落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

パイプとバイブ

2018年01月27日 | book
『ここは、おしまいの地』 こだま著

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狂ったように怒ってばかりの母、衝突してばかりだった妹たち、友だちもなく楽しい思い出もなかった学校生活。
「ヤンキーと百姓が9割を占める集落」だった地元を離れることだけを考えていた思春期から時は流れ、厄介な持病すら軽妙に綴ることができるようになった『夫のちんぽが入らない』著者のエッセイ集。

あの『おとちん』ショックから早1年。また一気読みしてしまった。
題材はただただ貧しく退屈だった寒村で過ごした子ども時代、どこか普通じゃない家族たち、職場の先輩や入院先の同室仲間やスタッフなど、誰にとっても身近なものばかりだ。
なるほど書かれたエピソードのひとつひとつはちょっと特殊かもしれない。著者は自分の境遇の特殊さがコンプレックスで、「なんでうちは普通じゃないのか」とひたすら悩んだというが、大なり小なりどこの家にもどの地域にも、他とは違っておかしなところはいくらもある。ちょっと客観的にとらえてみれば互いの差なんて大したものではなかったり、逆に個性になったりもする。乱暴な言い方をすれば、要は受けとめ方の問題だし、大概の人はなんでもないこととして受け流しながら暮らしているのではないだろうか。世間一般の子どもはテレビの「サザエさん」みたいなのが普通だとどこかで思い込んでいるが、あんなものは所詮虚構でしかないのだから。
ところがこだまさんにはそういう自己処理が、長い間まったくできなかった。

その強烈なコンプレックスが、傍目にはなんの価値もない些細な日常のエピソードのすべてを、珠玉のエッセイに磨き上げている。
絶妙なリズム感と軽やかさ、夫や両親をはじめとする親族や同級生たちなどの登場人物たちだけでなく、自分自身とのえもいわれぬ微妙な距離感のなんと心地よいことか。その距離は苦悩や絶望ですらどこか滑稽にパッケージしてしまう。それでいて、ちょうどいいバランスで混ぜられたリアルなディテールがスパイスのように効いている。詳しすぎるわけでもなく、かといって漠然と誤魔化されてもいない、読んでいて情景がなんとなく頭に浮かんでくるぎりぎりのリアリティなのだ。そんなのどうやって調整してるんだろう。
いつか、この文体にいたるまでの葛藤も詳しく読んでみたい気がする。

『おとちん』もそうだったけど、彼女の文章を読んでいると、全然状況は違うのに、自分自身の過去のコンプレックスもなんだか許せるような気分になってくる。
親兄弟との確執や親族関係の軋轢も、子ども時代に味わった惨めさも悲しさも寂しさも、うまく忘れられもせず折りあいもつけられないままの自分の未熟さすら、「まあいっか」と思えてくる。
こういうのをまさに癒しっていうんだろうな。
悩んだり苦しんだりした時間を忘れるのではなく、それはそれとしてちょっと切り離して眺められるようになれば、無駄に肩に乗っかっていたしんどさもどこか適当な場所にしまって、その重さからは自分を解放することもできる。

こだまさんは、自分のプライベートを題材に文章に書いて公表していることを親族の誰にも伝えていないというが、去年大ベストセラーにもなった『おとちん』はすでに実写映像化まできまっている。個人的な希望としては吉田大八監督、満島ひかりと松田龍平主演でお願いしたい。
公開されたあと、家族がこの事実に気づくのか気づかないのか、こだまさんがそのことを題材にこんどはどんな作品を書くのか、いまはそれがもう楽しみでしょうがないです。