落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

仮面と素顔

2005年08月15日 | book
『風呂』 楊絳著
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ずっと前に胡軍(フー・ジュン)がなんかのインタビューで好きな小説に挙げていて、それ以来どんなんやろ?と思ってたんだけど、邦訳が出てるとは知らずにおりましたです。たまたまこないだ『こころの湯』を観て、原題が同じ(『洗澡』)で内容は全く関係がなく、『風呂』という邦題で日本語版が出てるのを知り早速チェック。

ちょっと難しかったですね。ぐりには。おもしろかったけど。
舞台は1950年代、中国で三反運動─汚職・浪費・官僚主義に反対する運動─が吹き荒れた時代、北京のある小さな文学研究社で、恋愛や保身や功名心に不器用にあくせくする人々の姿を描いたお話です。
つまり登場人物のほとんどがインテリ。彼らは旧社会でさまざまな形で恵まれた境遇にあり(ある者は生まれつき裕福であり、ある者は親の労苦によって勉学の機会を得た)、海外留学を経験したり、大学で要職に就いていたり、いわゆる“知識人”としては立派な経歴の持ち主ばかりである。しかし却って彼らはその自分のキャリアに甘んじて現実を見ようとはせず、私利私欲や立身出世にばかり傾注していて、どうみてもあまり“知的”とはいえない。はっきりいってかなりかっこわるい。
そんななかで最も美しく描かれるのは、学もなく財もなく社会的地位も権力もない未亡人や一介の主婦、学位も後ろ盾もない若い研究者といった、日陰の女性たちである。

著者の楊絳自身が文学研究者なので、たぶんここに描かれたようなことは実際に彼女が経験したこともいくらか反映されているのだろう。
それにしても手厳しい。ここに登場する文学者はほとんどが皆ただの中途半端な文学オタク、世間知らずな割りにやたらに他人を妬み蹴落とし、自分だけは事なかれ主義でいたがる下劣な井の中の蛙として描かれている。彼らは勉強だけはできるかもしれないけど、人としてはまったく尊敬できないような人ばかりである。
ぐりには文学研究者の知りあいはいないので、こんな人たちが本当にいるのかどうなのかはよく分からない。ただ、いつの時代どこの国でも、インテリと呼ばれる人たちが必ずしも人格的にも高潔でいられるわけではないというのも現実として想像はできる。
おそらく著者はそうした文学界のどろどろと胡散臭い空気を、小説というフィクションの形で告発したかったのではないだろうか。学があること=知識階級であることと、真の意味でのインテリジェンスは決して同義ではない、人間性の豊かさは経歴や学位や地位といった目に見えるかたちで図れるような単純なものでは決してない、みたいな。
その反動として、親のきめた浮気な夫に黙って従う中年の主婦や、夫を喪ったうえに半身不随の身となった未亡人、家庭のために将来を犠牲にした女性など、社会に顧みられることのない、あくまでも無害なひとたちを必要以上に美化してしまうのだろう。

ぐりはこの三反運動ってのよく知らないんですが、これって文革の前だよね?文革ってもっとヘビーなやつだよね(爆)。
にしても読んでてけっこーきついです。
ぐりはこの「自己批判」ってのにどーゆー意味があるのかよく分からんのですが、自分の反革命的な経歴をいちいち告白して自分で批判するってのは、面子をもっとも重んじる中国人にとってはすんごい重大なことなんだろーね。きっと。
まぁそれでもあとあとの「ヘビーなやつ」に比べれば全然平和な話のよーにも思えたりもするけど(爆)。

あとこの人の文体はすごく面白かったです。流麗でメロディアスで、なんだか日本の夏目漱石とか森鷗外みたいな感じ(そーゆー訳なのか)。描写の形式としてはミニマリズムってのかな?視点が常に一人称規模でとっても緻密。その割りに背景をあまり書きこまない。こういうスタイルはぐりはかなり好きです。
他にも読みやすい邦訳があったらまた読んでみたいです。