『津山三十人殺し 日本犯罪史上空前の惨劇』筑波昭著
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1938年(昭和13年)岡山県で起きた津山三十人殺し事件を、当時の捜査資料・報道記事を中心に詳細に追求したノンフィクション。
読んじゃいましたよー。
うーんこの本だけは読むまいと思ってたんですがなぜか読んでしまいました。面白かった。
この本は1981年に書かれた本なので、ノンフィクションと云っても直接の関係者へのインタビューや現地取材と云ったリアルタイムな書かれ方はしていません。内容も関係者の供述調書や捜査報告書・専門家の分析報告書などと云った当時の警察・検察資料、新聞・雑誌記事の引用が大半を占めていて、著者本人の手によるドキュメントの部分はそれほど多くはないです。テキストひとつひとつがそれぞれ異なる視点から語られているので、結果的にはかなり多角的に事件を描き出しているとも云えます。
以前ホラー作家の岩井志麻子氏(岡山県出身)が、池袋通り魔殺人事件の報道を見て津山三十人殺しを連想したそうですが、いやーこういうヒトって昔っからいたんですねえ。昨今便利な言葉として使われるようになった「心の闇」とやらも特に目新しいものでも何でもなくて、人はずっとそうした病んだ部分を抱えて生きて来たんだなーと、しみじみ感じました。当たり前ですけどね。
ちなみに池袋の犯人は偶然にも岡山県出身です。ハハハ。ついでにぐりの両親も岡山出身。岡山いいとこですよ。気候が温暖でのどかで自然がいっぱいあって果物が美味しい。日本のエーゲ海と云うとか云わないとか。
この本を読んだ限りだと三十人殺しの犯人である都井と云う人は食べるのにも困るほど貧しいとか深刻な迫害を受けていたとか家庭に恵まれないとか云った分りやすい「不幸な境遇」の持ち主では決してなかったようです。幼くして両親を病気で亡くしていますが、祖母に可愛がられ仲の良い姉もいて経済的にもどちらかと云えば裕福な家の跡取り息子として、何不自由なく育てられました。小学校の頃は成績もとびぬけて良かった。それなのに、都井自身は同世代の友人をつくることなく家庭の殻に閉じこもり、十代で肋膜炎を患うと勝手に自分を悲劇の主人公に仕立てあげ、思うようにいかないことは何でも他人のせいにして、プライドにこだわってはたとえ些細なことでも相手を盲滅法にひたすら恨む男になってしまった。これを利己的と云わずして何と云うべきか。
前に「何不自由なく育てられた」と書きましたが、厳密に云えば恵まれない面は確かにありました。家の中に父や兄と云った男性(同性)の家族がいなかった。祖母はただただ孫をちやほやとネコ可愛がりするばかりで、彼らの将来について建設的に考えるような視野を持った育て方をしなかった。ぐりがこの本を読んだ感じでは、都井睦雄は自分を疑うと云うことを全く知らず、他人の愛情や信頼に対する感受性が決定的に欠けた人だったのではないか、と思いました。
云い換えれば「極端なコミュニケーション能力不足」とも云える。
いますねそんな人。今も。池田小学校児童殺傷事件の宅間守や神戸連続児童殺傷事件の少年Aなんかソックリです。
この事件だけをとりあげて話題を拡張するのもナニですが、携帯やインターネット、ゲームなどが普及して現代人のコミュニケーション能力が減退しているかのように世間は考えがちだけど、実際にはずっと以前からコミュニケーション能力に病的な障害を持つ人と云うのは存在しました。生まれつきの資質もあるでしょうし、生育環境によってそうした傾向が助長されることもあるでしょう。
都井は何も誰かに憎まれたり蔑まれたりしていた訳ではありません。本人は結核だと思いこんでいた病気もそれほど深刻な状態ではなかった。経済状態にも問題はなかった。周囲の人は次第に素行の悪くなる彼を更生させようと努力もした。にも関わらず彼は世の中を恨み人生を悲観してばかりいた。
人がそういう思考状態に陥るのにはそれなりのプロセスがある筈です。彼だけが生まれつき“毒入りリンゴ”だったのではなく、いろいろな要素がからみ合い積み重なって“毒入り”になっていったんだと思います。そんな妄執の地獄へ転落していく心象風景に、ぐりにはなんとなく見覚えがあるような気がします。フフフ。
さ、異常者になっちゃわないように、せいぜい気をつけましょ。
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1938年(昭和13年)岡山県で起きた津山三十人殺し事件を、当時の捜査資料・報道記事を中心に詳細に追求したノンフィクション。
読んじゃいましたよー。
うーんこの本だけは読むまいと思ってたんですがなぜか読んでしまいました。面白かった。
この本は1981年に書かれた本なので、ノンフィクションと云っても直接の関係者へのインタビューや現地取材と云ったリアルタイムな書かれ方はしていません。内容も関係者の供述調書や捜査報告書・専門家の分析報告書などと云った当時の警察・検察資料、新聞・雑誌記事の引用が大半を占めていて、著者本人の手によるドキュメントの部分はそれほど多くはないです。テキストひとつひとつがそれぞれ異なる視点から語られているので、結果的にはかなり多角的に事件を描き出しているとも云えます。
以前ホラー作家の岩井志麻子氏(岡山県出身)が、池袋通り魔殺人事件の報道を見て津山三十人殺しを連想したそうですが、いやーこういうヒトって昔っからいたんですねえ。昨今便利な言葉として使われるようになった「心の闇」とやらも特に目新しいものでも何でもなくて、人はずっとそうした病んだ部分を抱えて生きて来たんだなーと、しみじみ感じました。当たり前ですけどね。
ちなみに池袋の犯人は偶然にも岡山県出身です。ハハハ。ついでにぐりの両親も岡山出身。岡山いいとこですよ。気候が温暖でのどかで自然がいっぱいあって果物が美味しい。日本のエーゲ海と云うとか云わないとか。
この本を読んだ限りだと三十人殺しの犯人である都井と云う人は食べるのにも困るほど貧しいとか深刻な迫害を受けていたとか家庭に恵まれないとか云った分りやすい「不幸な境遇」の持ち主では決してなかったようです。幼くして両親を病気で亡くしていますが、祖母に可愛がられ仲の良い姉もいて経済的にもどちらかと云えば裕福な家の跡取り息子として、何不自由なく育てられました。小学校の頃は成績もとびぬけて良かった。それなのに、都井自身は同世代の友人をつくることなく家庭の殻に閉じこもり、十代で肋膜炎を患うと勝手に自分を悲劇の主人公に仕立てあげ、思うようにいかないことは何でも他人のせいにして、プライドにこだわってはたとえ些細なことでも相手を盲滅法にひたすら恨む男になってしまった。これを利己的と云わずして何と云うべきか。
前に「何不自由なく育てられた」と書きましたが、厳密に云えば恵まれない面は確かにありました。家の中に父や兄と云った男性(同性)の家族がいなかった。祖母はただただ孫をちやほやとネコ可愛がりするばかりで、彼らの将来について建設的に考えるような視野を持った育て方をしなかった。ぐりがこの本を読んだ感じでは、都井睦雄は自分を疑うと云うことを全く知らず、他人の愛情や信頼に対する感受性が決定的に欠けた人だったのではないか、と思いました。
云い換えれば「極端なコミュニケーション能力不足」とも云える。
いますねそんな人。今も。池田小学校児童殺傷事件の宅間守や神戸連続児童殺傷事件の少年Aなんかソックリです。
この事件だけをとりあげて話題を拡張するのもナニですが、携帯やインターネット、ゲームなどが普及して現代人のコミュニケーション能力が減退しているかのように世間は考えがちだけど、実際にはずっと以前からコミュニケーション能力に病的な障害を持つ人と云うのは存在しました。生まれつきの資質もあるでしょうし、生育環境によってそうした傾向が助長されることもあるでしょう。
都井は何も誰かに憎まれたり蔑まれたりしていた訳ではありません。本人は結核だと思いこんでいた病気もそれほど深刻な状態ではなかった。経済状態にも問題はなかった。周囲の人は次第に素行の悪くなる彼を更生させようと努力もした。にも関わらず彼は世の中を恨み人生を悲観してばかりいた。
人がそういう思考状態に陥るのにはそれなりのプロセスがある筈です。彼だけが生まれつき“毒入りリンゴ”だったのではなく、いろいろな要素がからみ合い積み重なって“毒入り”になっていったんだと思います。そんな妄執の地獄へ転落していく心象風景に、ぐりにはなんとなく見覚えがあるような気がします。フフフ。
さ、異常者になっちゃわないように、せいぜい気をつけましょ。