今年69歳になると勘違いしていました。
今年で68歳です。
だから、1年間という人生の時間を貰ったようなお得感がある? そうではありません。
先日、年金機構から届いた通知書から、今までどれぐらい働いた月数が記載されていました。
40年間で480月となりますが、この歳でまだ480月に達していません。
つまり、これまでの人生でまだトータル40年間働いていないのです。
来年秋、69歳近くになってやっと40年間の労働期間に達成するみたいです。
20歳前の浪人時代、30歳前後の海外遊学期間、50歳前後で自営業、無職・・振り返れば、勉強嫌い、仕事嫌い、放浪癖のある怠け者です。
それでも、未だに毎日仕事があります。
生涯現役のまま死ぬまで働き続けるつもりです。
とは言え、健康と病気、命のコントロールは出来ないし、ましてや高齢者になれば日々の予定は狂うもの、日常茶飯事です。
心身の元気が一番です。
付け加えると、54歳の時に拡張心筋症で一度死んでいる筈、59歳の時に大動脈解離で再度死んでいる筈、ほんとうは生きている筈はないのだから、本当の僕自身は運尽きて死んでいる筈。
生きて働いているという運命は、多分借り物の人生、仮物の僕自身だからなのでしょう。
笑いながら楽しく生きていますが、何かこの世界には目に見えない不安があります。
「生きていること自体」が当たり前ではないのです。
戦争反対、核兵器廃絶、闇バイト、犯罪社会の根絶、貧富の経済格差、人権の社会格差、富裕層、武器商人へのお金の使用期限設定・・。
笑顔平和よりも、歓喜勝利を優先するのが競い合う人間社会です。
上を向けば雨天、青空、満天の星を眺めたり、下を向いても幸せのタネ探しが出来る生活感を持ちたいものです。
我が家のべランダの波板が飛ばされて水浸し、やっと雨が止んだ先日に業者さんによる修繕工事終了。
安心したのも束の間、もうひとつのベランダの屋根も劣化していました。
今度は、元気なうちに自分でDIY、トライします。
今日から68歳、毎日がpaypayのような日々です。
きょういく(今日行く場所がある)、きょうよう(今日用事がある)。
快食、快眠、快便、食べる、喋べる、調べる、トラベル。
ポイ活、終活、生かされて生活です。
歩ける事に、幸福。
走れる事に、感謝。
死ぬまで生かされている事に、有り難う。
美味しい生活、シンプルな時間を目指します。