落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ディテールに神

2007年03月04日 | movie
『ボビー』
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1968年6月5日、ロバート・F・ケネディ上院議員がロサンゼルスのアンバサダーホテルの厨房で銃撃された。
ホテルには当時さまざまな人がいた。ホテルの従業員─支配人・シェフ・ボーイ・電話交換手・美容師・ウェイトレス・ドアマンetc.─、滞在客─歌手・マネージャー・ハネムーン客・結婚式を挙げる新婚夫婦・ヒッピー─、そして選挙関係者─議員秘書・選挙ボランティア・マスコミ─。
この映画はそんな無数の人々のそれぞれの1968年6月5日を描いている。選挙のために働く若者、サボる若者、ホテルの仕事をする若者、不倫するカップル、夫婦喧嘩をするカップル、これから夫婦になるカップル、それぞれがそれぞれの感情を抱いて1968年6月5日という一日を生きていた。

まあはっきりと地味な映画です。すんげえオールスター豪華共演だけど。美術も音楽も脚本も映像も非の打ち所がありませんが。地味なものは地味。
でも地味でいいじゃん。地味でなにがいけないんですか。と開き直ればこれはいい映画です。そこは間違いない。ひじょーに真面目な、良心的な佳作です。
この映画の最後はロバート・F・ケネディの演説で終わる。画面には銃撃後の混乱したホテルの情景が映っている。そこにオフスクリーンでボビーの声が重なる。一部引用する。

地上での私たちの人生はあまりに短く、なすべき仕事はあまりに多いのです。
これ以上、暴力を私たちの国ではびこらせないために。
暴力は政策や決議では追放できません。
私たちが一瞬でも思い出すことが大切なのです、
ともに暮らす人々は、皆、同胞であることを。
彼らは私たちと同じように短い人生を生き、
与えられた命を、私たちと同じように最後まで生きぬきたいと願っているのです。

(劇場用パンフレットより)

マスコミやホテルスタッフやパーティー客でごったがえした厨房で起きた銃撃事件。
もちろん巻き添えになった人もいた。
この映画は全編そっくり、この演説を聞かせるための映画だ。
いい演説だと思う。正論だと思う。理想論かもしれないけど、ストレートでまともな演説だ。
けどもう今の時代、ただ正論を吐いただけでは誰も振り返らない。
だからそれがなに?で終わってしまう。
あのとき、1968年6月5日、ボビーが撃たれた時、そこにいたのはこんな人たちでした、と懇切丁寧にひとりずつ説明することで、人間誰もが「私たちと同じように短い人生を生き、与えられた命を、私たちと同じように最後まで生きぬきたいと願っている」という当たり前のことを、実感のこもった言葉にしてもう一度伝えようというのが、この『ボビー』という映画だ。
きちんとしたいい映画です。感動的。これもオススメです。

ディテールに神

2007年03月04日 | movie
『パフューム ある人殺しの物語』
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パトリック・ジュースキントのベストセラー小説『香水 ある人殺しの物語』の映画化作品。
いや〜〜〜〜〜〜コレ傑作ですわ。スゴイ。チョーおもろかった。
いうまでもないことだけど「匂い」「香り」は映像には映らない。文学でなら文字で、言葉で説明することで匂いの性質を読み手にイメージさせることはある程度可能だ。だがそれにも限界はあるわけで、だから原作『香水』では読み手をムリに主人公に共感させようとはせず、あくまで幻想的かつ多面的な歴史娯楽小説として、「嗅覚の世界に住む孤独な男」の冒険譚を描いていた。
映画もストーリーや人物造形の基本は原作にけっこう忠実なのだが、限られた時間内にこの物語の濃密さを再現するために相応の省略と脚色と再構成はされている。これがウマイのよ。素晴らしい。原作を読んでてあらすじは知ってても、観てて緊張感がダレるってことがまるでない。

巧みなストーリー構成以上に感動的なのは、全編をびっしりと覆い尽くした「感覚」表現。コレはもう画期的といってもいいくらいだと思う。
光・闇・喧騒・静寂・空気感・触感・湿度といった「感覚」に直接訴えてくる映像美。風景描写のディテールの細かさとリアルさに圧倒される。確かに映像は匂わない。でもこの作品の映像は匂ってもおかしくないくらいリアルだ。
たとえば主人公も含めた18世紀のパリの人々の肌の質感。貧しい人々は全身垢まみれ疥癬まみれで、髪はもつれ、歯や唇や手や爪にも汚れがこびりつき、目がギラギラ光っている。上流階級の人々は男も女も化粧をするため、顔の皮膚が乾燥しておしろいが白浮きしている。
というかこの映画、汚れの表現がホント細かいです。残飯捨て場の腐敗物、下町の石畳の散らかり方、大量の垢じみたボロ衣装、地下室のホコリ、使い古した道具のシミ、とにかく画面に出てくるものが大抵汚れていて、その汚れ方のバリエーションがまず常人の想像の域を遥かに超えている。よくもここまで汚せたもんだと感心する。

この映画で優れているのは、視覚に訴える感覚表現だけではない。
原作小説やセリフやナレーションといった「言葉」では語られない感覚さえもが、非常にストレートに、ダイレクトに観る者の心に響いてくる。
処女の体臭に初めて出会ったときのグルヌイユ(ベン・ウィショー)の陶酔、その究極の香りにとり憑かれた彼の焦燥、魂の底から欲していたものが「香り」ではなく「愛」であり、自分が生まれてこのかた「愛」というものをまったく知らず、愛したことも愛されたこともない人間であることを知ったときの驚愕、悲しみ、孤独。
グルヌイユのセリフはひどく少なくて、感情を言葉にするシーンはほとんどないのに、どれほど彼の胸がしめつけられ、ゆさぶられているかが、不思議にはっきりと伝わってくる。
また原作ではそれほど露骨ではなかった社会批判も、この映画ではコミカルな魅力のひとつになっている。勢力者─当局・宗教家─の発言や世論に対して無批判で自分勝手な大衆、常識や社会通念といった既成概念と、稀代の天才の芸術的欲求との拮抗。
どちらが正しいとか美しいという結論をおしつけるのではなく、「こういう見方もあるよ」といった軽い主張の仕方がすごくわかりやすいなと思いました。
いやーもうおもしろい!オススメでーす。
ローラ役のレイチェル・ハード=ウッドもカワイイしね。まだ16歳ですってよ・・・わお。