『母と暮せば』
舞台は終戦後の長崎。結核で夫を、長男をビルマ戦線で喪った助産婦の伸子(吉永小百合)。医大で授業中に被爆し、遺品すらみつけられなかった次男・浩二(二宮和也)の死を受け入れられずにいたが、3度目の原爆忌を機会に、毎日訪ねてきては何くれと世話を焼く浩二の恋人・町子(黒木華)に「あの子のことはもうあきらめるわ」と告げる。その夜、ひとり最後の陰膳に卵焼きを供える伸子を亡霊となった浩二が訪れ、ふたりは在りし日の思い出話に花を咲かせるのだが・・・。
全編ほとんどが母子の会話劇。もうひたすらべったりと仲のいい親子で、ずっとぺちゃくちゃぺちゃくちゃ他愛もない話ばかりしている。とても楽しそうだけど、冷静に考えてみれば結構怖い話だ。
死んだマザコン息子が母親に「あきらめるわ」といわれた途端に幽霊になって戻ってきて、ひとりぼっちの彼女をじわじわとり殺していく。筋立てだけみればほぼホラーである。それなのに画面の中のふたりはとにかく幸せいっぱい、みているだけで心があたたかくなってくるような優しさにあふれている。それだからこそ、胸に迫る悲しみがある。
この物語のもととなった井上ひさしの戯曲『父と暮せば』では生き残ったのは娘の方で、死んで幽霊として登場するのは父親である。生きている自分を責めつづけ前に踏み出せない娘を懸命に励まそうとするのが親心なら、たとえ死んででも愛する子どもと離れがたく願うのも親心なのだろう。
クライマックスシーンの伸子の、全編通して初めて魂の底から絞り出すひとことの台詞に、報われなかった彼女の愛が満ちていることが悲しい。
物語そのものは『父と暮せば』と別のはずだが、人物造形や設定、台詞にかなりかぶっているところがあり、対の作品というよりは同じ物語を別の方向から描いているといってもいいくらいよく似ている。
たとえば町子は『父と〜』のヒロイン美津江と9割がた同じキャラクターである。勤労奉仕を休んだために被爆を免れた彼女が旧友の遺族から投げつけられる言葉も同じだし、後ろめたさに迷いながらめぐりあう伴侶・黒田役は映画版の『父と〜』で美津江に想いを寄せる青年を演じたのと同じ浅野忠信である。つまりいいかえれば、原爆を生き延びた孤独な若い女性が絶望の中で未来を見いだす姿を軸に、彼女を置いて世を去った人物の側から家族愛と生命の輝きを描いたのが『父と〜』で、彼女を手放すことで愛をまっとうしようとする人物の側から戦争を描いたのが『母と〜』ということもできる。愛する息子が被爆しても奇跡的にどこかで生きていてくれるのではと信じずにはいられなかった3年が終わったあとの母親の答えは、だから『父と〜』の結末とは完全に逆のものになる。
似ている部分が多いだけに、映画版同士違っている部分も目立つ。『父と〜』は宮沢りえに原田芳雄という豪華キャストではあったけど完全に低予算の単館上映作品だったし、『母と〜』は松竹120周年記念の超大作。VFXもつかいたい放題でございます。でもこの話、大作っていうほどの世界観の広がりがないからなー。
豪華といえば吉永小百合と二宮和也の親子役ってスゴイよねえ。超がっちりハマってました。
前から勝手に思ってたんだけど、二宮くんが中高年(わたくし含め)にやたらウケがいいのは、彼の面影に吉永さんのような昔懐かしい憧れの女性を思いださせるような、奇妙にノスタルジックな物語性をもってるからではないだろうか。まだ子どもだったころに好きだった手の届かないひとが知らないうちにどこかにお嫁にいって、そして何年も何年もたって、ふとたまたま出会った青年がその女性の息子だった。そういう妄想をかきたてる二宮くんが吉永小百合の息子である。
もうだからいうことないです。このふたりの配役でこの映画既に完成しちゃってます。ふたりとも大スターだから、外見上リアリティがあるわけじゃない。にも関わらず、嬉しそうに当たり前に互いを頼ったり甘えたりするふたりをみていると、彼らの間に20数年間育まれた絆が本物のように感じられる。
それを一瞬にしてもぎ取られる悲劇の残酷さが、逆説的に厳しく伝わってくる。
坂本龍一の音楽が非常に綺麗で、全編が半ば坂本龍一の音楽のプロモーションビデオみたくなっちゃってました。いいのだろうかそれで。まあいいんだろうな。
気になるところとしては、山田洋次監督は二宮くんをキャスティングすることで若い観客に戦争のことを語りたかったんだろうけど、ちょっとこの物語は若い人にはどうかなーと。そもそも『父と〜』ありきの話だし。
けど私は好きな映画です。観てて楽しかったし、感動もしました。あと怖かった。親子愛って、怖いのよぅ。
関連レビュー
『父と暮せば』(映画版)
舞台は終戦後の長崎。結核で夫を、長男をビルマ戦線で喪った助産婦の伸子(吉永小百合)。医大で授業中に被爆し、遺品すらみつけられなかった次男・浩二(二宮和也)の死を受け入れられずにいたが、3度目の原爆忌を機会に、毎日訪ねてきては何くれと世話を焼く浩二の恋人・町子(黒木華)に「あの子のことはもうあきらめるわ」と告げる。その夜、ひとり最後の陰膳に卵焼きを供える伸子を亡霊となった浩二が訪れ、ふたりは在りし日の思い出話に花を咲かせるのだが・・・。
全編ほとんどが母子の会話劇。もうひたすらべったりと仲のいい親子で、ずっとぺちゃくちゃぺちゃくちゃ他愛もない話ばかりしている。とても楽しそうだけど、冷静に考えてみれば結構怖い話だ。
死んだマザコン息子が母親に「あきらめるわ」といわれた途端に幽霊になって戻ってきて、ひとりぼっちの彼女をじわじわとり殺していく。筋立てだけみればほぼホラーである。それなのに画面の中のふたりはとにかく幸せいっぱい、みているだけで心があたたかくなってくるような優しさにあふれている。それだからこそ、胸に迫る悲しみがある。
この物語のもととなった井上ひさしの戯曲『父と暮せば』では生き残ったのは娘の方で、死んで幽霊として登場するのは父親である。生きている自分を責めつづけ前に踏み出せない娘を懸命に励まそうとするのが親心なら、たとえ死んででも愛する子どもと離れがたく願うのも親心なのだろう。
クライマックスシーンの伸子の、全編通して初めて魂の底から絞り出すひとことの台詞に、報われなかった彼女の愛が満ちていることが悲しい。
物語そのものは『父と暮せば』と別のはずだが、人物造形や設定、台詞にかなりかぶっているところがあり、対の作品というよりは同じ物語を別の方向から描いているといってもいいくらいよく似ている。
たとえば町子は『父と〜』のヒロイン美津江と9割がた同じキャラクターである。勤労奉仕を休んだために被爆を免れた彼女が旧友の遺族から投げつけられる言葉も同じだし、後ろめたさに迷いながらめぐりあう伴侶・黒田役は映画版の『父と〜』で美津江に想いを寄せる青年を演じたのと同じ浅野忠信である。つまりいいかえれば、原爆を生き延びた孤独な若い女性が絶望の中で未来を見いだす姿を軸に、彼女を置いて世を去った人物の側から家族愛と生命の輝きを描いたのが『父と〜』で、彼女を手放すことで愛をまっとうしようとする人物の側から戦争を描いたのが『母と〜』ということもできる。愛する息子が被爆しても奇跡的にどこかで生きていてくれるのではと信じずにはいられなかった3年が終わったあとの母親の答えは、だから『父と〜』の結末とは完全に逆のものになる。
似ている部分が多いだけに、映画版同士違っている部分も目立つ。『父と〜』は宮沢りえに原田芳雄という豪華キャストではあったけど完全に低予算の単館上映作品だったし、『母と〜』は松竹120周年記念の超大作。VFXもつかいたい放題でございます。でもこの話、大作っていうほどの世界観の広がりがないからなー。
豪華といえば吉永小百合と二宮和也の親子役ってスゴイよねえ。超がっちりハマってました。
前から勝手に思ってたんだけど、二宮くんが中高年(わたくし含め)にやたらウケがいいのは、彼の面影に吉永さんのような昔懐かしい憧れの女性を思いださせるような、奇妙にノスタルジックな物語性をもってるからではないだろうか。まだ子どもだったころに好きだった手の届かないひとが知らないうちにどこかにお嫁にいって、そして何年も何年もたって、ふとたまたま出会った青年がその女性の息子だった。そういう妄想をかきたてる二宮くんが吉永小百合の息子である。
もうだからいうことないです。このふたりの配役でこの映画既に完成しちゃってます。ふたりとも大スターだから、外見上リアリティがあるわけじゃない。にも関わらず、嬉しそうに当たり前に互いを頼ったり甘えたりするふたりをみていると、彼らの間に20数年間育まれた絆が本物のように感じられる。
それを一瞬にしてもぎ取られる悲劇の残酷さが、逆説的に厳しく伝わってくる。
坂本龍一の音楽が非常に綺麗で、全編が半ば坂本龍一の音楽のプロモーションビデオみたくなっちゃってました。いいのだろうかそれで。まあいいんだろうな。
気になるところとしては、山田洋次監督は二宮くんをキャスティングすることで若い観客に戦争のことを語りたかったんだろうけど、ちょっとこの物語は若い人にはどうかなーと。そもそも『父と〜』ありきの話だし。
けど私は好きな映画です。観てて楽しかったし、感動もしました。あと怖かった。親子愛って、怖いのよぅ。
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