太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

タイムスリップしたか、ハワイ

2020-04-27 15:04:06 | ハワイの自然
日曜日、あんまり天気がいいので、ノースショアにドライブした。
ドライブだけなら、車から出なくてもいい。
早朝に海で泳いで、そのあとにファーマーズマーケットに寄って、
家に戻ってからブランチを食べ、出かけた。




私が大好きな花のジャカランダが満開。


ワイメアバレーで、ギースを発見。
バレーはcloseだけれど、入り口までは行ける。
誰かがウクレレをつま弾いているのが聞こえてくる。
普段は旅行者がたくさんやってくるバレーも、ひたすら静か。

サンセットビーチ


冬はサーフィンの大会でもりあがるビーチも、人影はまばらだ。
ハレイワの街も、ほとんどが閉まっていて、
木陰で昼寝をする人や、フードワゴンでランチを買う人が数えるほどいるだけ。



すれ違う車も少ない。
ハワイは、過去にタイムスリップしたかのようだ。
実際、最近の、人がそれほど歩いていないワイキキや、ガランとしたビーチは、
夫の両親がハワイに移住してきた50年前に似ているという。

庭のハンモックで、本を読む人。
外のテーブルで、何かを食べている人。
青空床屋をやっている人。
自転車にサーフボードをくくりつけて走っている若者。
木の幹にさげた手作りのブランコで、海に向かって漕ぐ子供たち。
牧場には、普段なら乗馬体験ツアーなどで出払っているはずの馬が、
何十頭も草を食んでいる。
ほぼ100%が地元民だけで、
道を歩く人たちから、マスクを外したら、きっと50年前はこんなふうだっただろう。
空港に降り立つと花の香りがしたという、あの頃に。


どこにも止まらずに走れば、2時間もあれば家とノースショアを往復できてしまう。
私はなんと小さな島に住んでいるのだろうか。





シミュラキュラ現象?

2020-04-24 10:26:12 | ハワイの自然
2階の寝室の北西の窓から、庭を見下ろす。



気づいた?



、でしょう?

モンキーポッドの根の一部なんだけど、
庭の一角にこの家を建てるにあたり、先の方を切った。
切る前に、モンキーポッドさんにはよく事情を説明して、了解を得た(と思う)。
残った部分に苔がむした。

これが鼻に見えたのは、つい最近のことだ。
なぜか2か所だけ、苔がつかず、それが立派な鼻の穴。
いったん、それが鼻に見えたら、もう何がなんでも鼻にしか見えなくなる。

人間の脳は、何かの模様の中に人の顔を探してしまう、という本能のようなものがあって、
それをシミュラキュラ現象というのだそうだ。舌を噛みそうな名前。
天井のシミや、木目が人の顔に見えたり、
魚の模様が顔に見えたり(人面魚って、いっとき流行った)。

私は夫を呼び、庭にできた鼻を指さして、
これはシミュラキュラ現象といってだね・・と蘊蓄を垂れた。
「ほんとに鼻の穴に見える!」
と言っていた夫だったが、現象の話をすると、
「それって、三つの点から顔を連想する、っていうやつじゃないの?」
「え・・・・?そうなの?」
あわてて調べると、人の顔の目と口の、逆三角形の三つの点を、
何かの模様の中に見出す、と書いてあった。
滅多にない博識を自慢するチャンスだったのに。


これは、三つの点どころか、鼻そのものだものなあ。

それにしてもでかい鼻

じっと見ていると、この立派な鼻の穴から
すぅー、すぅー、という鼻息が聞こえてきそうである。






ニカブ

2020-04-23 11:08:21 | 日記
ハワイではスーパーマーケットなどの店の入り口に、人が立っていて、
マスクなしの人は店内に入れないようになっている。

相変わらず、生地屋にはマスク用の布を求める人が列をなしている。
わざわざ買わなくても、ハンカチやお弁当包みでいいじゃないか、と思うのは日本人。
こっちの人って、ハンカチを持っていない。
布で包むようなお弁当を、作らない。
夫の職場でも、毎日家からランチを持参するのは夫ぐらいのものらしい。

この1か月あまりで、
あんなにマスク嫌いのアメリカ人が、すっかりマスク民族になった。
白い普通のマスクをしている人は、品薄もあって滅多に見ない。
その代わり、色や模様やスタイルがいろんなタイプのマスクがあって、見ているだけで楽しい。
中でも、フェイスマスクをしている人が増えてきた。
店の入り口にも

『マスク、およびフェイスマスク必須』

と書かれている。
バンダナなどで鼻から下を覆う人もいるけれど、タートルネックを上に伸ばしたような、
スキーの時につけるのに似ているフェイスマスクをしている人もいる。
首の部分が、ハワイではちょっと暑苦しくはある。
帽子をかぶり、フェイスマスクをすると、ムスリムの女性のニカブみたいだ。

ニカブ

ムスリムの女性たちは、コロナウィルス下にあっても、特段ファッションを変えなくていいのだなあ。
この形、目が強調されて美しく見える。
マスクもフェイスマスクも、口紅をつけるとマスクに付着するので、
口紅の消費量がグッと減るのではないか。



私は人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。
特に外国人の名前は馴染みが薄いので、覚えにくい。
覚えやすいように、 ビクトリア という名前だったら、Victory(勝つ)で
「勝子」とアレンジしたりして覚えるのだけれど、いざビクトリアに会った時、
とっさに「勝子」は出てくるが、肝心の、勝つの英単語をド忘れする、といった具合で
どうしようもない。
焦っているので余計に思い出せず、別れてから思い出す。

どこに行くにもマスクをして、日差しが強いので帽子をかぶり、サングラスをすると、
知っている人に会ってもわからない。
これは忘れっぽい私には大変助かることなのである。







部屋着のランク

2020-04-23 10:33:04 | 日記
家に籠りはじめて1週間で、おのれの服装を見て心を入れ替えた、
という話を書いたけれど、
あれから3週間、私の部屋着レベルはかなり改善された。
部屋着のランクが、一段階上がったのだ。

たとえば、
仕事をしていたとき、帰宅してシャワーを浴びて、寝るまでの間に着るのは
カップなしタンクトップにショートパンツといったもので、誰かが訪ねてきたら、
あわてて着替えるという、これが最低レベルの1とする。

休日に、ファーマーズマーケットに行ったりするのに着るのは、
カップ付のタンクトップにジーンズやリラコで、これがレベル2。

出かけたついでにランチでも、という時には、もう少し凝ったデザインのトップに、
ロングスカートなどになり、これがレベル3。

おしゃれな店でディナーを、という時には、いきなりランクが5ぐらいになる。

まあ、ランクが上がったとはいっても、
レベル1の部屋着はパジャマに成り下がり、レベル2がレベル1にとってかわっただけで、
きっとそのレベルは、普通の人のレベル1なんだと思う。


いったいほかの人は、家でどんな部屋着を着ているんだろう。
こんなに毎日家にいたことがない私は、素朴にそう思う。
昔、日本で、高級住宅地にあるお宅をいきなり訪問するというテレビ番組をみた。
リポーターが呼び鈴を押すと、スッとドアが開いて、真っ青なワンピースに身を包んだ奥様が出てきた。
イヤリングとネックレスは対になっていて、ばっちりメイクもしている。
「あら、どうしましょう」
と言いながら、全然困ったような顔ではなく、モデルルームのような片付いたリビングに通してくれる。

私は以前、ローカルテレビ局で働いていたから、たいていの場合、
事前に約束ができていて、それをさも突然のように振る舞うというのは知っている。
だから、きっとその番組でもそうなのだろうと思う。
しかし、いくらなんでも家できっちりしたワンピースにイヤリングとネックレスって
わざとらしすぎやしないか。
私がディレクターだったら、「いや、もう少しカジュアルなほうが・・」と言うだろう。
それとも、高級住宅街に住む上流クラス主婦は、本当にそれがレベル1の部屋着なんだろうか。
上流クラスとは程遠い私には、どうでもいいことだが
ちょっと部屋着が気になる今日この頃なのである。









ハワイ自宅待機期間、延長となる

2020-04-22 10:45:28 | 日記
昨日、ハワイ知事が、自宅待機期間延長を決めた。
4月末までだったのが、1か月延びて5月末まで。
closeだった公園は再オープンするが、ジョギングやウォーキングに限り、
集団でのエクササイズは禁止。

今日は何をしていたか。
朝、ウォーキングから戻ったあと、家に入る前にモンキーポッドの種拾い。
庭にあるモンキーポッドが、日陰を作ってくるおかげで2階にある寝室は涼しい。
この時期、たくさんの種を落とす。
モンキーポッド

種は、でっかいソラマメみたいで、焦げ茶色。
その数が半端なく、1日に拾うのは100個までと決めている。
今日100個拾っても、翌日にはまたそれ以上に落ちているのだ。
拾った種は、ジャングルに向かって放っておく。

義父が、我が家の内壁を塗り直してくれるという。
義父は、歯医者にならなかったらペンキ屋になりたかった、という人で
自分の家もよく塗り直しているし、とても上手だ。
巾木と窓枠を先に塗り、翌日に壁を塗る。
窓が12個もあるので、結構大変。

義父が塗っている間、猫を外に出す。


猫の手前に落ちている黒くて長いのが、モンキーポッドの種。

私は真面目に英語の単語の勉強。
自分でもえらいと思う。
覚えても、覚えても、寝ると忘れるのは年のせいか・・・
でも、たとえばDVD映画を観ていて、知らない単語が出てくると夫に聞く。
その回数が、ほーーーーんの少しだけ減った。
(あ、この単語、右側のページの下から2番目にあったよなぁ)
ということだけ覚えていて、肝心の意味を思い出せないこともあり。
そういえば学生の頃、試験の時にも同じことがあったなあ。
1歩進んで2歩さがる。自分との根気比べだ。

ガーデニア

買ったときは蕾だったガーデニアが、咲いた。
デスクの前の窓におくと、風に乗って甘くてミルキーな香りが運ばれてくる。
日本名のクチナシだとどうしても、渡哲也の「くちなしの花」を思い出してしまい、(そういう世代)
演歌の暗く湿ったイメージしかないのだけれど、ガーデニアというと途端にゴージャスになる。
名前って大事だな。



私はますます、この新しい日常に溶け込んでいる。
朝起きて、行かねばならないところがないような生活になったら、人間ダメになる、
と信じて生きてきたのは何だったか。
休みを指折り数えて待つ生活も捨てがたい、などと言っていたのは誰だ。
そうやって叱咤して、36年働き続けてきたのだ。
朝起きて、行かねばならぬところなどなくても、
今日が何曜日かわからなくなっても、私はそれほどにはダメになってないし
社会から離れている焦りもない。
長い長い春休みは、まだ1か月余り続く。