太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

お風呂にティートリーオイル

2020-04-21 10:14:14 | 日記
友人が送ってきてくれたYouTubeの「日本がやばい」という歌が、おもしろい。
さだまさしの『関白宣言』の替え歌で、歌詞はむろん、歌もうまいし、映像もいい。
こんなとき、クス!っと笑えることができちゃう日本人ってすごい。
だから、日本は大丈夫だ、と思う。


家を建てたときに、洗い場があり、肩まで浸かれる浴槽がある、日本式のお風呂を作った。
アメリカのバスルームは、洗い場がなく、
日本のホテルにあるような長細く浅い浴槽の中に立って、体を洗うか、
シャワールームしかない家だってある。
私は日本人なので、洗い場で、じゃーじゃーお湯を流しながら体を洗いたい。
そこで、タイル敷の風呂場を広めにとり、そこにTOTOの浴槽を設置した。
といっても、買える浴槽は日本のアパートについている、ちっさいの1種類だけだ。
でも置くだけなので、動かして、その下を洗うこともできるのがいい。


左側の壁にシャワーが2個ついているので、浴槽の上にはシャワーはいらない、
と言ったのだが、工事の監督さんが、何度も確かめてくる。
「ほんとうにシャワーはいらないのか?」
だからいらない、って言っている。
しまいには、シャワーはこっち持ちで付けるから、付けさせてくれ、とまで言う。
そこまで付けたいのならどうぞ、ということで、狭いお風呂場に3個のシャワー。
こっちの人には、洗い場で体を洗うという意味がよくわからないのだと思う。
浴槽には絶対にシャワーが必要なのだから、あとからシャワーをつけろ、
言われるのが嫌だったのか。


肌寒い時期だけ、お湯をためて浸かっていたのだけれど、
コロナウィルスが騒がれるようになってからは、毎日浸かるようにしている。
それも、お湯の中に、ティートリーオイルを垂らす。

こう見えても私は、アロマテラピー1級保持者である(実はたいしたことない)。
ティートリーは、殺菌と消毒作用が高い。
もともとはオーストラリアの先住民が感染症の傷を治すのに使っていた。
呼吸器系のトラブルにもよく効く。
ね、コロナウィルスにも良さそうではないか?
清浄な香りも、私は好き。
お風呂に入れれば、蒸気で芳香浴もできるし、ニキビにもいいし、
なんだか体の中からきれいになったような気がする。
TOTOのちっさな浴槽に、身長2mの夫が入るとぎっちぎち。
お湯が3分の1も入っていれば、胸の上あたりまでお湯がくる。


ディヒューザーで香りを楽しんだり、掃除用のスプレーを作ったり、マッサージに使ったりするのは楽しい。
今でもできればそうしたいのだけれど、猫達がやってきてからは使わなくなった。
すべてのオイルというわけではないが、猫の体で分解できないオイルが多いのだ。


だんだん暖かくなってきたけれど、
お湯をぬるめにして、しばらくティートリーお風呂を続けてみる。








親と施設

2020-04-20 14:33:38 | 日記
母は今、生前父がお世話になっていたグループホームにいる。
12月の初めに転んで肩を骨折するまで、家からデイサービスに行けたのだが
骨折後、ほかの機能もがっくり落ちて、姉ひとりではどうにもならなくなったのだ。

2年前、父を施設に入れねばならなくなったとき、抵抗があった。
その抵抗の半分は罪悪感でできている。


母が短期で入所した、いくつかの施設は、施設こそきれいで快適そうだけれど
一列にテレビに向けて座らされ、1日中テレビを眺めているとか、
1日中、パジャマのままだったり、それも食べこぼしがついたままのものを
着替えさせてくれるように頼んでも尚、翌日もそのままだったり。
職員も足りないのだろうし、大変な仕事だとは思うけれど・・

父がいたグループホームは、実家から徒歩1分という距離にあり、
元は個人のお邸だったのを改装した、こじんまりとした施設だ。
職員の方たちが、ほんとうに温かく、明るい。
一人一人によく声をかけてくださり、一緒に何かをやってくれたりする。
私が送った、日本の風景の大人の塗り絵を、父の指がもうあまり動かなくなってからは
「ここは何色がいい?ここは?」
と聞きながら、かわりに塗ってくださったりもした。
家族だって、そんなことはできない。

父が亡くなったのが12月半ば。
母に同じホームに入所してほしかったけれど、手続きがいろいろあって、
空きが出たからどうぞ、というわけにはいかないらしい。
ケアマネージャーさんが奔走してくださり、母が入所できたのが1月初め。
それも、父が使っていた個室を、そのまま引き継いでいる。

コロナウィルス騒ぎの前に、父が逝き、母を代わりに入れてくれて、
「おとうさん、すごいタイミングでやってくれたよね」
姉妹でしみじみと言いあう。
今、父が他界しても、駆け付けることもできなかっただろう。


3月初めから、母のグループホームは面会禁止になった。
母が家にいたときは、週に何度か電話で話していたけれど、
今はそれもできないので、こまめにハガキを書いている。
便箋だと封筒から出さねばならないので、指先がうまく動かない母には難しい。
姉も、母を病院に連れていく以外は会えないので、毎日どうしているのかはわからないという。
4月の母の誕生日に、ホームで誕生日会をやってくださり、
その写真をきれいに台紙に貼って姉に郵送してくれた。

『〇〇さん、お誕生日おめでとうございます。
いつまでも美しい〇〇さんでいてくださいね』

その下に、母を中心にして撮った写真があった。
マスクをした職員の方たちが、おどけて笑っている。
真ん中の母も、明るい笑顔で映っている。
しばらく見ないうちに、母は、穏やかな顔になった。
写真のその顔は、母方の祖父に目元がそっくりだ。
今までそんなふうに思ったことはなかったけれど。
私は1日に何度も、姉が添付してくれたその写真を眺めている。


2年前、大腿骨骨折後のリハビリ病院で、しきりに家に帰りたいという父が不憫だった。
家がいいに決まっている。
もし私が近くにいたなら、と思うことはあったけれど、そうじゃないので
一緒に住む姉に遠くから、ああしろこうしろとはとてもじゃないが言えない。


でも、そのグループホームに移ってから、父は滅多に帰りたいと言わなくなった。
「チョンガー(独身のこと)みたいで、こういうのもいいなァ」
と笑っていた。
父が家にいた頃は、言うことを聞かず、たばこもやめず、姉と喧嘩が絶えなかった。
親子というのは酷なもので、言わでもがなのことを言ってしまう。
母も同じで、「おねえちゃんが威張る」と母は言い、
「おかあさんが私のことを人でなしだって言った」と姉が言う。
言われたことを、他人ほどには引きずらないけれど、
言ってしまったことを悔やむ思いは、自分を傷つける。
私が姉でも、きっと同じだったのではと思う。

近いので、毎日家族の誰かが会いに行く。
家族よりも優しくしてくれる人たちに、息をひきとるその瞬間まで看取ってもらえて、
父は家にいるよりも幸せだったのではないだろうか。
それは私たち子供の、そうあってほしいというエゴだろうか。

母とは、もう4か月以上も話をしていないけれど、
母はあの、さんさんと太陽が降り注ぐ部屋で、おだやかに過ごしているからいい。
たとえ私のことを認識できなくなったとしても、母が幸せな気持ちでいたら、それでいい。
父の遺体を家に連れてきたとき、
「おとうさん、家に帰してあげられなくてごめんね」
と言って姉と泣いた。
母にもきっと同じことを言って泣くのだろう。
それでもきっと、母にはこのほうが幸せなのだと思う。
それが子供のエゴなのだと言われても。









泳ぐのはOK

2020-04-20 11:41:24 | ハワイの自然
日曜日、夫とビーチに行った。
金曜日から、ビーチで泳ぐのはいいがウォーキングはダメ、という規則ができたので
ボディボードを持って泳ぐことにした。
泳ぐのはいいのに歩くのはダメとは、これいかに??
ウォーキングと称して複数で集まったりするのを防ぐとか、だろうか。

いつものカラマビーチ

風が心地よい

四輪バギーやボートに乗ったポリスマンが監視をしている中で、
久々に泳ぐ。


水は温かく、どこまでもエメラルドグリーン。
水の中にいると、外の世界で起きていることなど嘘のようだ。
わりとすぐ近くで、亀が泳いでいた。
亀はコロナのことなど知らないで生きているんだろうなぁ。

ブーゲンビリア

花や木が、すごく輝いてみえる。
言葉にするなら、 息吹 。
気のせいかと思ったりもしたけど、今は気のせいじゃないと思う。
植物の呼吸を感じるぐらい、みんな生き生きしている。


ファーマーズマーケットに寄って、果物と野菜を買い(買い物する順番を15分待った)家に帰る。
出がけにバタバタしていたので、猫たちのご飯をあげるのを忘れていた。

「おーい、うちらのご飯はどうした」

土曜と日曜は、夫が休みで家にいる。
私が仕事をしているときは、夫と過ごせるのは日曜だけで、
一緒にあれもしたい、これもしたいと思うのだけれど、
今は私は毎日家にいて自由なので、土日は夫がやりたいことを優先している。
飽きるまでヘヴィメタのYouTubeを見ていたり、
ギターをずっと弾いていたりするのを、放っておく。
普段は、夫ひとりで過ごせる土曜日に、こんなふうにしているのだろう。


失業保険の申請は、ゆるゆるながら進行中。
ハワイはすべての州の中でも1番、失業保険の申請が多いらしい。
働く人口の3割近くが失業中という。
ふと、思う。
コロナ後、私はまた元に戻るのだろうかな。
そもそもコロナ後、というのは、あるのだろうか。








偏西風が戻ってきた デイゴの思い出

2020-04-17 13:36:12 | 日記
ここ数日、ハワイに偏西風が戻ってきた。
土砂降りの雨のあと、夜中から朝にかけて雷で、
窓にカーテンのない我が家は、まるでディスコ(古い?)のようだった。

スカッと晴れて、偏西風が吹くと気持ちがよくてうきうきする。

ウォーキング中に見る、かわいい花々までうきうきしている。
白と赤の割合が絶妙!

このままレイにできそう

デイゴ(たぶん?)の花

このデイゴの木は、前の結婚時代に最初に住んだアパートにあった。
ぼってりとした、実のような花をつけ、あっというまに散って、
散ったかと思うといつのまにか咲く。
静岡の市街地の、アパートの一角に植えられた南国の木は、
何年たっても居心地が悪そうで、また見慣れることもなかった。
私はその分厚い感じの花も、1年に何度も咲くたくましさも、鬱陶しくさえあり、
なんだか好きになれなかった。
車を停めて、建物に入るまでの間にデイゴの木の前を通るとき、
私はなるべく木を見ないようにしていた。
それは幸せじゃなかった結婚の、私のざらざらした心を逆なでるような木だった。

決定的に何かが間違っていることに本心では気づきながら、
そのことから目をそらして、無理やり綺麗な箱に押し込もうとしていたあの頃。
あそこにあったデイゴの木は、まさに私自身ではなかったか。



何年か前、ウォーキング中にデイゴの木を見つけたとき、
それがあの同じ木だとは思えなかった。
自然で、生命力にあふれていた。
南国の木は、南国に生きるのが幸せだからなのか、
私の心がざらざらしていないから、そう見えるのか。

あのアパートは、区画整理があって、今は大通りに面しているという。
デイゴの木は、今でもそこにいるのだろうか。
27年たっても、まだ所在なげな感じでいるのだろうか。

あのときは、嫌ってごめん。

ハワイの幸せなデイゴを見ながら、私は心でつぶやく。










こんな1日

2020-04-17 12:13:48 | 日記
昨日のニュースで、この1か月でハワイの海に既に変化が起きている、と言っていた。
魚たちの数が増え、陸のずっと近くに来ている。
ハナウマ湾は、通常は1日に3000人がシュノーケルをするそうで、
今はサンゴも生き生きと元気になったらしい。
クジラも陸に近いところを泳いでいるし、イルカの群れもすごく増えたと、先週の新聞にも書いてあった。
やっぱりね。
おとといのカイルアビーチ
そんな気がしたんだよ。


車を1か月も動かしていないので、たまにはエンジンを回さないとと思い、近所をドライブしてきた。
ひと月ぶりに運転して、とっても気分がいいので、花屋まで足を伸ばした。
家に切り花は欠かさないようにしているのだけれど、今日はいい花がなかった。
そこでエアプランツを買った。



蓋を割ってしまった、お気に入りのティポットに挿して、



キッチンのシンク前の窓辺に置いた。
エアプランツの隣が、バジル。その隣が、アンスリウム。



夜、テレビを見ていたら、

ガッチャン!!

という嫌な音がした。
ティポットがシンクに落ちて取っ手が粉々になっていた。

最近、夕食のあとでハーブティを飲むのが習慣になっている。
タンポポの根っこのお茶など、数種類のハーブティを、気分によってブレンドして飲む。
その時に使うティポットは、私の大のお気に入りで、大事に使っていた。
ポーランドの手描きの絵付けの、4人分はたっぷり入る大き目のもの。
使うたびに幸せな気持ちになったのに、それが割れた。
ハーブティを淹れたあとのポットに、猫がほおずり(マーキングの1種か)しようとして、
シンクの中に落ちてしまったらしい。

猫に悪気はないので、責めるわけにもいかず、
「くぅーーーーーーッッッ!!」
無念を堪える。
取っ手が取れただけなら、本体のみでも使えるのだけれど、
取っ手がついていた箇所に穴が開いてしまい、ポットとしては使えなくなった。

取っ手なしの、穴あきのポット

残念すぎて、捨てる気にならない。
中になにか容器を入れて、花活けとして使うつもり。