落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

お父さんはそのとき28歳でした

2015年12月20日 | lecture
南京大虐殺78カ年 2015年東京証言集会

もうだいぶ時間が経ってしまったけど、備忘録として。
このノーモア南京という市民グループは1997年、南京事件から60年をきっかけに、毎年南京から幸存者(南京事件の生存者のこと)を招待して証言集会や講演会を続けてきたという。
しかしあれからもう78年、南京大虐殺紀念館に登録されている証言者も高齢化し、90代に手が届こうという彼らの渡航リスクを勘案し、今年が最後の証言集会になるというのでいってみた。

今回の証言者は陳徳寿さん。当時6歳だった。
事件当時は祖父母と両親、叔母と従弟妹、全部で8人で暮していた。父は服飾関係の仕事をしていて、母は妊娠中だった。
12月23日の朝、南京市内で日本軍が放火を始め、父は近隣住民といっしょにと消火活動に行ったきり帰って来なかった。近所の人の話では、日本軍につかまって連れて行かれたという。
8~9時ごろに日本兵が家にきて、祖父母はタバコやお茶菓子などで接待したが、彼らは娘を出せと要求した。その場にいた叔母は2歳の娘と4歳の息子を両腕に抱えて抵抗したが、もみあいになり、結局殺されてしまった。日本兵は彼女を6回も突き刺して帰って行った。血を流して倒れた彼女が「水を飲みたい」といい、祖母がくんできたが、もう意識はなかったという。26歳だった。
家にお金がなくて埋葬できず、遺骸は家の前に戸板に乗せて置かれていた。

そのとき母が妹を出産した。日本兵が毎日来て、ふとんをめくって母を見ていたという。
事件から6日め、家に食べるものが何もなくなってしまった。そこへ日本軍の将校がやってきたので、祖父がこれだけの事情を訴えたところ、食糧や棺桶を都合してくれた。
やがて母方の伯父が迎えにきて、安全区に避難させてくれた。その日は大雪で、避難する道々、路上の死体に何度もつまづいたのを覚えている。安全区には40数日いて、家に帰った。

父といっしょに日本軍につれていかれた近所の人が戻ってきて、最期の様子を聞かせてくれた。
消火活動中に日本軍に徴用されそうになったとき、父は「うちには年寄りや子どもがいる。まして身重の妻まで置いてはいけない」と抵抗したら、こめかみや首を突き刺されて殺されてしまったという。当時28歳だった。
その近所の人の証言で、数十日後に遺体を探し出して埋葬することができた。

家の大黒柱であった父がいなくなり、母が家計を支えるために乳母や物乞いまでしたが、妹と祖母が相次いで流行病にかかり、医者に診せるお金もなく死んでしまった。埋葬代を工面するため、母は他所へ嫁いでいった。
そして家には祖父と子ども3人が残った。70歳を過ぎた祖父ひとりで子どもを養えないので、従弟は孤児院へ、従妹は養女に預けられたが、その後ふたたび生きて会うことはできなかった。ふたりとも病気で亡くなったという。

1945年になって奉公にでて働くようになったが、そのころ他家にいった母の再婚相手が日本軍との戦闘のときの怪我がもとで亡くなり、母には生後8ヶ月の子どもが残された。祖父は自ら養老院にうつり、家には誰もいなくなった。
1949年、母と再びいっしょに暮らせるようになった。

いま、家族はまた8人になった。
結婚して、娘がいて、娘婿がいて、息子がいて、嫁がいて、孫もいる。みんな健康で幸せだ。

平和な時代に何かいいたいことは?と問われて、陳さんはこういった。
昔の悲惨な出来事を決して忘れてはいけない。
長崎の原爆死没者追悼平和祈念館にいって、日本人も戦争の被害者だということを知った。
平和と友好が大切、団結しましょう、という話は簡単だけど、努力しなくてはいけない。
戦争は絶対ダメです。
戦争は、命も生活も人生もメチャクチャにしてしまう。戦争は絶対ダメです。

事件当時まだ小さかったということもあり、証言そのものは短かったけど、実際に目撃し体験した記憶というものはとても鮮明で、聞いていて視覚的に感じることの多い話だった。血を流して倒れていた若い叔母、雪の路上に折り重なる犠牲者の遺体。
南京事件であれ原爆であれホロコーストであれ、戦時中の出来事はすでに歴史の中の出来事と化し、体験しなかった人の記憶の中では起きたその時の1点でしか捉えられない。しかし事件の当事者、とくに被害にあって生き残った人々の人生はそこからもずっと続いていく。
陳さんが8人の家族を失ったのは一瞬の出来事ではなかった。ひとり、またひとりと、引き裂かれるように奪われ、またやむを得ず別れ、二度と会うことも叶わなくなった。そして貧しさがやってきた。時間をかけてじわじわと、南京事件は幼い陳さんの家庭を破壊していった。その苦痛を、いま想像することはとても難しい。

それでも陳さんは事件後78年を生き抜いて新しい家族を築き、遠路日本に来て「日本人だって被害者だ」といった。
戦争はダメだと強く繰り返す陳さんの声にこめられた何ともいえない感情は、少なくとも私にとって、忘れ難いものだった。


関連記事:
『南京の真実』 ジョン・ラーベ著
『南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記』 ミニー・ヴォートリン著
『ザ・レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』 アイリス・チャン著
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』 巫召鴻著
『ラーベの日記』
『Nanking』
『アイリス・チャン』
『南京・引き裂かれた記憶』
『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』
『南京!南京!』