『Wの悲劇』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B00005L95O&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
劇団研究生の静香(薬師丸ひろ子)は舞台『Wの悲劇』の準主役オーディションを受けるが、同期のかおり(高木美保)が役を射止め、彼女は女中役を担当することに。
大阪公演の夜、看板女優の羽鳥翔(三田佳子)の部屋でパトロン(仲谷昇)が急死。たまたま廊下を通りかかった静香は、近日に迫った東京公演の準主役と引換えに、翔のスキャンダルの身代わりになるという取引をする。
夏樹静子の同名小説を劇中劇に用いた異色の映画化作品。1984年公開。
実は角川映画ってあんまり観たことない。
『セーラー服と機関銃』とか『時をかける少女』とか今までまったく観たことないです(原作は読んだ)。
薬師丸ひろ子の主演作で映画館で観たのってたぶん『里見八犬伝』と『野蛮人のように』『ダウンタウン・ヒーローズ』『きらきらひかる』ぐらいじゃないかなあ。
こういう映画を観ると、いくら観てもじゅうぶんに観たといえないのが映画の深さなのかもなあ、って妙に感心してしまう。
だってやっぱり今の映画と全然違うからさ。
なんかね、完全に幻想の世界の話なんだよね。リアリティとかどうでもいいわけよ。そんなもの誰も求めてない。
でもかといって単純にふわふわと甘いだけでもない。ちゃんと説得力もあるししっかりした世界観もある。
けどあくまでも完全に娯楽映画であって、芸術でも文学でもない。
かつテレビドラマとはまたまったく違っていて、映画でしかできないパースペクティブもある。
なんだろう。なんか不思議な感じ。
ひとつはこの主演の薬師丸ひろ子の魅力もあると思う。
たぶん彼女は日本でも指折りの「映画女優」だと思うんだけど。映画でデビューして映画で育って、映画のスクリーンが一番似合ってる。
演技派かというとそんなこともないし、アイドルかといえばそうでもない。歌は上手だけどヘンな踊りを踊ったりはしない。セクシュアルなシーンを演じても必要以上に色気は振りまかない。
なのに、そこにあり得べき現実感はしっかり再現してくれる。無駄がない。
だから観ていてものすごく安心する。安定してる。
はっとするような美人というわけでもないしプロポーションがいいわけでもないのに、厳然たる唯一無二の存在っていうのがすごい。
とはいえ、この映画の中の彼女は「普通の女の子」(世良公則の台詞)という設定で、ちゃんと間違いなくそう見える。
冒頭で処女を喪う静香は地方出身の平凡な少女で、とくに利口でもなくどちらかといえばおバカさんだし、とりたてて個性や才能があるわけでもない。だがふとしたチャンスを得て野心に燃え始める。いったん火のついた魂は若さゆえに激しく燃え上がる。
そんな劇的な変化が、決してくどくなく、ただ静かに穏やかに描かれている。シンプルな映画だ。
それでいて観客の心を画面にとらえて離さない。
ほんとうに不思議だ。
このころの映画を今またつくっても、おそらく誰も観ようとはしないだろう。
ただ見返すだけでも、あの時代だからこそできた映画の愛おしさは堪能することができる。
いい映画かどうかなんか問題じゃない。薬師丸ひろ子を鑑賞できるだけで楽しい。
そういう映画もあったっていいし、楽しければそれでじゅうぶんなのかもしれない。
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劇団研究生の静香(薬師丸ひろ子)は舞台『Wの悲劇』の準主役オーディションを受けるが、同期のかおり(高木美保)が役を射止め、彼女は女中役を担当することに。
大阪公演の夜、看板女優の羽鳥翔(三田佳子)の部屋でパトロン(仲谷昇)が急死。たまたま廊下を通りかかった静香は、近日に迫った東京公演の準主役と引換えに、翔のスキャンダルの身代わりになるという取引をする。
夏樹静子の同名小説を劇中劇に用いた異色の映画化作品。1984年公開。
実は角川映画ってあんまり観たことない。
『セーラー服と機関銃』とか『時をかける少女』とか今までまったく観たことないです(原作は読んだ)。
薬師丸ひろ子の主演作で映画館で観たのってたぶん『里見八犬伝』と『野蛮人のように』『ダウンタウン・ヒーローズ』『きらきらひかる』ぐらいじゃないかなあ。
こういう映画を観ると、いくら観てもじゅうぶんに観たといえないのが映画の深さなのかもなあ、って妙に感心してしまう。
だってやっぱり今の映画と全然違うからさ。
なんかね、完全に幻想の世界の話なんだよね。リアリティとかどうでもいいわけよ。そんなもの誰も求めてない。
でもかといって単純にふわふわと甘いだけでもない。ちゃんと説得力もあるししっかりした世界観もある。
けどあくまでも完全に娯楽映画であって、芸術でも文学でもない。
かつテレビドラマとはまたまったく違っていて、映画でしかできないパースペクティブもある。
なんだろう。なんか不思議な感じ。
ひとつはこの主演の薬師丸ひろ子の魅力もあると思う。
たぶん彼女は日本でも指折りの「映画女優」だと思うんだけど。映画でデビューして映画で育って、映画のスクリーンが一番似合ってる。
演技派かというとそんなこともないし、アイドルかといえばそうでもない。歌は上手だけどヘンな踊りを踊ったりはしない。セクシュアルなシーンを演じても必要以上に色気は振りまかない。
なのに、そこにあり得べき現実感はしっかり再現してくれる。無駄がない。
だから観ていてものすごく安心する。安定してる。
はっとするような美人というわけでもないしプロポーションがいいわけでもないのに、厳然たる唯一無二の存在っていうのがすごい。
とはいえ、この映画の中の彼女は「普通の女の子」(世良公則の台詞)という設定で、ちゃんと間違いなくそう見える。
冒頭で処女を喪う静香は地方出身の平凡な少女で、とくに利口でもなくどちらかといえばおバカさんだし、とりたてて個性や才能があるわけでもない。だがふとしたチャンスを得て野心に燃え始める。いったん火のついた魂は若さゆえに激しく燃え上がる。
そんな劇的な変化が、決してくどくなく、ただ静かに穏やかに描かれている。シンプルな映画だ。
それでいて観客の心を画面にとらえて離さない。
ほんとうに不思議だ。
このころの映画を今またつくっても、おそらく誰も観ようとはしないだろう。
ただ見返すだけでも、あの時代だからこそできた映画の愛おしさは堪能することができる。
いい映画かどうかなんか問題じゃない。薬師丸ひろ子を鑑賞できるだけで楽しい。
そういう映画もあったっていいし、楽しければそれでじゅうぶんなのかもしれない。