ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

画家 田中一村

2006年09月19日 | 千伝。
昭和33年(50才)から昭和52年9月11日(69歳)まで奄美の島で、人知れず無名のまま大島紬の工場で染色工をしながら金を貯めては、貧困の中、絵を描き続けた人物がいた。

田中一村という生涯独身、孤高の画家である。

10代の頃には、その若さではただ1人、大正末期の日本美術人物名鑑にすでにこの方の名前が記載されていたという。

その後、難関を突破して東京美術学校日本画科へ入学(同期に日本画の巨匠になった東山魁夷、橋本明治、加藤栄三等)したが、わずか3ヶ月後に退学。

彼が、だんだんと日本画壇と離れ、忘れられた存在となるのは人生の不条理と道理だった。

画風は日本のアンリ・ルソーとか、人生は日本のゴーギャンとか言われるが、ちょっと異なるような気もする。

彼の死後(5年後)に彼の作品が、彼の生き方とともに驚きと衝撃をもってデビュー(上記掲載写真参照)。

一躍、時の人になった・・田中一村。

この方は、不安定な天才から鬼才奇才へと奄美の島で脱皮したのかもしれない。

生前、彼は、自分の描いた画も自分自身の人生も、後世のこの世では伝説になるということを確信していたような気がする。

妖しいほどに鬼気迫るものがある。