガラス、ヒヨドリ、マガモ、ムクドリ、メジロ、モズ、ヤマガラ、
姿は見なかったけど鳴き声は聞いたよ
コゲラ
姿も鳴き声も
シロハラ
出現鳥種数19

「今日は大勢でざわざわと押し掛けたので鳥さんたち、どっかに引っ込んでしまったみたいですね、カワセミもオシドリもまたの機会に、ゆっくりと観察に来てください」

寒い日だったのでOさんNさんも一緒に近くのベーカリーカフェで、お茶して、ちょっとおしゃべり楽しみました。
「じゃ、またね」お二人とも方角は違いますが歩いておうちまで帰らはるってスゴイなぁ・・・

水景園を出るとき振り向くと

「シロスギ」と名札がありました


「木津川の泉津を訪ねる」編:せいか小さな旅 2015.10.22(木)

2015-10-31 | せいか小さな旅

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

ふるさと案内人と行く『せいか小さな旅』は『22日の9時』集合です!!「どこ行かはるのですか?」「ハイ、ちょっとそこまで・・・」
近鉄山田川駅前9時集合 山田川に沿って山田川下流から河口へ、泉津、吐師の浜と乗越し堤から菅井の浜への旅

山田川河川改修事業:昭和63年3月完成の記念碑のそばでお話伺いました。




クリックで拡大します

木津川は昔、泉川と呼ばれていました。津とは、ふなつき場(港)つまり木津川のふなつき場(港)を訪ねての小さな旅です。
「吐師の浜はここらへんやったんちゃうかなぁ?」っという場所(上流に泉大橋が見えてました)で精華町シルバー人材センターのふるさと案内人さんのお話を伺いました。





日本で最初の都が築かれたのは大和の藤原京、その都を築くときの資材を運ぶのには陸路よりも水路が便利だったようです。大阪・京都方面からだと淀川、宇治川から木津川に遡り吐師の浜から陸路、歌姫街道⇒今で言うところの平城宮跡:大極殿・朱雀大路、藤原京へと・・・
江戸時代には十石船が行き来したそうで、吐師の浜から陸路を西へ郡山街道へと発達したそうです。

道標がありました。

右 京大坂
左 かう里山(郡山)

郡山城の柳沢家と深い関わりがあって参勤交代の折なんかには吐師の浜はえらい栄えたそうです。そんなお話伺ってから堤防へ戻り「乗越し堤」へ、ここは地元の方なら「乗越し堤イコール水害」と言われるほど台風ごとに水害があったそうです、むかしは自然信仰が深いこともあって、地形を変えて堤防を築くとかの概念がなかったようです、ちょうど馬淵地区が見える桜並木のあたりでしょうか。



菅井の浜へと堤防を下ります。

そこから河川敷へ下っていって菅井の浜へと移動、



菅井の浜も「どのへんやったんかなぁ?」っというカンジなんです。菅井は今の北の堂、馬渕、菅井っと併せて菅井村でした。菅井村を西方面に行くと南稲、植田、東畑、高山、四條畷、大阪へと通じる道が開けてました。その方面からの物資を運ぶ港が菅井の浜だったんでしょう。菅井の浜には渡し舟がなかったんで伊賀上野方面へは吐師の浜から渡し舟で向こう岸に渡り伊賀上野方面へ物資を運んだそうです。
菅井の浜が栄えたのは東畑で白土・はくど(真っ白なお人形の顔に使ったり磨き砂などに)が採取されて搬出するため大阪・京都方面へは木津川を下りましてね・・・それと、毎年11月下旬から12月中旬にかけて年貢米を納めるための搬出港としても、たいそう賑わったそうです。
当時は道路事情はあんまり宜しくありませんでしたから、水路を利用するのが一般的だったようです。
明治29年にJR奈良線が31年にはJR片町線が開通してからは物資を運ぶのには鉄道に委ねられるようになりました。それでも奈良電(現在の近鉄京都線)が開通するまでの間、菅井の浜では渡し舟が利用されて向こう岸に渡りJR奈良線を利用して京都に行ったと言われてます。
JR奈良線、JR片町線が発達すると、しぜんに吐師の浜も菅井の浜も姿を消してしまいました。

菅井の浜を後にして菅井の公民館でトイレ休憩後、祝園駅まで歩き近鉄新祝園駅東口で解散となりました。
「わんちゃん、飛行場ででもグラウンドゴルフ練習あるから、都合が付いたら参加したらいいよ」っと、馬淵球遊会のみなさんからお声がけがありました。その場所が菅井の浜っとわかり、そのうち行ってみようかな?のわんちゃんです。

確かかしのき苑の1階ホールの壁に陶板画がありました、あれは?




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歩きながら出会ったお花たち
マルバルコウソウ                     ホシアサガオ
 

サクラタデ                        イヌタデ
 

チャ                              カラスウリ実
 

カナムグラ                        アメリカミズキンバイ
 



「南山城三十三所巡礼の道in井手」編:せいか小さな旅 2015.9.22(火)

2015-10-12 | せいか小さな旅
 ≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫ 
ふるさと案内人と行く『せいか小さな旅』は『22日の9時』集合です!!
「どこ行かはるのですか?」「ハイ、ちょっとそこまで・・・」

第25回 せいか小さな旅
里巡り江戸時代の「南山城三十三所巡礼の道in井手」
「南山城三十三所」は精華町、京田辺市、井手町、木津川市にわたり存在します。
江戸時代には こちら
江戸時代に存在した南山城の観音霊場です。明治の廃仏毀釈で半分ほどの寺院が失われましたが、観音像は他の寺院に移った場合が多いです。

二十五番:東福寺跡 二十六番:栄福寺 二十七番:観音寺と巡る予定。
実はこの3ヶ寺ともお寺がないです、無くなってます(廃寺)が近くのお寺で仏様は引き継がれている、ということで・・・
JR祝園駅集合、受付。JR玉水駅前でストレッチ体操後出発です。



井手町ふるさと案内人さんにも参加していただきました。詳しいお話が伺えそうです。

蛙塚にちょっと寄り道
(クリックで拡大します)




大字井手水無地区の玉川保育園の裏側に小さな石碑があります。

鴨長明の「無名抄」には、「井手の蛙は大きさが普通の蛙と同じくらいであるが、色は黒くさほど飛び歩かずいつも水の中にいて、夜がふけるとその泣き声は清らかで、人の心をしみじみとさせる」と記されています

★色も香もなつかしきかな蛙なく井手のわたりの山吹の花:小野 小町
現代語訳:色の香りも慕わしいなあ。蛙が鳴く井手のあたりの山吹の花よ

★音にきく井手の山吹見つれども蛙の声は変わらざりけり:紀 貫之
現代語訳:うわさに聞いている井手の山吹を素晴らしいと見たけれど、ここの蛙は井手の花に応じた声ではなかった。蛙の声はどこも変わらぬものだなあ

★声高み蛙なくなり井手の川岸の山吹今は散るらむ:源 実朝
現代語訳:声高なので蛙の鳴くのがよく聞こえてくる。井手の川岸では山吹が今散っているのだろうか。



わんちゃんの手元に「伝えたい残したい古典の宝庫『井手百首』」:小川栄太郎/編著 があります。
その中に井手の蛙を歌ったのが23首ありました。
多くの都人が詠んでいるのですが、わんちゃん的に印象に残ってる井手の蛙を詠んだの3首をチョイスしました。

ちなみに山吹を詠んだのは76首あります。

水無 二十五番 東福寺跡


かつての水無村東福寺が、明治5年廃寺となり西福寺と合併し、什宝類が引き継がれている。
明治期の記録によると、東福寺跡は玉井寺跡等と合地して井手小学校となった。その後小学校は室戸台風の被害を受けて石垣へ移転し、現在は玉川保育園となっている。継承寺院の西福寺本堂は宝暦年間の建築、本堂内東脇の仏たちが安置されている中に、東福寺の「一尺三寸」の聖観音と思われる仏像がある

井堤寺(いででら)故跡


奈良(天平)時代、聖武天皇の勅願によって、上井手の地に橘諸兄(たちばなのもろえ)が氏寺として建立した寺で、四方200m以上の寺域であったと推定されている。西方浄土を形づけようと境内はじめ借景となる玉川ほか一帯に、「黄金の花」ヤマブキを彩ったという。橘諸兄は井手左大臣と呼ばれ、この地を根拠地として天平の国政を担った要人である。
井堤寺は応仁の乱の頃失われたと考えられ、現在発掘調査が行われていて、寺跡からは当時の瓦や石敷等が出土されている。

井手山 二十六番 永福寺
かつての永福寺は、上井手の地蔵院付近(現在の駐車場)にあった。地蔵院の記録によると、当院は白鳳の頃橘諸兄の草創で、寛永の頃復興、江戸中期には末寺一八ヶ所もあり、門前永福寺もその一つ。
玉津岡神社にあった千手観音は、明治初期の神仏分離政策で、地蔵院へ移った。その後明治14年5名の発起人が観音修繕の寄付を呼びかけ、修復を終えた。地蔵院境内に「文永十二年建立之 永福寺」銘の石灯篭がある。


地蔵院の境内から井手町を臨む

石垣 二十七番 観音寺
廃寺跡は未だ確定できていない。
石垣村の観音寺は、二十六番井手山永福寺より「十丁」の場所といわれていることから、現在の石垣地区でもかなり東よりの地かと思われる。江戸時代、椿井平群廣雄の模写した古絵図の、石垣里には八幡宮の東に「観世音寺観音堂」が描かれている。
明治六年十一月に廃寺となったため什宝物は西福寺に引き継がれた。
「十一面観音 厨子入り 本観音寺分壱体」という記録の通り、「三尺五寸」の観音さんは、廃寺となった玉井寺や東福寺の仏像群とともに、安置されている。

西福寺












せいか小さな旅でいただいたパンフレットを参考にしました、そのパンフレットには
★山城町 古文書サークル 如月会『江戸時代の南山城三十三所を訪ねて』より引用とありました。

明治維新、この国は神の国っと・・・
それからは明治の廃仏毀釈で多くの寺院が失われました。大切な什宝類は近くの寺院に移されたりしました。太平洋戦争後、この国が神の国ではないとなり・・・
考えると「なんと・・・」としか言いようがありません

民家の塀越しや道端に咲いていたお花たち
ヤマブキ                    ヤナギハナガサ
 

ヒガンバナ


ハギ                        シュウメイギク
 

カキドオシ                    アメリカセンダングサ
 

アレチヌスビトハギ
 

この実の名前は?その葉
 

 

井手町:汚水管マンホールの蓋

・町の花ヤマブキと井手の井がデザインされている。

京田辺市:汚水管マンホールの蓋

市の花ヒラドツツジと、中央に市章がデザインされています。
下部に「ひらどつつじ」「おすい」と書いてあります。
市章は、京田辺の田の文字をかたどり、丸い円は市民の融和を意味し、
横に突き出た部分は無限にのびゆく京田辺市を表現したものである。

木津川に架かる玉水橋を渡ると京田辺市です。まっすぐ歩いて近鉄線三山木駅から帰路につきました

【おまけ】
お寺参りをしていて境内に神社をお祀りしてるのが不思議に思ったことがありました。そして多くのお寺が廃寺になったという事実を知ってビックリした記憶があります。今回南山城三十三所のお話を伺って「そうなんですか」っと。
そのワケは明治維新の頃、明治5年、南山城三十三所の半分が廃寺となっている。そのため巡礼もだんだんと廃れていったものと思われる。精華町の数箇所の寺院もこの時期廃寺となっている。このように多くの寺院が廃寺となったのは明治維新政府が神仏分離令の公布により「神と仏を分けなさい」それまでは神社にお寺が有り、寺に神社があり・・・住職さんが神社の面倒をみていた、地方にある神社は神主さんが不在状態でした。神仏分離令というのは王政復古(天皇制)で祭政一致(さいせいいっち)「祭」は祭祀,「政」は政治で,宗教的権威に基づき,司祭者が政治権力を保持する神政政治をさす。
全国的に廃仏毀釈運動が起こった。仏教の排斥、寺院、仏像、仏具などの破壊などにより多くのお寺が廃寺となった。この時代より日本の国は神の国となっていった。第二次大戦への突入により、第二次大戦後この国は神の国ではなくなった。


知ってるようで知らない「けいはんな記念公園」~せいか小さな旅~

2015-07-28 | せいか小さな旅
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
ふるさと案内人と行く『せいか小さな旅』は『22日の9時』集合です!!
「どこ行かはるのですか?」「ハイ、ちょっとそこまで・・・」

第23回 せいか小さな旅
知っているようで知らない「けいはんな記念公園」
京庭師の想い、日本庭園誕生の秘話・・・を訪ねる旅

平安建都1200年記念事業の中で京都の造園界が総力を挙げて整備された公園。
(建都1100年の時に造られたのが平安神宮!)
京庭師の想い、その誕生秘話を訪ねてみんなでウォーキング・・・
《コース》距離:約3km
けいはんな記念公園西入口(集合)⇒芝生広場⇒桜の木々⇒梅林⇒四分六分石⇒水景園棚田風景⇒水景棚⇒紅葉谷⇒巨石群⇒観月橋⇒観月楼⇒水辺の小道⇒永谷山隧道記念碑⇒芽ぶきの森⇒山棚田⇒水景園(解散)

生憎の雨模様、受付後ストレッチ体操は流石に省いてスタートです。
そもそも、この公園を作るときどんな形にするか?イングリッシュガーデン?日本庭園?
最終的に日本の原風景里の風景にしよう・・・

けいはんな公園の芝生広場からです、


芝生広場もよくよく見ると段々になってますね、棚田をイメージしてるんですね、また山城地方の特徴ある茶畑(植栽されてるのはサツキとかツツジで茶のイメージを)の風景。


広場の北側の斜面には竹柵で仕切ったところがあります、「なんでやの?」


左側は造成したところ、造林。右側は自然をのこしたままに・・・
造林した場所は大水があったとき水がド~っと流れる、右側の自然のままのところはその心配がないかな・・・

桜並木がありました、ここには300本の桜が植栽されてて、毎年毛虫の駆除に薬剤散布をしてたのが、意外や意外、そのために桜の寿命を縮めてた、っということが分かり、薬剤散布をやめて毛虫は野鳥たちの餌にっと見守ってるところやそうです。

水景園の入口方面へは谷あい(豊かな自然と里山の風情)のイメージで小川のせせらぎに沿って歩いていくと、杉林、赤松林、梅林(棚田)、竹林、っと見えてきます。

梅林(棚田)



小川に設置されてる《四分六分石》の謂れとは?


永谷池が菅井と植田の農業用水として使われていた時、用水量の配分は菅井へ四分、植田へ六分となっていた。水路が二つの地区へ分岐する場所(東へ約800m)のこの石(凹の部分の大きさが4:6になっている)を設置して水量を調節した。⇒配布パンフレットより

水景園が見渡せるところで、

パッと正面に観月橋(延長123m 幅4m 水面上約10mに架かる歩道橋。)

橋脚(京町家の格子をイメージ、向こう側の景色が見えるようで見えない)は、手前の里の風景と橋の向こうに見える巨石群(神聖な場所)の荒ぶる景色を区別している、いわゆる結界を現している。



里棚田があり、
キンカンの花

春から秋にかけて変化する稲穂の景色、秋には案山子と稲架掛け(はさかけ)された稲穂、
ヒガンバナ、春に咲いた果樹からの収穫等・・・季節を感じる里の風景

水景棚

永谷池から流れ落ちるダイナミックな滝組
永谷池と下の池を繋いで水辺の棚田の風景が楽しめる仕組み・・・
よくなついてる錦鯉がユッタリと泳いでます。


水辺ではハス、睡蓮、花しょうぶ等等、桔梗も見かけたことありです。
わんちゃんは観月楼への近道に飛び石をつたって水景棚の中を歩き渡って行きまぁす。

紅葉谷
秋には真っ赤に染まる130本の紅葉、
行ってますね、 2010.11.27紅葉ライトアップの時に


巨石群

高さ6~7m、重さ20~40t(最大70t)の巨石、約500個からなる約延長150mの壮大な空間。
岡山県犬島(瀬戸内海)の御影石(花崗岩)

芽ぶきの森
2007年11月に整備ができ、一般公募で「新しい命の誕生」言う思いを込めて「芽ぶきの森」と命名されました。
山棚田があり、棚田の風景には芽ぶきの森、春は野生のツツジ(コバノミツバツツジ、モチツツジ)夏は新緑から木漏れ日へ、秋は紅葉と紅葉を映す水辺の景色、冬は水鳥(カモ、 オシドリ)の観察など、四季折々の自然が満喫できますよ~~
おやおや、棚田の斜面で森の下草を食べるヤギ・・・が居ましたよ
散策路があり、一周すると約1.2k徒歩約30分

いつもは何気なく歩いている水景園、けいはんな公園も、精華町シルバー人材センターの「ふるさと案内人」さんのお話を伺って、わんちゃん的には「そうなんですか、知らなかったァ・・・」の世界でした、今度、この界隈を歩くときはちょっと違った目線で見ることができるかな?出来るといいな・・・

精華台「華の塔」配水池から相楽木綿伝承館を訪ねて:2015.6.22~せいか小さな旅~

2015-06-25 | せいか小さな旅
 ≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
ふるさと案内人と行く『せいか小さな旅』は『22日の9時』集合です。
「どこ行かはるのですか?」「ハイ、ちょっとそこまで・・・」

第22回 せいか小さな旅
タイトル:精華台「華の塔」配水池から相楽木綿伝承館(水景園・観月楼)を訪ねて・・・
内  容:華の塔スパイラルギャラリーを歩き、その高さを実感!!
     そして、相楽木綿伝承館の復興に携わる人々を訪ねて、みんなでウォーキング・・・

集合場所:けいはんなプラザ日時計広場


参加者受付後簡単なストレッチ体操のあと、「華の塔配水池」に向けて出発です。
ここで、何も知らないわんちゃんは「配水池って?田んぼや畑の真ん中でもないのに大きな池でもあるのかな?」なんて思いながら・・・
到着してビックリ「何ですかコレ?」ってカンジ。



水って生活していく(生きていく)のに一番大事なライフラインの一つじゃないですか・・・ですよね。
「華の塔スパイラルギャラリー」歩いてみてその高さと配水池の大きさとビックリすることばかり・・・


最上階は見事な展望台になってます。

目の下には精華大通りのメタセコイア並木が見えてます、精華台の住宅地や祝園方面も・・・

あの2番目の鉄塔と3番目の鉄塔の向こうあたりが愛宕山かな?右斜め向こう奥の方に高く見えるのが比叡山?
けいはんなプラザの向こうに精華町最高峰「嶽山(259.5m)」が・・・見えるはず。
グルリと回って木津川台のあたりも見えてました。
とにかく眺め最高。
「木津川市の夏の花火大会、ここから見るとキレイやろなぁ」なんて、ふと・・・

この日案内してくださった係りの方が
「皆さんには6階まで歩いて登っていただきます」
「エレベーターやないんやね、階段やったら??え~っ!!」っというカンジ。
スパイラルギャラリーと名付けられた歩廊は足元にとても優しく、配水池をグル~リ何周もしながら歩いていくと最上階に到着するようになってました。
そこで、わんちゃん的には床面の角度が気になりました、仮に5度~10度以上だったらとてもシンドイし、結構楽に歩けたんですよね、早速お尋ね作戦。
★Qus,
最初階段を登っていくとばっかり思ってましてイヤな気分になってたんですがそうではなくってフツーに歩いて知らない間に上の方へ、心地よい足元の、なんて言うんですか?穴の空いてる床面で、その床面の角度が無理のない角度で、歩きやすかったです。
あの床の角度は何度だったのでしょうか?
★Ans.、
お問い合わせいただきました「華の塔」の歩廊の角度についてですが、、
5.51%(約3.2度)の勾配で設計させていただいております。
1メートル歩くごとに5.5センチメートル上がっていく計算となります。
株式会社高松伸建築設計事務所⇒こちら

慎重に下りながら・・・
 

水景園に移動です。
わんちゃん的には相楽木綿伝承館訪れたのは初めてです。


ワタの花から採取したワタをくりながらタネを選り分けます⇒綿繰り、


弓のような道具でタネを取ったワタをほぐします⇒綿打ち、


糸紡ぎ、


機織りと見学させていただきました。



なんと、ゆったりとした時間空間。

コースター(13cm×12cm)を織る体験に参加のわんちゃん。

まず、機織りのお手本です

右足、左足で交互にペダルを踏む、両手も使います、気を抜いたらコースターの両端がデコボコになってしまいます。




コースターが出来上がってセロファンの袋に入れていただくと上等に見えましたよ。大事に使いましょう。
反物(15~6m)なんて気の遠くなるようなカンジ。みなさんコツコツと織っておられました。

観月楼の1階「森のカフェ」で美味しいコーヒーをよばれました。

精華町シルバー人材センターふるさと案内人の会のみなさんが、おいしい珈琲でおもてなし。
窓際の席からの水景園の景色が良かったですよ。


水景園をグルーリ一巡り




ミゾカクシ                ニワゼキショウ
  

トランペットリリー              キキョウ
  

コウホネ                                     
 

ミスジチョウ






 

 

【おまけ】
日時計をこんなに近くでマジマジと見たのは初めてのわんちゃん
集合時間の9時には日時計の影が9時をね・・・



ちょっと残念なのは集合時間の頃は薄曇りだったこと。

2015.6.26
朝から雨です。
アジサイのおまじない忘れずに⇒こちら









今年のお正月に駅長就任8周年で( ⇒こちら)和歌山まで会いに行ったたま駅長が亡くなったと24日発表がありました。
三毛猫「たま駅長」天国へ 和歌山電鉄、28日に社葬  ⇒こちら



里巡り『風薫る川堤と里山』~せいか小さな旅~

2014-05-30 | せいか小さな旅
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

「せいか小さな旅は毎月22日ですよ、みなさぁん覚えといてくださいよ~~」
第11回 せいか小さな旅:2014年5月22日  
・・・里巡り『風薫る川堤と里山』編・・・
山田川堤を西へ、、西へ、、乾谷・新谷の里山を辿る旅
初夏を身体いっぱいに感じながら みんなでウォーキング

《コース》
スタート⇒近鉄山田川駅⇒山田川堤を西へ⇒旧山田荘小学校跡⇒乾谷大師堂⇒光明寺⇒乾谷川源流⇒乾谷の里山⇒光台五丁目:春の丘公園⇒解散(お昼前)
スタート前に
「スタンプラリーでスタンプが満杯になられた方が3名おられます、シルバー人材の方たちといろいろ相談した結果、シルバー人材センター作製の堆肥10㌔入りを一袋、または毎月、一日、十日、廿日にシルバーでシルバーサロン(10:00~3:00)というのがありますが、そこでのコーヒー券2杯分、お楽しみ券としてお渡ししたいと考えております、それに小さな旅のダイジェスト版DVDをお渡しします」3名の方がゲットされました。
「皆さん期待を込めて参加しましょう」

ちょっと簡単なストレッチ体操を終えて出発です。

普段なら、あっという間に車で通りぬける道を川の向こう側に見ながら、ひたすら散策道を歩きます、久し振りに会った歩き友達と話しがはずみます。

山田荘(やまだしょう)小学校跡



昭和11年(1936年)当時の山田荘小学校

明治19年7月 創立(当時から東畑には分校あり)今年創立128周年
昭和61年4月 新校舎(桜ヶ丘)に移転
平成5年3月  東畑分校廃校(東光小学校新設につき同小学校区に)
当時、東畑分校に通われていたM(ふるさと案内人)さんによりますと、4年生までは分校に通い5、6年生になると東畑から自転車でこの本校に通っていたそうです、学校行事(運動会、学芸会、式)の日は全員が本校に。
敷地の面積も手狭になり、だんだんと国道の往来も激しくなり防音対策など検討されましたが、国道から、かなり離れた高台の静かなところに移転(現在の山田荘小学校)
通学校区は桜ヶ丘、旧乾谷、柘榴の3地域から(旧村からの割合は減り現在90%は桜ヶ丘地区から)
石碑が残ってるだけで小学校跡という雰囲気はないですね、創立(昭和11年)当時の写真など見せていただきました、国道163のすぐ傍にあったんですが、当時は車の往来もあんまりなくノンビリとしていたそうです。

山田荘小学校跡から歩いて(何分ぐらいだったかな?)
乾谷大師堂


「祠(ほこら)の中に弘法大師様がおられるので、ぜひお顔をみられたら良いんじゃないでしょうか」
っと、ふるさと案内人のロクサンがお話されました
弘法大師(空海)について ➱こちら
お話の後、石段を数段上り祠の中を皆さんそれぞれ覗き込みました。
豆ライトをかして下さる方がおられて、中を覗きますと小さな(お顔が可愛い)弘法大師様が座っておられました(視線が合ったような気が・・・)

光明寺






ちょっと高台に位置してます、ご本尊の方から家々を見守るように、また、地域の家々から下からでもご本尊がお祈りすることができるように・・・
開創の時期については不明
寛政四年(1792年)に焼亡する
寛政八年(1796年)に僧侶知覚が復興する
平成25年10月27日に晋山式実施(ご住職を新しくお迎えしてお披露目する) 
無量山 光明寺 第32世 寛空直典(かんくう じきてん)只今、独身
ご本尊 阿弥陀如来立像(江戸時代作)

平城京の都を作る時の瓦をここら辺りで作ってたという跡が、木津の市坂、歌姫、押熊辺りに瓦窯跡があります。高温で堅い瓦を造るためには登り窯式で作られたらしい、押熊の交差点近くのマンションの裏辺りに、押熊瓦窯を復元した瓦窯跡があるそうです(おやおやそうですか)

乾谷川源流


光台、精華台の雨水は汚水とは別に側溝からマンホールへそしてこの水路へ、この水路は押熊への道路の下を走ってR163の交差点のところで山田川へ流れ込んでいる。

付近の民家



竈の煙を抜くための屋根の上の窓が印象的でした

R163へのいつも通る道路の下をくぐって、乾谷の里山の方へ



イノシシ除けのフェンスにいっぱいの毛虫たち

ここの里山では4月に鹿と遭遇したそうです(写真を見せていただきました)なんでもスゴク人馴れしていたので奈良公園から来たんではないかなっと噂されてるそうです。
里山風景を満喫しながらの散策でしたが普段はイノシシ除けの柵がしてあって、入れないそうです。



光台5丁目春の丘公園で解散、バスで近鉄新祝園まで出て狛田駅まで一駅乗って帰りました。

「わんちゃん、このお花の名前は何ていうの?」
  
「ムラサキツユクサでこっちはタツナミソウでぇす」



巣を張って獲物を待ち受けるクモの種について神奈川県在住りゅうさんよりコメントいただきました ➱こちら

ふるさと発見の旅~春~ふるさと案内人と歩く

2014-05-03 | せいか小さな旅
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

ご存知ですか? 精華町のええとこ! ふるさと案内人と歩く。
春爛漫の里山 巡礼記の道 古墳 いちご園
菱田~僧坊~谷集落を辿る旅
4月22日(火)


コース 約6㎞
近鉄狛田駅前(スタート)→第17番 菱田長福寺跡/西方寺→川西側線跡→山田池・下狛新池→第16番 下狛僧坊・若王子→第15番 僧坊鞍岡山 神宮寺跡/鞍岡神社→鞍岡山古墳群→下馬遺跡→いちご園→JR祝園駅

この、第15回 ふるさと発見の旅に参加して初めて知りました、南山城三十三札所があるってことを・・・
南山城三十三所は1684年~1688年(貞享のころ)綴喜・相楽二郡の代表的な観音霊場が選ばれていた、発起人は相楽郡綺田村(山城町内)東光寺に住まいする僧「如範(じょはん)」が西国巡礼にならって南山城内に三十三の霊場を選び、ご詠歌を作って人々に勧めた・・・。
札所は精華町七、加茂町五、木津町五、山城町六、田辺町七、井手町三、約42㎞、当時でも数日で一巡できたそうです。
最初は賑わっていたそうですが諸般の事情により南山城三十三所は消えていった・・・

狛田駅東側集合、簡単なストレッチ体操の後、南山城三十三所 第十七番 菱田 長福寺へ、このお寺跡は現在菱田区集会所になってます、十一面観音は西方寺にお祀りされてました。この日ご住職が特別に開扉してくださいました。

西方寺


近鉄、JR線路を越えて「川西側線跡」を見学
川西側線は祝園弾薬庫へと続くJR片町線からの引き込み線でした。


途中の煤谷川には鉄橋跡がありました。
クリックで説明板は拡大します








平成19年以前の写真

祝園弾薬庫
昭和18年(1943)の晩秋、在学していた旧制商業学校3年生に、0月0日から3日間、00部隊に出動、作業に従事するといった通告を受けた。集合は早朝の京都駅前、未だ陽の昇り切らない薄暗い時刻であった。終結した約150人は当時の奈良電、現在の近鉄京都線の急行に乗車、臨時停車した「狛田」で下車、隊列を整えて生駒山脈北部に連なる丘陵に通じる道路を行進した。
少し行くと踏切があり、その先、道路と線路が並行する。一面に立ち込める朝霧の背後から蒸気機関車の排気音が追って来た。やがてC11形タンク機関車に牽かれた貨物列車が隊列の横を通り過ぎて行った。約2㎞ほど進むと営門があり「祝園部隊」の表札が掲げられていた。
当時学生間で秘密事項として流布していた「帝国海軍に戦艦大和あり、陸軍の弾薬庫祝園部隊が府下南部にあり」と称されていた砲弾工場、貯蔵庫である。
ここは、昭和14年京阪沿線の枚方にあった禁野(きんや)弾薬庫が大爆発を起こし、施設が壊滅、周辺地域は被害を受け、京阪も数日間不通となる大事故があった。軍部は急遽代替施設をこの地に設け、片町線田辺~祝園間の途中で分岐する引き込み線を敷設していた。弾筒に火薬を充填する作業場、山間の窪地に点在する貯蔵庫、それらを結ぶ道路とトロッコの線路からなっている。
初めのうちはいつ爆発するか判らないと、ヒヤヒヤしながらの作業であったが、2日目からは度胸もつき、充填や運搬の作業を終えた。
帰途も営門を出て駅へ向かって行進していると、背後から汽笛を鳴らし、貨物列車が下り勾配を滑るように隊列を追い抜いて片町線との分岐点へ向かって行った。約60年前の出来事だが未だに私の頭脳の一隅にその光景が刻み込まれている。
(随筆:田辺・川西側線、片町線より)

山田池


下狛新池

田んぼに大切な水源ですね。
大きな池の周りの渕を歩いて次のお寺に移動です。

第十六番 下狛僧坊 若王子




第十五番 僧坊鞍岡山 神宮寺跡から鞍岡神社、鞍岡神社の境内からは精華町が一望できる・・・っと期待してたんです(息子たちが子どもの頃、一緒に眺めた記憶が)
樹木が生い茂ってて・・・

鞍岡神社




 
左:阿像  右:吽像




菅原道真公とご縁があるようです。

精華町に遺跡や古墳群があるってこと初めて知りました。
下馬遺跡は甘南備丘陵の南東側斜面に位置する。
発掘調査では、平安時代後半から室町時代を中心とする時期の集落遺跡であることがわかった。
鞍岡山古墳群は鞍岡山1号墳から4号墳と四基の古墳が所在。
鞍岡山3号墳➱こちらを離れたところから見学。



最終お楽しみ
”味わえます 大地と愛情が育む逸品”美味しいモノが溢れているまち

《いちご》
精華町の特産品の代表である「いちご」は、30年以上に渡って精華町の顔となっている。京都府内最大の栽培面積を誇り、いちご狩りは毎年3万人以上を集める観光の中心としても活躍している。
いちご狩りは1月中旬から5月までで、品種は「さがほのか」「とよのか」「章姫(あきひめ)」などが栽培されています。
実はいちご狩りはお弁当タイムの後だったんですよ「ダイジョウブかなぁ?」大丈夫でしたね、デザート感覚で・・・幾つ食べれた?かな。覚えてないくらい・・・





精華町に住み始めて40年以上になります
「知らなかったぁ 精華町のええとこ・・・」

煤谷川土手に・・・


現在の祝園分屯地営門

2014.5.2 撮影


ふるさと案内人さんからのお知らせ

今月、5月の22日(木)は
第11回 せいか小さな旅・・・里巡り『風薫る川堤と里山』編・・・ です。

9時 近鉄京都線・山田川駅改札口前 集合、 12時 精華町光台五丁目/春の丘公園 解散
(事前申込み不要)参加費:100円(当日徴収)
※前日午後7時の天気予報で降水確率50%以上は中止。

今回は、精華町の山田川堤を西へ、そして乾谷・新谷の里山へ。

この乾谷里山ルートは、今回初めて歩くところです。 新緑と田植え前の段々畑、里山風景をたっぷり味わっていただける・・・かな?!

<コース予定>約5Km
近鉄山田川駅 ⇒山田川堤を西へ ⇒旧山田川荘小学校跡⇒乾谷大師堂 ⇒光明寺 ⇒乾谷の里山 ⇒光台五丁目/春の丘公園(解散)
初夏の息吹を身体いっぱいに感じながら みんなでウォーキング・・・ です。  
※お帰りは近くのバス停から祝園駅行のバスに乗車、20分程で近鉄/JRの祝園駅に到着です。
今度の22日(木)9時 お待ちしています。。。


里巡り「開き浜の残念石」編~せいか小さな旅~

2014-02-23 | せいか小さな旅
どこに行かはるのですか?ハイ、ちょっとそこまで・・・
せいか小さな旅は「O月O日9時集合」です。
わんちゃん的にはこの回から初参加です、ヨロシク。

2010年2月での伐木により10数年振りにあらわれた「巨石」木津川開き浜の「大坂城残念石」を訪ねてみんなでウォーキング
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
コース
JR祝園駅(JR下狛駅)⇒JR木津駅⇒JR棚倉駅・・・湧出宮・・・開橋(開き浜)【大坂城の残念石】・・・祝園神社・・・近鉄新祝園駅(近鉄狛田)

JR棚倉駅から歩いてすぐのところです。
湧出宮
和伎座天乃夫岐賣神社(わきにますあめのふきめ)
一の鳥居(西向き)


二の鳥居(南向き)


湧出宮由緒
創建は今より1200年前の称徳天皇天平神護二(766)年、伊勢国五十鈴川の畔より、御祭神としてこの地に勧請したと伝わる。 天乃夫岐賣命(わきにますあめのふきめ)とは天照大神の御魂であるとされる。後に宗像三女神を伊勢より勧請、併祀した。大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったという。湧出宮という謂われである。
山城の祈雨神十一社の一社、延喜式八十五座の一として朝野の崇敬を受けた。





マンホール 旧山城町(木津川市)

町の花の菊、町の木の紅葉、特産品のお茶の葉とタケノコ

てくてくと、山城町の里山風景を目にしながら開き橋の方へ・・・
開き橋のすぐそばのちょっと上流の河川敷へ、普段ならうっそうと茂る枯草の中を歩くはずが、現場へは、な・なんときれいに除草されて砂が敷かれて道が出来ているんでありました。前日にすばやく・・・だったそうです。
とても歩きやすかったです。



刻印のある残念石の傍で精華町シルバー人材センター「ふるさと案内人」のUさんが「大坂城の残り石、大坂城で使われなかったんで残念無念っと残念石と呼んでますが、皆さんに見ていただいてきっと喜んでいることと思います、残念石に替わりまして私がお礼申し上げます・・・」っと、案内を始めはりました。
ここら辺りには10個あるとか言われていたそうですが、調査する年代によって川も移動するようで現在このような大きな石が7~9個くらいあるそうです。精華町南のNさんが少年時代の頃は「この辺りは渡し船があり、遊び場になっていてこれらの大きな石がなんの石?ってカンジで・・・」だったそうです。

諸大名が切り出した石には、それぞれのマークが彫ってあるそうです、
石の切り口にね。


石の大きさ(0尺0寸)、切り出した日付などと。


1975年の調査で加茂の大野浜(木津川に合流する赤田川辺り)には10個残っていたそうです。 詳しくは➱こちら

大坂夏の陣で1615年大坂城が落城しました、ソレから僅か6年後に徳川秀忠・家光によって再建計画が・・・1629年には大坂城再建。
その工事のやり方がナルホドです、西国と北陸の諸大名による割り普請制度、つまり各大名が責任の上に競争させるんですよ、必死になってやりますよね、大坂城に行ってあの石垣を見てごらんなさい・・・(大きな石を無理やり運んでいた領地の領民はタイヘンだったやろうなぁ・・・)
残石帳っというのがありまして、木津川の流域に残ってるのは全部で500個ッとも言われてます。
山城郷土資料館の前に1個、加茂支所(木津川市)に1個、常念寺に1個、藤堂高虎の生誕地、滋賀県犬上郡甲良町在士(ざいじ)甲良町役場に1個っと詳しく案内してくださいました、Uさんありがとうございました。

◆今日(3/2)のこと、グラウンドゴルフ繋がりのIさん(せいか小さな旅に参加)が
「山城郷土資料館の所には2個、あるんですよR163でローソンのちょっと先、左側に山城郷土資料館があって建物の前庭に・・・」っと教えてくれはりました。
山城郷土資料館の前はよく通ってるところです、加茂支所も観察会の待ち合わせとか、いろいろ・・・
両方とも気が付いてませんでした、そんなワケで写真を撮ってきました。

これらの石材は大坂城の改築の時に伊勢津藩の藩主、藤堂高虎が自ら加茂に滞在し現在の加茂町大野山から切り出した大坂城石垣修築用の石材です。多くの石材が木津川を下って大坂へ運ばれましたが、なかには、のちの修理用のために備蓄されたモノもアリ木津川と赤田川の合流点を中心に約500個残っていたことが知られています(案内板より)



クリックすると拡大します

山城郷土資料館の前庭に2個並んでました、なんと桜の樹の下に。




加茂支所の「加茂文化センター」の前に、確かに・・・




「そこにモノがあっても知らない時は見えなくて、知ったら見えてくる」
ナルホドです。

大阪城に行くと藤堂高虎が切り出した石に出会えるかも?(探せば・・・)

ここで河川レンジャーのFさん登場、
ちょうど残念石があった辺りで魚とりをされてたとか・・・木津川っていつも川の形が変っていくんですよとか、川の中がジャングルのように木々が生え茂ってしまって残念石は何処に?コレでは洪水対策にはアカンなぁっと、伐採してもらったら残念石が現れた・・・それからも洪水が来るたびに埋まってしまったり、また現れたり、今は見つかった時よりちょっと埋まってるそうです。
「尚、只今、木津川展開催中です、トイレ休憩をされてぜひ木津川展に寄ってください」っと。

ちょっと、トイレをお借りして、木津川展も見せていただいて開き橋を渡り「祝園神社」へ

祝園神社

今度はふるさと案内人のMさん登場。
武埴安彦(たけはにやすひこ)の霊を鎮めた神社。 ➱こちら

奈良の春日大社からの勧請。
(古い石灯籠を見ると『春日』の銘がありました、確かに)



「精華町の社寺と美術」(精華町発行)によりますと・・・っと難しい漢字や言葉を易しく解説されながら読み上げてくださいました。
「精華歴史物語」にも(祝園の地名について、日本書紀の伝承によって・・・っと載っているそうです)
図書館にあるそうなんでいっぺん手に取って、祝園神社の成り立ちをお勉強ですね(出来るかな?)

祝園神社は創建770年、正面に石灯籠があります


石灯籠が真ん中に一基建っているというのは約1千年以前の神社・仏閣にあるっといわれてます。コレだけで古い神社なんだなぁ・・・っと。
奈良では唐招提寺、薬師寺、興福寺、秋篠寺、東大寺(銅の灯籠)
石灯籠ひとつ見ても「ここは古いんだなぁ・・・」祝園神社は古いんですよ(ほぉ~~です)。
◆いごもり祭り
お正月の三日間、町中が灯りを消し、一切の物音を謹慎する習わしになってます。
二日目の大松明の神事の時には、夜暗くなってからになるんで「ふるさと案内人」の方が祝園駅から往復、案内して下さるそうです。今年は二十数名の方を案内されたとか・・・
来年も「いごもり祭り」案内されるそうですよ、わんちゃん的には要チェックです。

「せいか小さな旅」コースの最初にお参りした湧出宮も「いごもり祭り」の神事が執り行われます、祝園神社とはまるっきり無縁じゃないみたいです。

マンホール


真ん中に町章、きらびやかな町名(精華)の割りに地味・・・ちょっと残念。けど、シンプルなデザインこれはこれで良いのかも?
これこそマンホール蓋ってカンジがする・・・ご覧の通りデザイン蓋ではありません、で残念な精華町のマンホール蓋です、。



「せいか小さな旅」はここで解散、皆さんと祝園駅まで歩くことに、
祝園駅から「せいかくるりんバス」でとか、JRで木津方面へとか、祝園発のバスでとか、近鉄でとか・・・。
ここ精華町に移り住んで早や40年とちょっと、ジックリと精華町のこと知り始めたところのわんちゃんです、今更ながらですが・・・