【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

旧郡山街道をてくてく!ふるさと発見の旅~秋~ 2022-11-19

2022-12-10 | 健康ウォーキング
ふるさと発見の旅~秋~
「旧郡山街道をてくてく!」
知っているようで知らない『古都奈良の文化財』
コース
近鉄平城駅→日葉酢媛命陵(ひばすひめみことりょう)陵山(みささぎやま)古墳→平城天皇陵(へいぜいてんのうりょう)市庭古墳→平城宮跡歴史公園→大和西大寺駅
わんちゃんは西大寺にお使いに行った日など、帰りは西大寺の奈良ファから平城まで散策します。大きな池があったり木立でさえずる鳥たちの声を聴いたり、ホンマにゆったりと時が過ぎるといった、いい散歩道です。
この辺りは山陵町っというくらいですから、御陵は何か所かあります。
歩き始めて見事な紅葉に出会った


日葉酢媛命陵(ひばすひめみことりょう)陵山(みささぎやま)古墳

【日葉酢媛命陵】⇔こちら
この古墳の特徴は、古代、位の高い者が亡くなると近習(きんじゅ)の者たちが墓の周りに埋められる風習があったが、垂仁天皇はこれに心を痛め日葉酢媛命(垂仁天皇の皇后)が亡くなった際には、能見宿祢(のみのすくね)=相撲の神様の進言により殉死に代わって埴土で人や馬などを作り、陵墓の周りに建てることとした。これが埴輪の起源になったという説である。

畑の端でおしゃべり中の女性が二人。

案山子だった、よ~おできてるなぁ!!っと行き過ぎる誰もが感心する。

道端のサクラタデ見逃さなかった、大好きな野草。
 
サクラタデ(桜蓼、学名: Persicaria odorata subsp. conspicua )タデ科

市庭古墳・楊梅陵(やまもものみささぎ)

第51代平城天皇の陵【平城天皇陵(市庭古墳)】

イチョウ

平城旧跡の大きなイチョウの木

ススキ【平城宮跡のススキ】こちら



近鉄電車からも見えるのどかな「秋の風物詩」

遺構展示館

 

発掘調査で見つかった遺構をそのまま見ることができるほか、第一次大極殿や内裏の復元模型を展示しています。

東院庭園


 

「東院庭園」は、称徳天皇の時代に宴会や儀式を催した庭園を復原したもの。
平成10年4月に完成し、公開されています。長年の研究成果をもとに復原されており、奈良時代の有様を偲ばせてくれます。

平城宮いざない館こちら






平城旧跡はこれからのシーズン鳥撮りに最適です。こちら、アリスイ撮りに行った時
野鳥チェックリスト平城旧跡こちら

ふるさと発見の旅~春~ 2022-4-16

2022-04-27 | 健康ウォーキング

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
ふるさと発見の旅~春~

多世代間交流
青葉につつまれた天空の回廊を歩こう!
春爛漫の「神奈備丘陵」を巡る旅 高船~天王~水取
《コース》徒歩区間:約4.5Km
奈良交通バス91系統 高船行(570円)三山木駅西口3番乗り場9:29発⇒高船9:58着
高船農産加工センター⇒高船極楽寺・石船神社⇒笠上神社⇒朱智神社⇒天王・極楽寺(昼食)⇒一石多尊石仏⇒水取バス停⇒奈良交通バス90系統 三山木駅前行(300円)水取14:58発⇒三山木駅15:10着

バス停 高船

バス停の時刻表見たら、な・ん・と一日に2便!!
1高船農産加工センター

地元産にこだわった漬物・みそ 高船農産加工センターこちら

同行メンバーに、凄くお味噌に拘っている人が居てた、特にここでのお味噌を・・・その日は売り切れていた。
お求めはここで!
まごころ込めた製品を一度ご賞味ください。季節によって並ぶ商品が異なります。
・普賢寺ふれあいの駅
・にこにこ市
・駅ナカ案内所(近鉄新田辺駅西口)
・アル・プラザ京田辺(毎月第1・3土曜日)
・LOVE 京田辺マルシェ(ブランチ松井山手で3カ月に1回程度開催)
・市内イベント
・産直市場よってって枚方北山店(枚方市)

1-1徒歩で極楽寺(高船)へ



 
五重石塔2基(庫裏《本堂横の住居》横に設置
北側1基はもと七重塔で、軸部に四方仏を刻む
南側1基は軸部には、四方に梵字を刻む

1-2石船神社(いわふねじんじゃ)

 



2笠上神社

 


瘡(かさ)神社とも呼ばれ、瘡(天然痘)を患う人たちの平癒祈願の信仰がある。
本殿前には左右に石造狐が鎮座している。元は稲荷神社であったのか?
境内は京田辺市の最高地所でもあり、南山城南部や奈良方面が眺望できる景勝地であり(春の桜がキレイとある。)


キモチいいほどの見晴らしの良き事。

3朱智神社



朱智神社 (京都府京田辺市天王高ケ峰)⇒こちら
4天王極楽寺こちら






ここで、昼食タイム、境内で思い思いの場所でお弁当を広げた、ふと見るとこのお寺の周りは桜の樹が植樹されてある、満開の頃はさぞや・・・

5一石多尊石仏碑(天王共同墓地斎場)

入り口正面斎場奥に此の多尊石仏が三基と向かって左には地蔵と阿弥陀石仏。
向かって右から三十三観音碑、十六尊仏碑、十六尊仏板碑と三基が仲良く並列しています。
京田辺市 天王(てんのう)墓地の一石多尊石仏/他 ぺんさんのblog愛しきものたち⇒こちら




6マンホール
 

市の花ヒラドツツジと、中央に市章がデザインされています。 下部に「ひらどつつじ」「おすい」と書いてあ
ります。
市章は、京田辺の田の文字をかたどり、丸い円は市民の融和を意味し、横に突き出た部分は無限にのびゆく京田辺市を表現したものである。
汚水管マンホール蓋
【おまけ】
京田辺市には極楽寺が4か寺あるという京田辺・極楽寺巡り⇒こちら
さて、ここで天王から徒歩で水取バス停へ出て、バスで三山木駅に向かうのと三山木駅までここからずっと徒歩でっというのに分かれた、わんちゃんは何気なく「歩き組にご一緒しまぁ~す」
歩きましたね、三山木駅のホームでバス組に追いつかれました。
この日の歩数計は、な・ん・と21236カウントしてました。

大仏鉄道遺構めぐり 2021-11-13

2021-11-22 | 健康ウォーキング

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう
ふるさと散歩:NPO法人 ふるさと案内・かも

★大仏鉄道とは
現在のJR関西本線の前身「関西(かんせい)鉄道株式会社」が、名古屋方面から大阪に向けた路線を計画していました。その内、加茂から奈良の路線は山の中を最短距離で大仏駅へとつないでいました。距離は8Kmです。この路線の通称が「大仏鉄道」です。
この大仏駅は明治31年4月に開業しました。このお蔭で伊勢や名古屋からの、大仏参拝客が大勢利用し始め、一条通から東大寺転害門近辺の通路は大いに繁盛しました。翌32年5月には念願の奈良駅までの延長、乗り入れを果たし大阪への交通の便も大幅に改善されました。
しかしその結果、大仏駅の利用客は減り奈良駅からの利用客が増加するようになりました。おまけに大仏線は急坂の黒髪山をトンネルで超える難所がある一方で、加茂から木津へ新設した平坦路線が明治38年に奈良線・片町線とともに木津駅で直結することになり、大仏線の客は急減していきました。その上に鉄道の国有化法が明治40年から施行されることになって、ついに大仏線は明治40年8月廃線となってしまいました。わずか9年の営業でしたが、加茂の町の発展にとってはとても有意義な鉄道であったと言えます。

1ランプ小屋




機関車の前照灯や客車内の照明灯、列車の尾灯などには石油ランプが使われました。この建物は、石油やランプ類を保管するための倉庫です。
オランダ積みの赤レンガ造りで、切り妻瓦屋根の倉庫としては珍しく明治30年10月完成の建物です。

2.C57型蒸気機関車




静態保存されたC57型(SL)で、昭和47年4月に残っていた旧大仏線の線路を使ってここに設置され、保存・展示されることになりました。主に客車を引いて、急行列車として走りスピードも出ていました。昭和3年4月当時の皇太子殿下(現上皇様)がご結婚報告の為。伊勢神宮及び畝傍御陵参拝の折り、お召列車を引いた機関車です。

3.4.観音寺橋台。

「わんちゃん、電車の音が聞こえるよ」っと。そばにはここを通る大和路線の時刻表がありました。

鹿背山橋台


加茂駅から西に向かって南側に、大和路線と並行に築堤跡といくつかの橋台が見られますが、代表格がこの二つです。これは御影石の切り石積みで、100年を過ぎた今も亀裂もなく、当時の工事の素晴らしさが伺えます。

5.梶ケ谷隧道(トンネル)


線路の築堤を造る際、農道と水路を確保するために設けたトンネルです。築堤は少し前まで道路として使っていました。近くのゴルフクラブの入り口から見ると、一目で軌道跡と分かる風景が残っています。
今は城山台の開発で新しい広い道路ができています。したがって今は全く使われていません。このトンネルのアーチはイギリス積みレンガ、側壁は御影石という贅沢な造りです。赤橋とともに大仏鉄道遺構の代表格と言えます。

6.赤橋


下梅谷への旧市道に架かる大仏鉄道線路架橋で、赤レンガ造りで角のところには御影石で補強をされています。他の橋台と比べて、一番高くきれいで見ごたえがあります。見上げると今にも赤い機関車が走ってきそうな景観を残しています。

7.井関川橋梁跡
井関川を跨ぐ鉄橋があった所です。現在では、当時を偲ぶ痕跡は見当たりません。南北に走る道路に、線路跡を思い浮かべるぐらいでしょうか。

8.松谷川隧道


ここは大仏線築堤の下を農道として長い間使用されてきました。高さ4m,巾2.3m,長さ15mのトンネルです。今は宅地開発で一方が塞がれ、通り抜けることは出来ません。

9.城山台公園(大仏鉄道公園)

芝生の広場が広がるこの公園は、別名を「大仏鉄道公園」と呼び、廃線モニュメントが置かれています。

ここで解散、梅美台西バス停からバスで加茂駅前へ、その前にランチです。

松谷川隧道のそばから見えてました。
梅美台西:幡 本店 Lier幡 | 幡・INOUE (asa-ban.com)

1茶美豚のソテー
2オニオンソース副菜
3 蓮根のマスタード和え
4人参の卵炒め
5胡桃じゃこかぶと薄揚げの味噌汁
6 古代米のごはん

中食ランチ ¥1,760(税込)
中食とは外食と家庭料理(お家ごはん)の中間を意味し、素材を大切にした味付けを心掛けています。
季節により献立は異なります。とのメッセージあり。
このお店は近鉄大和西大寺駅の駅ナカ(タイムズプレイス)にもあります。

大仏鉄道の大仏駅まで歩いたことがありました。こちら

曽爾高原

2021-11-19 | 健康ウォーキング

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
大自然のすすきの中で のんびりしてみませんか









灯篭が続いてました、ライトアップされるとか?(幻想的やろなぁ・・・)





 



曽爾高原はススキで一面に覆われた草原で、2月から3月にかけて毎年山焼きが行われ、春から夏にかけては一面に青い絨毯が敷かれたような爽快な姿をみせます。秋にはススキの穂が陽射しを浴びて銀色・金色に輝き、毎年たくさんの観光客が訪れます。また、曽爾高原の中腹には「お亀伝説」が残るお亀池があり、湿原特有の希少な植物を見ることができます。
曽爾高原のススキは、かつては村内の民家の屋根の材料として使われていましたが、トタンや瓦が普及したことにより年々使用が減っていきました。そのため昭和44年春には、杉などの植林が進められたそうです。
しかし、村ではこのすばらしい景観が杉山などに変わっていくことは忍びなく思い、約40haのススキの草原を奈良県に保護してもらうことになりました。
その後、ススキ(多年草)以外の植物の生育を抑えるため、毎年2月から3月にかけて山焼きを行っています。その際に出た灰はススキの肥料として利用されています。
こうした地元の人々の努力によって曽爾高原のススキは守られています。
《曽爾村観光ガイドブックより》

ランチは?
そば処:黄色いのれん




「わんちゃん、ちょっと見てみて」




まだまだ腕は発展途上ですが、お客様の「美味しかった」その一言が嬉しくて今日も蕎麦打ちしています
店主敬白

屏風岩公苑

春の桜のころ、もういっぺん来てみたいなぁ・・・

大野寺



👆の枝垂れ桜
あの桜のように春になったら元気な姿に出会えますように・・・こちら


大野寺(おおのでら)弥勒磨崖仏⇒こちら



≪大野寺弥勒下生線刻大磨崖仏≫撮りたくて川原に下りていったら、ギンナンがコロコロっと落ちていた、リュックからビニール袋を出して拾いました、ウチに持ち帰り水に浸けて・・・10粒ほどやった、封筒に入れてレンチン50秒ほど、キレイな緑色の実、美味しくいただきました。

大自然を満喫の一日でした。

山背古道

2021-04-26 | 健康ウォーキング

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

湧出宮 一の鳥居


JR奈良線棚倉駅前に、古社、涌出宮があります。 正式名は、和伎座天乃夫岐賣(わきにいますあめのふきめ)神社。 「腋杜(わきのもり)」の中にある神社です。
創建は今より1200年前の称徳天皇天平神護二(766)年、伊勢国五十鈴川の畔より、御祭神としてこの地に勧請したと伝わる。
 天乃夫岐賣命とは天照大神の御魂であるとされる。 大神をこの地に勧請したところ、一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったという。湧出宮という謂われである。
 山城の祈雨神十一社の一社、延喜式八十五座の一として朝野の崇敬を受けた。

居籠舎

涌出宮の居籠祭(いごもりまつり) - 木津川市 (kizugawa.lg.jp)⇒こちら
毎朝、農家が運び込んだタケノコが並ぶ棚倉筍卸売市場(京都府木津川市山城町)

春の味覚・タケノコの季節到来 京都・木津川のJA卸売市場で初市こちら

蟹満寺




蟹供養塔


蟹満寺は、普門山と号し、かつては「紙幡寺」「加波多寺」とも言われました。白凰期の末期(690年代)に、秦氏によって建立されたと伝えられています。 『今昔物語集』や『古今著聞集』に出てくる「蟹の恩返し」で有名です。
※蟹の恩返し・・・観音を厚く信仰していたある一人の娘が蟹を助けた。後にその娘が蛇に求婚されて困っていると、蟹が蛇を殺して恩返しをしたという話。
 国宝の釈迦如来坐像(高さ2.403m、重さ2tの金銅製)の造立は奈良時代以前と考えられています。

綺原神社 こちら


参道にかかった榊の勧請縄が印象的です。

綺原神社の境内のかたすみに牛。
菅原道真公を祀る天神社があるからですね。

橘諸兄公旧跡

橘諸兄公旧跡参道
 

橘諸兄は、井堤寺を建立するなど井手を拠点として活躍した奈良時代政治の要人です。
684年に生まれ、740年に45代聖武天皇を井手の玉井頓官にまねき、749年には正一位左大臣になったと伝えられています。 また、「万葉集」の撰者としても知られた文人で、父美努王とともに井手の地を愛し、玉川岸にヤマブキを植えたといわれています。

玉川でやまぶき鑑賞



玉川堤には山吹を詠んだ歌碑がいっぱいあります。こちら
見上げるとモミジの青葉がキレイ

小野小町のお墓にも寄ってみましょう、民家のすぐそばに・・・
小野小町の墓こちら



お昼ごろ


日暈 (ひがさ、にちうん・halo、英語読み: ヘイロー)、虹 のようにも見えることから 白虹 (はっこう、しろにじ)ともいう。太陽 に薄い 雲 がかかった際にその周囲に光の輪が現れる 大気光学現象 のことである。

ここで終点ではないのです、足元の道路に埋め込まれた「山背古道」の道標も招いてくれてました、
山背古道を歩いてて、足元のアスファルトで発見、丸い小さな道標





標高が思ったより高かったみたいです、見晴らしがよかった。

遠くにアレは生駒山?かな?
さすが、筍の産地竹林は見事に整備されてました。
JR山城多賀駅から電車に乗って帰路に。
棚倉の駅近くになってふと、窓の外見ると朝方、満載だった筍は空っぽになってました。
マンホール:井手町

町の花「ヤマブキ」と井桁が描かれている汚水用

山城町


京都府の山城町(やましろちょう)は2007年3月12日に木津町・加茂町と合併し木津川市となった。
町の花「キク」町の木「モミジ」そして
特産品のタケノコとお茶の花が描かれている
中央は合併前の町章で「山」を図案化したもの

道端のお花たち

ニワゼキショウ(庭石菖)アヤメ科


カワヂシャ(川萵苣)オオバコ科


ナヨクサフジ(弱草藤)マメ科


クサノオウ(瘡の王)ケシ科


カキドオシ(垣通し)シソ科


トキワツユクサ(常磐露草)ツユクサ科





毎日ウォーキング

2019-01-12 | 健康ウォーキング
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
今年は元旦に歩数計はイキナリ18366歩をカウント
こちら
2日~6日までは大した歩数もなく「コレはアカンで」っと・・・
スケジュール表を見ると7日は白紙、じゃ、徹底的にウォーキング頑張ろうっと。
おにぎり、お茶、おやつをデイバッグに入れて、ウチから北へ田んぼや畑の中の農道をノンビリウォーキング・・・
すると、足元にはもう可愛いお花たちが咲いてる、

おやおやタンポポ?これはセイヨウタンポポやね。



夏に田んぼの縁を真っ黄色にしてたヒレタゴボウ
(アメリカミズキンバイ)

2018-9-02

種を飛ばした跡がある。


堤防に上がって玉水橋を少し北へ船の休憩所でランチ、熱いお茶を用意して良かった、午前中はお日さま燦燦あったかかったのに、午後になると雲に隠れて風も出てきた、おみかんやジュースも持ってきたけど寒いので即バッグの中へ。

この辺りには🚻がおまへん、農道を近鉄三山木駅に向かってウォーキング
ノボロギク
 
ホトケノザ
 

ナズナ


オランダミミナグサ


オオイヌノフグリ


アメリカフウロソウ

ちっちゃい葉っぱ紅葉してる

近鉄三山木駅に急ごう。
ここの🚻は改札入ってホームに上がりっとの段取りやわ、アカンなぁ。近くにスーパーがある、そこは表側にあった。
それからは下狛郵便局へ行きたかった、暮れに喪中はがきいただいた方たちに「寒中お見舞い」絵手紙したので出したいし、年賀状の書きつぶしや古い年賀状で試し刷りしたのんやら切手に交換したく思った、近鉄の線路とJRの線路の間の細い道をてくてく歩いた。
郵便局の中は暖かかった、書き損じた年賀状が82円切手数枚と交換していただきました。郵便局からはむくのきセンターに行ってちょっと休憩したいと思った、精北小学校の横を通りむくのきセンターで🚻休憩.

ユリノキ



むくのきセンターのユリノキの花 こちら

2階自販機の部屋は暖かいのでみかんを取り出してたら「あら、わんちゃん」っと声がかかった、10年前に勤めていた頃の同僚らしい、すっかり忘れてしまってる、いろいろ話してて「あっ!思いだした」最近の会話ってわんちゃん的にはいつもこんなカンジ。むくのきセンターを出て堤防に上がりウチに帰ると歩数計は19383歩カウントしてた。
わんちゃん的には割と熱心にウォーキング実行している。
と、いうのはこういうこともあるから
こちら

梅の初だよりいただきました

水景園で真っ先に咲く梅の木2019-1-09



2019年 初日の出ウォーク

2019-01-01 | 健康ウォーキング
「初日の出ウォークは重ちゃんが仕切ってる、参加不参加知らしてあげてな」っとCHIKAちゃんから・・・
「重ちゃん、初日の出ウォーク参加します、今年の日記帳によると6:00馬渕出発とあります、おんなじですか?」
「わんちゃん、こんばんは、初日の出ウォーク参加ありがとう、馬渕出発時間が5:30になりました、車は私の家に停めてもらって良いですよ」
「ありがとー、じゃ、5:15に重ちゃんちに行くことにします、ヨロシクです」
4時起床、重ちゃんとこで由美ちゃんと待ち合わせ3人で馬渕まで歩きます。
堤防に上がるとライトがチラチラ、顔ぶれは7人
歩き始めは真っ暗、転ばないように慎重に歩くわんちゃんです。自転車道をおしゃべりしながら歩きます。泉大橋の側道を渡りきると、そろそろうっすらと明るくなってきました。





河川敷の中にトイレが見えました「ここのトイレはキレイよ今のうちに行っといたら」っと重ちゃんのアドバイス、土手を直線に下りようとするわんちゃん「わんちゃん気ぃつけや斜めに下りないと滑るでぇ草に霜が付いてて滑りやすくなってるよ~~」ユックリ踏みしめ下りかけたらシリモチついてしまった、あらあらそのまんま下までズルズルズル~~
用を済ませて初日の出に間に合うようにみんなのところに必死で堤防へ上がった。
友だちに初日の出撮りおろしを送ろうとしたら、あらあらスマホがない、わんちゃん大慌て・・・
みんな手分けして探してくれた「わんちゃんのスマホに電話しよう」どっかで鳴ってそう。
土手の真ん中あたりに転がってた『良かった!!見つけてくれた由美ちゃんおおきに』
ズボンの後ろポケットに入れてたのが転がり出たらしい。

早速、初日の出撮りおろしを友達に

7:12
「気持ちいい初日の出やったんやね、頑張って歩いたのね」

それからは開橋に向かって木津川右岸堤防をひたすら歩く。

途中ローソンで一服、ホットコーヒーが美味しかった。
「ここで、祝園神社に初もうでとします」っとCHIKAちゃん







みんなで初もうでの後、西北区から中区の住宅街を通り馬渕区への分岐点で解散。
歩数計は18366カウントしてました。
さっ!今年もウォーク頑張るぞ・・・

【おまけ】
泉大橋を渡って堤防を200mくらいのとこに

西へ京都街道 玉水二里 長池三里 新田四里


南へ挑川(木津川の意味) 木津町五丁 奈良一里

「ここに書かれているモモカワって?」
「あっソレは桃川ではなくって挑川(いどみがわ)、万葉の昔、崇神帝の十年役があったころ、この木津川はイドミガワっという名だったんですよ、コレが後に泉川に変わり、そこの泉大橋に名をとどめていますね」
昭和4年春 京都の三宅安兵衛さんが建立された石碑ですが、この時代は財を成された方が石碑を私費で建立されるのがブームだったようです。東は笠置山街道で「加茂ステン所 一里余」とあります。ステン所とは、昭和の初期はステーションをこう書いていたんですね。この石碑のすぐ脇に昔の泉橋の橋げたが3本ほどゴロンゴロンと横たわったままになってます。その橋を南へ五丁進むと木津町の宿場、この道筋が昔の奈良街道だったんですね。
三宅安兵衛さんこちら


東へ笠置 伊賀上野 瓶ケ原 恭仁大極殿 加茂ステン所


もう一つの面には 昭和四年 三宅安兵衛

このコースを土・日にはジョギングしてたと重ちゃんが言うてはった。



風情ある歴史の散歩道 天王寺七坂

2017-12-23 | 健康ウォーキング
「天王寺七坂ってなんですのん?」
「まぁ、行ってみなはれ、歩いてみなはれ」
天王寺七坂(てんのうじななさか)
大阪市の中心部を南北に走る上町台地。天王寺区内には、その上町台地の西縁に沿って「天王寺七坂」と呼ばれる坂があります。

北から散策した場合、一番初めの坂は
1.真言坂(しんごんざか)


現在は千日前通りから生國魂神社北門までの短い坂ですが、千日前通りができる明治末期までは、きたにある高津宮の参道から続く長い坂でした。かつて、生國魂神社の北側には真言宗の寺ばかり6坊(医王院、観音院、桜本院、新蔵院、遍照院、曼陀羅院)あったことから、「真言坂」と呼ばれたそうです。
その辺りに大きな銀杏の木、根元にいっぱいギンナンが落ちてます、わんちゃん的には見逃すわけにはいきません、拾い始めました、ビニール袋に入れ始めて気が付いた「もっと大きな袋持ってくればよかったなぁ」



2.源聖寺坂(げんしょうじざか)

坂の上り口にある源聖寺が名の由来です。
坂の上にある銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)に出てくるお千代・半兵衛の比翼塚があります。

3.口縄坂(くちなわざか)




坂の下から眺めると、道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから名付けられたそうです。大阪を代表する坂として、よく被写体となる人気の坂です。
この「口縄坂」の坂の上には、織田作之助の文学碑。またそこから少し南側には、鎌倉前期の歌人で新古今和歌集の選定者、藤原家隆の墓があり、その一角に顕彰碑が建っています。

4.愛染坂(あいぜんざか)





坂の下る口にある、愛染かつらで有名な愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)が名の由来です。

けいだいの多宝塔は大阪市内最古(1600年)の建造物で、重要文化財に指定されています。


大きな桂の木にノウゼンカズラがしっかり巻き付いてました

5.清水坂(きよみずざか)
坂の上の清水寺から由来しています。この清水寺境内には、通天閣などが一望できる格別の眺望です。

また、この寺の境内の崖には、大阪市内唯一の滝「玉手の滝」が流れています。

6.天神坂(てんじんざか)

坂の下の安居天神(安居神社)から由来。

この神社の境内には、真田幸村の戦死の場所で、本殿わきに「真田幸村戦死跡の碑」があります。また、境内のすぐ下に、荒れ果ててはいますが、天王寺七名泉の一つ「かんしづめの井」を見つけることができます。(天王寺はかって名水どころとして有名でした)
7.逢坂(おうさか)
西側から四天王寺西門に至る坂道です。昔は「合坂」とも表記されていました。この坂の下の辻は「合法ケ辻(がっぽうがつじ)」と呼ばれ、聖徳太子と物部守屋が仏法を論じ合い、法を比べ合わせた場所だといわれています。そこから由来したなどの諸説が伝わっています。
残念ながら、現在の「逢坂」は国道25号線であり、他の坂と違って往古の風情は感じられません。
   
一個だけハンコが押してある天王寺七坂スタンプラリー完成するべく頑張りました。


最後の七個目は一心寺で捺印していただき、完歩証を発行していただきました。

♪ あなたのもとへ 幸せがいっぱいとどきますように♪

天王寺七坂 ご利益いっぱい 歴史も満載 スタンプラリー
天王寺界隈の上町台地の西側にある七つの坂を天王寺七坂といいます。それぞれに深い歴史を刻んだ坂道、たくさんの寺院や石碑をみながら散策して下さい。
夕方は 日想観の夕陽おみのがしなく!!

一心寺

この一心寺はわんちゃんのおばあちゃんがお骨仏となってお祀りされています、その仏様を熱心に拝みました。


茶臼山に登ってきました、ハルカス、通天閣がすぐそばに見れました。







天王寺公園を通り、JR天王寺駅から帰路につきました。

正暦寺への道 2017-11-15(水)

2017-11-18 | 健康ウォーキング

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

「お母さん“もみじ情報”で、正暦寺見ごろってなってるで」っと、夕刊を見ながら長男が言う。
今の時季、朝日新聞の夕刊に火・木・土には関西の「紅葉だより」が載っている《色づく》《見ごろ》《落葉近し》っと。
正暦寺は見ごろ「あ、そう 行きたいなぁ、けど、今週のカレンダーは予定で真っ黒、来週やったら隙間があるけど、もう遅いかなぁ」
うん!!歯の健診の予約を変更してもらうことにしよう・・・

興福寺の境内からスタート、しばらく歩いて鹿さんたちとご挨拶

民家の軒下に(スズメバチの大きな巣)


え~~っと、興福寺境内⇒春日大社一の鳥居⇒浅茅ヶ原(鷺池に沿って)⇒志賀直哉旧居⇒飛鳥中学校⇒百毫寺東の道を歩いて高円山(大文字山)登山口の立札を見て、しばらく行くと右手に県道8号線に出る舗装道路が有るがその手前左に東海自然歩道の標識の有る山道に入る⇒坂を下ると工場横に出、高円山ドライブウエイに出る県道8号を横断、すぐ正面の農作業用の狭い道を行く。ちょっと細い道を歩く(東海自然歩道)この辺りは奈良盆地を一望できる田園風景が楽しめる。民家の間の道⇒鹿野園町(ろくやおんちょう)⇒八坂神社⇒鉢伏町(平坦単調な上り道つづく)⇒杉と桧の植林(ほんとうに静寂そのもの忘れられたような山道)⇒スゴイ大きな石がゴロゴロ(雨の後や増水時足元注意)





足をのせた石がゴロンとならないよう、注意深く踏みしめて確かめながら(浮石に注意しながら・・・)⇒名荷と正暦寺の分岐(このコースの最高点⇒標高約370m、ちなみに興福寺辺りで標高90m位)から正暦寺までは約1,600mだから時間にして30分強の沢下りだった。
先程の最高地点の話に戻ると370m-90m=280mの小さな山に登った感じ・・・うん、よく頑張った・・・と、思う。

視界に紅葉の明るい色が飛び込んできた、

正暦寺に到着。

本堂鐘楼



本堂下にある僧侶の供養塔・墓石群



経(たて)もなく、緯(ぬき)も定めず、娘子(をとめ)らが、織(お)る黄葉(もみちば)に、霜な降りそね
万葉集1512 :大津の皇子
意味:山の紅葉を、乙女たちが織る布に見立てて詠んだのですね。機織りのときには、縦糸と横糸をきちんと決めて織るのですが、山の紅葉は自由気ままに織った布のようなのですね

福寿院客殿


わんちゃんは熱心に何を撮ってるの?

実は






カメムシ発見:クサギカメムシ

福寿院客殿で


仏具に・・・

境内の空き地でお弁当タイム、タラヨウの木発見


タラヨウの葉の裏に尖ったもので字を書くと文字が黒く浮かんできます。この文字は葉が枯れても、何年もそのまま残ります。

帰りは円照寺からバスで県庁前まで、との計画なんで正暦寺からはバス道を円照寺まで歩きました。
近鉄奈良行きの臨時バスが運行されてたけど敢えてウォーキングを選びました。
バス停円照寺に着くと30分ほどの待ち時間が、次のバス停(八島町)まで歩くことに決定。
八島町バス停で10分ほど待ってバスに乗り・・・県庁前で降車。


興福寺に寄って「西国33所観音霊場巡り」の御朱印をいただきました。

「重ね判でよろしいですか?」「はい、重ね判でお願いします」
この日の行程は約14km 歩数にして22,524歩 わんちゃんにしてはよく頑張ったと思う。
近鉄「てくてくまっぷ」を参考にしながら歩きました。



コースあらまし:てくてくまっぷ参照
全行程が約14キロと比較的長いため奈良公園内は素通り。
新薬師寺から百毫寺まではのどかな田園風景ですが八坂神社から正暦寺までは竹林・茶畑・深い杉木立と野趣たっぷりのコース。
靴は歩きやすいものが絶対必要。昼食好適地が少ないので、できれば早めに出て正暦寺でゆっくりと味わうのが得策です。



百丈岩

2016-12-28 | 健康ウォーキング

「湯船 大智寺開祖 大観禅師の足跡をたずねて」
和束 茶源郷ガイドの会 平成28年年忘れウォ-ク

百丈岩
行けそうで、なかなか行けない百丈岩

わんちゃんへ
12月10日(土)の和束・湯船百丈岩ウォークについてお知らせします。
今日、下見をしましたので現場の状況と当日の予定をお知らせします。
行程は片道2Km程ですが、松茸の時期が終わってあまり人が立ち入っていないようです。途中、幅1.5m~2m弱の沢を3カ所ほど渡ります(滑りやすいので要注意)
沢づたいの道は多少の高低差、細い個所や枯れ葉で滑りやすい個所もあります。
今日できる限りの応急措置はしましたが、特に要注意の個所は手すりがわりのロープを張る予定です。片道2Kmと短い行程ですが、山登りのいで立ちとストックを携行されることをお勧めします。
週間天気予報では雨の心配はなさそうです、当日は安全第一で楽しみましょう。っとグラウンドゴルフ繋がりのIさんから・・・
行ってきました。(グラウンドゴルフ繋がりの方が何名か参加されてて、おしゃべりもはずみました)


「わんちゃん ほら、見てみハート形!!」「ホンマやわぁ~」

「滑りやすいから、気ぃつけて渡りましょう」「ハ~~イ」


「この橋は滑りやすいので渡らないように!!」


滝の前に鳥居が


 

そばに小さな仏様が・・・
Iさんへ
滝のところに鳥居がありました、そばに石像。滝がご神体っと言うことでしょうか?
石像は守り神?何かご存じやったら教えてもらっていいですか?
多分、その時、説明があったと思うのですが・・・

Iさんより
和束には各地区に滝があって夏場(7月)に滝祭りが行われています。
不動明王(お不動さん)が祀られている滝は全国各地にあります。
滝のような修験の場の守り神として邪悪なるモノを退け、行を修める者の不動心を育み増長させる為に行場や滝に不動明王は祀られたのでしょう。悟りを開くために行を修めたお釈迦様に悪魔が誘惑を仕掛けた時にお釈迦様の心の中には不動心たる不動明王がいたという話もあります。ちなみに、古代では不動明王(や毘沙門天)は 漁師の守り神の恵比寿さんの本地仏とされていたり、波切不動の逸話もあり、水と不動明王は意外と共通点のある逸話があります。

Iさんありがとーです

そそり立つ大岩




百丈岩(花崗岩)

横幅:36m  高さ:32m  岩の上の広さ:八畳13㎡  
文殊菩薩
 

百丈岩と文殊菩薩
百丈岩は、和束町東部の鎌倉谷と呼ばれる渓谷に位置する。基盤地質は白亜紀後期の領家花崗岩類で、百丈岩も同種の岩石で構成されている。百丈岩は岩の上の広さがちょうど8畳ほどなので別名「八帖岩」とも呼ばれ、百丈岩大智寺の開祖である大観禅師(大有理有 1350~1391)が岩の上で100日間の座禅修業をしたという言い伝えがある。
県道5号線(木津信楽線)となっていますが、並行して流れる和束川と道路の間にカヤの巨木が目に入ります。幹回り3m近いカヤの木は大観禅師が山水の佳境が百丈岩にあることを知り、カヤの実を1斗持ち百日間の座禅をされ、文殊菩薩が現れたのを見て座禅をとき下山される時余ったカヤの実を道に蒔きながら里村に帰ったという、このあたりは榧樹原と呼びます。
そのカヤの巨樹とは・・・樹齢700年以上、碁盤や将棋盤の最高級品は、榧の木材で作られるとのこと。
(ザンネン写真無し)

腰にザイルは初体験


さて、土曜日に百丈岩登ってから筋肉痛に悩まされました、ふくらはぎは2~3日でマシにはなったのですが、太ももの表側の痛みが翌週の木曜日までとれなかったんです。それに、腰にザイルしたのも生まれて初めての体験でした。
★山歩きの難しさ解りましたか?特にこの季節落ち葉の急斜面の下降が続くとわんちゃんのいう通り足の至る所に変な力が入り苦労したものです。特に、和歌山県から奈良県に多い「ウバメガシ」の落ち葉は、難敵でした。葉っぱが固く表面がツルツルして足元が滑り大変でした。っと、山登りに詳しい方から・・・
わんちゃん的には距離があの距離(片道2Km)で幸いでした。
ちょっとちょっと、聞きましたよ「いっぺんは行ってみたいところ、されど二度とは・・・」って言うてはったんを。
メンバーの中にMさんがおられました、Mさんとは月に一度第1金曜日に例会のあるシルバー健康ウォーキングの仲間です、と、言いましてもMさんはその会では大先輩にあたります。輪が広がっていくのは楽しいことです。

笠置から柳生の里を歩く:ふるさと案内・かも 201612.03

2016-12-22 | 健康ウォーキング
JR笠置駅集合
参加者が100人超え、3班に分かれて・・・
1班:脚に自信のある方・・・
2班:まあまあ1班に遅れない程度に歩ける方・・・
3班:ゆっくり歩きたい、途中でリタイアするかもしれない(大丈夫だと思いますが)
わんちゃんたち(UさんもMさんも)は2班に。

笠置大橋の手前、河川敷遊歩道を歩きます

この場所は木津川市植物同好会の植物観察会でおなじみの場所ですがジックリ植物の観察はもちろん無し。

阿弥陀磨崖仏(まがいぼとけ)


笠置大橋のすぐ東方向の木津川左岸にある巨岩に、舟形光背(高さ110cm)の中に蓮華座に立ち来迎印を結ぶ阿弥陀如来(像高94cm)が木津川に向いてきざまれています。像の左右に『享禄5年(1532)道心二月二十八道光』と銘があります。元弘の役から二百年後に笠置寺への道しるべとして建てられました。

そばに小さな仏様が



この人たちは??

「写真の人達は、あのあたりに沢山ある大きな花崗岩によじ登る(?)ボルダリングをする人だと思います。
背中にしょっているマットは、岩に登る時、その下に敷き若し落下した時のけが防止に使用するものだと思います。
”笠置ボルダー“といって近畿地方でも有名な場所らしいです。」
っと、いつもこのblogを読んでくださってる愛読者さんから教えていただきました。

JR関西線の線路に沿って歩きます。


布目川の甌穴群


甌穴は川底のくぼみに渦巻流が生じ、中へ落ち込んだ小石が回転しながら川床を深く削ってできる珍しい穴です。特に布目川の堅い花崗岩でできた甌穴は、できるまでに数十万年から大きなものでは数百万年かかるものと推定されています。地元ではこの甌穴を「九つ壺」と呼んで親しまれています。
甌穴を見学後、元の道を歩き、橋を渡り布目川右岸を歩きます。

木漏れ日の中、森林浴を楽しみながら・・・


柳生の里へ出ました。





「あれ!ここは酒蔵だったんちゃうかな、確か『春の坂道』『柳生錦』とか錦生醸造だったと思うけど・・・」
今は柳生焼窯元の看板が・・・

柳生正木坂剣禅道場の庭でお弁当タイム

Uさんのお嬢さんたちが剣道をされてた時、ここで合宿されたとか・・・

芳徳寺の北50m、裏山の松林の中に柳生家一族の墓所があります。

柳生十兵衛をはじめ80数基の墓石が整然と並んでます、
ちょっと変わったのは酒樽の台、徳利の塔、さかずきの笠というのは

八代藩主の二男で俊睦っと。

芳徳寺
正式には神護山芳徳禅寺といい、柳生家の菩提寺。


笠置への道すがら

足元には紅葉のじゅうたん、見上げると青空に木々の紅葉が素晴らしかった。


天王山・アジサイの花

2014-07-09 | 健康ウォーキング
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
明智光秀と豊臣秀吉の山崎の合戦で有名な天王山。 山へ登り中腹あたりで、 木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川になるのが見えます。っという天王山に登ってきました。

JR山崎駅からちょっと歩いての離宮八幡宮で受付、ストレッチ体操。

離宮八幡宮


 

ちょっと境内をブラリ・・・ 
油座って知りました。 ⇒こちら


天王山登り口から頂上目指します、住宅街を歩くのですが、かなりキツイ坂道(この界隈にお住まいの方たち、日々のお買い物などタイヘンやろなぁ・・・とか思いながら)

天王山中腹に位置する宝積寺でちょっと休憩




奈良時代に聖武天皇の勅願により僧・行基が開いたとされる真言宗の寺院。通称「宝寺」。聖武天皇が龍神から御請来された如意御神器「打出」と「小槌」を祀るために開基された。本尊十一面観音菩薩像、三重の塔、閻魔大王坐像は重要文化財に指定されている。(えっ!もうちょっとキッチリ拝観するべきだったかな?)





木々の間をさぁ~っと吹き抜ける緑風に癒されながら・・・



(7月の例会なんで暑くってシンドイのを覚悟してたから・・・)

頂上は標高270m

「270mといえども、あなどれないね」っと。

柳谷観音でお弁当タイム
柳谷観音楊谷寺(楊とは柳)








古来、眼病平癒の「柳谷観音」の名で親しまれている。京都東山清水寺開創の延鎮僧都が、夢に現れた観音菩薩のお告げにより、西山の柳生い茂る渓谷の巖上に生身の観音菩薩を発見され、その場所に堂宇を建てられたのが始まり。

メグスリノキ


柳谷観音を出てちょっとしたところに弥勒谷十三仏(不動明王、地蔵菩薩、大日如来、虚空蔵菩薩、弥勒菩薩、釈迦など江戸期)が安置されています。





十三仏信仰は供養によって現世にて安楽、極楽浄土を願うという民間の信仰で、室町~江戸時代に盛んだったと伝わります

長岡天満宮






菅原道真公と牛について
官公は承和十二年(845)丑年の御生誕であります。
公は茸狩りの宴の際、いずこからともなく子牛が宴席近くに来たり、頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、大層お喜びになり御館に連れて帰り御可愛がりになりました。大宰府に御左遷の御時、刺客に襲われ御命も危うく見えたとき、荒れ狂った白牛が駆けいで、刺客から公の御命をお守りいたしました。よくご覧になると公が都で御愛育になっていた牛でありました。太宰府でお亡くなりになったとき、遺骸をお乗せした車を曳いていた牛が、途中で突然ひれ伏して動かなくなり、そこを墓所とし、現在の大宰府天満宮はその地に建てられたものであります。牛が官公の御神使となったのはこれらの事跡によります。(説明板より

マンホールの蓋:京都府長岡京市


「長」の字をデザインした市章と、名産品の筍と竹が描かれています。 このデザインの蓋は9000個程設置されていて、市章の上の方向に下水が流れるように設置されているそうです。

JR長岡京駅で解散となりました。
ホームで姫路方面行きのラッピングカーに遭遇


計画表の中にサントリービール工場見学っとありました、すでに申し込みが満杯で見学は無し!!
「う~ん、ザンネン」組はどこへ??
わんちゃんたちはJR京都駅SUVACOの甘味処にちょっと寄り道。

相楽健康ウォーキングの会:2014.7.04

カラオケ繋がりのNさんから旬なお便り届きました


アジサイについて
アジサイは身近で見るのには、こんもりと手まり状なのとガクアジサイとがあります、花のように見えるのは、じつは花ではなく装飾花でガクが大きくなってます、よくよく探すと花でしょ?っと思っていた中心に、ちっちゃな本当の花を見つけることが出来ます。











加茂船屋ひなまつり

2013-03-03 | 健康ウォーキング
上巳(じょうし)の節句にちなんで。船屋界隈は雅な世界に包まれます。ちょっといい春を見つけに出かけましょう。

加茂船屋ひなまつり

「うれしいひな祭り」  
サトウハチロー作詞・河村光陽作曲

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り

お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉(ねえ)様に
よく似た官女の 白い顔

金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒めされたか
あかいお顔の 右大臣

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り

道草さんからいただきました。

自分のお雛さまが欲しいなぁ・・・
子どもだった頃、母の田舎で古いお雛さまに出合いました、明治生まれの祖母のお雛さまと聞きました、母が受け継いだとも・・・。
「おばあちゃん、ウチで飾りたいからこのお雛様持って帰りたい」
「持って帰るってタイヘンだよ、見に来たらええやないか」
実際、段飾りのお雛さまは、当時の住宅事情では不釣り合いだったのかも?
大人になってから母と一緒に田舎へ帰った時には新しいお雛さまが飾ってありました、私の大好きなあのお雛さまはどうなったんだろうか?
船屋のお雛さま巡りをしていると、母の田舎で出合ったお雛さまを思い出しますわんちゃんなんです。




↑ 写真はクリックで拡大します。


【ひな祭りの起源】
ひな祭りの起源は中国渡来の「上巳(じょうし)」の節句です
上巳とは三月上旬の巳(み)の日のことで人々は水辺に出て人形(「ひとかた」または「かたしろ」といいます)に身の穢れを移して流すという風習(流し雛の原形)がありました。

2012年3月 木津川市加茂町『賀茂船屋ひなまつり』 ➱こちら
2012年3月 奈良県高取土佐町『町家のひなめぐり』 ➱こちら

【おまけ】
加茂船屋界隈でおひな様めぐりの途中で・・・
とある酒屋さんの店先に”お見事”カネノナルキ

カネノナルキ (金のなる木) ベンケイソウ科
別名:カゲツ(花月) オウゴンカゲツ(黄金花月)
和名:フチベニベンケイ(縁紅弁慶)
原産地:南アフリカ



カネノナルキは常緑低木で、樹高は無霜地帯の露地で栽培すると3m以上になる。葉は多肉質の長円形で長さ3cmくらい、明るい緑色で金属樣の光沢があり、辺縁部は赤く、特に秋から冬に鮮やかな色になる。葉に斑の入る種類もある。開花期は冬である。
英語ではdollar plantといい、葉が硬貨に似ているのが名前の由来である。日本では昭和初期に渡来した。栽培業者が五円硬貨の穴を頂芽に通して固定し、若枝が硬貨の穴を通ったまま成長するようにして硬貨がなったように見せかけ、一種の縁起物的な販売方法をとったため、「金のなる木」や「成金草」の園芸名で俗称されることが多くなった。
丈夫な観葉植物としてよく栽培されている。枝からちぎった葉1枚でも土に挿しておくと根を生やすほど生命力が強いため、繁殖は挿し木で行われるwikipediaより

サンシュユ(山茱萸) ミズキ科
呉服屋さんの店先で大きなカメに活けてありました


別名
ハルコガネバナ(春黄金花) 
葉より先に黄色い花が咲く、黄色というより黄金色。
アキサンゴ(秋珊瑚)
赤く熟した実から種を取り除き、乾燥した果肉が山茱萸(やまぐみ)と呼ばれる生薬になる。強精薬、止血、解熱作用がある

ウチの近所のお宅の門の脇にサンシュユがあります、自転車で駅まで行く通り道なんですよ、アキサンゴ(秋珊瑚)なる実を見過ごしてますねぇ、ヨシ、今年の秋には・・・

興福寺南円堂

2013-02-22 | 健康ウォーキング

  興福寺 南円堂:西国三十三ヵ所霊場第九番札所  


わんちゃんが西国三十三ヵ所霊場を巡るきっかけって何だったんだろう・・・って思い出してみました
琵琶湖1周ウォーキングに参加した1回目の時、長命寺に立ち寄ったことがありました。
一緒に参加したグループの中でわんちゃんひとり、西国三十三霊場納経帳を手にしました。このお寺からがスタートでした。
それからは霊場めぐりツアーに参加したり主人の協力で3年ほどかかって一巡でき、その納経帳は主人が亡くなった時お棺に収めました(お棺の内側にパラパラ~と広げて・・・)
それからはわんちゃんのために「青春18きっぷ」「スルッとKANSAI3dayパス」とかを駆使して一巡、7~8年ほどかかってますね。
ある時お参りされてるご婦人に教えていただいたこと「一巡しはったら重ね判をお奨めしますよ」って。
その方は十巡目っておっしゃってました、なんと納経帳のページは朱印で真っ赤、重ね判は朱印を重ねて日付を記入されます。
それからはわんちゃんも以前に朱印をいただいたお寺でも観察会の時とかウォーキングの会とかの折々にリュックの中に納経帳を入れるようになりました(時々忘れてはいますが)
そしたら「わんちゃんは信心深いのね?」と言われれば別にそうでもないんですよ、お寺ってどことも、お花がね、例えば桜、牡丹、藤、紫陽花、紅葉等々楽しめますでしょ。
お寺は平坦なとこばっかりじゃなくって、施福寺とか上醍醐時、長命寺なんてわんちゃん的にはスゴイ難所です、また那智勝浦の一番札所青岸渡寺とか姫路の第二十七番円教寺、天橋立の成相寺(第二十八番)、第三十三番札所谷汲寺(淡墨桜の傍)⇒岐阜県などは日帰り旅行気分で行けるじゃないですか。

第九番興福寺南円堂は奈良公園の中、鹿が遊ぶ広い公園の片隅のお堂

かなしみを眉根に耐へて合掌の阿修羅は佇てり興福寺の雨に―酒井友二
↑ 道草さんよりいただきました。

ちょっと周りをブラブラ
チョコチョコと動き回る小鳥、スズメかな?ちょっと違うけど。



早速、撮った写真を鳥に詳しい方に見てもらいました
「ビンズイですね」
”ビンズイはセキレイ科に分類されている鳥で、他のセキレイの仲間と同様、尾を上下に動かしながら、歩き回って餌を探していました。”ってblog友のblogに書かれたのを読むと、ナルホド確かに・・・

興福寺南円堂の左前に「右近の橘」




「右近の橘、左近の桜」は京都御所紫宸殿の階(きざはし)の両側にあって名高いですが興福寺は藤原氏の氏寺、「右近の橘、左近の藤」とか・・・


クリックで写真は拡大します


右近橘(うこんのたちばな)の説明看板がありました

そうそうマツグミもついでに観察して・・・
マツ科の木に寄生して生えるいわゆるヤドリギです。

今はこんな状態  2013.2.01

マツグミ(松茱萸)ヤドリギ科 奈良県RDBカテゴリー:絶滅危惧種

お花は夏(7~8月)に咲き、翌春(3~5月)に赤い実(グミに似ている)が生ると教えていただきました、お花も赤い実もまだ観察してませんのです、春になればぜひぜひ・・・
「マツグミの花と実」の写真は一足お先に ➱こちらでご覧下さい。

相楽健康ウォーキングの会2月例会「高円山(奈良大文字432.2m)に参加の日 ➱こちら 解散場所から近鉄奈良駅に向かうとき、ちょっと興福寺に寄り道・・・でした。


大井手用水:鎌倉時代の先人の偉業を見る:行程14㎞ ふるさと案内・かも

2011-02-21 | 健康ウォーキング
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫

主催 NPO法人ふるさと案内・かも
鎌倉時代の偉業を見て、その役割の大切さを実感しながらウォーキングしましょう。

「ふ~ん、真っ暗な隧道を歩くんやね~どんなんかなぁ・・・」
と言う思いが募って、その真っ暗な隧道を歩く会に参加してまいりました。

JR加茂駅から恭仁大橋を渡り加茂の町を通り和束町まで歩き和束川にある大井手用水路の井手枕(取水口)まで遡り、そこから大井手用水路に沿って千本枕(用水路の終点)まで歩き恭仁京跡で解散。

この日のハイライトはなんと申しましても隧道(ずいどう)歩きです。
大井手用水路の左側を用水路に沿ってず~っと歩くのですが途中、真っ暗な隧道(トンネル)を歩きます
隧道の長さは約250m
高さは人が真っ直ぐには立てない高さでした、ちょっとかがまないと頭が天井にあたってしまいます。
巾は1.8m
所々、水が溜まっているそうです、それで、隧道の入り口で長靴に履き替えました。


隧道の中は真っ暗です、懐中電灯は必携です。


真っ暗な隧道を歩く実況中継です

真っ暗な隧道の中を懐中電灯のささやかな光を頼りに歩いていると、
「カーブありで~す、こっから左へカーブしてま~す、ここら辺はまだ、天井は大丈夫で~す」と先頭集団から・・・
「は~い」と、後ろの方から返事があります。
「ここら辺は少し天井が高くなってまぁ~す、天井の高いとこで、ちょっと腰を伸ばしといて下さいよ~~、これからまだまだですからねぇ~~」
順番に立ち止まって腰を伸ばしてホッ!

「これって自然のままのトンネルなんですか?」
「いえいえ、掘ってるんですよ、ほらほら、アタマの上、岩岩岩でしょ」

「は~い、こっから腰を落としますよ~ハイ腰かがめてくださ~い」
頭上に岩がビュンと出てます
「コレは当たったら痛いでぇ~」
「まぁ、2~3回くらいはゴ~ンと当たりますよ~」

「雲母がキレイねぇ」懐中電灯を向けると、頭上の岩がキラキラ光ってるんですよ、

「ハイこの後、急に低くなりまぁす、かがんで下さ~い」
「オーケーで~す」

「ここね、初めて通ったときねぇ、コウモリが居やへんか、ヒルは?蛇なんかも居やへんかねぇ、心配でしたわ~~」

「おぉアタマ打ったぁ」
「これが、250mあるんだけど、250mって長いねぇ・・・」

所々、自然の岩のままだったり、また、所々鉄の型枠がはめてあったりします。
「この辺りは足元が乾いてますが、ちょっと行くとドボッと深くなるところもありますから、気ぃつけて下さいよ~~」
「あんまり湿気た臭いはしませんねぇ」
「ハイ、意外としませんねぇ」
「足元、気ぃ付けてくださいよ~ボコッと石が飛び出てるところもありますからね~」
「この辺りは水がドボドボですなぁ」
「ハイ頭打ちますよう、かがんで下さ~い」
とかなんとかワイワイ言いながら先頭から最後尾の人まで一本のロープでつながっていました。

「明かりが見えて来たよ~」
「もうすぐ出口ですよ~明かりが見えてきましたよ~~」
「ハイここ段差あり~」「段差あり~~」「は~い段差あり~」「オーケー段差あり~~」と、お口で連絡網

「着いた着いた、ハイ終わりですよ~」
「はぁ~ずっとかがみっぱなしだったんで、腰に来ましたなぁ・・・」
隧道を出たところで、長靴からトレッキングシューズに履き替えて足元もホッとしました。

「田んぼに水を入れるために・・・ですよね?」
「あぁ スゴイなぁ~~」

真っ暗な隧道を一人で、って言われたらアカンやろなぁ、30数人でワイワイ言いながら一緒だったから歩けたんやねぇ

「立春のこだま隧道抜けてくる」 田山諷子
↑道草さんからいただきました。

また、大井手用水路に沿って千本枕(終点)まで歩きました。

ここでは、用水路が二手に分かれていました。

「昔、ここは、流れてきた用水路の水を二手に分けたい為に松の杭を打って並べたと言われている所です」


ちょっと時雨模様の中を恭仁京跡を通りJR加茂駅まで歩きました。
恭仁京跡を通りかかったときから急に時雨が雪に変わり、寒かったぁ・・・

【おまけ】
大井手用水路
瓶原(みかのはら)は恭仁京の頃から水利の便が悪く、畑ばかりで米の収穫が殆どないところでした。
農家は旱魃(かんばつ)の被害を受け困窮しました。
鎌倉中期(1222)海住山寺慈心上人の努力で和束川から水を引き、10数年かけて約7㎞の大農業用水路(大井手用水路)を造りました。
当時は機械などなく、全て人手で山肌を拓き、岩を削る大変な工事でした。
これにより瓶原(みかのはら)の米の収穫量は約600石から江戸時代には2500石までになったと言われています(約90トン⇒約375トン)
昭和28年、南山城大水害で一部損壊しましたが、800年経った今もその当時の基本的な仕組みは変わることなく、大切な農業用水として利用されています。
①用水路の長さ     6755m
②用水路の幅     約1.8m
③勾配     1/1250(1250mで1mの高低差)
④用水の放流時期     5月初旬~9月中旬


こんな景色に遭遇しました