落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

幻想について

2006年05月14日 | book
『アイス・ストーム』リック・ムーディ著 南條竹則・坂本あおい訳
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そういう日にまたビミョーな作品のレビューですんません。他意はありません。たまたまです。
李安(アン・リー)の映画『アイス・ストーム』の原作。大変おもしろかったです。しかし残念ながらこの作家はこれ一冊しか邦訳されてないよーです。なーぜーにー。とってもよく描けてるんですけどー。
映画もそうだけど、お話としては感謝祭の前後数日間の短い物語だ。舞台はニューイングランドのややリッチな郊外住宅街(サバービア)の市民コミュニティ。高学歴で高収入、一応それなりに成功した人たちが家庭を築くのに選んだ静かで平和な街。だが80年代にこうした街を背景にしたサイコスリラーやホラーがやたらに流行ったように、アメリカ人の求めた平穏はやがて内側から壊れ、荒廃していく。『アイス〜』は1973年の物語だから、その序章にあたる。

この小説の特徴は膨大な情報量とコロコロと転換していく視点である。
一見社会的にはイケてるはずだけど実はあれこれとトラブルを抱えたサエないおとうさんベンジャミン、おとなしい専業主婦にみえてとんでもないトラウマをもつ欲求不満のおかあさんエレナ、これといった取り柄もなく趣味といえばマンガで女の子にもさっぱりモテない息子ポール、美人でハッキリいってほとんどアバズレだが恋そのものは知らない娘ウェンディ。彼らの思い、関心、意識とその表層・下層に触れるものたち─記憶・思想・本・仕事・流行・ファッション・宗教・商品・・・─についての情報のモザイクのような羅列。その中に登場人物は文字通り溺れている。
そしてすぐ傍らにいるはずの家族の姿は彼らにはみえていない。深い水に浸かった遭難者のように互いの手をかたく握りしめあい、これ以上ないほど相手を強く求めあっているにも関わらず、その真の姿にはまったく目を向けていない。愛が欲しい、愛して欲しいと叫びながら、自ら相手のことを愛そうとはしていないのだ。
だから全体として内省的な小説ではあるのだが、映画ではそこをうまく「無言の間」で表現している。逆に特徴的な情報量にはそれほどこだわっていない。ストーリーも映像としてショッキングな部分は省略しつつ(とくにラストはけっこう大胆な変更アリ)、プロットの行間に流れるえもいわれぬ“やるせなさ”はキチンと再現している。上手い翻案です。確かこの脚本はカンヌで賞を獲ってるんじゃなかったっけな。

世の中には絶対的なものなどなにもないけど、家族だってそうだ。他人同士が惹かれあい結びつき、巣をつくって子を生す。時が経てば子は家を離れていく。夫婦も年をとりいずれかが旅立ち、人は元のひとりに戻る。家族は一時の幻でしかない。
幻だからこそ、相手の姿をしっかりとみとめ、手のあたたかさを感じあい、心の声に耳を傾けあわなくては、それはただの“家”という名の殻になってしまう。その殻の危うさ・脆さについて描いているのがこの小説です。
1962年生まれの作者は、登場人物ではウェンディやサンディーよりいくつか年下の世代にあたる。つまり自分の子ども時代をシニカルに振り返った回顧録の一風変わったアレンジのようなものだろう。こういう視点は非常にわかる。すんげえわかる。ぐりも子ども時代に美しい思い出ってほとんどないから(笑)。
他の著作も邦訳されたら是非読んでみたいです。