2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex
前にも書いたことがあるけど、ぐりは実は貝類が食べられない。
味は嫌いではないのだが、あたる可能性が非常に高い。生ならまず8割以上の確率でおなかがおかしくなる。火が通っていてもあたるときはあたる。体質的に受けつけない。
さんざっぱら牡蛎やら帆立の養殖をお手伝いしておきながら今さらナニですけれども。
養殖のお手伝いをしていると業者さんちの奥さんがおやつやお昼をごちそうしてくれることがしばしばあるのだが、メニューはやっぱり当地でとれたモノがメインになる。
ちなみに今回いただいた主なメニューは
・生わかめのしゃぶしゃぶ
・牡蛎汁
・ヒラメのお刺身
・帆立のお刺身
・焼き帆立
・焼き牡蛎
・鱒の塩焼き
この他に、お祭りで牡蛎ラーメンやら鱈汁も食べたし、ご近所のお宅でも手作りの晩ご飯を食べさせてもらった日もあった。どれもとれたてのピッチピチである。
被災者を訪問してまわった日は連続してお茶やコーヒーを飲みまくりお茶請けばっかり食べまくった。こちらもできたての手作りばかりである。
ボランティアのタスクはなかなかハードだけど、運が良ければこういう役得もたまにある。まあ40のヘタレな胃袋には役得とまでいえないかもしれませんけどね正直・・・。
しかしぐりは体質的に貝がダメなので、本当のところは役得どころではない。
心中では「大丈夫かなあ」と思いながら毎日貝を食べていた。食べないわけにはいかなかった。
地元の人たちは津波で全財産を失っている。あれから11ヶ月、人に食べさせられる貝を手に入れたことが彼らにとっては至福なのだ。それを客人に食べさせたいという気持ちにはやっぱり応えたい。
だって今目の前でとれたモノが食卓に出てくるんだよ。「帆立とってくるね」といって出かけて戻って来て5分後にそれがお昼ご飯のお皿にのっかって出てくるんだよ。「今そこでとってきたの」なんてって差し出されたら食べるでしょ普通。後のことなんか知らん。
案の定具合悪くなってますけどね。でも鮮度が良かったせいかそれほどの一大事ではない・・・と思う。
唐桑はほんとうにいいところだと思う。景色もきれいだし、食べ物はおいしいし、人はみんなあたたかい。初めて訪問したときから大好きになったし、今もその気持ちは変わらない。
今回は前にもお手伝いした被災者の皆さんと再会してたくさんいろんなお話ができたけど、皆さん口を揃えて「ここに住んでほしい」という。お嫁に来てほしい、この土地で暮らしてほしいという。
理由はひとつ、この唐桑という地域が、津波より前から極端な過疎に苦しんでいるからだ。かつてはマグロ漁で栄えた賑やかな漁師町だったのに、今は小学校の存続すら危うい。誰もが街の将来を心配しているところへ津波が来た。
すべてを失った人たちの中には、唐桑を去ってよそへ移っていった人も少なくない。亡くなられた方もいる。皆さんそんな現状を寂しく、不安に感じている。
そこへ日本全国からボランティアがやってきた。中には震災後ずっとこの土地に滞在し続け、ボランティア活動を続けている人もいる。漁師になった学生ボランティアもいるし、地元の人と結婚して家庭を持った人も既にいる。
それが果たしてボランティアにとって正解なのかどうかはぐりにはわからない。それは彼らひとりひとりの中でジャッジするべき答えなのだろうとは思うけれど。
実際、地元で若い人に出会うことは非常に少ない。
とくに20代の人にはめったに出会わない。今回はお邪魔したお宅の改修をしていた大工さんたちの中にひとり20代と思しき若者がいたけど、外で見かける20代の人は大抵よそから来たボランティアである。
子どもも少ない。幼児・乳児はまず見かけない。市内に出かけて女子高生が道を歩いているのを見て「あ、女子高生いるんだ」なんて失礼なことを思ったりもする。唐桑の子どもたちは親のクルマで通学する(バスの定期代が異様に高額なため)ので、学校帰りの小中学生が路上を歩いているという風景自体が存在しない。
若い人・子どもの存在は人々の心を明るく華やかにしてくれる。それが少ないことで皆さん寂しがっている。だから若いボランティアの姿に希望を見いだしているのだろうと思う。
しかし、ボランティアが地元に住むことが本当の問題解決になるかどうかという点にはかなり疑問もある。それよりは、もっと大規模で本格的な支援の態勢づくりが必要な気がする。ひとりやふたり新参者が来たくらいで何かが大きく変わるなんて虫のいい話を信じるほどぐりはピュアではないのだ。残念ながら。
ぐりが東北にボランティアに通うのは、これほどひどいことが起こった場所が、本当にあるべき姿を取り戻していく過程になるべく近く寄り添っていきたいからだ。
今回の被災地はとてつもなく広範囲で、ぐりが訪問しているのはその一部に過ぎない。
もっと他の地域にも行ってみたい気もするし、唐桑の将来も気になる。
震災後1年を過ぎてからどんな活動をしていこうか、暖かくなる前にもっとちゃんと考えたいけどね。

焼き牡蛎。
コレは小粒の方ですね。身がぷりっとしてておいしかったです。
2012年1月18日(水)震災ボランティアレポート
2011年11月1日(火)~6日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年10月21日(金)~24日(月)震災ボランティアレポート
2011年10月6日(木)~10日(日)震災ボランティアレポート
2011年8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
2011年4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.3)
前にも書いたことがあるけど、ぐりは実は貝類が食べられない。
味は嫌いではないのだが、あたる可能性が非常に高い。生ならまず8割以上の確率でおなかがおかしくなる。火が通っていてもあたるときはあたる。体質的に受けつけない。
さんざっぱら牡蛎やら帆立の養殖をお手伝いしておきながら今さらナニですけれども。
養殖のお手伝いをしていると業者さんちの奥さんがおやつやお昼をごちそうしてくれることがしばしばあるのだが、メニューはやっぱり当地でとれたモノがメインになる。
ちなみに今回いただいた主なメニューは
・生わかめのしゃぶしゃぶ
・牡蛎汁
・ヒラメのお刺身
・帆立のお刺身
・焼き帆立
・焼き牡蛎
・鱒の塩焼き
この他に、お祭りで牡蛎ラーメンやら鱈汁も食べたし、ご近所のお宅でも手作りの晩ご飯を食べさせてもらった日もあった。どれもとれたてのピッチピチである。
被災者を訪問してまわった日は連続してお茶やコーヒーを飲みまくりお茶請けばっかり食べまくった。こちらもできたての手作りばかりである。
ボランティアのタスクはなかなかハードだけど、運が良ければこういう役得もたまにある。まあ40のヘタレな胃袋には役得とまでいえないかもしれませんけどね正直・・・。
しかしぐりは体質的に貝がダメなので、本当のところは役得どころではない。
心中では「大丈夫かなあ」と思いながら毎日貝を食べていた。食べないわけにはいかなかった。
地元の人たちは津波で全財産を失っている。あれから11ヶ月、人に食べさせられる貝を手に入れたことが彼らにとっては至福なのだ。それを客人に食べさせたいという気持ちにはやっぱり応えたい。
だって今目の前でとれたモノが食卓に出てくるんだよ。「帆立とってくるね」といって出かけて戻って来て5分後にそれがお昼ご飯のお皿にのっかって出てくるんだよ。「今そこでとってきたの」なんてって差し出されたら食べるでしょ普通。後のことなんか知らん。
案の定具合悪くなってますけどね。でも鮮度が良かったせいかそれほどの一大事ではない・・・と思う。
唐桑はほんとうにいいところだと思う。景色もきれいだし、食べ物はおいしいし、人はみんなあたたかい。初めて訪問したときから大好きになったし、今もその気持ちは変わらない。
今回は前にもお手伝いした被災者の皆さんと再会してたくさんいろんなお話ができたけど、皆さん口を揃えて「ここに住んでほしい」という。お嫁に来てほしい、この土地で暮らしてほしいという。
理由はひとつ、この唐桑という地域が、津波より前から極端な過疎に苦しんでいるからだ。かつてはマグロ漁で栄えた賑やかな漁師町だったのに、今は小学校の存続すら危うい。誰もが街の将来を心配しているところへ津波が来た。
すべてを失った人たちの中には、唐桑を去ってよそへ移っていった人も少なくない。亡くなられた方もいる。皆さんそんな現状を寂しく、不安に感じている。
そこへ日本全国からボランティアがやってきた。中には震災後ずっとこの土地に滞在し続け、ボランティア活動を続けている人もいる。漁師になった学生ボランティアもいるし、地元の人と結婚して家庭を持った人も既にいる。
それが果たしてボランティアにとって正解なのかどうかはぐりにはわからない。それは彼らひとりひとりの中でジャッジするべき答えなのだろうとは思うけれど。
実際、地元で若い人に出会うことは非常に少ない。
とくに20代の人にはめったに出会わない。今回はお邪魔したお宅の改修をしていた大工さんたちの中にひとり20代と思しき若者がいたけど、外で見かける20代の人は大抵よそから来たボランティアである。
子どもも少ない。幼児・乳児はまず見かけない。市内に出かけて女子高生が道を歩いているのを見て「あ、女子高生いるんだ」なんて失礼なことを思ったりもする。唐桑の子どもたちは親のクルマで通学する(バスの定期代が異様に高額なため)ので、学校帰りの小中学生が路上を歩いているという風景自体が存在しない。
若い人・子どもの存在は人々の心を明るく華やかにしてくれる。それが少ないことで皆さん寂しがっている。だから若いボランティアの姿に希望を見いだしているのだろうと思う。
しかし、ボランティアが地元に住むことが本当の問題解決になるかどうかという点にはかなり疑問もある。それよりは、もっと大規模で本格的な支援の態勢づくりが必要な気がする。ひとりやふたり新参者が来たくらいで何かが大きく変わるなんて虫のいい話を信じるほどぐりはピュアではないのだ。残念ながら。
ぐりが東北にボランティアに通うのは、これほどひどいことが起こった場所が、本当にあるべき姿を取り戻していく過程になるべく近く寄り添っていきたいからだ。
今回の被災地はとてつもなく広範囲で、ぐりが訪問しているのはその一部に過ぎない。
もっと他の地域にも行ってみたい気もするし、唐桑の将来も気になる。
震災後1年を過ぎてからどんな活動をしていこうか、暖かくなる前にもっとちゃんと考えたいけどね。

焼き牡蛎。
コレは小粒の方ですね。身がぷりっとしてておいしかったです。
2012年1月18日(水)震災ボランティアレポート
2011年11月1日(火)~6日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年10月21日(金)~24日(月)震災ボランティアレポート
2011年10月6日(木)~10日(日)震災ボランティアレポート
2011年8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
2011年4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.3)