<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=406211786X&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
『藍宇』(北京同志著)再読しました。
っても前に読んだのは単行本版の日本語訳、今回読んだのはインターネット版の日本語訳です。原典はネット版の方で、単行本化にあたって結構な改訂が行われたらしいので、内容は全く同じではないようです。訳者も違うし。
らしい、ってのはぐりが前回読んだ単行本バージョンの方をもう忘れてしまっているし、本も手元にないからですー。
改訂が行われたのは主に性行為に関する描写だそーだ。へー。
最初は映画版の監督もプロデューサーも脚本家も安っぽいポルノ小説に過ぎず読むに値しないと感じたそーですが、確かに性描写の量だけはハンパじゃないです。主演の胡軍と劉燁に至ってはふたりとも「冒頭部分を読んだだけで『ムリ!』と思い」以後は読んでないと云うくらいだから、まともなヒトには─特に男性─は読めないでしょーね。それくらい、小説版の捍東と藍宇やりまくりです。て云うかヤリ過ぎ。まぁそんなに倒錯的なことはやってないから読んでて気持が悪くなるほどのこともないんだけど、ここまでこれでもかってくらい何度もやられちゃうとむしろエッチじゃなくなって来ます(気分的には中学の冬休みの宿題でやらされた百人一首の書き取りに似ている。傑作ばっかりなのに書く量が多過ぎて意味が心にしみて来ない)。
ただ逆に先に単行本バージョン=性描写減量版を読んでたぐりはネット版を読んで初めて、なぜコレがあれほど中華圏の人々に熱狂的に支持されたかやっと分かった気がしました。お金にも権力にも欲望の対象にも不自由したことのない享楽的な捍東と、ストイックで純粋な藍宇との間には一見何の共通項もないように見える。そのふたりが互いに麻薬に溺れるかのように相手に溺れ、何度別れても必ずふたたび惹かれあってしまうのは、ひとえにセックスそのもののためである。ネット版にはそのように描かれている。どんなにひどい別れを経ても再会すれば絶対に寝てしまう。理由は書かれていない。書かれてるのはただただ肉欲を貪りあう(笑)ふたりの営みのみ。
要するにアレでんな、恋愛小説ではないワケだ。理屈じゃない、官能の絆の物語なワケだ。極端に純粋な愛の姿─『愛のコリーダ』@大島渚みたいな─と云うことも出来る・・・かもしれない(相当厳しいけど)。
まぁいいや。とにかくこの官能小説から性描写を削った単行本版が無味乾燥に感じたのは当り前です。だってそれなしには成立しない話だから。
読めば読むほど却って映画版の凄さを思い知ります。単行本の感想にも書いたけど、小説そのものは全く稚拙なしろものです。ツッコミどころ満載っす。特にぐりがそりゃないぜと思ったのは藍宇の人物造形。若く美しく情熱的で高潔、ミステリアスでセクシーで聡明、しかも勇敢でかつ従順・・・ってそんな完全無欠な人間おらんわ!!!みたいな。理想的過ぎてあたたかみとか奥行きのようなものが感じられない。つうか可愛げがないよ(笑)。大体そんな人間が売春するってのがヘンじゃないすかね。少なくともぐりの中でこの藍宇像と劉燁はおよそ結びつかない。
この役をミステリアスでもセクシーでもない健康的で純朴なごくごく普通の青年=劉燁が演じたことで、藍宇像にしっかりと血の通った人間性が生まれ、それに伴って藍宇と捍東の関係も原作とは違った色合いと深みを帯びています。小説では刹那的で常に緊迫していたふたりの間の感情が、映画の中ではもっと互いを癒すような、穏やかで自由なものに変わっている。原作では藍宇が捍東との関係にこだわる理由がいまひとつ明確に伝わって来なかったけど、なりきってる劉燁を見てるとなんとなく犬が飼い主を慕う無償の愛に似たものが感じられて妙に納得させられる。
これに反して捍東は胡軍のイメージにまさにぴったりです。実際胡軍の方がかなり早い段階でキャスティングされてたらしいし、いかにも男臭い捍東のキャラクターは彼のタイプキャストでもあるそーです。
この胡軍と劉燁と云う組合せの醸し出す“化学変化”があれだけのリアリティを生み出したのだとすれば、この映画はキャスティングの勝利でもある。
あとこの映画のスタッフに同性愛者が多かった(關錦鵬監督はカミングアウト済み)のも勝因のひとつだと思われます。原作を書いたのは女性なので何から何まで全てが架空の物語だけど、現実の体験を伴った表現には圧倒的に説得力があるし、演じる俳優の環境としても理想的な状況だったんじゃないでしょーか。同性愛者=特殊・異常、と云う一般的な感覚から逃れやすくなれば役づくりもやりやすくなる筈です。
しかしあれだけやってやってやりまくる(爆)話からセックスをごっそりひっこぬいてシンプルな愛情物語に仕上げた脚本家(魏紹恩)はやっぱエライよなぁ。大胆です(台湾金馬奨脚色賞受賞。ちなみにプロの脚本家ではない)。そしてそれをまたわざわざエロく撮る關錦鵬。いやはやさすがでございます。
けど原作のファンは怒って当り前だろーなー・・・製作者はそんなのどーでもいいんだろね。なにしろネット小説だもんねえ。相手ドシロートだもん。
ぐりにはかつてボーイズラブ小説を書く友人がいたことがあり、この手の小説もいくつかは読んだことはあります。正直な話あんまり好きではない。少数の例外を除いてはそれほど面白いと思わない。ただイメージにとらわれさえしなければ、こういう素人小説を映画化するのはなかなか利口なビジネスかもしれません。なにしろ観たい人間はいっぱいいるから動員は保証されるし、原作がユルいぶん好きなことが出来る。
ちょーどぐりにも映画化したいBLコミックがあったりします(映画関係者数人に読ませたもののはかばかしいリアクションは今のところなし)。胡軍と劉燁にピッタリな役もあるので香港映画でどうでしょー。でもラブじゃないけどね。コメディだけどね。ははははは。
映画版『藍宇』の感想はこちら
単行本版『藍宇』の感想はこちら
『藍宇』(北京同志著)再読しました。
っても前に読んだのは単行本版の日本語訳、今回読んだのはインターネット版の日本語訳です。原典はネット版の方で、単行本化にあたって結構な改訂が行われたらしいので、内容は全く同じではないようです。訳者も違うし。
らしい、ってのはぐりが前回読んだ単行本バージョンの方をもう忘れてしまっているし、本も手元にないからですー。
改訂が行われたのは主に性行為に関する描写だそーだ。へー。
最初は映画版の監督もプロデューサーも脚本家も安っぽいポルノ小説に過ぎず読むに値しないと感じたそーですが、確かに性描写の量だけはハンパじゃないです。主演の胡軍と劉燁に至ってはふたりとも「冒頭部分を読んだだけで『ムリ!』と思い」以後は読んでないと云うくらいだから、まともなヒトには─特に男性─は読めないでしょーね。それくらい、小説版の捍東と藍宇やりまくりです。て云うかヤリ過ぎ。まぁそんなに倒錯的なことはやってないから読んでて気持が悪くなるほどのこともないんだけど、ここまでこれでもかってくらい何度もやられちゃうとむしろエッチじゃなくなって来ます(気分的には中学の冬休みの宿題でやらされた百人一首の書き取りに似ている。傑作ばっかりなのに書く量が多過ぎて意味が心にしみて来ない)。
ただ逆に先に単行本バージョン=性描写減量版を読んでたぐりはネット版を読んで初めて、なぜコレがあれほど中華圏の人々に熱狂的に支持されたかやっと分かった気がしました。お金にも権力にも欲望の対象にも不自由したことのない享楽的な捍東と、ストイックで純粋な藍宇との間には一見何の共通項もないように見える。そのふたりが互いに麻薬に溺れるかのように相手に溺れ、何度別れても必ずふたたび惹かれあってしまうのは、ひとえにセックスそのもののためである。ネット版にはそのように描かれている。どんなにひどい別れを経ても再会すれば絶対に寝てしまう。理由は書かれていない。書かれてるのはただただ肉欲を貪りあう(笑)ふたりの営みのみ。
要するにアレでんな、恋愛小説ではないワケだ。理屈じゃない、官能の絆の物語なワケだ。極端に純粋な愛の姿─『愛のコリーダ』@大島渚みたいな─と云うことも出来る・・・かもしれない(相当厳しいけど)。
まぁいいや。とにかくこの官能小説から性描写を削った単行本版が無味乾燥に感じたのは当り前です。だってそれなしには成立しない話だから。
読めば読むほど却って映画版の凄さを思い知ります。単行本の感想にも書いたけど、小説そのものは全く稚拙なしろものです。ツッコミどころ満載っす。特にぐりがそりゃないぜと思ったのは藍宇の人物造形。若く美しく情熱的で高潔、ミステリアスでセクシーで聡明、しかも勇敢でかつ従順・・・ってそんな完全無欠な人間おらんわ!!!みたいな。理想的過ぎてあたたかみとか奥行きのようなものが感じられない。つうか可愛げがないよ(笑)。大体そんな人間が売春するってのがヘンじゃないすかね。少なくともぐりの中でこの藍宇像と劉燁はおよそ結びつかない。
この役をミステリアスでもセクシーでもない健康的で純朴なごくごく普通の青年=劉燁が演じたことで、藍宇像にしっかりと血の通った人間性が生まれ、それに伴って藍宇と捍東の関係も原作とは違った色合いと深みを帯びています。小説では刹那的で常に緊迫していたふたりの間の感情が、映画の中ではもっと互いを癒すような、穏やかで自由なものに変わっている。原作では藍宇が捍東との関係にこだわる理由がいまひとつ明確に伝わって来なかったけど、なりきってる劉燁を見てるとなんとなく犬が飼い主を慕う無償の愛に似たものが感じられて妙に納得させられる。
これに反して捍東は胡軍のイメージにまさにぴったりです。実際胡軍の方がかなり早い段階でキャスティングされてたらしいし、いかにも男臭い捍東のキャラクターは彼のタイプキャストでもあるそーです。
この胡軍と劉燁と云う組合せの醸し出す“化学変化”があれだけのリアリティを生み出したのだとすれば、この映画はキャスティングの勝利でもある。
あとこの映画のスタッフに同性愛者が多かった(關錦鵬監督はカミングアウト済み)のも勝因のひとつだと思われます。原作を書いたのは女性なので何から何まで全てが架空の物語だけど、現実の体験を伴った表現には圧倒的に説得力があるし、演じる俳優の環境としても理想的な状況だったんじゃないでしょーか。同性愛者=特殊・異常、と云う一般的な感覚から逃れやすくなれば役づくりもやりやすくなる筈です。
しかしあれだけやってやってやりまくる(爆)話からセックスをごっそりひっこぬいてシンプルな愛情物語に仕上げた脚本家(魏紹恩)はやっぱエライよなぁ。大胆です(台湾金馬奨脚色賞受賞。ちなみにプロの脚本家ではない)。そしてそれをまたわざわざエロく撮る關錦鵬。いやはやさすがでございます。
けど原作のファンは怒って当り前だろーなー・・・製作者はそんなのどーでもいいんだろね。なにしろネット小説だもんねえ。相手ドシロートだもん。
ぐりにはかつてボーイズラブ小説を書く友人がいたことがあり、この手の小説もいくつかは読んだことはあります。正直な話あんまり好きではない。少数の例外を除いてはそれほど面白いと思わない。ただイメージにとらわれさえしなければ、こういう素人小説を映画化するのはなかなか利口なビジネスかもしれません。なにしろ観たい人間はいっぱいいるから動員は保証されるし、原作がユルいぶん好きなことが出来る。
ちょーどぐりにも映画化したいBLコミックがあったりします(映画関係者数人に読ませたもののはかばかしいリアクションは今のところなし)。胡軍と劉燁にピッタリな役もあるので香港映画でどうでしょー。でもラブじゃないけどね。コメディだけどね。ははははは。
映画版『藍宇』の感想はこちら
単行本版『藍宇』の感想はこちら