ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

捕虜時代(俘虜生活) 5 ~マラリア~

2010年09月01日 | 人生航海
他には、恥を偲んで近くの農家に行き、畑の手伝いをするからと頼んで、どんな仕事でも嫌わずに働いた。

その見かえりに、芋類や野菜を貰ったりしたのである。

また、連合軍の指揮下にあっても、それまで通り、日本軍の軍規を維持して違反者には、当然厳しい罰則を定めていた。

一目でわかるように、階級章もそれまでと同じようにつけていた。

その為、私達初年兵は、いつまでも、皆からは一番下の兵隊として扱われて命令を守らされていたのである。

戦犯としての兵隊の扱いは、目立つほどではなく、ある程度の使役を割り当てられて、連合軍兵舎の掃除や炊事等をさせられたり、他に道路の掃除や草取りもあった。

私達は、時々、港の埠頭に連れて行かれては、倉庫の整理や色んな使役にも出て働かされた。

倉庫の整理に行った時など、水筒に米を入れて持ち帰る者もいたことを思い出す。

その頃、私は、疲れからか・・突然、高熱が出て倒れてしまった。

軍医の診断を受けると、テング熱かマラリアだと告げられた。