落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

死と野望の森のハードボイルド

2016年12月06日 | book
『エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明』 堀田佳男著
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初めてエイズという病名を耳にしたのは高校生のとき、生物の授業でのことだった。
教壇にたった教師が、アメリカの科学雑誌のグラビアを広げて見せてくれたのをよく覚えている。そこには、緑の芝生の上に座った4人家族が大きく写っていた。30歳前後の父と母、まだ小さな娘と息子。一見どこにでもいる平凡な白人の中流家庭だ。洗濯用洗剤か乳製品の広告にも似た、幸せそうだが非印象的な、ありふれた家族写真。
先生は「ここに写っている家族は、娘だけを残して全員すでに死亡している」といった。父の婚外交渉で家庭に持ちこまれたエイズはまず妻に感染し、息子に母子感染したという。
1980年台半ば、エイズが不治の病、感染し発症すれば2年以内にほとんどの人が亡くなる時代だった。

あれから30年、いま、エイズは不治の病ではなくなった。
ワクチンがなく、いったん感染してしまうと一生治療が必要になる慢性疾患ではあるものの、発症前から適切な投薬を始めれば40年は生きられるようになった。
そのきっかけをつくったのが、日本人医師・満屋裕明氏である。
抗がん剤として開発されたAZTという逆転写酵素阻害剤が、HIVウィルスの増殖を抑えることでエイズ患者の延命に効果があることが、1985年に満屋氏によって世界で初めて立証されたのだ。
エイズがまだどうやって人から人に感染するのかすら誰も知らなかったころ。満屋氏は、エイズという病気も、ウィルスの性質もわからない暗黒の森に、ひとりでわけいり、誰ひとり見たこともなかった宝物を掘り出した冒険者だった。

満屋さんは熊本大学からアメリカ国立衛生研究所に派遣され、アメリカでエイズ治療薬の研究をした。
もともと国内でも優秀な医師だったというが、アメリカの恵まれた研究環境で、かつ満屋さんだけがもっていた特異なリンパ球が奇跡の発見を可能にした。HIVウィルスはヘルパーTリンパ球の中で増殖するからである。
リンパ球といっても誰のものでも良いわけではなく、発育がよくHIVウィルスによく反応する検体が必要で、しかも何千回何万回という実験を可能にするだけの量が求められる。満屋さんはもともと、九州の風土病でもある成人T細胞白血病というウィルス性のガンを研究していた。このガンに感染したヘルパーTリンパ球は不死化する。満屋さんは意図的に検体をガン化させて実験につかうことができた。つまり無限に実験が繰り返せる検体をもっていたことになる。
未開の森にわけいる勇者が、唯一無二の武器を手にしていたのだ。

ところが満屋さんは医者だが化学者ではないので、自分で薬をつくることはできない。そこで製薬会社から可能性のありそうな薬のサンプルを提供してもらい、かたっぱしからHIVウィルスに感染させたヘルパーTリンパ球の試験管に薬を注ぎ、ウィルスだけを殺す薬を探した。こうして発見されたのがAZTだが、この薬が製薬会社から提供されていたことがあとでネックになってしまった。会社が発見者である満屋さんを認めずに特許を出願、患者一人当たりの投薬費用にして年間1万ドルもの高値で独占的に販売を始めたのだ。やはり満屋さんが開発したddIとddCが90年代に発売されて独占が解消されるまで、多くの感染者が薬に手が届かないまま亡くなった。発見者としてこれほど悲しいことはなかったのではないだろうか。
しかし満屋さんは製薬会社との特許争いに拘泥することなく新しい薬を求めて研究を続け、ddIとddCに続いて2003年にダルナビルというプロテアーゼ阻害剤を発見、2015年にはEFdAという逆転写酵素阻害剤の臨床治験にはいっている。EFdAの抗ウィルス活性はAZTの400倍以上。認可されればエイズ治療はまた大きく前進することになる。
特許を取れる新薬など一生研究してもひとつも発見できずに終わって当たり前の世界で、満屋さんはすでに5つも、死の病から人の命を救う薬をみつけた。かつまだばりばりの現役である。母校熊本大学で教鞭をとりながら、いまもアメリカ国立衛生研究所でエイズの薬を探し続けている。満屋さんが開発したエイズ研究はいまも、エイズと戦う多くの患者の健康を支え続けている。

この本では、満屋さんの生い立ちと研究過程だけでなく、エイズ研究の周辺状況やアメリカでの特許のあり方や訴訟の経緯までを幅広く、10年以上にわたって満屋さんとその研究と背景を取材してレポートしている。
感染すれば間違いなく死ぬといわれた病と毎日孤独に向かいあう満屋さんのタフな研究はもう30年を超えた。満屋さんというパイオニアの発見によってエイズ研究は飛躍的に拡大した。歴史に残る英雄というのはまさにこういう人のことをいうのだろうと思う。
エイズ問題に関心をもった当初から読んでみたかったのだが、長い間絶版になっていて図書館でも読めず、去年やっと文庫化されて入手することができた。今回読めて嬉しかったし、仕事柄、化学系のレポートを読み慣れてきたいまだから読めたともいえるから、むしろこのタイミングで読んでよかったのかもしれない。

エイズ問題は他にもいろいろ読んでみたいんだけど、読みこなせて読み応えもあってちょうどいい本ってどうやってみつければいいんでしょうね。本読むより読む本みつける方がむつかしいです。

関連リンク:
私たちが「エイズ」から学んだこと 高山義浩医師

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