ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

仮想世界

2022年03月07日 | 福伝。

日本が、千島列島の北方領土の四島返還を要望した際、ロシアのプーチン大統領は、当時の安倍首相に「返還後、日本の同盟国アメリカが国後島に核武装した軍事基地をつくる可能性」を示唆しました。

学生時代に学んだ亜大教授の倉前盛通先生(悪の論理 地政学著)の授業を思い出します。

安全保障とは、「領土保全と拡張というパワーバランス」

今のウクライナ情勢下で、安倍元首相は「核の共用」を政策意見として持ち出しました。

首脳対談を数多くこなした安倍さん、プーチンにモノを言える人物だと考えていただけに、拍子抜けです。

政治家としての器量、冥利は、危機対策への対応でしょう。

現状打破できる交渉仲介役の人物として、国際世論からも安倍さんの名前が出ない理由が分かりました。

ドイツのメルケル前首相(東ドイツ社会主義国出身)の人生体験を、再びロシアに世界に訴えて欲しい。

すでに、国際社会からロシアのプーチン政権が孤立しているのは、明白です。

ウクライナを軍事掌握したとしても、ロシアの弱体化、プーチン政権は揺らいでいます。

戦争を引き起こす理由は国益ではなく、「生き残りたい」という権力者の自己中心の保身です。

米国、英国、EU は、後方からウクライナを最大限の支援を表明しています。

NATO 同盟国側は、ウクライナへの軍事介入はしないという判断・・第3次世界大戦勃発を避ける為というのが、大前提です。

EU を脱退した英国、大西洋の向こう側の大国の米国は、ロシアの弱体化を見届けて動くはずです。

第2次世界大戦で勝利した英国、米国の最大の要因は、ナチスドイツの解読不能と言われた暗号機「エニグマ」を早い時期に解読した事を国家機密にして、ドイツ側に最後までさとれないように軍事行動したと伝え聞いています。

つまり、ある程度意図的にドイツからの攻撃を受け自国民に被害があっても容認していたという国家機密です。

身を切らして骨を斬つ軍事作戦なのでしょう。

太平洋戦争においても、日本に対して米国は、同じ手段を使ったようです。

戦争の犠牲者は、権力とは無縁の一般市民です。

今は、世界中の武器商人、武器メーカーが潤っているはずです。

殺傷力、破壊力を高めるのを意図した悪魔のような武器を製造して売るのも人間です。

さらば武器よ、もしくは武器を手にせよ、どちらか?

ロシアのモスクワに乗り込んで、プーチンを仲介説得する人物はいないのか?

安倍さんが乗り込むと期待していたけど、残念です。

暗号資産(仮想通貨)による取引が、これからの世界経済に影響を及ぼすとか?

戦争は、仮想世界の中に封じ込めましょう。

世界に平和を❗

お金に賞味期限を❗


三人の訪問者。

2022年01月20日 | 福伝。

今日は大寒。

地元新聞社のコラムに、冬と貧と老の三人が訪ねて来たという島崎藤村の短編小説(三人の訪問者)が紹介されていたので、久しぶりに読んでみました。

百年以上昔の作品だけど、読み応えがありました。

青空文庫より抜粋。

「冬」が訪ねて来た。
 私が待受けて居たのは正直に言うと、もっと光沢つやのない、単調な眠そうな、貧しそうに震えた、醜く皺枯れた老婆であった。私は自分の側に来たものの顔をつくづくと眺めて、まるで自分の先入主となった物の考え方や自分の予想して居たものとは反対であるのに驚かされた。私は尋ねて見た。
「お前が『冬』か。」
「そういうお前は一体私を誰だと思うのだ。そんなにお前は私を見損なって居たのか。」
と「冬」が答えた。
「冬」は私にいろいろな樹木を指して見せた。あの満天星どうだんを御覧、と言われて見ると旧い霜葉はもうくに落尽して了ったが、茶色を帯びた細く若い枝の一つ一つには既に新生の芽が見られて、そのみずみずしい光沢のある若枝にも、勢いこんで出て来たような新芽にも、冬の焔が流れて来て居た。満天星ばかりではない、梅の素生すばえは濃い緑色に延びて、早や一尺に及ぶのもある。ちいさくなって蹲踞しゃがんで居るのは躑躅だが、でもがつがつ震えるような様子はすこしも見えない。あの椿の樹を御覧と「冬」が私に言った。日を受けて光る冬の緑葉には言うに言われぬかがやきがあって、密集した葉と葉の間からは大きな蕾が顔を出して居た。何かの深い微笑のように咲くあの椿の花の中には霜の来る前に早や開落したのさえあった。
「冬」は私に八つ手の樹を指して見せた。そこにはまた白に近い淡緑の色彩の新しさがあって、その力のある花の形は周囲の単調を破って居た。
 三年の間、私は異郷の客舎の方で暗い冬を送って来た。寒い雨でも来て障子の暗い日なぞにはよくあの巴里の冬を思出す。そこでは一年のうちの最も日の短いという冬至前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて午後の三時半には既に日が暮れて了った。あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱の色に燃えてしかも凍り果てるという太陽は、必ずしも北極のはてを想像しない迄も、巴里の町を歩いて居てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずに居る草地の眺めばかりは、特別な冬景色ではあったけれども、あの灰色な深い静寂なシャ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ンヌの「冬」の色調こそ彼地の自然にはふさわしいものであった。
 久しぶりで東京の郊外に冬籠りした。冬の日の光が屋内まで輝き満ちるようなことは三年の旅の間なかったことだ。この季節に、底青く開けた空を望み得るということも、めずらしい。私の側へ来てささやいて居たのは、たしかに武蔵野の「冬」だった。
「冬」はそれから毎年のように訪ねて来たが、麻生の方で冬籠りするように成ってからは一層この訪問者を見直すようになった。「冬」で思出す。かつて信濃で逢った「冬」は私に取って一番親しみが深い。毎年五ヵ月の長い間も私は「冬」と一緒に暮らした。けれどもあの山の上では一切のものは皆な潜み隠れてしまって、ついぞ私は「冬」の笑顔というものを見たこともなかった。十一月の上旬といえば早や山々へは初雪が来た。そして暗く寂しい雪空に、日のめを仰ぐことも稀な頃になると浅間のけぶりも隠れて見えなかった。千曲川の流れですら氷に閉された。私の周囲には降りつもる深い溶けない一面の雪があるばかりであった。その雪は私の旧い住居の庭をも埋めた。どうかすると北向の縁側よりも庭の雪の方が高かった。軒に垂れる剣のような氷柱つららの長さは二尺にも三尺にも及んだ。長い寒い夜なぞは凍み裂ける部屋の柱の音を聞きながら、唯もう穴に隠れる虫のようにちいさくなって居た。
 この「冬」が私には先入主になってしまった。私はあの山の上で七度も「冬」を迎えた。私の眼に映る「冬」は唯灰色のものだった。巴里の方で逢った「冬」はそれほど雪深いものではなかったが、でも灰色な色調に於いては信濃の山の上に劣らなかった。私は遠い旅から帰って、久しぶりで自分のところへ訪ねて来て呉れたものの顔を見た時、それが「冬」だとは奈何どうしても信じられないくらいに思った。
 遠い旅から帰って三度目の「冬」を迎えた年ほど私も常盤樹の若葉をしみじみとよく見たためしはなかった。今まで私は黄落する霜葉の方に気を取られて冬の初めに見られる常盤樹の新葉にはそれほどの注意も払わずに居た。あの初冬の若葉は一年を通して樹木の世界を見る最もうるわしいものの一つだ。「冬」はその年も槇の緑葉だの、紅い実を垂れた万両なぞを私に指して見せた。万両の実には白もある。ああいう濃い珠のような光沢は冬季でなければ見られない。あの※(「木+解」、第3水準1-86-22)の樹を御覧と云って「冬」がまた私に指して呉れたのを見ると、黒ずんでしっかりとした幹や、細くても強健な姿を失わないあの枝は、まるでゴシック風の建築物に見る感じだ。おまけに冬の日をうけた※(「木+解」、第3水準1-86-22)の若葉には言うに言われぬ深いかがやきがあった。
「冬」は私に言った。
「お前は是までそんなに私を見損なって居たのか。今年はお前の小さな娘のところへ土産まで持って来た。あの児の紅い頬辺ほっぺたもこの私のこころざしだ。」と。

「貧」が訪ねて来た。
 子供の時分からの馴染のような顔付をした斯の訪問者が、復た忸々なれ/\しく私の側へ来た。正直に言うと、この足繁く訪ねて来る客の顔を見る度に、私は「冬」以上の醜さを感じて居た。「お前とは旧い馴染だ」とでも言いたげなこの客に対したばかりでも、私の頭は下ってしまった。とても私には長くこの客を眺めては居られなかった。その私が自分の側へ来たものの顔をよく見て居るうちに、今迄思いもよらなかったような優しい微笑をすら見つけた。私は以前に「冬」に言ったと同じ調子で、この客に尋ねて見ずには居られなかった。
「お前が『貧』か。」
「そういうお前は私を誰だと思う。そんなに長くお前は私を知らずに居たのか。」
と「貧」が答えた。
「めずらしいことだ。今迄私はお前の笑顔というものを見たこともない。お前にそんな笑顔があろうとは、思って見たことすら無い。私はお前が笑わないものだとばかり思って居た。稀にお前に笑われると、私は身が縮むように厭な気がしたものだ。唯、私はお前に忸れたかして、お前が側に居て呉れると、一番安心する。」斯う私が言うと、「貧」は笑って、
「私に忸れてはいけない。もっと私を尊敬してほしい。よく私に清いという言葉をつけて、『清貧』と私を呼んで呉れる人もあるが、ほんとうの私はそんな冷かなものでは無い。私は自分の歩いた足跡に花を咲かせることも出来る。私は自分の住居を宮殿に変えることも出来る。私は一種の幻術者だ。斯う見えても私は世に所謂「富」なぞの考えるよりは、もっと遠い夢を見て居る。」

「老」が訪ねて来た。
 これこそ私が「貧」以上に醜く考えて居たものだ。不思議にも、「老」までが私に微笑んで見せた。私はまた「貧」に尋ねて見たと同じ調子で、
「お前が『老』か。」
と言わずには居られなかった。
 私の側へ来たものの顔をよく見ると、今迄私が胸に描いて居たものは真実の「老」ではなくて、「萎縮」であったことが分って来た。自分の側へ来たものは、もっと光ったものだ。もっと難有味のあるものだ。
 しかし斯の訪問者が私のところへ来るようになってから、まだ日が浅い。私はもっとよく話して見なければ、ほんとうに斯の客のことは分らない。唯、私には「老」の微笑ということが分って来ただけだ。どうかして私はこの客をよく知りたい。そして自分もほんとうに年を取りたいものだと思って居る。

 まだ誰か訊ねて来たような気がする。それが私の家の戸口にたたずんで居るような気がする。私はそれが「死」であることを感知する。おそらく私が以上の三人の訪問者から自分の先入主となった物の考え方の間違って居たことを教えられたように、「死」もまた思いもよらないことを私に教えるかも知れない。


デッキ。

2016年08月05日 | 福伝。

今朝は、早朝6時前から、お墓掃除に参りました。

夕方には、福井のフェニックス花火大会・・一年に一度、我が家の界隈では、東京、渋谷のスクランブル交差点かと見間違えるぐらい人が集まってきます。

土埃と花火の煙臭さと、屋根に爆弾でも落とされているような爆音・・・ワクワクするけれども、余り好きではないのです。



足羽川で行われる花火大会のために、土堤は、きれいに草刈りをされています。

足羽山にある墓地への通り道・・全く草刈りがされていません。

去年の僕の立場ならば、すぐにでも市役所に苦情を申し入れるところですが、今年は自治会長でもないので無理は言いません。

草刈りの作業員って、ほとんどがシルバー人材なのです。

炎天下での作業は、ほんとうに大変です。

さて、朝早くから、黙々と草むしりに精を出しました。

よい汗を沢山かきました。

帰り道、足羽山デッキにちょっと立ち寄り、朝食。





福井に、こんなオシャレなところがあるんだと感心、また感心。

墓掃除のあとの不釣り合いな感覚と、自分自身、とても違和感あり・・でも感心。



ところで、福井県選出の稲田さん、防衛大臣になられました。

ほんの10年前に、国政に挑戦して、今は近い将来、日本初の女性首相にという声も地元にはあります。

が、過去の右翼的な言質から政治生命を落とさぬように。

僕の個人的な要望ですが、稲田さんには国政を降りて、福井県知事になって欲しいです。

「笑う門には福井県から。わたしの眼鏡も福井産。富士山をかたどったドレスの生地も福井産です」・・と言えたのかな?

公の場で、まず初めに「福井をアピール」するのが、あなたの選挙公約だったのでは?

ちなみに、女性閣僚の総務大臣の高市早苗さんの御主人も福井県選出の国会議員です。

福井県・・全国都道府県別幸福度1位という安心感よりも、全国都道府県別魅力度45位を、もっと何とかしないとね!

さて、足羽山デッキ。

お客さんもオシャレです!



こういう空間が多いと、魅力度もアップするのでしょう。



また行きたくなりました。

50代の初めに心臓を患い、50代の終わりに大動脈を患い・・二度命が助かりました。

以来・・何故か、お墓掃除は苦にもならず、すがすがしい気持ちになります。

いずれ自分の住処になるからでしょう。



お盆前に、百島のお墓掃除、お墓参りに帰省したいものです。

自分の原点でもある百島の実家にある小さなデッキから眺めた新しい物語を作り始めたいものです。





雲の旗たなびく朝でした。


独楽 愛宕坂。

2016年04月03日 | 福伝。
今朝は、朝早くから歩きました。

愛宕坂から足羽神社まで上がりました。



途中、江戸時代末期の歌人橘曙覧が暮らしていた「黄金舎(こがねのや)」の跡に橘曙覧文学記念館があります。





今の時季、夜に来ると、こんな具合に灯りの回路になっています。





この辺りは、福井市の新しい観光ルートとして注目されている散策コースです。





足羽神社の境内に参ると、樹齢350年の枝垂桜が満開に咲き誇っていました。





橘曙覧の「楽しみは~」で始まる独楽吟は、心が晴れ晴れとなります。

今日も、いい朝でした。

Fukui Happiness !

2016年04月03日 | 福伝。
春の花が咲き誇ります。

今週末も歩きました。

菜の花通りです。



今回は、福井大仏も上機嫌でした。





足羽川沿いを歩くと、大勢の車と観光客が「お花見、桜見物」を楽しんでいました。







夜桜です。





2年後の平成30年のNHKの大河ドラマの主人公は、由利公正となりますように!



幸せな福井生活です。



虹の歌

2014年02月01日 | 福伝。
今日から二月です。

昨日、スマホを買い替えたのですが、使い方が全く要領を得ず、難しいです。

今朝の風景を写真に撮ろうと思い、近所の北の庄城跡へ。



朝早くから、すでに、観光客数人が歩きながら、パリでの思い出話をしていました。

アポリネールの「虹の歌」のことなのでしょう?

ネットで、調べてみました。

「虹の歌」

翻訳:堀口大学

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ、

われらの恋が流れる。

わたしは思い出す。

悩みのあとには

楽しみが来ると。

日も暮れよ。 

鐘も鳴れ。

月日は流れ 

わたしは残る。

福井の情緒とパリの風情は似ていませんが、鐘の音が聞こえます。

節分

2013年02月03日 | 福伝。
今日は、季節を分けると書いて、節分。

鬼は、外。

福は、内。

万葉仮名で書くと、大学通信に拠ればこうなります。

遠仁者、疎道。

不苦者、有智。

仁とは、慈しみ・・慈しみが遠ければ、人としての道に疎くなるから、オニハ、ソトです。

苦とは、困難・・挫けず前進するならば、智恵が備わる、フクハ、ウチです。

人間にも、節分ならぬ節目があります。

入学、卒業、就職、結婚、離婚、退職、そして、老後・・いろいろとあるものです。

生まれて、1万日目が、27~28歳。

2万日目が、54歳ぐらい。

3万目日が、82歳ぐらい。

子供の頃は、お地蔵さんにも豆を配って歩いていました。

いつも、福が来るように。

明日は、立春です。

節分と立春は、アベックとカップルのような節目のイメージかな?

恋話 ~さばえ近松文学賞~

2013年01月29日 | 福伝。
福井市と越前市の間にある鯖江(さばえ)市が、今年から全国に発信する「さばえ近松文学賞」。

そのサブタイトルは、「恋話(KOIBANA)~それでも人は恋をする~」。

近松門左衛門の故郷は、鯖江だそうです。

近松の代表作「曽根崎心中」が、初めて上演されてから310年になるとのこと。

これを機会に日本一の眼鏡生産の街から、文化都市に転換を図っているようです。

・・合併もせず、独立独歩を目指す雰囲気のある街です。

さて、その鯖江・・さばえブランドを確立しようと、いろいろとアイデアを輩出するユニークな街でもあります。

創立者が鯖江出身ということで、明治大学の学生さんとコラボしたり、アメブロ(藤田晋社長・鯖江出身)と一緒に何か取り組んだり・・

鯖江市長の牧野百男さん、アイデア市長です。

僕も、一か月間ほど、鯖江で暮らしたこともありますから、何かと気になる街です。

福井県坂井市の「日本一短い手紙」、福井市の「独楽吟」募集にような全国区レベルの人気公募になって欲しいものです。

さばえ近松文学賞の受付も開始です。
募集内容:
恋にまつわる短編小説、400字詰め原稿用紙10枚まで。最低1箇所は鯖江に関するもの(歴史・文化・産業等)を入れてください。
題材は不問。オリジナルで未発表のものに限ります。年齢・性別・職業・国籍は問いません。
受賞作品の著作権は主催者に帰属し、応募作品は返却いたしません。

ただ、気にかかる条件があります。

ネックとなるのが、「最低1箇所は、鯖江に関するもの」という条件を外さないとね・・。

全国区での人気文学賞公募となるのは・・難しいかなと考えます。

日本百名山の原点

2013年01月28日 | 福伝。


福井市と鯖江市との市境界に位置する文殊山(標高365M)です。

山の輪郭が、文殊様のお顔の側面に似ているでしょう。

この山の麓に生まれ育った名優宇野重吉さんは、生前「日本一の山は、文殊山だ」と古里自慢をしていました。

この文殊山・・日本百名山の原点になりそうです。

名著「日本百名山」を著した深田久弥さん(石川県加賀市生れ、福井市育ち)の母親は、福井市出身。

その関係で、深田久弥さんは、旧制福井中学校に進んだのです。

その当時の深田久弥さんが、初めて登った山が文殊山なのでした。

最近、文殊山山頂にある本堂に、少年時代の深田さんご自身の落書き(大正8年頃)が見つかったのです。

少年時代の深田久弥さん・・何度も何度も文殊山に登り、山で夜通し勉強していたということも判りました。

・・ちょっと驚くような深田さんのエピソードです。

地元では、「深田久弥 勉学遊山の山・・日本百名山の原点」と古里自慢するようです。

天神講

2013年01月25日 | 福伝。
今日(1月25日)は、福井の独特な習慣として伝わる天神講の日です。

何をするかと言うと、正月から床の間に飾る天神様(菅原道真公)の掛け軸に越前かれい(焼きカレイ)を飾り、今日は、それを食べるのです。

そして、その床の間に飾ってある天神様の掛け軸をおろして、来年の正月まで片付けてしまう日なのです。

福井では、男の子が生まれると、祖父母から孫渡しとして天神様の掛け軸を贈られる習慣があるのです。

その値段は、数万円から何十万円ものもあり、正月には、床の間にズラリと何世代分もの掛け軸を飾る家庭もあります。

この慣習・・?

おそらく、福井に関わる松平春獄、橘曙覧、橋本佐内 等が生きていた江戸時代末期の頃から盛んになったのでは?・・と思い巡らしています。

はてさて、最近、どうも、長い時間、テキスト・教科書を読めなくなっており、学習時間も減る一方で、単位取得も難しくなりつつあります。

目のせいにはしたくないけど、掛け軸の天神様を眺めて、勉強も楽しくなれば、それだけで幸いです。

鯛よりも、焼きカレイと焼きサバが、菅原道真公の大好物だったそうです。

くる年。

2013年01月01日 | 福伝。
新年、明けまして、おめでとうございます。

この世の中は、不平等だらけです。

でも、幸福になるチャンスは、平等です。



霊雲桃花悟道(出典:正法眼蔵)

新しい一年が、始まりました。

今年は、桃の花が咲く場所にでも、ピクニック気分で出かけませんか?

どうか、皆様の新しい一年が、よい年でありますように。

感謝参拝。

空からの贈りもの 

2012年10月15日 | 福伝。
週末の土曜日、福井を舞台にした映画「旅の贈りもの 明日へ」への先行上映会があり、主演の前川清さん、酒井和歌子さん、山田優さんの舞台挨拶がありました。

頭が、空っぽだったのでしょう。

それを、観に行くのを、すっかり忘れていました。

昨日の日曜日、福井市上空、航空自衛隊のF15戦闘機が轟音を撒き散らして低空飛行をしていました。

どうせならば、アクロバット飛行や五色の飛行機雲で、何かを演出すればよかったのに。

福井県鯖江市の陸上自衛隊鯖江駐屯地創立49周年の祝賀飛行だとか??

去年は、そんなの無かったけど・・来年50周年記念準備かな?

ほんとうに、沖縄の皆さんの気持ちが判るような・・迷惑な空からの贈りものでした。

あなたへ

2012年10月07日 | 福伝。
1962年、10月5日・・50年前の一昨日、映画「007」の第一作「ドクターノオ」が公開されたとのこと。

偶然、同年同日には、ビートルズが「ラブ ミ ドゥ」を引っさげてデビューしたとのこと。

あのハーモニカの音・・ジョンレノンが、オランダで万引きしたハーモニカだったとか。

世界を盗んだ大英帝国が斜陽の国と呼ばれて衰退しても、世界に影響力がある英国力には、学ぶべきものがあります。

あれから、50年・・世界を活性化する英国の映画も音楽は、今も顕在です。

中学生の頃、英国映画「恋のメロディー」という映画が、日本だけでヒットしました。

何か・・英国は、日本的な「恋」のイメージを、ヒントとして与えてくれるようです。

日本のあちらこちらで、「恋人の聖地」という場所が、生まれています。

勝手に各地域が、「恋人の聖地」と名付けているのかと思っていると・・なんと!

これを認定しているのが、静岡市にあるNPO法人 地域活性化支援センターだとのこと。

昨日今日の新聞コラム・・俳優の大滝秀治さんを悼むコラムが多かったです。

ほとんどが、最後の仕事になった映画「あなたへ」と共演した高倉健さんの涙を引きあいに書いていました。

とある新聞コラムだけが、劇団民芸の先輩でもあった故宇野重吉さんが、大滝さんへ施した徹底した指導ぶりを紹介していました。

地元の新聞を読んでいると、興味深い記事がありました。

福井県民に訊いた「日本で一番行きたい県ランキング」でした。

「これで、いいのだと」と思いました。

暮らしやすい街、幸せな都道府県ランキングでは、全国のトップに位置する福井です・・

その住民が、想うイメージを大切にすればよいのです。

よく全国紙で見かける「日本で住んでみたい街、暮らしてみたい街ランキング」等々。

日本で一番行きたい観光地は、京都。

日本で二番行きたい観光地は、金沢。

その中間に位置する福井は、日本で百番以内にもランキングされていません。

この頃、散策をするようになりました。

「007」、ビートルズ・・高倉健さん、宇野重吉さん。

いにしえ昔から「あなたへ」の想い。

偲ばれ、思い出される人が多く、かつ雰囲気のある場所が、人気スポットとなるのでしょう。