前々から、観に行きたかった映画「マンデラ 長い自由への道」を、やっと観ることができました。
(写真提供:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン)
ぼくが、南アフリカのネルソン・マンデラという人物を知ったのは、1987年の英国滞在中の頃でした。
毎日のように投獄中のネルソン・マンデラ氏が、メディアで頻繁に登場するのです。
この人物は、何者・・?!
サーチャさんは、マンデラ氏をテロリストと呼んでいたこともあるそうです。
当時の世界は、ソ連はゴルバチョフ、米国はレーガン、英国はサーチャという時代です。
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)対して、世界の批判が集中している頃でした。
日本のメディアは、彼のことをほとんど取り上げていませんでした。
南アフリカでの日本人の地位は「名誉白人」として処遇されているという妙な誇りを報道していたぐらいです。
ネルソン・マンデラ氏・・ほぼ27年間の獄中生活を経て、71歳で釈放。
釈放後の南アフリカは、いつまでも暴動、殺戮事件の絶えない社会でした。
若き頃のマンデラ氏は、女性遍歴も多く、白人支配下の社会に対して、「服従」か「闘い」かを声高く叫んでいました。
そのマンデラ氏が、「赦し合う」というメッセージを国民に投げかけた時には、鳥肌が立つような感動を覚えました。
その後、南アフリカ大統領に選出されたのです。
肌に色の違い・・人種差別。
初めて、外国人と話したのは、いつだっただろうか?
初めて、黒人と話したのは、いつだっただろうか?
同じ人間なのです。
マンデラ氏が、幼い頃に過ごしていた故郷で、その村の長老から子供たちの向けられた言葉が、映画の始まりと終わりに使われていました。
・・深淵な言葉です。
「若さも、強さも、美しさも・・・おまえたちのものではない」
(写真提供:ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン)
ぼくが、南アフリカのネルソン・マンデラという人物を知ったのは、1987年の英国滞在中の頃でした。
毎日のように投獄中のネルソン・マンデラ氏が、メディアで頻繁に登場するのです。
この人物は、何者・・?!
サーチャさんは、マンデラ氏をテロリストと呼んでいたこともあるそうです。
当時の世界は、ソ連はゴルバチョフ、米国はレーガン、英国はサーチャという時代です。
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)対して、世界の批判が集中している頃でした。
日本のメディアは、彼のことをほとんど取り上げていませんでした。
南アフリカでの日本人の地位は「名誉白人」として処遇されているという妙な誇りを報道していたぐらいです。
ネルソン・マンデラ氏・・ほぼ27年間の獄中生活を経て、71歳で釈放。
釈放後の南アフリカは、いつまでも暴動、殺戮事件の絶えない社会でした。
若き頃のマンデラ氏は、女性遍歴も多く、白人支配下の社会に対して、「服従」か「闘い」かを声高く叫んでいました。
そのマンデラ氏が、「赦し合う」というメッセージを国民に投げかけた時には、鳥肌が立つような感動を覚えました。
その後、南アフリカ大統領に選出されたのです。
肌に色の違い・・人種差別。
初めて、外国人と話したのは、いつだっただろうか?
初めて、黒人と話したのは、いつだっただろうか?
同じ人間なのです。
マンデラ氏が、幼い頃に過ごしていた故郷で、その村の長老から子供たちの向けられた言葉が、映画の始まりと終わりに使われていました。
・・深淵な言葉です。
「若さも、強さも、美しさも・・・おまえたちのものではない」