【わんちゃんの独り言】

毎日の生活の中で見たこと、聞いたこと、感じたこと、思いついたこと等々書き留めています
(コメント大歓迎デス・・・・・)

幻の大仏鉄道遺構めぐり

2017-09-18 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
9月1日(金):シルバー健康ウォーキングと9月15日(金):いきいき健康ウォーキングと偶然にもほぼ同じコースを歩いてきました。

JR加茂駅東前広場から出発
1動輪モニュメント

 JR加茂駅東口広場に平成19年10月、8620型蒸気機関車の動輪一対と鉄道記念碑が設置されました。

1ランプ小屋


加茂駅の西側にあるレンガ造りの建物。明治30年(1897)10月に完成した加茂駅開業当時からの建物です。オランダ積みの赤レンガ造りで切妻屋根の倉庫としては珍しく、機関車の前照灯や客室の照明用に使用されていたランプの石油類の給油、保管に使用されていました。

2.C57機関車の展示




昭和47年に大仏線の軌道跡を通り、この場所に移動されてきました。その姿から「走る貴婦人」と呼ばれています。
わたしのなまえはC57 56です
わたしは1937(昭和12)年生まれ。石炭をもやして蒸気をつくり、その力ではしる蒸気機関車です。「C57」のなかまはほかに200輌。日本のあちこちではたらきました。わたしの自慢は、スピードのはやさとスタイルのよさ。急行列車をひいて、はやく走るために、大きな車輪をつけてもらったら、スタイルもよくなりました。だから、わたしのニックネームは「貴婦人」。上品な女の人のようなかんじがするのだそうです。このあだ名も自慢のひとつです。
わたしのはたらいていたのは、すぐよこを通っている関西本線。急行列車や特別列車をひいて走ったこともあります。あたらしい電車を見ると、また走りたくなるけれど、ここでのんびりとみんなを見まもっていることにしましょう。大切にしてくれたらうれしいなぁ、と思います。
昭和47年6月15日保存 加茂町・加茂駅 (案内板より)

幻の大仏鉄道遺構めぐりの道中には案内⇒標が「どっちに行けば?」の辻には親切です。


3.観音寺橋台


大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの観音寺橋台(手前の高い方)と併走して現在もJR大和路線が走っています。大仏線の工事とほぼ同時期に木津(片町方面)へと結ぶ線路が並行して進められていました。

3.観音寺小橋台

JR線路が低くなっています。すぐ横をJR大和路線が走り危険なため今は柵が設けられています。

4.鹿背山橋台


『鉄道廃線跡を歩くII』(宮脇俊三著・JTB刊)の表紙に採用されたこの橋台は、石積みの力強さ、形の素晴らしさが一目でわかります。レールを敷けば、すぐに列車が走れるようです。(案内版より)

5.梶ケ谷隧道

 ↑ 9月1日

  ↑ 9月15日

大仏線築堤を造る際、農道や水路を通すために築堤下部に設けられた隧道です。
壁は煉瓦、側壁は御影石と豪華な作りです。アーチ部分の煉瓦は長手積み坑門はイギリス積みで当時の技術の高さが良く分かります。保存状態は極めて良く、大仏鉄道の代表的遺構の一つです。

6.赤橋


御影石と煉瓦を組み合わせて造られています。長短の赤煉瓦を交互に積むイギリス式です。大仏鉄道の遺構の中でも最も代表的なもので、今も現役で上を車道が通っています。

8.松谷川隧道

交差点下の畑地へ下ると松谷川トンネルの遺構が残っています。
松谷川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています.

10.黒髪山トンネル跡


明治41年大仏鉄道が廃止されたその後も残っていましたが,昭和39年の道路拡張に伴い、山を切り開きトンネルは取り壊されました。トンネル入口にあった関西鉄道の社章は大阪の交通科学博物館(平成26年4月6日閉館)に保存されています。
(京都鉄道博物館にお尋ねしましたところ「入り口入っての屋外展示場にあります」っとお返事いただきました、行かなくっちゃね。)

11.大仏駅跡(記念公園)

大仏駅跡を記念する公園「大佛鐵道記念公園」です。
機関車の動輪モニュメントと説明碑があります。

【関西鉄道大仏駅について】
明治28年、草津・名古屋間を全通した関西鉄道は、柘植(つげ)から大阪方面への進出を計り、2年後の30年11月に加茂まで開通した。ここから梅谷を経由して黒髪山トンネルを下り31年4月、この地の北側法蓬の交番所の南あたりに大仏駅を設置した。この鉄道は市民、観光客にも親しまれ大仏詣での人たちもこの駅で下車し、一条通りを通って東大寺に参拝していた。奈良駅にはその年の12月到達したが乗り入れが実現したのは翌32年5月であった。その後線路が木津経由に変更となり明治40年8月までの約9年間で廃止された。昭和39年頃まではトンネルも残っていたが、現在は取り壊されて当時の面影は今は見られない。
平成4年4月 奈良市(モニュメント横の碑文より)

【大仏鉄道とは】
現在の関西本線の前身で明治の5大私鉄の一つとうたわれた「関西鉄道(かんせいてつどう)(株)」が名古屋方面から大阪への進出を目指し、「加茂駅」から現在の奈良駅北1.1kmの所に仮設的に作った「大仏駅」間を結ぶ8.8kmと、翌年に開通した奈良駅までの通称です。
「大仏駅」の開業は明治31年(1898)4月19日、「加茂駅~大仏駅」が開通し“赤いイギリス製の蒸気機関車が伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客を乗せてにぎわった”と当時の新聞が報道してます。客車は「小さな部屋が十個ほどつながっているような感じで、一室に五人くらい。座席は板で隣の部屋には降りなければ移れない」加茂の人たちは汽車を「マッチ箱」と呼んでいたそうです。
この脚光を浴びた花形路線も急坂の黒髪山トンネル(勾配が25‰(パーミナル))越えの難関では、イギリス製(ナスミス・ウィルソン社)の新鋭機関車においても走行は困難を極め、「汽車の速度は遅く、機関車が二両ついているときはまだいいが、一両だと途中でとまってしまう。黒髪山の丘陵が登れなかったときは、客が降りて押したり、法蓮村(奈良市)の人たちが押しに行った」と伝えられています。また石炭の消費量も多かったそうです。
新たに木津駅経由の平坦路線が開通したため徐々に乗客が減少、1907年鉄道の国有化法により僅か9年間で廃止となりました。現在、線路跡は残っていませんが、橋台(橋の上部構造の両端を支える基礎)や隧道:ずいどう(川の水や人を通すためのトンネル)などが元路線沿いに100年前そのままの姿で残っており周囲の里山風景に溶け込み、鉄道ファンのみならずハイカーにも人気のハイキングコースとなっています。
(参考:幻の大仏鉄道パンフレット(大仏鉄道研究会)・加茂町史)



こんな色鮮やかな深紅の蒸気機関車「電光(いなづま号)」などが駆け抜けたという幻の鉄道。当時を思いながら廃線跡をたどれば、周囲の景色も一層美しく見えるかもしれません。
奈良市・木津川市パンフレットより。

わんちゃん的には
9月1日はシルバー健康ウォーキングの仲間たちと
梅美台公園でお弁当タイム


木津南排水池を右手に見て


国境食堂のそばを通り

大仏駅跡(記念公園)まで完歩、近鉄奈良駅から帰路に・・・

9月15日は城山台公園でお弁当タイムここで解散、

木津南ソレイユからバスで近鉄奈良へ、
駅そばのオールデイ ダイニング(ALL DAY DINING)のティタイムサービスで反省会・・・



敦賀でウォーク:青春18きっぷ 2017.8.04

2017-08-07 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング

今回の行程は
JR敦賀駅前広場(10:00集合)⇒中池見⇒天筒山(てづつやま)城跡⇒展望台:昼食⇒金ヶ崎城跡⇒月見御殿⇒金ヶ崎宮⇒きらめきみなと館⇒気比(けひ)神宮⇒JR敦賀駅解散




敦賀の町は立派な道路で結ばれてました。








茅葺の家

ところが、天筒山(てづつやま)城跡辺りの登り地点ころから、メンバーのうち3人が体調に異常なカンジ。
3人+4人はメンバーたち(15人)に遅れて展望台で昼食、集合記念写真撮影後、気比神宮へ向かうコースをとり、先に着いて待機することに・・・

展望台 中は螺旋階段になってました
 
展望台のてっぺんから

ヒルガオの向こうに二つの山

充分に休憩をとって、歩き始めると下りっということにも助けられ3人はビックリするぐらい元気にならはって、ホッと一安心でした。

天筒山を下山して気比神宮への途中で廃線跡を見つけました、どんな列車が走ってたんやろか?

福井県の嶺南に位置する北陸本線と小浜線の分岐駅がある敦賀駅から分岐して、臨海部敦賀港(つるがみなと)駅まで延びていた北陸本線の貨物支線で、元々は貨物の他に旅客営業もしていて敦賀港より出航する船舶に接続する旅客列車も設定されていましたが、第二次世界大戦の影響で1940年頃に旅客列車の設定が廃止されて、以後は貨物列車のみ設定となりましたが、2009年4月1日をもって貨物列車が廃止となり、休止線となりました。

気比神宮(けひじんぐう)
吽                             阿




松尾芭蕉


『おくのほそ道』の道中で、松尾芭蕉は現在の福井県敦賀市を訪れます。その理由は旅の目的の一つである美しい月の姿を句に詠むため。敦賀では特に、“中秋の名月”を心待ちにしていました。
1689年(元禄2年)旧暦の8月14日の夕方、快晴の敦賀に入り、宿の旅籠出雲屋の主人に、明日も晴れるかどうかを問います。出雲屋の主人は、北陸の天気は変わりやすく明日は晴れるか分からないので、月見なら今晩の内にと伝えます。
松尾芭蕉はその夜に「氣比神宮」に参拝し、月明かりに照らされた神前の白砂とその由来に感動し、次のように詠みました。

「月清し遊行のもてる砂の上」

「氣比神宮」の境内には、松尾芭蕉の像が建立され、その台座には上記の句が刻まれています。

とにかく暑い!もうすぐ敦賀駅、そのすぐ近くにアル・プラザ「ここで、一服しましょうよ」
館内に入るとスゥ~~っと汗がひいたんです。
休憩終えてJR敦賀駅で他のメンバーたちと合流。解散となりました

帰りの車内は賑やかにおしゃべりが弾みました。
ここでLINEメールに気が付いたんです。
どばっちゃんから、金ヶ崎の真向かいにある敦賀半島の二つの山についてでした。
「・・・な訳で金ヶ崎には行ってないんですよ、わんちゃん的には天筒山展望台に上って撮った写真があるので見てもらって良いですか?展望台からは敦賀湾がキレイに見えてました」



左右にそこそこ高い山が有り中間は少し低い峠になっていますが、
右側の一番高いピークが西方が岳・さいほうが岳(764m)、少し右のピークが栄螺が岳・さざえが岳(685m)です。
敦賀半島、その先ずっと右に進むと原発・敦賀発電所が有ります。
中央の峠、馬背峠(まじょうとうげ)を抜けると半島の裏側、水晶浜海水浴場等美浜町になります。
峠の左側のピークは三内山(521m)
もう10年前になるかなぁ、その日は会の新人さん(女性)の初参加・初登山で男どもは手取り足取り山登りを教えていたのを思い出しました。私は遠~くから見ていましたが・・・なんて。
HPを観てみるとどうもその日は黄砂の影響で大展望を楽しんだことは無かったようです。
時々福井への帰省時、敦賀近辺の北陸道から良く見えるので、その度に昔の山行を思い出しています。
「どばっちゃん、ありがとー、展望台から見えた山の様子が分かりホッとしました。」

京都駅でおまけがあったんですよ、帰りの車内でCHIKAちゃんが「京都駅での空中散歩の体験あり」のお話しされると、元気モンになった者同士「行こう行こう」っと言うことになって、エスカレーター・エレベーターを乗り継いで・・・








11F ラーメンストリート

テラスの何ケ所かで五山の送り火が180度以上鑑賞できるようになってます、夜景は最高!!かも?
送り火鑑賞は応募(どこに応募するのかは??)で決まった人数だけのようです。
空中散歩を楽しんで〆は?コーヒーショップで・・・
「青春18きっぷ」なんで行動は一緒じゃないとね、京都駅から奈良線で木津までそこで学研都市線に乗り換え・・・
「また来月ね。。。 」


京都散策・義経ゆかりの地

2017-07-22 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
★シルバー健康ウォーク7月例会 2017.7.7

京阪出町柳駅 10時集合、高野川・河合橋を渡って、鴨川公園(高野川と賀茂川の合流地点)へ移動、ここで受付・準備体操。
公園の一角に尾上松之助の銅像。



下鴨神社(賀茂御祖神社)に立ち寄りました。




「葵祭り」が終わった下鴨神社の次の行事は、夏の土用の丑の日を中心とした「みたらし祭」です。
下鴨神社(賀茂御祖神社)からのお知らせ
2017年7月22日~30日 みたらし祭 斎行
いよいよ、みたらし祭が始まります。梅雨も明け暑い夏が到来いたします。
是非、下鴨神社のみたらし祭にお越しいただき、みたらし池の冷たい水に足をつけリフレッシュし、暑い夏を乗り越えていただければと存じます。
本年のみたらし祭は7月22日(土)より7月30日(日)の9日間となります。
時間は初日22日のみ午前9時から午後9時まで23日から30日は午前5時半から午後9時までとなります。(灯明料300円)また、境内での露店は22日から25日まで行われております。是非参拝にお越しください。
「みたらし団子」はここが発祥の地っと聞きました。

ウォーキングの日(7/7)は七夕でした。七夕飾りが並ぶ 出町枡形商店街 を通り抜けます。


京都五山の一つ相国寺の東門から境内に入り、上立売(かみだちうり)通りをひたすら西へ、烏丸通りを横切って・・・
ちなみに京都五山とは
• 南禅寺 - 別格
• 天龍寺 - 第一位
• 相国寺 - 第二位
• 建仁寺 - 第三位
• 東福寺 - 第四位
• 万寿寺 - 第五位
今出川通り堀川東にある 白峯神宮 に到着、小休止です。
白峯神宮の社地は、蹴鞠(けまり)の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地でした。今ではサッカーをはじめとする各種球技の日本代表選手やJリーグの選手たちの奉納や参詣が絶えません。お参りしたウォーキングの日は年に一度の精大明神例祭日(七夕祭)で、綺麗に飾られていました。
白峯神宮からは今出川通を西へ、途中で右折、千本通を歩きました

ちょっと釘抜き地蔵さんにお参り





千本ゑんま堂は道路の向こう側に見えてました


都会の街の中を歩くのは慣れない者にとってはちょっとタイヘン、ほかのメンバーたちとはぐれてしまい船岡山に先に到着ここで、お昼のお弁当タイム。

船岡山とは
標高112メートル、東西200メートル、南北100メートルの孤立丘陵。






頂上から眺望よく京の町、特に西陣一帯が見渡せる景勝地。中世には要衝として戦場となり、応仁の乱(1467-1477)で西陣の山名宗全が城塞を築いて東軍の細川勝元を迎え撃った。その後も山をめぐって争奪戦が展開された。豊臣秀吉は、この山を大徳寺に寄進した。1931年(昭和6)、都市計画により山一帯を船岡山公園とした。市バス船岡山下車100メートル。⇒wikipedia
頂上から眺望よくとありますが、木々が生い茂ってて、見晴らし悪しでガッカリ・・・

けれども木々の間から左大文字が見えてました。

五山の送り火の時は四山まで見渡せるそうです。

ほどなくしてほかのメンバーたち到着、集合記念写真を撮って解散となりました。
わんちゃんたち3人(CHIKAちゃん、カヨちゃん)は船岡山を下山してからは住宅地の中を歩き北大路通りに出て東に向かいました。
大谷大学のキャンパスに寄り道、学内カフェでちょっと一服。
学生たちノビノビと寛いでる風にみえましたけど・・・
地下鉄北大路駅がすぐそばなんですね「便利なところなんやなぁ」っと感心することしきり・・・。
ところで、その日のメインは「義経ゆかりの地巡り」でした。??行ったのかなぁ?どこやったんかなぁ?


サイクリングロード・嵐山~久世橋(約10Km) 2017.6.02

2017-06-12 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング

わんちゃんがいつものウォーキング・コースは「八幡木津自転車道」のホンの一部分を歩きます。
この「八幡木津自転車道」全長45Km起点は嵐山渡月橋畔とも木津川市泉大橋とも言われています、わんちゃんとしては嵐山の起点をぜひ目撃したいモンとずっと思ってました。
ウチの息子たちは子供のころ自転車で嵐山までサイクリングしたことあったみたいです。
「アンタたち嵐山の起点ちゃんと見てきたの?」「うん、もちろん、泉大橋のところも知ってる」

JR嵯峨嵐山駅10:15集合受付、軽いストレッチ体操後、

渡月橋を渡り
「八幡木津自転車道」起点を確認


松尾大社に参拝





吽                           阿





松尾大社に奉納された多くの酒樽が並ぶ圧巻の「神輿庫」。松尾大社らしい名物スポットでもあり。
お酒の神様・松尾大社の名水!日本酒の仕込水にも使われる霊泉「亀の井」⇒次回はぜひとも・・・

カギカズラ



桂川に沿ってサイクリングロードを歩きます。


「桂川河川敷でゴルフもどき?」
桂川の河川敷でお弁当休憩でした、「どなたか、打ってみはりませんか」
っと、ゴルフのマットとクラブを持って来はって・・・
見るとボールにバトミントンの羽がついてて飛距離が抑えられる仕組みになってました。
誰も打たない様子なんで、わんちゃん的には、ちょっとなつかしくなって「は~い」と、打ってみました、
なるほどボールに羽が付いてると飛ばないけど、ボールが弧を描いて最高20~30mほどは飛ぶ仕掛け。
「なかなか筋が良いやないですか」っとお世辞云われて、その気になって・・・
クラブはグリーン周りでアプローチに使うようなピッチングウェッジのような気がしました。
初めてコースに出たときティショットがドライバーより7番アイアンの方がまっすぐ遠くに飛んだという人。
ティショットからグリーン手前までほとんど7番アイアンで通した人。
ゴルフもどき??
これは「ターゲットバードゴルフ」と言って(その時、蝙蝠傘をひっくり返してネットを張ったようなものに向かって打っていなかった?)グラウンドゴルフの様に15m位から50m位までの距離で9ホールでやります。
以前バーディ会でも定期的に東光小のグラウンドにターゲット立ててやりました。
先日その用具一切を廃棄処分してしまいましたがナツカシイ~

クラブはその通りピッチングウエッジ一本でプレーします。
風の影響が大きく冬場は大変。ターゲットの近くから50~60㎝位の高さのターゲットに入れるのに
技術が必要になります。ウェッジを開いたり、カット打ちのようなことをしたり、風が強い時はクラブをかぶせて5,6番の感覚で打ったりで結構面白かったのですが・・・
コースの設営に時間が掛り、又用具の搬送にも大きな車が要るとか・・・。
自然に止めるようになりました。
ここで過去の栄光へ・・・
「ターゲットバードゴルフ」の試合で京都府総体(亀岡市)にも何度か町代表で行きました。
7位入賞したこともありました。(昔話の自慢話で鼻がピクピク?)っと、どばっちゃんからのお話し

へぇ~~そんなことが、あったんですか?知らんかった・・・

ちょっと横道にそれてしまいましたが

お弁当タイムの後は桂川河川敷運動場から西大橋を渡り左岸を歩きます、


久世橋を渡りJR桂川駅へ


ここで解散、いつもの仲間で「お茶しませんか?」駅前にイオンがありましたね・・・



平安建都1200年(1994年)を記念して制作したデザインマンホール蓋です。京都市の紋章を中心に、周囲に「御所車」の車輪模様を配置しました。「御所車」とは、平安時代に 御所に向かう貴族の交通手段として用いられていたもので、現在でも、京都の三大祭りとして有名な葵祭などで目にすることが出来ます。 本デザインのポイントは、京都の歴史的な街並みに溶け込むように図案を作成したことと車輪模様を多数配置することで細やかな凸凹を作り出したことです。この凸凹は滑り止めとして機能し、足元の安全性を高めています。古都京都を散策する際は、是非、足元にも目を向けてみてください。

【お知らせ】
「田植えの終わったばかりの田の上を飛ぶアマサギ」の様子をうりずんの頃 PART 2にリンクさせていただきました、どうぞご覧ください。

桜紀行 PART2 桜にリベンジ 明石・大蔵海岸 2017.4.07

2017-04-11 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング


「明日の明石行きは雨のため中止します」「え、ソレは残念ですこと、ぜひとも来年、企画お願いしますね」
そして、今年になりました、天気は少々怪しげ・・・そんなこと意にも介さず「出発しまぁす」・・・
この会では春、夏は 「青春18きっぷ」を利用してちょっと遠出を楽しみます。
JR木津駅から大和路快速で大阪へ、姫路行き新快速で集合駅明石へ。
やっぱり春はお花見でしょ。行きしなの車窓から見る桜はちょっと満開には先かな?っというカンジ・・・

明石公園 剛の池周辺の桜




明石公園マンホールの蓋

明石公園にしかない明石城のデザインの蓋です

明石市立文化博物館

妙見社

境内で大きな木の剪定をしておられて「ひょっとして?ヤマモモ?ですか?」「そうですよ」

うわぁ~ 花が咲いて実がなったらどんなカンジ?なんやろ?(独り言)


子午線

明石は東経135度の子午線が通る町なので、マンホールの蓋は子午線と天文科学館がデザインされています。


楽しくおしゃべりしながらウォーキング
「やっぱし明石に来たなら、うおんたな(魚の棚)でしょ、ホラ、明石焼き」「行こ行こ」





30分後に商店街の入り口集合・・・

「関西から来られた方はたこ焼きのイメージで食べはるんやけど、薬味にネギと甘酢ショウガを用意してます、半分をネギで、だし汁に明石焼き入れてグチュグチュっとほぐして出汁ごと食べて、あとの半分は甘酢ショウガで出汁の中でグチュグチュっとほぐして出汁と一緒に食べる、守ってくださいよ」
美味しかった。

大蔵海岸の方へ、青い海と雄大な明石海峡大橋が目の前にあるシーサイドの公園です。

海洋冒険家・堀江謙一さんの「モルツマーメイド2号」が展示されています。

明石花火大会歩道橋事故

慰霊碑の前で合掌
JR朝霧駅で解散でした。
帰りしなは行きしなと同じルートなのに車窓からの景色はどのポイントの桜も見ごたえありでした。


山科川に沿って(奈良街道を山科へ)12Km 2016.10.07

2016-10-10 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング

山科川に沿って(奈良街道を山科へ)
JR六地蔵駅 9:30集合

わんちゃんがJR六地蔵駅へ行くのには?
近鉄狛田→近鉄大久保・・・・・JR新田→JR六地蔵

シルバー健康ウォーキング毎月の例会は大阪、奈良、京都府南部っといろんな地域から参加されますので、各私鉄利用、JR利用など3通りほどの集合場所までのアクセスが記載の予定表が年度初めに配布されますので、大いに参考にさせてもらってます。
10月の例会はJR六地蔵駅集合で山科川に沿って奈良街道を歩きます。

醍醐寺三宝院に寄りました、桜の頃はさぞかし見事なんでしょうね(毎年、お花見情報に載ってます)


唐門(国宝)


門跡寺院としての三宝院にあり、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)が唐門です。創建時は、門全体が黒の漆塗で菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されていました。平成22年7月、約1年半をかけ、往時の壮麗な姿に修復されました。その大胆な意匠は、桃山時代の気風を今に伝えています

醍醐寺仁王門の金剛力士像
吽                                阿
 
金剛力士像 平安時代 長承3年(1134年)造立
仁王門 桃山時代 慶長10年(1605年)建立


金剛力士像の作者は勢僧、仁僧。南大門に安置されていたが、豊臣秀頼による醍醐寺復興にあたって修理され、以後現在の仁王門に置かれている。
もっと詳しくは⇒ 醍醐寺仁王門金剛力士像


お寺(理性院・りしょういん)の前を通ったとき境内にお地蔵さんが見えました。


理性院(りしょういん)は醍醐寺の仁王門の前を北にすこし歩いた左側、三宝院の北隣りに位置する醍醐寺塔頭の一つです。
正面突き当りに見えたお地蔵さまは「千体地蔵」。先代のご住職が集められたものだそうで、毎年10月の第3日曜日には「千体地蔵供養」が行われ、千体地蔵に新しい涎掛けが奉納されるそうです。紅葉の時期を前にして真っ赤な涎掛けをつけた千体地蔵は壮観です。

北の方へ歩いて「隋心院」に寄って、境内でお弁当タイムとなりました。
「隋心院」は絶世の美人としてしられる平安前期の歌人小野小町(生没年未詳)ゆかりのお寺です。

小野小町化粧井戸

小野小町の別荘があったという伝承があり、藪中の井戸水を小町が利用したことに因んで、
その水を化粧水と名付けたという。
マガモ:境内の池に居ました


本願寺山科別院



親鸞聖人のみ教えを今日にお伝えいただいた本願寺中興の祖、
蓮如上人ゆかりの聖地 「本願寺山科別院」

宇治市 マンホール蓋

宇治橋と市の木イロハモミジのデザイン。
ちなみに橋のせり出た部分(三の間)から、豊臣秀吉がお茶の水を汲ませたと言われていて、
現在もこの場所で宇治茶まつりの「名水汲み上げの儀」が行われているそうです。
汚水管マンホールの蓋

京都市マンホ-ル蓋

中央に京都市の略章 周りは御所車の車輪の部分をデザイン。

解散はJR山科駅でした。


京街道:枚方宿 2016.9.02

2016-09-08 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

 ≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
 
シルバー健康ウォーキング
京阪枚方市駅10:00集合 


京街道を枚方から歩きます。
京街道とは、京都から大坂へ向かう街道の総称ですが、京街道は大津宿の先、髭茶屋から伏見、枚方などを経て大阪市内、高麗橋までの道をいう。徳川家康は大名が京都で公家と接触するのを禁止したため、大名行列は髭茶屋で京へ向う東海道と分れ、京を通らずに大坂へ向うことになった。この間は東海道の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられた。このため4宿を足して「東海道57次」と呼ばれることもある。元々文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が淀川左岸に築いた「文禄堤」が起源である。

歩き始めは枚方宿を確認して・・・


意賀美神社(おかみじんじゃ)




意賀美神社は、枚方宿の万年寺山の頂上にある神社。万年寺山には、御茶屋御殿跡展望公園もありますが、そこからさらにもう一段上がったところです。境内には小規模ながら梅林があって、3月上旬には紅白の梅が咲き見ごろを迎えるそうです。

御茶屋御殿跡展望公園(クリックで拡大します)



展望台から眺めたカンジ


京街道を歩き淀川資料館に寄りました






「淀川の歴史」「淀川の環境」「くらしと淀川」の3つのゾーンに区分されており、淀川について詳しく学ぶことができます。大型スクリーンや写真、絵画、模型などを使って解説しているほか、淀川の歴史に関わりある人物を映像で紹介しています。無料で楽しむことができるので、
「いっぺん入ってみよか?」と、いうことで。

京街道を進み、
「鍵屋資料館」を見学










画像はクリックで拡大します



水面廻廊
「水面回廊(みなもかいろう)」は枚方市が、寝屋川市まで続く2.8kmの水路を利用し、水辺を楽しめる散策路として整備した公園。
江戸時代、「枚方宿」は、淀川を行きかう客船・三十石船の中継港となるなど、京都と大阪を結ぶ交通の要として栄え、界隈には本陣、旅籠、茶店が軒を連ねて賑わい浮世絵にも描かれた。
その水運の歴史にちなんで水辺を整備し水面回廊と名づけて三十石船のレプリカも浮かんでいる。
三十石船の乗客を相手に「餅くらわんか、酒くらわんか」と声をかけた商売舟は「くらわんか舟」と呼ばれ、枚方の名物になり落語などにも登場する。


そこの一画の木陰にあるベンチでお弁当タイム,

昼食後は光善寺駅に向かい歩き続けます、暑かったぁ・・・
途中、休憩を兼ねて光善寺に立ち寄る。






水分補給して京阪光善寺駅へ。

光善寺駅で解散。
京阪で枚方市駅に戻り⇒河内森(京阪交野線)⇒徒歩⇒JR河内磐船⇒JR下狛

枚方市マンホール

枚方市の花・菊と淀川を下る30石船です。

交野市マンホール

市の花・「つつじ」、市の木・「さくら」、市の鳥・「きじ」のデザインです。
真ん中は市章で「交」の字を「平和のはと」と「さくら」を図案化したものです。
古来交野が原は平安時代から桜が有名で、都の貴人が花見の地として来遊しています。

彦根散策 2016.8.05

2016-08-11 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング

シルバー健康ウォ-キングの会ではJRで春・夏・冬と「青春18きっぷ」が販売される頃はちょっと遠出します。
今年の春は「明石城お花見ウォーク」だったんですが雨のため中止になりました。今回は「彦根散策」
「青春18きっぷ」の手配があるので早めに申し込みです。
彦根へはJR下狛⇔JR木津⇔JR京都⇔JR彦根のルートで。

JR彦根駅前で集合点呼、


井伊直政公
 

駅前の大通りを歩き始めると前方に彦根城が・・・
ちょっと護国神社へ寄り道、境内には提灯をぶら下げるんかな?の様子。

もうすぐ
「みたままつり」
があるそうです。

彦根城:姫路城、松本城、犬山城とともに国宝に指定されている








階段の傾斜60度





「ひこにゃん」が居ましたよ
 

玄宮園の方へも


庭園で出会ったお花たち
ヤブミョウガ                  ヒルザキツキミソウ
 

アキノタムラソウ
 

池には
カルガモ




コブハクチョウ


彦根城を出てカインズモール彦根(とにかく。みんな涼しいところへ入りたかった)でお弁当タイム


午後は琵琶湖を右手に見ながらさざなみ街道を木陰を選びながら歩きます。




途中でコーヒーショップが「ここでお茶にしましょうよ、アイスコーヒーなんか・・・」っと希望者多数
ところが「各自水分補給して歩ききりましょう」っとリーダーの指示
JR南彦根まで歩きました、炎天下の元、暑かったぁ・・・けど、みんなで歩ききった達成感のようなモノ味わいました。
「お疲れ様でした。暑い中皆さんよく頑張りました。次回もよろしく。」っとリーダーが帰宅後一斉メールされたようです。

マンホール

手裏剣のような市章は、彦根市の中心、金亀山の亀甲をかたどり、
周りを市の木「タチバナ」が囲んでいます。
なお、市の花ははなしょうぶです。

「※秋の詩ですが・・・。」っと道草さんよりいただきました。


「リセット おんな達の旅」   一潟千里

近江の晩秋は 心地良くて
夜が ふくらんで
フワリフワリ と飛んでゆく
お風呂上りに 集まった一室
昔の女学生たちは
なにかしら 心もはしゃいで
妙に テンション高く
さんざめいている

部屋の灯りは 薄暗いが
ちょうどよい
それを おもしろがって
自然と 肩と肩がぶつかりあう
知らぬ間に 小さなテーブルの上には
ビールやチューハイや ウーロン茶が並ぶ
いつのまにか おつまみで
にぎやかに並んで

昼間見た 彦根城の
石垣の芸術性を 誰かが語りはじめ
金剛寺や百済寺や西明寺の
御朱印帳を 広げるものもいる
見上げる天井には 鮮やかな色が
一面に波打っていた 幻想のように
赤や黄色や オレンジ色の重なり
過ぎてゆく秋を惜しむような
紅葉たちの乱舞だったね

日常の煩雑さからのがれて
澱んだ 吐息を捨て
もうひとつの空間で
日頃の自分を 洗い流そうとしている
旅を重ねるごとに
お互いに対する想いやりが
生まれてくるのもいい
集団であることの協調性に 身をゆだねる

文化史研究会 と銘打って
続く 全国津々浦々の旅
足腰 立たなくなるまで続けよう
と スローガン
わたしは というと
仲間気分が嬉しくて
膝を ガクズクいわせながら
みんなのあとを
テクテク 付いて行く


石清水八幡宮~京阪八幡市駅⇒男山⇒京阪樟葉駅

2016-07-11 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング
  2016.7.01

京阪八幡市駅に10時集合

前にこの会から石清水八幡宮にお参りしたときとはルートが違ってました。 ⇒こちら

石清水八幡宮一の鳥居右の谷川沿いにいくと、右手に神應寺(じんのうじ)の山門が見えてくる。



本堂
神應寺は曹洞宗の寺院。山号は糸杉山(しすぎさん)。本尊は薬師如来。
明治の神仏分離以前は、石清水八幡宮の神宮寺であった。
ちょっとお参りして男山をぐるり一周、まず、森林浴を楽しみながら歩き、
こもれびルート



背割り堤が見渡せる、男山展望台へ・・・
向こうの方にこんもりとしたところが春には桜の絶景になるんですよね。
きれいに手入れされた竹林の散策道を鳩ケ峰の山頂へ(八幡市最高点標高142.5m)
 
八幡市の竹とエジソンとは深~い関係が
⇒こちら

石清水八幡宮にお参りして



エジソン記念碑も見て・・・
「みなさぁ~ん、樟葉がゴールなんやけど、松花堂に寄ってみますか?」「は~い」



水琴窟
(竹筒に耳を当てますと澄みきったいい音)


ヤマモモの実


お庭は手入れも行き届き、じっくりと散策楽しみました。
京阪樟葉駅まで町の中を歩きます、角々には見慣れた道標が・・・
 

京阪樟葉駅からどういうルートで帰ろうかな?
丹波橋まで出て近鉄に乗り換え・・・とか、JR長尾駅までバスに乗り・・・とか枚方経由は遠回りかな?
地図を頭に描き図形的に考えると三角形の二辺が樟葉~丹波橋まで、近鉄に乗り換え丹波橋から、ほんなら対角線上やったらどない?


樟葉から京阪バスで近鉄新田辺に到着


近鉄に乗り換えてウチのそばの狛田駅へ。
そんなルートで帰路につきました。木津方面の人はバスを降りるとJR京田辺駅の方へ

【おまけ】
歩きながら撮りながらのお花たち
ヤブミョウガ              ネジバナ
 

ノハカタカラクサ、 セッカニワゼキショウ


ノハカタカラクサ:別名トキワツユクサ 
要注意外来生物(外来生物法) ⇒こちら
こんなにカワイイお花なのに・・・






どのキノコも名前不明です

マンホール蓋:八幡市

中央部の「あんご橋」は、やわたの名勝のひとつで、
大きく半円を描いた形は、別名「たいこ橋」と呼ばれている。
下部には、市の花「さつき」を配している。

この日歩いたルート(2回クリックで拡大します)



京街道:八幡市から枚方市へ 2016.5.13

2016-05-21 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング

京都から大阪へ、淀川左岸沿い(京阪電車沿い)に歩きました。
出発は京阪・八幡市駅から


豊臣秀吉の時代に整備され
京街道(大坂街道)
と、呼ばれた道ですが、今は新興住宅街となっていて、昔の面影はあんまり残ってないみたいね・・・っというカンジ。
スタートしてしばらく歩くと昔の街並みを残す橋本の辺り。





橋本は昭和33(1958)年の売防法施行まではかなり巨大な遊郭だったらしい、ずいぶん栄えたと聞きました。今はその建物も個人の持ち家になり人影も見かけない静かな通りになってました。
住宅街の中を歩くってイマイチ方向が分かりずらくリーダーさんも何度かコースを行ったり来たり・・・

本来のコースに戻った証拠に京街道の道標を発見!!


お昼前に、京阪・樟葉(くずは)駅に到着。
駅近くの、くずは中央公園に行き、お弁当タイムとなりました。


公園の前に建つ高層マンションは「くずはタワーシティ」です。

世界一高い超高層免震マンション、地上41階建て、高さ137m(2003年当時)

「確か最上階の部屋には歌手の倉木麻衣さんが立命館大学時代に住んではったと聞いてるんやけど」っと、Fさんが話されてました、うちへ帰って息子たちに聞くと「うん、そうやで」
昼食後は、淀川の堤防に出て枚方市駅へ向かい歩きます。

河川敷では、くずはゴルフ場でゴルフを楽しむ姿がのどかに見えてました。


京阪・牧野駅で数人が「もう、ここから帰りますわ」っと次の京阪・御殿山駅で数人が「ここから帰りますわ」
ゴールの枚方市駅まで完歩したのは半数にも満たない状況でした。
「う~~ん、ちょっと急激に暑くなったし、固いコンクリート道を黙々と歩くのはシンドかったんかな?]
歩数計を見ると2万歩超えてました、10人で駅前の喫茶店で一休み、わんちゃんは普段めったに飲まないアイスコーヒーを思わず、注文。
京阪・枚方市駅⇒京阪交野線・河内森駅⇒JR河内磐船駅⇒JR下狛駅へと帰路に。

歩いてる途中でこんなお花に出会いました
ナヨクサフジ
 

アメリカオニアザミ

名前が分からずそよかぜさんにお尋ねしたら
「外来生物法で要注意外来生物に指定されています。」と、教えていただきました。

山田池公園 2016.3.04

2016-03-17 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
   ≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
シルバー健康ウォーキング
 

山田池公園 を歩いてきました。
集合受付はJR藤阪駅。
実は久しぶりに参加したIさんとおしゃべりに夢中になってて気が付くと「あれぇ 星田!!」「おしゃべりしてて乗り過ごしてしまいました」「折り返し各停に乗りや、待ってるから、絶対木津行きに乗ったらアカンよ、藤阪には停まらないからね」藤阪の改札出るとDさんKさんが迎えに・・・
山田池公園に向かって歩き始めてしばらくのところでみんなに追い付きました「ホッ!!」
山田池公園に着くと何故だかIさんとわんちゃんはまたまた勝手な行動、お弁当の場所はキッチリ聞いてたので「公園の中やしどこ歩いてもかまへんかも?」みたいな・・・
「一回点呼したとき2名足らなかったのはアナタたちね」「ゴメンナサ~イ」

「あっ!桜が咲いてる!」


河津桜は、伊豆河津町内で約60年前に発見された新種桜がルーツ。原木は伊豆急河津駅から天城山へ向かって1.2kmの地点、河津町田中の飯田氏宅の庭にある。
濃いピンクと、ちょっと大きい目の花が特徴
 京都府立植物園 鶴見緑地で・・・

ユリノキ
 

タブノキ モミジバフウ


レモンユーカリ


ハリガネゴケ


白梅


紅梅


「山田池公園ってバードウォッチングの場所でしょ」っと聞いていたので鳥も撮れるかな?のカメラも持って・・・
山田池公園のパンフレットには、冬の季節には池の方ではオシドリ、ミコアイサなど、林ではアオバト、ルリビタキなどが見られる、と載っていたので期待感満々だったのに・・・出会えなかった。

ツグミ
 

コガモ


カルガモ


アオサギ                         カイツブリ(冬羽)
 

オオバン


ウミウ
 

ウミウ


アオジ                               モズ
 



クリック2回でより大きくなります。 

  
山田池公園を出てからJR長尾駅まで歩いて解散。駅前で一服、来月の例会が話題になりました。「春休み、夏休みはちょっと遠くまで出かけるよ、青春18切符を使ってね」
それは楽しみなこと・・・

マンホールの蓋:枚方市

枚方市の花・菊と淀川を下る30石船です。


小関(こぜき)越え: 2016.2.05

2016-02-20 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう≫
シルバー健康ウォーキング
 

小関越の道は、大津と京都を結ぶ古道の一つで、山科で東海道・東山道と分かれた北陸道の道筋であった。東海道・東山道が通る逢坂の関を大関と呼ぶのに対し、北陸道の道は小関と呼ばれた。大関越えルートがやや南に迂回するのに比べその北方をいくらか直線的にたどる形をとっており、京都から湖西に向かうには近道となっている。また、この小関越えの道は京都から三井寺(園城寺)へ至る最短ルートだったことから、その参詣道としても知られています。

午前10時、JR山科駅に集合。


住宅街を抜けて琵琶湖疎水に沿って歩きます。
明治の初め、琵琶湖の水を京都に流して京都の発展に寄与した疏水、その疏水を建設するに当たって掘った竪坑が残っています。
第一疏水は大津-蹴上間に建設され、大津市三保ヶ崎の取水口から、長等山を第1トンネルで抜け、滋賀県から京都府に入る。この第一トンネルは2436mの長さで、日本人の手によって建設され、難工事だったようです。

工事のための竪坑。




普門寺

普門寺の手前で小関越えの道に合流しました。普門寺の右手の道を進みます。


抜けるような青空の下、気分よく山道を歩きます。

峠で小さなお堂が・・・お堂の名前は喜堂(よろこびどう)

小さなお堂の中に出世・延命地蔵が祀られていました。
峠なんでそこから下りになって・・・と思ったんですが、

再び細い山道を登り三井寺が見下ろせる場所に出ました。


琵琶湖が見下ろせます、その向こうに
「あれは、三上山(近江富士)?ほぼ正面に見えますよね」


「左手の方から山が連なってますけど」



「比叡山、その向こうの遠くの山は比良山、さすがに雪かぶってますね」

お昼ですわ、おにぎりタイム、丁度陽だまりの芝生広場、めいめいにシート広げて・・・
いつも食後のフォレスト・カフェが楽しみです。

三井寺の観音堂。西国33ヶ所観音霊場の第14番礼所です。


大津市内の長等公園での休憩が最後で・・・


JR大津駅


JR大津駅前に13時30分に到着、解散となりました、が、「まだ、ちょっと早いよね、お茶しましょうか」この会のリーダーKさんがちょっと前に同窓会で「小関越え」に誘われた、お二人が初参加されてました。岐阜の方からとか伺いました。
帰りしな一緒になった人とは毎回会うのですがじっくりとお話ししたことなかったんだけど、近鉄電車も一緒だと親しくいろんなこと話して、やっぱり主婦やし話が合うわねぇ・・・とか、「じゃ、来月もね」

大津市 下水管マンホールの蓋


市制施行から100年目の大津市の景観をモチーフにした、琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン船、ヨット、観覧車、 市の鳥・ユリカモメ、市の花・エイザンスミレ、市の木・ヤマザクラ、 花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などと市章に下水の「下」を組み合わせたマークが描かれている。
平成10年10月1日に市制施行100周年を迎え、その記念に蓋のデザインを公募し、 最優秀賞に選ばれた作品が元になったデザインです。


新選組ウォーク:2016.1.08

2016-01-15 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
毎年1月のシルバー(相楽)健康ウォーキングは2週目の金曜日、初詣ウォーキングです
今年は京都市内で『新選組』を訪ねるウォーキングです。

午前10時、JR京都駅からスタート。
京都駅のすぐ近くの「リーガロイヤルホテル京都」の入り口前に

”事あらば われも都の 村人と なりてやすめん 皇御心(すめらみこころ)” 
新選組局長 近藤勇

「近藤勇と和歌」というとちょっとピンときませんでしたが武士は武道だけでなく・・・っというところでしょうか。
慶応3(1867)年の6月から12月の間  新選組の屯所がこの近くにあったということです。新選組の屯所というと壬生の八木邸が有名ですが組織の拡充にしたがって  転々としたためのようです
 
伊藤甲子太郎(いとうかしたろう)外数名殉難の碑 油小路七条下る


伊東甲子太郎は常睦(茨城県)の出身で、元治元年(1864)に新選組に入隊し、参謀として重視されました。しかし、尊王派であった伊東は、近藤勇と対立するようになり、慶応三年(1867)に新撰組を脱退して御陵衛士となり、高台寺月真院を屯所としました。
新選組との対立は深まり、近藤勇らは伊東を招いて酒をふるまい、酔った伊東をこの地で刺殺しました。
この知らせを聞いた伊東一派は、直ちに駆け付けましたが、待ち伏せしていた新撰組数十名の隊士に襲われ、三名が斬られました。世にこれを『油小路七条の変』といいます。
石碑は、伊藤甲子太郎が絶命した地点といわれる本光寺門前に建つものです。

天満屋事件の石碑


海援隊は、坂本龍馬の暗殺は「いろは丸事件」による紀州藩の仕業と思い込み、三浦休太郎(紀州藩御用人)を襲撃しようとしていた。
仇討ちには中井庄五郎(十津川藩士)が実行し、三浦休太郎の護衛にあたっていた新撰組とのあいだで、このあたりの旅籠、天満屋で斬り合いになった。
この事件で三浦休太郎は負傷するも、襲撃した中井庄五郎は闘死し、殉職石碑が建っている。

西本願寺


壬生の屯所も隊士が増えてくると手狭になったため、慶応元年(1865年)3月10日に第2の屯所に移転することになります。その第2の屯所が、現在、世界遺産に登録されている西本願寺だったのです。
新撰組が屯所として使用したのは、西本願寺の北東にあった北集会所と太鼓楼でした。北集会所は明治6年(1873)、姫路の本徳寺に移設されました。

太鼓楼です。




クリックで拡大します

島原


輪違い屋


島原(しまばら)は京都市下京区に位置する花街の名称。「嶋原」とも書く。正式名は西新屋敷といい、6つの町(上之町、中之町、中堂寺町、太夫町、下之町、揚屋町)で構成されている。島原は1976年に京都花街組合連合会を脱会し、現在は輪違屋のみが茶屋営業を行っている ⇒wikipedia

壬生寺(みぶでら)


 

新選組は文久3年(1863) 3月に、ここ壬生の地において結成された。東門前の坊城通りには、その当時、八木邸、前川邸、南部邸の3箇所が屯所と定められ、今も八木邸と前川邸が残っている。
かつては壬生寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練が行こなわれたという。

珍しいお花が活けてありました。



ブッシュカン(仏手柑)


二条城の南にある 神泉苑(しんせんえん)に寄りました




平安京造営と同時に造られた御苑の跡で歴代天皇が遊園・観花・遊猟などを楽しんだ場所です。
また、義経と静御前が出逢った場所とも言われています。

ここで自由解散となりました。近くの喫茶店で数名の方たちとお茶してJR二条駅からJR京都駅を経て帰路につきました。

参加されてた中には『新選組』ファンの方がおられて『新選組』の人脈など結構詳しくお話しされてました。わんちゃん的にはさっぱり解らず、局長の近藤勇、美男俳優が演じた沖田総司、武骨なカンジな土方歳三ぐらいしか知らなかったんです、『新選組』と『幕末の薩長の志士たち』との葛藤がテレビドラマとか映画でしか知りません、去年の大河ドラマ『花燃ゆ』での久坂玄瑞(東出昌大さん)が印象的でゆかりの建物などそこだけ「ふんふんなるほど」っと言うカンジでした。







石碑など調べていくうちに新選組のこと、少しは解ってきたようなカンジ・・・

途中、お弁当した光徳公園で桜が咲いてました








龍田越え:2015.12.06

2015-12-08 | SKW(シルバー健康ウォーキング)
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
龍田越奈良街道(たつたごえならかいどう)は、奈良に至る「奈良街道」の一つ。 大阪と奈良を結ぶ街道の一つであり、斑鳩町の龍田(三郷町の龍田大社付近)を通る「龍田道」の一つである。 現在は国道25号が踏襲している。Wikipedia
JR大和路線(関西本線)高井田駅⇒高井田横穴公園⇒国豊橋(大和川)⇒國分神社⇒川端吊り橋⇒亀の背⇒峠八幡神社⇒龍田大社⇒JR王子駅
JR大和路線(関西本線)高井田駅からスタートです。ちょっと歩いて国指定史跡の 高井田横穴墓群 ⇒こちらに立ち寄りました。







高井田横穴公園からの見晴らしの良い場所からは遠くの方に二上山や金剛山が見渡せました。
大和川の国豊橋を渡りしばらくして、リーダーさんが立ち止まって何やら熱心に見てはりました。

国分地区に建てられている 奈良街道の道標 です。




写真はクリックで拡大します

国分神社 に立ち寄り・・・


 



再び大和川を渡るのに、吊り橋でした、


渡りしなには頑丈そうに見えたんですが、いざ渡り始めると結構揺れましたね、川面からはそう高くないので怖くはありませんでしたが谷瀬の吊り橋のように川面から50m以上もあれば、もう少しスリルがあったかも?「この橋は多人数で渡ると大変危険です。一度に渡るのは15人まででお願いします。」っとの看板がありました。

橋ができる前には渡し舟があったそうで「夏目茶屋の渡し」の説明版がありました。
写真はクリックで拡大します


しばらくは大和川に沿って歩きました、JR大和路線と交差してますね、

向こうに見える車が走ってるのは国道25号線のようです

峠八幡神社に到着です


石段脇の辻堂に地蔵菩薩が・・・


お堂の前の足元が悪くちょっと背の低いわんちゃんには全体像が撮れませんでした。お地蔵さんはフツー立像が多いのですが、ここのは坐像で珍しいそうです、鎌倉時代末から室町時代初期の造像と考えられています


この峠八幡神社でお弁当タイム

峠八幡神社から神奈備神社などに寄りながら



龍田大社にお参りです。ここでトイレ休憩。
七五三のお参りですね。









王寺駅前で解散です。
「まだ、一時半になってないよ、どっかでお茶する?」こういうのって「そうやね」っと。
駅前でちょっと一服。

JR王寺駅方面と近鉄王寺駅に・・・




道々出会ったお花&実たち
シロバナタンポポ                         フユイチゴ
 

ヤブムラサキ                            ツルウメモドキ
 

ツルフジバカマ                            マルバアサガオ
 

王寺町

町の木ウメ、町の花サツキ、
聖徳太子の十七条の憲法第一条「以和為貴」(和をもって貴しとなす)の精神を引継ぐ地域のシンボルの和(やわらぎ)

柏原市

市章の周りに特産のブドウが描かれている。

三郷町

町章と、町の木モミジと竜田川の流れ


太郎坊宮:2015.9.04

2015-09-07 | SKW(シルバー健康ウォーキング)

「岩戸山~箕作山~太郎坊山」葯7k~シルバー健康ウォーキングの会~
≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
JR京都駅から新快速で近江八幡駅で下車、近江鉄道へと乗換えます。近江鉄道はICカードNO。
硬券切符でしたパチンパチンっと。

ホームで待っていた電車を見てビックリ!




滋賀県警のラッピングカーです。このラッピンガ・カーは通称「パトカー電車」と呼ばれ、滋賀県警が「春の全国交通安全運動」キャンペーンの一環として、近江鉄道に依頼したもので、2012年4月6日から運行が開始されています。

近江鉄道・市辺(いちのべ)駅で下車。ここからスタートです。

阿賀神社を経て、万葉の森船岡山へ。

公園の一角には、
茜(あかね)さす 紫野ゆき 標野(しめの)ゆき  野守(のもり)は見ずや 君が袖ふる
  ~額田王 『万葉集} 巻1-0020

《訳》茜色の あの紫草の御料地に行き
番人が見ているかもしれないのに私に袖を振ったりしないでくださいな

6月13日(旧暦5月5日)天智天皇の御代、この日は「薬猟(やくりょう)」の日とされていました。男性は薬になる鹿のツノをとるための狩猟を行い、女性は薬草を採るという・・・

その様子のモニュメントが建てられています、

また、この和歌が詠まれた場所です。

近くの八幡神社の神饌田(しんせんでん)

地元の方たちが丹精込めて育成中。
八幡神社


吽                    阿
 

本殿


岩戸山十三仏に到着。


ここにある巨大な一枚岩に、聖徳太子が爪で十三体の仏像を刻んだと云われています、ハイキングコースのいたるところに十三仏の標識が立ってたんで「どの岩がその十三仏なんやろか?」とうとうソレらしき岩(磨崖仏)は見つけられませんでした。登山道の脇には大小のお地蔵さんは何十体も鎮座してたんですけど・・・、





岩戸山頂上から、北方(琵琶湖方面)を眺望。

更に尾根筋を進み、


小脇山(標高373.6m)頂上 に到着です。

三角点がありました。


ここでお弁当タイム、わんちゃんたち数名はちょっと遅れて到着、先発組は昼食後のコーヒータイムの様子。

お弁当してる目の前にナツハゼの実

小脇山頂上からは眺望抜群、八日市市の町が見えました、緑の田んぼがパッチワークのようにキレイ・・・


皆さんからちょっとずらして、箕作山(みつくりやま)に向けて出発です。ホツツジの花が満開でした。




岩のすき間にミヤマママコナ




太郎坊宮に向かう山道の途中に、赤神山(太郎坊山)山頂への分岐点がありました、Kさんは「赤神山山頂に寄ってからお宮さんに行くから先、行っといて」わんちゃんたち数名はもう太郎坊頂上へは元気なかったです。

太郎坊宮(阿賀神社)
本殿へは、またまた階段を上り切ったところ。




約1400年前に創始されたと言い伝えられいます。勝運・厄除・開運・商売繁盛に御利益があり、天照皇大神の第一皇子神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祀っています。本殿前にある夫婦岩という巨岩は、神力によって左右に開いたといわれ、巨岩信仰の中心となる岩で、この前を嘘つきな人が通ると途端に岩に挟まれてしまうといいます。(ちなみに皆さん無事通り抜けられましたよ)
駅に続く通りに出るには740段余りある石段を下ります「下りは意外と足に来るよね」っとか言いながら注意深く石段の手すりを頼りに下ります。「そやけど、お参りするのにこの階段上るっとなるとシンドイやろなぁ」




太郎坊宮の石の鳥居をくぐって、後ろを振り向きました、太郎坊山(赤神山)です。

近江鉄道の太郎坊宮駅から近江八幡駅でJRに乗り換え京都駅から近鉄線へと・・・
岩戸山、小脇山、箕作山など300m級の山ですが結構キツかったです、ふくらはぎの筋肉痛3~4日癒えませんでした。

八日市市 マンホールの蓋

テトラポット模様に、中央には八日市市の市章。
汚水管マンホール

登山道で

アキノギンリョウソウ(ギンリョウソウモドキ)

ヒカゲチョウ