『中国魅録「鬼が来た!」撮影日記』 香川照之著
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面白かったです。うん。映画と同じくらい。
しかしなぜ人は他人の労苦がこんなにおかしいんでしょーね?もう文中で香川さんが苦しめば苦しむほど、困れば困るほど笑える。おもしろい。たぶん書いてる本人も「喉もと過ぎれば」じゃないけど、ちょっとおもしろくなっちゃってるんだと思う。過去の自分の七転八倒が。
ぐりは中国映画の現場は知らないけど、ひとつ云えるのはこの姜文(チアン・ウエン)組の撮影スタイルはおそらく中国でも独特なのではないかと思います。
ひたすら台本を改訂し続け、スケジュールは際限なく延びまくり、予定は読めず、フィルムは湯水の如く浪費され、監督以外はスタッフもキャストも全員が作品の全容を把握していない・・・とゆーとすぐ思い出すのはあの人ですね。そう、王家衛(ウォン・カーウァイ)。
彼らにそんな撮影方法が許されてるのは、ひとえに彼らが紛れもない天才・巨匠であることがひろく認められ誰からも信頼されてるからにほかならない。でなければいくら三度の食事が出てくるからといって(先進国以外の撮影現場ではこれすっごい重要)そんな大作のスタッフチームが監督ひとりに無条件で従うなんてことありえません。
逆に、日本では天才・巨匠というとどーしてもおじいちゃんなので、まだ三十代(今はもう四十代だけど)の姜文や王家衛の傍若無人ぶりが、とくに日本人には受け入れられにくいかもしれない。文中にでてくる姜文を黒澤明に置き換えればべつに「あーやっぱし。そーだよねえ」で済まされちゃうんだけど。
あと香川氏自身も二世俳優として最初から恵まれた環境でキャリアを積んできたことが、このカルチャーショックにより強いフィルターをかけたのかもしれない。
確かに日本の撮影現場じゃ俳優部の地位がムダに高い・俳優をのべつまくなしにちやほやする悪習がまかりとおっているけど(アレほんとどーにかならんかね)、やはりどこの現場もそんなになまやさしい訳ではない。俳優が制作部の手伝いをする、自分で衣装を用意して管理する、なんてのは売れない前の役者ならみんな経験してるし、自分から調べなければ香盤(一日のスケジュール)が伝わらないなんてのも最底辺の出演者なら当り前ですし。なにも中国だから、姜文組だから特殊、ってほどのこともないです。日本国内でだって極寒・酷暑の現場、ろくにお風呂に入れない現場、極端に段取りのわるい・異様に苛酷な現場は全然あり得ますし。中国に飲酒運転の車輌部がいるなら、日本には車輌部そのものがいない組すら存在する(本当。徹夜明けで一睡もしてない演出部とか制作部が運転する。そして当然のことながらしばしば事故る)。
そんな極限状態の現場で尊重されるのは俳優やスタッフの待遇とか人権とか環境保護なんかではない。もちろん。制作費を予算内に収めることやスケジュール通りに撮り終わることも二の次にされる。大切なのは、撮るべきものを絶対に撮る、この一点に尽きる。クルーが解散してしまってポストプロダクション作業に入ってから「あ、しまった、あの画も撮りたかったのに」では困るのだ。
撮るべきものを絶対に撮るために、ありとあらゆるものが犠牲にされる、その目的のためなら何をやっても許される、それが映画の現場なのだ。なにしろそこでは映画は至高の芸術なのだから。
要するに香川さんは姜文と自分自身の中国における正確なポジションをうまく把握しきれてなかった、ってことですね。あと中国について知らなすぎた、ってことか。5ヶ月も中国にいて、自力で中国人とコミュニケーションをとろうという努力(というか余裕)がまったく見られずに終わる姿勢に、その「意識のギャップ」が如実に出てる気がします。
ただ著者として、中国にも撮影現場に関しても知識のない一般読者の目線に近いという点では、この本を描くのに最も適した人だったとも云えます。
にしても香港・ハリウッドで幾多の経験を積んだ鉄人小隊長(笑)澤田謙也、膨大な時代劇の知識と見た目からはおよそかけ離れたタフネスを備えた宮路佳具のキャラクターには驚くべきものが多々ありました。特に澤田氏の「痛いと言ったところで痛さが和らぐのならオレもそう言う」ってのは名言です。天晴れ。
そーゆー意味ではこの映画のキャスティングはまさに奇跡です。コレ読むとまた『鬼が来た!』が観たくなりますねー。あーおもしろかった。
ちなみに文中で「暴走してる」と書かれた演劇理論「スタニスラフスキー・システム」についてはこちら。
日本じゃすっかり廃れてしまった理論だけど、依然中華圏では絶大な影響力があるよーです。ぐりも全然しらないんだけど。
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面白かったです。うん。映画と同じくらい。
しかしなぜ人は他人の労苦がこんなにおかしいんでしょーね?もう文中で香川さんが苦しめば苦しむほど、困れば困るほど笑える。おもしろい。たぶん書いてる本人も「喉もと過ぎれば」じゃないけど、ちょっとおもしろくなっちゃってるんだと思う。過去の自分の七転八倒が。
ぐりは中国映画の現場は知らないけど、ひとつ云えるのはこの姜文(チアン・ウエン)組の撮影スタイルはおそらく中国でも独特なのではないかと思います。
ひたすら台本を改訂し続け、スケジュールは際限なく延びまくり、予定は読めず、フィルムは湯水の如く浪費され、監督以外はスタッフもキャストも全員が作品の全容を把握していない・・・とゆーとすぐ思い出すのはあの人ですね。そう、王家衛(ウォン・カーウァイ)。
彼らにそんな撮影方法が許されてるのは、ひとえに彼らが紛れもない天才・巨匠であることがひろく認められ誰からも信頼されてるからにほかならない。でなければいくら三度の食事が出てくるからといって(先進国以外の撮影現場ではこれすっごい重要)そんな大作のスタッフチームが監督ひとりに無条件で従うなんてことありえません。
逆に、日本では天才・巨匠というとどーしてもおじいちゃんなので、まだ三十代(今はもう四十代だけど)の姜文や王家衛の傍若無人ぶりが、とくに日本人には受け入れられにくいかもしれない。文中にでてくる姜文を黒澤明に置き換えればべつに「あーやっぱし。そーだよねえ」で済まされちゃうんだけど。
あと香川氏自身も二世俳優として最初から恵まれた環境でキャリアを積んできたことが、このカルチャーショックにより強いフィルターをかけたのかもしれない。
確かに日本の撮影現場じゃ俳優部の地位がムダに高い・俳優をのべつまくなしにちやほやする悪習がまかりとおっているけど(アレほんとどーにかならんかね)、やはりどこの現場もそんなになまやさしい訳ではない。俳優が制作部の手伝いをする、自分で衣装を用意して管理する、なんてのは売れない前の役者ならみんな経験してるし、自分から調べなければ香盤(一日のスケジュール)が伝わらないなんてのも最底辺の出演者なら当り前ですし。なにも中国だから、姜文組だから特殊、ってほどのこともないです。日本国内でだって極寒・酷暑の現場、ろくにお風呂に入れない現場、極端に段取りのわるい・異様に苛酷な現場は全然あり得ますし。中国に飲酒運転の車輌部がいるなら、日本には車輌部そのものがいない組すら存在する(本当。徹夜明けで一睡もしてない演出部とか制作部が運転する。そして当然のことながらしばしば事故る)。
そんな極限状態の現場で尊重されるのは俳優やスタッフの待遇とか人権とか環境保護なんかではない。もちろん。制作費を予算内に収めることやスケジュール通りに撮り終わることも二の次にされる。大切なのは、撮るべきものを絶対に撮る、この一点に尽きる。クルーが解散してしまってポストプロダクション作業に入ってから「あ、しまった、あの画も撮りたかったのに」では困るのだ。
撮るべきものを絶対に撮るために、ありとあらゆるものが犠牲にされる、その目的のためなら何をやっても許される、それが映画の現場なのだ。なにしろそこでは映画は至高の芸術なのだから。
要するに香川さんは姜文と自分自身の中国における正確なポジションをうまく把握しきれてなかった、ってことですね。あと中国について知らなすぎた、ってことか。5ヶ月も中国にいて、自力で中国人とコミュニケーションをとろうという努力(というか余裕)がまったく見られずに終わる姿勢に、その「意識のギャップ」が如実に出てる気がします。
ただ著者として、中国にも撮影現場に関しても知識のない一般読者の目線に近いという点では、この本を描くのに最も適した人だったとも云えます。
にしても香港・ハリウッドで幾多の経験を積んだ鉄人小隊長(笑)澤田謙也、膨大な時代劇の知識と見た目からはおよそかけ離れたタフネスを備えた宮路佳具のキャラクターには驚くべきものが多々ありました。特に澤田氏の「痛いと言ったところで痛さが和らぐのならオレもそう言う」ってのは名言です。天晴れ。
そーゆー意味ではこの映画のキャスティングはまさに奇跡です。コレ読むとまた『鬼が来た!』が観たくなりますねー。あーおもしろかった。
ちなみに文中で「暴走してる」と書かれた演劇理論「スタニスラフスキー・システム」についてはこちら。
日本じゃすっかり廃れてしまった理論だけど、依然中華圏では絶大な影響力があるよーです。ぐりも全然しらないんだけど。