落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

カエルの歌が聞こえてくるよ

2016年12月26日 | movie
『箱入り息子の恋』

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天雫健太郎(星野源)は35歳の市役所職員。無遅刻無欠勤で13年勤めて一度も昇進したことがない。酒もタバコものまず上司や同僚とのつきあいもなく、余暇は部屋に閉じこもってペットのカエルと遊ぶか格闘ゲームに明け暮れる息子の将来を危惧した両親(平泉成・森山良子)は親同士の代理見合いで結婚相手を探そうと考え、その席で出会った今井夫妻(大杉蓮・黒木瞳)の娘・奈穂子(夏帆)の美貌を見初めるのだが・・・。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で注目を集めた星野源の映画初主演作品。

タイトル上はまるで息子が主人公みたいだけど、そうじゃないですねこれ。
実際には、ちょっと変わった息子をとりまく家族や社会の不条理をほのぼのと描いた社会派ホームコメディです。
息子は確かにかなり変わってます。35歳で童貞ってところはいまやもう現実としてそう変わってるとはいえないだろう。だって独身男女の6〜7割に交際相手がいない・4割以上に性交渉の経験がない世の中です(2016年 国立社会保障・人口問題研究所調べ)。ただそれでも大多数の人間はそれでもどうにかこうにか人と関わり、あるいは関わりたいと願い、その願いゆえに傷ついたりつまずいたりしつつも生きているわけで、健太郎のように家族以外の人との交流をほぼ完全に遮断した人生に完結できる人間はそうはいない。

健太郎のほんとうに変わっているところは、自分ではそう完結しているつもりでいながら、奈穂子の父・晃に何度罵倒され、暴力をふるわれようと決して折れることのない厚顔無恥なんじゃないかと思う。見合いの席で「今井さんは知りもしない相手に面と向かって笑われたことはありますか」と問うように、おそらく彼は幾度となくいわれのない嘲笑や陰口に傷ついて来たのだろう。その痛みを、おそらく彼は満足に消化しないまま35年間生きていたのではないかと思う。だから心を閉ざし人と関わることを避け、貝のように殻に閉じこもって暮す人生を選んだ。一方で健太郎はその痛みを知らない・あるいは我がこととして共感できない晃の非礼に、正面から反論する理性がある。そこが普通じゃない厚顔無恥ぶりだし、その一点だけがこの物語を前に進めていく動力になっている。

とはいえ、息子のために代わりに見合いをする天雫夫妻や今井夫妻も、いまどき変わった両親ともいえない。健太郎のプロフィールを見て“不合格”のレッテルを貼る晃にせよ、奈穂子の障害に驚きうろたえ、晃の剣幕に憤慨する寿男やフミにせよ、子どもの将来を案じる親としてはごく当たり前のキャラクターではある。
それなのに物語がどこか滑稽にみえるのは、人間誰もが我が子のこととなるとつい夢中になって周りが見えなくなって、冷静な判断がしにくくなってしまう、ごくふつうの親心がしばしば極端な行動に結びつきやすいからだろう。
ふた組の親はただ我が子の幸せだけを願っているだけなんだけど、本人たちの思惑は親の願い通りにはなかなかいかない。健太郎の性格や奈穂子の障害は、単に親子のディスコミュニケーションをひきたてるための道具でしかないのだが、その意味では非常に映画的にうまく機能している。

物語全体がものすごく淡々としていて、健太郎のキモいキャラにときどき辟易しそうになるのだが、奈穂子に接するときのあくまでも優しくあたたかく誠実な態度が爽やかなのが、さすが映画・さすがファンタジーと毎回しみじみと感じてしまいました。展開がいちいちマンガなんだよね。そんなワケあるかーな展開しかないの。
だから全体通して観ると完全にコメディなんだけど、パッケージとしてはコメディじゃないんだよね。
学齢期や年齢や職業や性的指向や障害の有る無しで人を“値踏み”することや、人の幸不幸を価値観で判断することの無意味さを訴えたかったってところはまあわかるんだけどね。



果てない波

2016年12月26日 | movie
『ハナミズキ』

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1997年、北海道・道東の漁師町で出会った高校生の康平(生田斗真)と紗枝(新垣結衣)。漁師になろうと家業を手伝う康平は、受験勉強に励む紗枝を誠実に支え、無事彼女は早稲田大学に合格。英語を学んで海外で働く夢を抱く紗枝だが、水揚げが上がらず借金がかさんだ康平の家では父(松重豊)が急死、船も手放すことになり、康平は遠距離で交際を続けて来た紗枝の近くで暮したいという思いを捨てる決意をする。
求めあいながらもすれ違う男女の10年を描いたラブストーリー。

2010年の作品ですが初見です。
きっかけは主人公・生田斗真の職業が“漁師”という設定だったから。これ、当事者である漁師の感想がものすごく気になる映画です。
というのも康平の辿る展開がめちゃくちゃしょっぱい。ここからはネタバレになるので知りたくない方はとばしていただきたいのですがもう6年前の作品なんで書いちゃいますけど、まず康平は高校進学の時点で漁師を継ぐことを決めている。父は反対するものの息子はそのまま水産高校に進学。父は息子のためにローンを組んで船を新調するも返済はままならず、結果的には船は売却、家族はバラバラになり、息子は遠洋マグロ漁船の乗組員になる。
水産業に関わる人ならたいていはどこかで一度や二度は耳にしたことがあるような話なのではないかと思う。

というのも、水産業はランニングコストが高くもともとがハイリスクハイリターンな産業ではあるものの、近年は気候変動や市場のグローバライゼーションの影響もあり、国内の水産業者にとってより厳しい状況が続いているからだ。長い間深刻な後継者不足に悩まされていても、多くの漁業者は近親者(息子・娘)に積極的に家業を継がせようと自発的にアクションはしない。自らの力ではコントロールできない自然を相手にする漁業の不安定さを知っていればこそ、子どもの幸せを思えば、他の土地で他の仕事をした方がと考えがちなのかもしれない。私の知る漁業者のほとんどは、高校・大学を出て一度べつの地域で別の仕事に従事したあと、転職や結婚などを契機に地元に戻り家業を継いでいる。いまは地元で漁師をしているが、若いころはマグロ船やタンカー、水産庁の取締船などで働いていたという人にもたくさん出会った。
広い広い海に毎日向かいあう漁業の仕事はとても厳しいが豊かで、一度その魅力を知れば虜になってしまうほど心楽しくもある。そこで生まれ育ち働き続ける康平の歩く道は、のどかな田舎町といえど決して平坦ではなくむしろ険しい。果たして彼のストーリーはフィクションとしてコンテンツとして誰の共感を得るものなのだろう。漁業の実情を知っているとはいえない私の目から見ても、あまりにも一方的に生々しく厳しすぎて、痛々しく感じてしまう。どうせなら、漁業の世界のもっと生き生きと華やかな面も描いてほしかったと思ってしまう。物語全体からみれば必要ない要素だったんだろうけど、それでも。

一青窈の楽曲「ハナミズキ」をモチーフにしているという物語だけど、実際どのあたりがモチーフなのかはよくわからず。なぜ十年愛なのかも正直よくわからない。
もととなった歌は911同時多発テロをきっかけに書かれたというけど、完成した歌詞のどのあたりにそれが反映されているのかは読みとれない。映画の中にも911はほんの一瞬の会話にしか登場しない。
地方の一次産業に従事する若者の恋愛の難しさを描こうというのであれば確かにリアリティはある。ホントに嫁不足だから。どこでも誰でも寄ると触ると結婚の話ばっかりしてるから。
逆に、新垣結衣演じる上昇志向盛んな少女の10年という意味では相当な消化不良になってしまっている。大学でイケメン自由人のフォトグラファー(向井理)に偶然めぐりあってニューヨークにまでほいほいくっついていって(?)、康平を捨てた彼女が実際にその過程でいったい何を得てどこへ行こうとしていたのか、まったくわからないまま物語が終わってしまうからだ。確かに彼女は必死に勉強してはいたのだろう。だが「英語を活かして海外で働きたい」などという曖昧な動機で就職活動に挫折するのも当たり前の話で、彼女自身の将来のビジョンがまったく観客側に伝わってこないのだ。ただフラフラと東京に行きたい、英語がやりたい、海外に行きたいと漠然と望むのは夢ですらない。どうしたいの?何がしたいの?そのうち説明してくれんでしょーね?と待っているうちにエンディングです。はあ。そんなんでいいんだろうか。

10年の物語を2時間程度で語ろうというのだからどうしてもダイジェスト的になってしまうのはしょうがないとしても、康平側の物語のシビアさと、紗枝側の物語のご都合主義具合が非常にアンバランスな印象の映画でした。
ちゃんと漁師に弟子入りして役作りしたという生田斗真のなりきりぶりなど、出演者の演技には好感がもてただけに、なんだか残念です。

関連レビュー:
『これから食えなくなる魚』 小松正之著