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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

送り火

2007年08月17日 | 千伝。
昨晩、NHKで「京都五山送り火」の生中継のテレビ番組を観終えると、何だか蠢くような余韻が残った。

京都の大文字焼きは、二度、見物したことがある。

初めて観たのは、昭和54年(1979年)の夏。
前年に関東と関西から選抜された秀逸な学生20名近くが、二年目の行事として「京都の五山送り火」の見学となった。
とある著名な作詞家のご好意のもと、北区鷹峰にあるご自宅に宿泊して、その鉄筋5階建てビルの自宅屋上から京都の送り火を眺める集いに参加したことがある。

お昼に京都駅に集合して、それぞれ各自別行動で夕方に鷹峰に集合予定。
ぼくは、京都駅から、京都の女子大生と京都駅から鴨川沿いに北上して、西へ、それからさらに北に向かって坂道を歩いて鷹峰まで歩いた・・その時の鮮明な情景が浮かんでくる。
途中、下鴨神社で休憩しながら「∞」に関する会話をした印象深い記憶が残っている。

送り火を眺めたあと、屋上で学生達が円陣になって座り込んで、ある学生が、「皆で手を繋いで何か念じてみよう。今夜は特別な夜だから何かが現れるかもしれない・・」と提案してきた。

皆、子供のように他愛もなく無邪気で黙して念じていたのを思い出す。

残念乍、その後、三年目からの行事がなくなった。

あの時、提案した学生は、その後、30歳の誕生日のクリスマスイブにポックリとあの世に旅立った。

あれから30年近く、あの時の学生達は、格差社会の頂点から底辺まで・・さまざまな境遇、生涯を過ごしているらしい。

彼ら自身も、あの時の「京都五山送り火」をそれぞれが思い出しているのに違いない。

それぞれに秘めた出会い、別れ、想いを胸の奥、心の隅にしまいこんで、今年も「送り火」が焚かれた。

・・・・・ 生きているこそが無常の喜びかもしれません。
合掌。