ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ワクチン効果。

2021年05月30日 | 資本と社会の問題

弱い立場の人、社会的弱者が活き活きと生きて行ける社会が、善い社会のはずです。

これは、都会と田舎の優劣、所得格差も含めて、住民地域性の優越格差も同様です。

振り返れば50年以上昔の昭和時代から日本の都市部と農村漁村の隔たりのない経済成長、東京の一極集中の弊害を、時の首相の佐藤さんも田中さんも福田さんも鈴木さんも宮沢さんの皆さん、首相の政治公約に掲げていました。

平成の時代になると、地方の時代として首都移転問題、日本の田舎を世界一流の田園文化圏の地方にすると、小泉純一郎さんは熱弁をふるっていました。

半世紀経ても、政治公約は達成されていません。

腐敗、虚偽、イジメ蔓延社会、それでも、隣国からのミサイル爆弾も内戦殺戮も起きていない平和国家を維持継続しています。

では、日本に生まれて幸せだったのかな?

と問われると、もっと人生に平等自由というチャンスを多く与えている国、青い鳥がいる幸せな国があるのかもと、考える事もあります。

善悪も貧富も、心が決めてゆくもの。

令和の時代に変わった途端にコロナ禍。

今年1月の寒い朝、電話口で母から「もうダメかも」というSOS の訴え。

そのまま入院して2か月後には危篤、亡くなった、その間、コロナ禍で面会禁止、面会制約の日々。

母の死後、四十九日過ぎても旨く言えませんが、何にも出来なかったという後悔が続いています。

それに比べて、父の死は悲しいのですが、案外気持ちが楽でした。

それは、父自身が自宅で看取られるという希望もあったし、死期が近づくまでそれなりに帰省して入浴の介助も行ったり、自己満足なのでしょうが、あの世への旅立つ父の手伝い、お見送りをしたというポジティブな想いがあります。

母は、この世への終い方、あの世への逝き方、旅立ちに満足していはないというネガティブな想いが消えません。

ピンピンコロリなんて極めて少人数で、健康寿命の境界線はヨタヨタとなり、老いていく不健康寿命の始まりは長くバタバタ、ドタドタと、最後にはドッタン、バッタンと寝たきりになってしまうのが一般的な寿命、生涯です。

死への旅立ちは想い、人生の経験でも年齢でもありません。

場が変われば、人間は変われる。

来週、ワクチン接種をする予定。

知り合いの施設では、ワクチン接種後の翌日、職員の半数以上の方が、熱発、体調不良で休んだとか・・・・効果があるのでしょう❗

もう四ヶ月はやく、ワクチン接種できていたならばなぁ、もっと満足ゆく延命、終活への親孝行が可能だったのではと。

心にもワクチン接種が必要です。


成功という証。

2019年03月04日 | 資本と社会の問題

はや、経団連に加盟する企業の採用説明会が、3月1日に解禁されたとのこと。

もはや、経団連非加盟の外資系やIT(情報技術)企業などは、先行して採用活動を始めており、すでに学生の10人に1人以上が内定を持っているとのこと。

こういう日本独特の1年以上前からの就職採用状況・・・考えられないです。

今も昔も、就職ではなくて、就社活動のようですが、離職活動も、当たり前のように前倒しになるかもしれません。

日本のリーディングカンパニーのトヨタ自動車でさえ、生き残るために「自動車をつくる会社」から「移動に関わるサービスを行うモビリティカンパニー」に変革中です。

豊田章男社長が、面白いことを言ってました。

「いつでも転職できる人が、いつまでも辞めない会社が、生き残る会社である」

ただね・・・いつでも転職できる有能な人は、会社人としてではなくて、どんどん転職して、よりよい世間、社会のための社会人になって欲しいものです。

今朝の参議院予算委員会。

収入の格差が大きい社会は、やはり問題です。

アポ電話強盗、詐欺、児童虐待、いじめ問題等々・・・毎日毎日、不幸な出来事が起こっている日本社会です。

警察官は、どれぐらい必要となるのか?

経済社会という生産者と消費者。

犯罪社会という加害者と被害者。

先日亡くなられた堺屋太一さんは、日本の治安悪化、個人所得は、世界ランキング50~60位ぐらいに凋落するであろうと予言していますが、同感です。

貧乏な国になっても、福祉国家の先進国となれば、結果オーライです。

生きる上での大切な事は、収入とか、稼ぎとか、お金は、勿論大事。

でも、幸せは、学校、職場、地域の人間関係の善し悪しで決まります。

職業選択の自由という権利があるけど、仕事には、誰かに福となるようなものを与えないとね!

市場の奪い合いの仕事は、辛い人生になります。

・・・こんな諺があります。

自覚すること。

出会う全ての人のことを。

何か心配事があり、何か愛するものがあり、

そして、失ったものがあることを。

Remember that everyone you meet is afraid of something, loves something and has lost something.

花に水やり、道のゴミ拾い、少しでも世界が善いものになれば・・・。

少しでも社会の問題が解決できるならば、それが生きた証という成功ではないのかなぁ。


自転車を漕ぐ。

2019年03月01日 | 資本と社会の問題

今日から、弥生三月です。

はやくも、今年の6分の1が終わりました。

漕ぐぞ!

10年間以上勤務の介護福祉士の給与を月8万円アップさせて、年収440万円程度にさせるという処遇改善案の介護保険法改正があるとか?

これで、厚生省も政府も国会も、介護職も世間並の収入待遇となる満足を得る妙案だと考えているのかなぁ?

ぼくも、適用される側だけど・・・60歳を過ぎて、まだ働くということは、どういう事かなと思います。

おまけに65歳まで、週3日ぐらいしか働かないパートと、正職員として週5日以上も働いても、ほぼ同収入という矛盾だらけの在職老齢年金の仕組み。

今、老齢年金全額カットされている僕の正職員としての働き方は、どうなのかな?

正直、お金、それも大金が欲しいのならば、不満だらけの会社員、雇用者となってはなりません。

非正規社員の最低賃金は、早めに全国一律にすべきでしょう。

大事なのは、バランスの特権です。

雇用を増やす側の社会起業家、経営者としての事業家も多く必要です。

リズム感のある安定生活を望むならば、会社員、雇用者となるのも必要です。

勤勉に働いても、人間は、満たされません。

蟻だって、蜂だって、勤勉です。

何に対して、勤勉に働くのでしょうか?

ぼくは、生きるのが無駄ではないことを、勤勉に探したい。

 


春は何?

2013年05月28日 | 資本と社会の問題
金閣寺よりも、銀閣寺の方が、個人的には自分好みです。

銀閣寺は、慈照寺と言います。

しかし、銀閣寺を築造した室町幕府の将軍足利義政は、慈照という想念を窮民にではなく、贅沢な東山山荘の建立に集中したのです。

当時、最大の飢饉に直面しているのにもかかわらず全く対策を講ぜず、日々、銀閣寺の築造に没頭した将軍だったようです。

だから、立派な世界遺産として残っていますが、天下の統治者としては、無能というか、失策です。

一方、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、飢饉に際して、領国内の農民に年貢を免除したと言います。(天下草創)

さらに、江戸幕府を創始した徳川家康は、二代将軍秀忠に、金銀の大いなる遺産を軍事の次に「窮民に対しての慈恵的救済」に使うようにと厳命しています。(天下一統)

近代社会になっても、同様です。

国家政府が、何を基準として、国民の「さいわい」を導こうとするのかが・・問われるのです。

「夏は麦、秋は米、冬は銭、多少にかぎらず、老若男女各志を運び申すべき事」

・・三浦梅園さんへ。

「春は何?」

原発問題に関連して

2013年05月16日 | 資本と社会の問題
前にも書いた記憶があります。

原発廃炉で、イライラするか? ワクワクするか?

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一体、市場経済、否。

市場生活とは、何だろう?

広辞苑では、生存して活動すること、生きながらえること、世の中で暮らしてゆくことだとか。

仕事とは、何だろう?

仕事とは、どのような意味を持っているのか?

自分のやりたい仕事を持っている。

働く事に意義も感じている。

生活してゆくには、仕事が不可欠なのは言うまでもない。

病気や怪我で入院して、しばらく休まざるをえない場合、普通は、不安や寂しさを覚える。

「サルがヒトになることに、労働はどのように関与したか?」経済学者エンゲルスの一節。

直立に歩みだした人類の祖先は、手を自由に使い、新しい技能を次々と得ることに進化した。

労働という仕事は、人間の能力を発達させてきたのは、歴史的事実である。

人間の労働は、自然まかせの狩猟や採取の段階から、言語を持ち、人間が主体となる社会的集団労働に発展した。

集団での多面的な労働を構築して、計画的な分業協業による組織性が生まれてきた。

こうして、仕事は、社会的な性格を備えるようになった。

仕事は、人間の自己実現の場であり、社会への参画でもあり、生きがいにも相当することにもなる。

「仕事は、人間生活の第一の基本条件」は、揺るぎない事実。

封建社会の時代、身分制度のもとで、農民は農民、商人は商人として、与えられた身分職業を全うするほかなかった。

近代となり、資本主義社会は、身分制度を廃止して、強制的に縛られていた人間を解放した。

自らが、職業の自由を選択できるようになったのは、誰もが知っている。

それでも、なぜ?

仕事が苦しいという生活感覚が、現われてくるのか?

資本主義社会の矛盾?

現代社会における、失業問題、ホームレスの増大、日雇い労働者の高齢化、派遣労働の有期雇用、低賃金、農業の低迷、商店街の衰退、巨大企業と中小企業の格差拡大等々・・貧困、生活困難の社会問題が浮かびあがる。

例えば、先進国の多国籍企業が、途上国の安価な労働力を使って生産する。

社会は、不変ではなく固定的なものではない。

絶えず、変化、発展してゆくもの。

ただ、その変化、発展の本質を考えるのも大事。

仕事が苦しくなるのは、労働者による労働する過程で自主的管理、利潤獲得範囲での裁量があるにせよ、それ以上のコントロールを、自分では、できないから?

消費者に生産物を購入させて利潤をあげるだけの労働仕事。

消費者に生産物を使用して、より豊かになってもらう労働仕事。

自ら考えて判断できる人間としての労働意欲ではなくて、資本・経営側による最終判断を委ねるような疎外されて、労働に従属されているような現実社会の状況。

現場の自由を制限して、管理ばかりが強化されると、自律性も自立性も失われてゆく。

自立的で自由な思考、発想、精神を失った仕事や生活は、楽しいはずがない。

労働者が、労働過程での適切な労働時間、適切で安全な労働内容、環境を備える社会の実現を備えるのが、先進国としての基本条件かと考える。

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原発再稼働で、イライラするか? ワクワクするか?

恋愛と幽霊

2013年04月11日 | 資本と社会の問題
昨日の新聞コラムのほとんどが、「鉄の女」と呼ばれた英国のサッチャー元首相を悼むものでした。

「英国を救った」とも称賛される一方で、「貧富の格差を拡げた」とも批判されるサッチャー氏の生涯です。

サッチャー政権末期に、英国に滞在した時間は、よい意味で振り返れば、「生きる楽しみ方を学んだ」体験でした。

当時のサッチャー氏は、日が昇る勢いの日本経済の成功や日本人の勤勉さを、よく称賛していました。

でも、あの頃の日本の社会風潮のテーマは、「働きすぎから、もっと休もう。日本」だったと思います。

サッチャー氏の語り口は、「まるで、小学校の先生が児童に語りかけるようなものだ」と、当時、お世話になった英国人の方が言っていた事を思い出します。

「政府が社会を富ませるものではなく、民間の企業や人が社会を富ませる」というのが、サッチャー氏の持論でした。

だから、小さな政府と国有企業の民営化でした。

市場原理の競争のうえで、正当に報われる社会が理想の姿だったのでしょう。

鉄の女は、英国病という「揺りかごから墓場まで」の高福祉政策をも切り捨てました。

家庭の貧富収入の格差関係無く、家族の構成人員を基本とした人頭税という税収政策に踏み込みます。

ロンドンで、反サッチャー政権への暴動デモが頻発します。

英国病蔓延と言われた英国社会・・。

不思議だったのは・・、

犬や猫や・・ペットが多かったこと!

家庭に洗濯機が無いのかと思うぐらい、街の中にコイン・ランドリーが多かったこと!

スーパーマーケットのレジは、既に商品にバーコードがあり、それを通すだけで自動的に金額が計算清算されていました。

・・計算が苦手なのか? 手先の指が不器用なのか?・・と考えていました。

何故なら、当時の日本は、まだレジで金額の値段を指先で打っていましたから。

クレジットカードを使用している多くの英国人、テイク・アウトのお店、冷凍食品専門店もいっぱい多かったです。

・・これも英国病という、ちょっと怠けた横着かな?というイメージがありました。

思い出せば、まだまだ何か「遅れている英国病の現実」というものを勘違いしていたものが多くあります。

当時の遅れていると考えた英国社会のシステムが、進んでいると考えた日本社会に、あとあと続々と入り込んできます。

今では、ペットも多い、日本のあっちこっちにコインランドリーがあります。

独り暮らしや、高齢者の居る家庭の洗濯物を区別するのに必要な存在なのかもしれません。

レジのバーコード導入も、今の日本では、当り前になりました。

持ち帰りのtake outも、冷凍食品も当り前の時代になりました。

映画批評もそうでした。

「東京物語」の小津安二郎監督のよさを、日本人よりも、多数の英国人の方が、早く理解していました。

東の果ての島国日本と、西の果ての島国英国は、鏡とは言いません。

そんなふうに映りません。

恋愛という自愛、幽霊という他愛のような関係に思えるのです。

今思うと「英国病」は、「余裕(ゆとり)病」ではなかったのかと・・?

今の日本は、景気の経済政策よりも福祉の政策を優先しないと、「ゆとり」の無い経済優先の貧富格差社会になると考えます。

英国や日本という国家やら一定の地域が、豊かになっても・・どうかと思います。

その国の国民、その地域に暮らす住民が、豊かで、ゆとりある生活にならないと・・話になりません。

これまた、恋愛と幽霊を相手にするような不安だらけの未来ですが、未来は、ゆとりのある希望です。

ケアという物語

2013年03月13日 | 資本と社会の問題
今も、地球のどこかで、命が誕生して、老いて、病んで、死んでいく人間のドラマが展開しています。

それを、ケアする・・、ケアしない。

care・・不思議な言葉です。

何を、いつ、どこで、誰に・・ケアするのか?

何を、ケアする行為とみなすのか?

辞書を開くと、日本語としてのケアの意味には、世話、介護、管理、維持、注意、用心、配慮、努力、心配、不安、面倒、負担、厄介、重荷等々・・とても気がかりな言葉です。

「注意を払い、気を使うこと」・・でしょうか?

その監督、維持、責任は、誰に誰が担うのでしょうか?

赤ん坊・幼児・児童への世話、高齢者への介護、障害者への介助に対して、親、教師、介護者、医師、看護師等がケアの担い手になります。

そのケアする行為に、虐待(ハラスメント)という状況が表われるならば、その背後に人間の限界線への歪みとなるジレンマ(delemma 精神的葛藤、板挟み)が、存在します。

最近、「ストレスに弱い人間」「アトピー体質で敏感」とか、PTSD(心的外傷後ストレス障害=トラウマ)とか・・そんな言葉に、よく出会います。

とりわけ、震災以後、ケアする対象は、「こころ」と「からだ」を含む「生活の再建復興」と「その方法」へと拡大しています。

ケアという言葉に近い意味で、キュア(cure:治療)という言葉があります。

ヒール(heal:癒し)という言葉もあります。
ヘルス(health:健康)、聖なる(holy)・・語源は、Whole(全体性)という概念から派生しています。
例として、ヒーリングアート(癒す絵)、ヒーリングミュージック(癒しの音楽)、ヒーリングタッチ(手当て)です。

その他、マジック、トリートメント、セラピィ、サポート、ヘルプ、アシスト、チャリティ、フィランソロピィー、ナース、ジェネレイティピティ・そして、最後に「養生」・・「ホメオスターシス」という人間が蘇生する真髄を表現する言葉もあります。

余談ですが・・それぞれの語源を知りたいですか?

人間には、痛みがあります。

痛みに対するケアには、苦痛を除去する、緩和する・・という発想があります。

しかし、痛みを感じない「無痛症」を抱える人間もいます。

痛みが無ければ、人間は長く生きることは、非常に困難だと言います。

痛みを感じるということは、ストレスを感知して、自然治癒力を働かせる重要なサインです。

(ストレスにも、有益ストレスと有害ストレスがあります。)

つまり、ケアには「痛みを取り除く:緩和除去」と「痛みを感じる:感覚の回復再生」という二つの観点と役割があるのです。

「この地上(地球)に生きている限り、私たちの本当の名前はケアであり、言い換えれば、私たちは、本質的にはケアなのです。ケアは、私たちが生きている限り、私たちを所有している。私たちがケアすることをやめるとすれば、それは、私たちが人間であることをやめることである」
(シスター・M・シモーヌ・ローチの言葉より)

流れ星 尾行

2013年02月14日 | 資本と社会の問題
天から、隕石が落ちて来たという・・ロシアからのニュース。

今、人生が幸福な人にとっては、怖い話です。

地球が爆発して欲しいと思うぐらい人生の苦渋の真っ只中にいる人にとっては、心の重石が少し取れたかもしれません。

昨日、よく買い物に行く近所のスーパーで、84歳の女性がバッグを盗んだという窃盗の疑いで現行犯逮捕されました。

この84歳の女性・・住所不定、置引きの常習犯のようで、兵庫県県警の捜査員が神戸から福井まで、ずっと尾行していたようです。

ホテルに宿泊しながら、各地を転々としていたようです。

被害者にとっては、怒り心頭でしょうが・・

84歳という高齢を考えれば、何とも逞しい生き方なのかと感嘆します。

冷暖房完備、三食保証付きの留置場、もしくは刑務所暮らしを望んでいたのかもしれません。

終活(終焉活動)

2013年02月09日 | 資本と社会の問題
これから、就活やら婚活を考えなければならない若者。

終活のことも考えなければならない中高年。

昨今、何か、活動していかないと、生きてゆくのが難しい世相です。

人生は、またたくまに「終焉」を見つめる準備、「終焉」に向かう活動になります。

今朝のNHKラジオ深夜便・・大阪尼崎の医師長尾和宏氏の~平穏に最期を迎えるために~、全く同意見です。

病院での延命治療・・点滴やら胃ろうやら輸血やらチューブにつながれて、痰取りで、もがき、苦しめられて、チューブを外そうとするから、今度は手を縛るという拘束状態・・人間としての尊厳死とは、ほど遠いものでしょう。

・・悲惨です。

長尾医師は、町ひとつを病院と見なして、自宅在宅を病室と考え、そこに至る道は、病院の廊下だという考えです。

訪問診療と往診の違い・・「平穏死を迎えるための終活のお手伝い」を365日24時間体制で頑張っておられます。

在宅で看取られて亡くなる平穏死という考えは、正解だと思います。

自分の好物を自分の口から食べて、その1時間後には、スーと逝くというようなケースは、小生の父も同じく、かなり多いと実証しています。

とは言うものの。

それでも、それを介護できる家族が、居るかどうか・・という現状が、今の日本の大問題なのです。

老老介護は、当り前・・その片方が、認知症やら転倒やら、夫婦揃って入院、施設入居・入所。

その子供たちは、県外での仕事、都会暮らし。

長生きすれば、子供の方が早く亡くなっている家庭状況。

甥やら姪やら・・その親戚は、財産がない限り、面倒もみたくないのは当然の如く、知らぬ顔。

娘は、嫁に遠慮。

嫁は、事務的に顔を出すだけ。

在宅・・在宅・・と言うけれど、日本の家族制度は、核家族化されて、欧米型の家族制度になっているのです。

夫婦共稼ぎの家族、貧しい高齢者が、圧倒的に増加しているのです。

今の日本社会の家族の在り方は、病院にしろ、特養にしろ・・現代版姥捨て山状態なのです。

それでも、そこに居られる患者さん、お年寄りは、未来の患者・お年寄りよりも幸せなはずです。

何故なら、現在、誰かにお世話をしてもらっているのです。

それが無ければ、部屋中が、悪臭放つクソだらけの無縁死、孤立死、孤独死になるのです。

・・嫌ですね。

それらを、いかに平穏死に変えるかが、日本の豊かさの有り様だと考えます。

貧しい老人は、多いのです。

このままならば、日本の未来社会は、歳老いて、入れる施設も無ければ、世話をしてくれる家族だっていない貧困社会の状態が、目の前に来ているのです。

日本国政府に要望するのは、三点あります。

老後の最低年金は、生活保護受給額の統一して引きあげる。

介護職員の最低給与を、地方公務員の保障給与と統一して引きあげる。

徴兵制度のない日本国は、16歳以上の男女を施設等で数ヶ月間、介護研修を義務化させる。

無知の涙

2013年01月30日 | 資本と社会の問題
ある事柄から、連想して思い出すことがあります。

かつて、野党第一党だった日本社会党(現 社民党)があった三宅坂の社会文化会館ビルが老朽化のために取り壊されるというニュース。

若い頃、あのビルの地下にある食堂レストランで、青森県出身の友人とビールを飲んだことがありました。

もし県民性というものがあるのならば、青森県人は、とてもユニークな人材が多いのは事実です。

一昨日、二人のユニークな青森県人の話題がニュースになりました。

一人は、大阪女子マラソン2位に入った福士加代子選手(30歳)。

もう一人は、大相撲を引退となった高見盛関(36歳)。

この両者、共に青森県北津軽郡板柳町を郷里とします。

・・この板柳町?

思い出したのは、19歳で連続ピストル射殺犯、その後、獄中作家となり、獄中結婚離婚した死刑囚・永山則夫という人物です。

貧困が生んだ犯罪として、今なお現代社会に突き刺すような問題です。

死刑制度の是非の問題も確かに考えさせられます。

青森県出身の寺山修司氏が、「その変身を信用しない」というコメントをしていたのを思い出しました。

その寺山修司氏に対する永山からの反論文も、確か相当なものでした。

北海道の網走から、青森の板柳へ、そして、金の卵として、東京への集団就職。

彼の転々とする風景は、どこへ行っても、どこに暮しても、幸せになれない「無視される不信に陥る孤独感」でした。

獄中に入っての彼は、読書三昧でした。

文字や言葉を憶えて、作家になった永山です。

その印税を、彼が殺めた被害者遺族に送ります。

人は・・人材、人在です。

人罪(罪人)にもなるし、人財(財人)にもなるのを、永山死刑囚の人生が、それを証明しています。

彼の出世作「無知の涙」・・いまだに、しょっぱい味のする、答えようのないノート文学です。

雪道に思う。

2013年01月29日 | 資本と社会の問題
昨日の朝、太平洋側、瀬戸内海沿岸方面に暮らす方からのメールが3通、届きました。

雪のため大渋滞だったのでしょう。

・・車の中から送信していた方もありました。

あれぐらいの雪ならば、日常茶飯事の我々の生活では、「あのぅ?」・・ですね。

よく首都圏で、雪が降ると、千人も二千人も転倒して病院に運ばれた・・というニュースもあります。

簡単なことは、ゴム長靴を履けば、転倒することは、ほとんどありません。

ゴム長靴を用意されると、よいかと思います。

それから、冬期間、車には、スッタドレスタイヤの着用を義務化すればよいかと思います。

シートベルト着用が義務化されているのに、タイヤが、一年中、ノーマルタイヤだというのは、変です。

これから、ますます高齢者が増える社会です。

雪道での高齢者の歩き方では、危険です。

最低年金金額の保障を、生活保護受給者の金額に統一すべきだと思います。

雪道にも滑らない日本社会であって欲しいと思いました。

驚きの跳躍時間

2013年01月21日 | 資本と社会の問題
映画「ももへの手紙」の舞台は、大崎下島。

映画「東京家族」の舞台は、大崎上島から。

その大崎上島は、まだ橋が架かっていません。

その大崎上島へ、元警視庁の白バイ女性隊員だった森ルイさんという方が、移住して暮らしているという話題です。

NHK E-テレビ「グラン・ジュテ~私が跳んだ日~」。

いま活躍して輝いている女性たちが出演し、壁を乗り越えて飛躍する過程を語る番組。

先日、その番組に、森ルイさんが、出演されていたとか。

彼女のブログ等を読んでいると、非常に学ぶべき点が多いのです。

昨年4月、アンテナショップ(カフェ&ギャラリー・ショップ)をオープンさせた森ルイさんという女性。

ここまでは、同じような思考順路を軌一にするのですが・・そのあとが凄い!!

自称、大崎上島親善大使として、島の魅力を発信できるアンテナ・ショップを経営しながら、WWOOF「ウーフ」の制度(仕組み)を利用しているのです。

WWOOF「ウーフ」とは、英国で、40数年ほど昔に、ひとつのアイデア(友だち作り、友情の享有協力)から出来あがった制度(仕組み)です。

簡単に言えば、受け入れ側のホストとして「食事と宿泊場所」を無償提供します。

代わりに、受け入れられる側は「ウーファー」としての支援力、その知識と経験を提供して頂くという・・お互いが助け合う交換制度(仕組み)なのです。

お金のやり取りは、無しです。

だから、国内は勿論、海外からも多くの方が「ルイさんの家」に訪問滞在します。

それが宣伝広報活動にもなり、大崎上島の魅力に繋がってゆくのでしょう。

世界に向けての発信力となる多少の英語力も必要ですが、それよりも何よりも、とても感心させられる参考となる驚くべき跳躍的な生き方です。

最近、瀬戸内海の島を舞台にしたコマーシャルも多いのですが、雪国もしくは大都会からの視点で、陽差しの明るい瀬戸内海の島へと想いを馳せます。

この二つの別世界を行き来する魅力は、驚きの跳躍時間となる、何とも言い表せない贅沢な夢心地となります。

それが、よい意味での非日常的な充実した驚きの時間、幸せな生き方になればいいと考えます。

百花無心

2012年12月13日 | 資本と社会の問題
栄えたものは、必ず滅ぶという盛者必衰の理。



祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
(平家物語の冒頭)

福井市郊外の朝倉・一乗谷遺跡には、よく出かけます。

車で20分ぐらいかな・・。

気分転換には、最適な場所です。

奥に見える家並みは、復元された武家屋敷です。

最近は、飛鳥時代から江戸時代まで、幅広い時代劇のロケ地としても活用されています。



室町時代末期・・京の都に次ぐ賑わいをみせたという夢の跡です。



室町時代の最後の将軍足利義昭も、明智光秀も、かつて、この地で暮らしていました。

細川ガラシャの生まれ故郷でもあります。



今は、何もない夢の跡です。

ここで、来週の講義の予習復習の準備をしていました。

あなたが思う大金って、いくらばかりの金額ですか?

・・という質問がありました。

人それぞれ・・違うのは、当然です。

日本でいちばん障害者を雇っている企業は、ユニクロだそうです。

歴史とは、モノクロではなく、さまざまな鮮やかな色がついた時間なのかもしれません。

ここは、時間が止まっているような場所です。

春になると、ここは百花が咲き誇ります。

失うものは、何もありません。

ノーマライゼーション

2012年12月10日 | 資本と社会の問題


昨日の京都は、底冷えする快晴でした。

とは言うものの、朝早くから夕方まで、社会福祉の講座に出席して参りました。

「出生前診断」という重い課題でした。

産むか?

諦めるか?

生まれてくる我が子が障害児であろうとも、受け入られる社会であろうとする社会福祉のテーマです。

お隣りの滋賀県は、社会福祉分野では先進地として、よく教材にも取り上げられます。

戦後、滋賀県で福祉施設を築いた糸賀一雄さん、田村一二さん、池田太郎さんの社会福祉思想と実践力が偉大であり、大きく現代の日本社会に関与しているのです。

家族をひきつれて、施設内で暮らしたということです、

糸賀さんたちは、重い知的障害者、動きまわる重症心身障害者、動けない重症心身障害者も、発達するという人間としての過程を尊厳しています。

彼らも嬉しい時、楽しい時は、発達段階で、笑っていくのです。

人間の尊厳とは、何?

人間としての感情の豊かさを推し量ることかな?

日本の障害者数、軽度重度を含めて約750万人+250万人=約1000万人、その家族を含めると、3000万人から4000万人の方々が、命という人権と向き合っていることになります。

勿論、障害者も健常者も、人権上、平等であるというのが前提です。

社会から弱者を締め出さない社会を、ノーマライゼーション(人権を担う社会)と言います。

この子ら「に」ではなく、この子ら「を」世の光に・・「この子らを世の光に」と提唱した糸賀さんたち先人の大きさを噛みしめています。

・・いろいろと考えさせられた帰路でした。

京都で夕食を終えて、福井へと電車サンダーバードで帰路・・前を走る貨物列車が、踏切で車と接触事故の車内放送あり。

敦賀駅で、約2時間待ちの状態になりました。

雪積るプラットホームで・・スマホの電源も無くなりかけてきました。



さて、事故処理後、動いたものの・・今度は、また貨物列車にトラブルありとの車内放送あり。

武生駅で、また約2時間待ちの状態になりました。

眠い!



福井駅に着いたのは、夜中の1時過ぎでした。

京都から電車に6時間近く乗って、やっと帰宅。

よく寝ることができた帰福車中でした。

感謝。