『アイノキセキ』
主人公は不幸な生立ちをもつ40代の男(板倉佳司)。精神を病んで療養していた病院で知りあった女性(野水佐記子)と自活することになり、実弟(原田紀行)やその恋人(斎藤萌子)の援助を受けて退院するが、女性を愛することもできず、彼女の愛情に応えることもできず懊悩する日々。20代のころに喪った若妻(三澤真弓)の亡霊にも苛まれ、新居では隣人(大島克哉)とのトラブルにも見舞われる。
ぐりはふだんあんまり芝居ってみない方なので、今週みたいに2日連続ってのは例外中の例外です。今日のぶんは知りあいの劇団の公演で、ここの作品を観るのは今回3度め。
このエムズクルーの芝居は出演者の年齢層が若干高め(30〜40代中心)で毎回テーマも重めなのだが、今回のはこれまで観たなかでもダントツ!!に重かったです。ぶっちぎり。へヴィー級っす。ある意味昨日の『舞台|阪神淡路大震災』の方がまだ甘い(暴言)。まだ全然救いがある。だって痛みも悲しみも怒りも、登場人物同士・演者と観客同士で共有し分かちあうことが出来るから。
そこへくると『アイノキセキ』はまさに絶望的。タイトルからして大きく出てるもんね。「愛の奇跡」。ぶっちゃけ結論からいえばこの物語のなかでは奇跡は起きない。人は結局みんなひとりぼっちだ。分かちあえるものなんかなんにもない。エンディングで思わずボーゼンとしてしまったよ。マジ?マジで?ホンマにそれでええの?うそーん!?みたいな。
とはいえ、ふつうに現実を生きてるいいトシをしたオトナなら誰でも、そんなことは当り前に知っている。奇跡なんかそうそうカンタンには起きやしない。白馬の王子さまも、平和の天使も、理由もなく向こうから勝手に出張って来てくれたりなんかしない。昔のエライ人もいってますね。「神は自ら助くるものを助く」です。
だから要するにこの主人公がとことんダメだったってわけです。自分ひとりで不幸ヅラしてたっていいことなんかあり得ない。
シノプシスだけみると一組の男女の愛の物語のようにみえるけど、実際にここに描かれてるのはそれだけじゃない。報われなかった愛、不倫愛、兄弟愛、偏執狂の愛、母性愛への憧憬、いろんな愛情が愛憎と表裏一体に描かれている。あーーーーー重いっ。重いです!!ベッタベタに!!
ここの作品の特徴として台詞が非常に文学的という点が大きいけど、それだけにときどき喋ってる演者を直視してるのが疲れることがある。演じてる本人には申し訳ないが、目を伏せて耳だけに感覚を集中しないとうまく台詞がアタマに入ってこない・理解できないのだ。それって演劇としてどーなの?
古典演劇のなかには台詞が一種の装飾になっていて、ちゃんと聞いて理解する必要のない作品もあるが、ここの作品に関してはそのウルトラへヴィーな台詞そのものが物語の核なので、わかってないとただ眠いだけとゆーことになってしまう。現に途中で微妙に眠くなったりもしたし。だからって寝たりはせんけどね。てゆーかここの公演いっつも長いしな・・・。
ラスト近くで演者のひとりが流血しててビックリ。たぶんアレ演出じゃないと思うんだけど・・・けっこーいっぱい血出ててオドロキました。大丈夫だったのかなあ。
このお芝居はスカパーでそのうち放送されるそうなので(放送日/時間はこちらでお問い合わせ下さい)、ご興味のある方はTVでチェックしてみて下さい。
ある程度の経験をした人間なら大抵かなり身につまされるお話です。エンターテインメントとしてはどーかはわかんないけど、少なくともそれ相応に文学的ではある。
そういうお芝居でした。
舞台をそれほどみないぐりだけど、実は来月も観劇の予定がはいってます。来週末は『クレマスター』シリーズ(パフォーミングアート)の連続上映に行くつもりだし、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でもダムタイプの『S/N』(これもパフォーミングアート)の映像を観る。
舞台づいとります。偶然だけど。
主人公は不幸な生立ちをもつ40代の男(板倉佳司)。精神を病んで療養していた病院で知りあった女性(野水佐記子)と自活することになり、実弟(原田紀行)やその恋人(斎藤萌子)の援助を受けて退院するが、女性を愛することもできず、彼女の愛情に応えることもできず懊悩する日々。20代のころに喪った若妻(三澤真弓)の亡霊にも苛まれ、新居では隣人(大島克哉)とのトラブルにも見舞われる。
ぐりはふだんあんまり芝居ってみない方なので、今週みたいに2日連続ってのは例外中の例外です。今日のぶんは知りあいの劇団の公演で、ここの作品を観るのは今回3度め。
このエムズクルーの芝居は出演者の年齢層が若干高め(30〜40代中心)で毎回テーマも重めなのだが、今回のはこれまで観たなかでもダントツ!!に重かったです。ぶっちぎり。へヴィー級っす。ある意味昨日の『舞台|阪神淡路大震災』の方がまだ甘い(暴言)。まだ全然救いがある。だって痛みも悲しみも怒りも、登場人物同士・演者と観客同士で共有し分かちあうことが出来るから。
そこへくると『アイノキセキ』はまさに絶望的。タイトルからして大きく出てるもんね。「愛の奇跡」。ぶっちゃけ結論からいえばこの物語のなかでは奇跡は起きない。人は結局みんなひとりぼっちだ。分かちあえるものなんかなんにもない。エンディングで思わずボーゼンとしてしまったよ。マジ?マジで?ホンマにそれでええの?うそーん!?みたいな。
とはいえ、ふつうに現実を生きてるいいトシをしたオトナなら誰でも、そんなことは当り前に知っている。奇跡なんかそうそうカンタンには起きやしない。白馬の王子さまも、平和の天使も、理由もなく向こうから勝手に出張って来てくれたりなんかしない。昔のエライ人もいってますね。「神は自ら助くるものを助く」です。
だから要するにこの主人公がとことんダメだったってわけです。自分ひとりで不幸ヅラしてたっていいことなんかあり得ない。
シノプシスだけみると一組の男女の愛の物語のようにみえるけど、実際にここに描かれてるのはそれだけじゃない。報われなかった愛、不倫愛、兄弟愛、偏執狂の愛、母性愛への憧憬、いろんな愛情が愛憎と表裏一体に描かれている。あーーーーー重いっ。重いです!!ベッタベタに!!
ここの作品の特徴として台詞が非常に文学的という点が大きいけど、それだけにときどき喋ってる演者を直視してるのが疲れることがある。演じてる本人には申し訳ないが、目を伏せて耳だけに感覚を集中しないとうまく台詞がアタマに入ってこない・理解できないのだ。それって演劇としてどーなの?
古典演劇のなかには台詞が一種の装飾になっていて、ちゃんと聞いて理解する必要のない作品もあるが、ここの作品に関してはそのウルトラへヴィーな台詞そのものが物語の核なので、わかってないとただ眠いだけとゆーことになってしまう。現に途中で微妙に眠くなったりもしたし。だからって寝たりはせんけどね。てゆーかここの公演いっつも長いしな・・・。
ラスト近くで演者のひとりが流血しててビックリ。たぶんアレ演出じゃないと思うんだけど・・・けっこーいっぱい血出ててオドロキました。大丈夫だったのかなあ。
このお芝居はスカパーでそのうち放送されるそうなので(放送日/時間はこちらでお問い合わせ下さい)、ご興味のある方はTVでチェックしてみて下さい。
ある程度の経験をした人間なら大抵かなり身につまされるお話です。エンターテインメントとしてはどーかはわかんないけど、少なくともそれ相応に文学的ではある。
そういうお芝居でした。
舞台をそれほどみないぐりだけど、実は来月も観劇の予定がはいってます。来週末は『クレマスター』シリーズ(パフォーミングアート)の連続上映に行くつもりだし、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でもダムタイプの『S/N』(これもパフォーミングアート)の映像を観る。
舞台づいとります。偶然だけど。