『わたしはティチューバ──セイラムの黒人魔女』マリーズ・コンデ著
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4915165922&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
1692年、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン郊外セイラムで起きた“魔女裁判”事件をモチーフにした小説。ティチューバとは実に200人を超えた逮捕者の中で最初に告発されたひとり。牧師?フ家に仕えた黒人奴隷だったと云う事以外、年齢、人柄、釈放後の足跡などは分かっていない。
セイラムの魔女裁判と云えば映画やゲームの題材にもなり今ではオカルト伝説のひとつと化した感もありますが、この事件の背景を調べてみると、現代までめんめんと続くアメリカの人種差別問題の、元凶のある一面はなんとなく分かって来ます。
事件の発端はティチューバが仕えていた牧師の家の娘たちが病気になったこと。後に“集団ヒステリー”ではないかと云われた症状で苦しんだ少女たちは自分を苦しめているのは魔女であるとして村の人々を次々と告発し、それによって92年の2月に3人の女性が拘束されたのを皮切りに翌年5月に事件が終結するまでに200人以上が無実の罪で逮捕起訴され、20人が処刑されました(獄中死した人はこの数字には含まれない)。
事件がなぜこれほどまでの混乱を来したのか、少女たちの告発になぜ村人が躍らされたのか、感覚的にはよく分かります。
当時のアメリカは独立前の植民地時代。つまり全米のどの町も出来たばかりの新しいコミュニティーであり機能的には全く未成熟な時代でした。加えて彼らは信仰深いプロテスタントでした。異端審問はカトリックの時代からありましたが、世界的に見て異端審問が盛んに行われ徹底的に魔女や異教徒が排斥されたのはカトリックではなくプロテスタント社会の方です。カトリックに比べて保守的・排他的傾向、宗教的結束が強かったから、すなわち「異質なもの」に対する拒否反応が強かったからだと考えられています。
彼らの指す「異質なもの=魔女」とは何も民族・宗教を異にする者や実際に魔術を駆使する者に限りません。情報伝達手段が著しく不足し知識水準も低く医療技術も未発達だったこの時代、誰かに恨まれたり妬まれたり疑われたりするだけで、誰でも告発される可能性があったのです。
そうした背景と思春期の少女特有の発作的な自己顕示欲と根拠のない被害妄想が結びついて、事件に発展していったのです。
こうした魔女裁判で法律として機能するのは勿論「宗教」です。宗教の名のもとの「正義」によって人が裁かれ、死刑台に送られていったのです。
その「正義」は裁く側だけの「正義」であり絶対でした。
当時のアメリカには政府がまだ存在せず、市民を守るものは市民自身しかいませんでした。出来たばかりのコミュニティーは未開拓の土地に囲まれ、近隣には先住民(=異教徒)が住み、彼らは不馴れな気候風土と自力で格闘しなくてはなりませんでした。云ってみれば、どの村も寄せ集めの他人同士がかたまって暮らす孤島のようなものだったのです。そして彼らのよりどころは信仰だけだった。
彼らが過剰な自己防衛感覚を身につけ、宗教的世界観に盲目的にしがみつくようになったのは当然の結果と云えるかもしれません。
ところがあれから3世紀以上を経た今でも、アメリカでは過剰な自己防衛感覚と宗教的正義感が価値観の基礎とされたままになっています。異質なものは排除すべきである、正義に反するものは排斥されるべきである、と云う価値観によってさまざまな社会問題、事件、紛争が絶えないままです。
アメリカ人はこれがアメリカの伝統なのだと云います。
でも既にそんな伝統に何の意味もないと云うことは、本当はみんな分かっている筈なのです。分かっているのに、アメリカ人はそれから逃れられないでいるのです。それ以外によりどころとする“伝統”が存在しないからです。
どんな場所かも全く分からない土地に向かって旅立ち、そこで必死に生きる道を切り拓いた最初のアメリカ人たちは確かに尊敬すべき勇敢な人々だったろうと思います。彼らの味わった苦難を現代の我々が想像する術はない。
けれども彼らが築いた価値観はあくまで彼らにとって必要であっても、現代を生きる我々にとって既に重荷と化しています。
既存の価値観を捨てて古い伝統から自由になることこそが本当の正義であることは自明の理なのだけれど。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4915165922&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
1692年、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン郊外セイラムで起きた“魔女裁判”事件をモチーフにした小説。ティチューバとは実に200人を超えた逮捕者の中で最初に告発されたひとり。牧師?フ家に仕えた黒人奴隷だったと云う事以外、年齢、人柄、釈放後の足跡などは分かっていない。
セイラムの魔女裁判と云えば映画やゲームの題材にもなり今ではオカルト伝説のひとつと化した感もありますが、この事件の背景を調べてみると、現代までめんめんと続くアメリカの人種差別問題の、元凶のある一面はなんとなく分かって来ます。
事件の発端はティチューバが仕えていた牧師の家の娘たちが病気になったこと。後に“集団ヒステリー”ではないかと云われた症状で苦しんだ少女たちは自分を苦しめているのは魔女であるとして村の人々を次々と告発し、それによって92年の2月に3人の女性が拘束されたのを皮切りに翌年5月に事件が終結するまでに200人以上が無実の罪で逮捕起訴され、20人が処刑されました(獄中死した人はこの数字には含まれない)。
事件がなぜこれほどまでの混乱を来したのか、少女たちの告発になぜ村人が躍らされたのか、感覚的にはよく分かります。
当時のアメリカは独立前の植民地時代。つまり全米のどの町も出来たばかりの新しいコミュニティーであり機能的には全く未成熟な時代でした。加えて彼らは信仰深いプロテスタントでした。異端審問はカトリックの時代からありましたが、世界的に見て異端審問が盛んに行われ徹底的に魔女や異教徒が排斥されたのはカトリックではなくプロテスタント社会の方です。カトリックに比べて保守的・排他的傾向、宗教的結束が強かったから、すなわち「異質なもの」に対する拒否反応が強かったからだと考えられています。
彼らの指す「異質なもの=魔女」とは何も民族・宗教を異にする者や実際に魔術を駆使する者に限りません。情報伝達手段が著しく不足し知識水準も低く医療技術も未発達だったこの時代、誰かに恨まれたり妬まれたり疑われたりするだけで、誰でも告発される可能性があったのです。
そうした背景と思春期の少女特有の発作的な自己顕示欲と根拠のない被害妄想が結びついて、事件に発展していったのです。
こうした魔女裁判で法律として機能するのは勿論「宗教」です。宗教の名のもとの「正義」によって人が裁かれ、死刑台に送られていったのです。
その「正義」は裁く側だけの「正義」であり絶対でした。
当時のアメリカには政府がまだ存在せず、市民を守るものは市民自身しかいませんでした。出来たばかりのコミュニティーは未開拓の土地に囲まれ、近隣には先住民(=異教徒)が住み、彼らは不馴れな気候風土と自力で格闘しなくてはなりませんでした。云ってみれば、どの村も寄せ集めの他人同士がかたまって暮らす孤島のようなものだったのです。そして彼らのよりどころは信仰だけだった。
彼らが過剰な自己防衛感覚を身につけ、宗教的世界観に盲目的にしがみつくようになったのは当然の結果と云えるかもしれません。
ところがあれから3世紀以上を経た今でも、アメリカでは過剰な自己防衛感覚と宗教的正義感が価値観の基礎とされたままになっています。異質なものは排除すべきである、正義に反するものは排斥されるべきである、と云う価値観によってさまざまな社会問題、事件、紛争が絶えないままです。
アメリカ人はこれがアメリカの伝統なのだと云います。
でも既にそんな伝統に何の意味もないと云うことは、本当はみんな分かっている筈なのです。分かっているのに、アメリカ人はそれから逃れられないでいるのです。それ以外によりどころとする“伝統”が存在しないからです。
どんな場所かも全く分からない土地に向かって旅立ち、そこで必死に生きる道を切り拓いた最初のアメリカ人たちは確かに尊敬すべき勇敢な人々だったろうと思います。彼らの味わった苦難を現代の我々が想像する術はない。
けれども彼らが築いた価値観はあくまで彼らにとって必要であっても、現代を生きる我々にとって既に重荷と化しています。
既存の価値観を捨てて古い伝統から自由になることこそが本当の正義であることは自明の理なのだけれど。