ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

将来の島。

2015年10月21日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
昨晩は、防災会長会議なるものに参加して、とある講演も拝聴致しました。

世界一の防災都市を目指す福井市の一市民としては、興味深いものでした。

詳細は、後日に。

宇宙、地球、生命の視点から考えると、人類・人間の先史・歴史は、神様の一瞬の領域かも知れません。

この頃、全盲の方と話す機会が多くて、感覚について敏感になっています。

さて、日本は、世界一の災害大国です。

地震列島だとか火山列島だとか呼ばれますが、唯一火山が無い地域が、中国四国地方です。

その中心となる臍が、百島の十文字山となります。

百島の対岸に常石という地域があります。

造船所があり、クレーンやら大きな船が見えます。

あの景色が無ければ、百島から眺める周囲は、スコットランドやイタリアのベニスにも匹敵する風景になります。

ところが、見方、視点というのは不思議なものです。

僕にとっての百島は、僕の一部です。

時は、室町時代。

1441年(嘉吉元年)、嘉吉の乱を起こした赤松満祐の一族が、桃島に逃れて住み着きました。

京都大徳寺のスポンサーでもあった赤松一族です。

大徳寺と言えば作法、千利休しかりです。


(写真提供; 神原弥生子氏)

目を閉じて、想像を膨らませてみてください。

我々の祖となる赤松一党の落武者達が、この百島を初めて眺めた時、これこそ桃源郷と感じたのでは?

歴史の表舞台に出ない出来事です。

江戸時代、隠れキリシタンと同様に、先祖代々から延々と語り継がれた百島の継承されたルーツです。

百島の福田桟橋から眺めると山肌の中腹に白い建物が見えます。

ただの建物なのですが、向こう側から百島を眺めると、意味合いが変わってくるのです。

リゾートホテル ベラビスタ境ガ浜、名称を変えて、ホテル ベラビスタ スパ&マリーナ 尾道です。

一見、病院のような建物に映りますが、内側は、備後圏最上級のホテル、そこからの俯瞰は、日本全国トップクラスの魅力ある光景が広がります。


(写真提供; 神原弥生子氏)

このアングルが、いいですね!

以前は、芝生だったと思うのですが、このテラスの上に立てば、ひとつの神話が思い起こされます。

遥か太古の昔に出雲の国からやって来たスサノオが、前に浮かぶ桃源郷の島 桃島に立ち寄った神話が目に浮かぶのです。

そして、蘇民将来が暮らしていたのが桃島、現在は百島。

決して、伊勢志摩ではありません。

全国の茅の輪くぐりも、日本中の祗園祭りの発祥の地、その源が、百島となるのです。