『皇帝ペンギン』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000W72OY6&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
観て来たよ~。
すんげー混んでた。てゆーか満席だった。スゴイ。ただの動物ドキュメンタリーなのに。
ぐりが観た上映館では2スクリーンの一方で字幕版、もう一方で吹替え版をやってて、どちらも大盛況。ぐりはもちろん字幕版を観ましたが。べつに日本のタレントさんの声とか歌とかどーでもいーので。
映像があまりにも圧倒的で、最初はちょっと現実感がない。CGとか絵画とか、なにか虚構の世界に見えてしまうくらい、そのくらい凄まじい映像美。空をさえぎるものは何もなく、一面淡いブルーの氷と白い雪と紺碧の海だけの世界。だがそこはただ美しいだけの世界ではない。零下40度という極寒に加えて時速250kmのブリザードが吹き荒れている。ペンギンたちが繁殖する真冬、太陽も一日2時間しか地表を照らしてくれない。
そんなにも苛酷をきわめた大地で文字通り命を懸けて子どもを生み育てるペンギンたち。ただひたすら寒さに耐え体力の限界と戦いながら一途に子どもの誕生を待ち、伴侶の帰りを待ちわびる彼らの姿は、真摯を通り越して崇高にさえ見える。彼らは決して迷ったり考えこんだりはしない。彼らは自分がなにをするべきなのか、せざるべきなのか、どこへ行くべきなのか、行かざるべきなのか、全てをちゃんとわきまえている。一歩間違えれば待っているのは確実な死だからだ。誰にもひとかけらの猶予も与えられてはいない。
生後まもなく割れてしまったタマゴが凍るシーンが印象的だ。わずかなヒビが、中身の凍結による水分の膨張でひろがり、まるでタマゴが口をあけて笑っているようなかたちに裂けていく。そのくちびるから中の卵白がみるみる真っ白い氷に変わっていくのが見える。
作中にはアザラシが海でペンギンを襲うシーンや、カモメがヒナを襲うシーン、寒さと餓えで凍死するペンギンたちなど、命を失うペンギンが何度も登場する。しかし彼らの命を奪うのはなにもそうした環境だけではない。彼ら自身の過失によって失われる命もある。ほんのちょっとしたミスによって死んでしまった無残なタマゴの姿は、そのまま我々の日常のすぐ隣にある悲劇のひとつに、どこか似ているようにも感じた。
環境が厳しいだけに、うまれてくる子どもたちの愛らしさがたまらない。
彼らはなにもしなくても、ただそこにいるだけで我々観客を微笑ませる。かわいいばかりでなにも出来ないけれど、両親の愛情を一身にうけて元気に大きくなる姿だけで、観ている人間を幸せにしてくれる。
彼らの親子愛、夫婦愛の深さは、単にいとおしいとかなつかしいとかいったなまやさしい感情的なものではなく、それぞれの運命をつなぐ命綱のようなものだ。だからこそ懸命にヒナを守りエサを運ぶ姿が美しく見えるし、声だけを頼りに親を待つヒナの姿がかわいいのだ。しかし本来愛情とはそうしたものであるべきなのかもしれないと、ふと思った。実は彼ら家族が互いのそばにいる時間はとても短い。ヒナが生まれてしまえば夫婦は交代でエサをとりにいくためほとんど顔もあわせなくなる。それでも彼らはお互いの愛に対する忠誠を露ほども疑おうとしない。絶対に生きてここへ戻ってくることをかたく信じている。そこでは生きることと愛情とが全くわけ隔てられることなくひとつにかたまった定義になっている。彼らは相手に対する愛のために生きているし、相手が生きているから愛がはぐくまれる。どちらか一方の愛が見失われた時はすなわちそれは死を意味しているし、遺された方にも生きるすべは残されていない。
それともうひとつ、ナレーションには登場しないけど、画面にうつっていた「ヘルパー」と呼ばれるペンギンの姿が印象的でした。
ヒナが抱いていてやらなくてもいい程度に育つと、親鳥はヒナをクレイシと呼ばれる保育所に預けてそれぞれエサをとりに出かけるんだけど、このクレイシにはヒナをもたない成鳥が常に付き添っていて、ヒナたちがひとり立ちするまでその傍を離れない。襲ってくる外敵からヒナを守ったり、海に出るヒナたちを導いたりする。
ヘルパーの多くはまだ繁殖期に至らない若い成鳥や、タマゴやヒナを途中で失った親鳥らしいけど、自分の子ども以外のヒナを本能的に守ることができる生き物ってスゴイなぁと思ったし、結局自然界にあっても親だけで子どもが育つわけじゃないってとこがおもしろいと思ったデス。
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観て来たよ~。
すんげー混んでた。てゆーか満席だった。スゴイ。ただの動物ドキュメンタリーなのに。
ぐりが観た上映館では2スクリーンの一方で字幕版、もう一方で吹替え版をやってて、どちらも大盛況。ぐりはもちろん字幕版を観ましたが。べつに日本のタレントさんの声とか歌とかどーでもいーので。
映像があまりにも圧倒的で、最初はちょっと現実感がない。CGとか絵画とか、なにか虚構の世界に見えてしまうくらい、そのくらい凄まじい映像美。空をさえぎるものは何もなく、一面淡いブルーの氷と白い雪と紺碧の海だけの世界。だがそこはただ美しいだけの世界ではない。零下40度という極寒に加えて時速250kmのブリザードが吹き荒れている。ペンギンたちが繁殖する真冬、太陽も一日2時間しか地表を照らしてくれない。
そんなにも苛酷をきわめた大地で文字通り命を懸けて子どもを生み育てるペンギンたち。ただひたすら寒さに耐え体力の限界と戦いながら一途に子どもの誕生を待ち、伴侶の帰りを待ちわびる彼らの姿は、真摯を通り越して崇高にさえ見える。彼らは決して迷ったり考えこんだりはしない。彼らは自分がなにをするべきなのか、せざるべきなのか、どこへ行くべきなのか、行かざるべきなのか、全てをちゃんとわきまえている。一歩間違えれば待っているのは確実な死だからだ。誰にもひとかけらの猶予も与えられてはいない。
生後まもなく割れてしまったタマゴが凍るシーンが印象的だ。わずかなヒビが、中身の凍結による水分の膨張でひろがり、まるでタマゴが口をあけて笑っているようなかたちに裂けていく。そのくちびるから中の卵白がみるみる真っ白い氷に変わっていくのが見える。
作中にはアザラシが海でペンギンを襲うシーンや、カモメがヒナを襲うシーン、寒さと餓えで凍死するペンギンたちなど、命を失うペンギンが何度も登場する。しかし彼らの命を奪うのはなにもそうした環境だけではない。彼ら自身の過失によって失われる命もある。ほんのちょっとしたミスによって死んでしまった無残なタマゴの姿は、そのまま我々の日常のすぐ隣にある悲劇のひとつに、どこか似ているようにも感じた。
環境が厳しいだけに、うまれてくる子どもたちの愛らしさがたまらない。
彼らはなにもしなくても、ただそこにいるだけで我々観客を微笑ませる。かわいいばかりでなにも出来ないけれど、両親の愛情を一身にうけて元気に大きくなる姿だけで、観ている人間を幸せにしてくれる。
彼らの親子愛、夫婦愛の深さは、単にいとおしいとかなつかしいとかいったなまやさしい感情的なものではなく、それぞれの運命をつなぐ命綱のようなものだ。だからこそ懸命にヒナを守りエサを運ぶ姿が美しく見えるし、声だけを頼りに親を待つヒナの姿がかわいいのだ。しかし本来愛情とはそうしたものであるべきなのかもしれないと、ふと思った。実は彼ら家族が互いのそばにいる時間はとても短い。ヒナが生まれてしまえば夫婦は交代でエサをとりにいくためほとんど顔もあわせなくなる。それでも彼らはお互いの愛に対する忠誠を露ほども疑おうとしない。絶対に生きてここへ戻ってくることをかたく信じている。そこでは生きることと愛情とが全くわけ隔てられることなくひとつにかたまった定義になっている。彼らは相手に対する愛のために生きているし、相手が生きているから愛がはぐくまれる。どちらか一方の愛が見失われた時はすなわちそれは死を意味しているし、遺された方にも生きるすべは残されていない。
それともうひとつ、ナレーションには登場しないけど、画面にうつっていた「ヘルパー」と呼ばれるペンギンの姿が印象的でした。
ヒナが抱いていてやらなくてもいい程度に育つと、親鳥はヒナをクレイシと呼ばれる保育所に預けてそれぞれエサをとりに出かけるんだけど、このクレイシにはヒナをもたない成鳥が常に付き添っていて、ヒナたちがひとり立ちするまでその傍を離れない。襲ってくる外敵からヒナを守ったり、海に出るヒナたちを導いたりする。
ヘルパーの多くはまだ繁殖期に至らない若い成鳥や、タマゴやヒナを途中で失った親鳥らしいけど、自分の子ども以外のヒナを本能的に守ることができる生き物ってスゴイなぁと思ったし、結局自然界にあっても親だけで子どもが育つわけじゃないってとこがおもしろいと思ったデス。