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ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ヒロシマ百年。

2016年04月10日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今日明日、広島では先進国の外相会議が開催。

オバマ大統領の広島訪問も可能性有りとか・・いいね!

各国首脳が、核兵器廃絶を声高々とアピールして欲しいものです。

そうそう、今日は、あの世界一貧しい大統領と呼ばれたムヒカ氏も、一市民として広島平和公園を訪問していました。

ヒロシマは、どうしても訪問したい地であったとか!

毎月、被団協からタブロイド判の新聞が届きます。

平和運動、反核運動に参加するだけで、幸せになれるならば・・参加するけどね。

・・考えさせられるね。

記事のなかに、原爆ドームの近くに「牡蠣小屋」がある・・と批判めいた記事がありました。

不謹慎になるのかな・・?

個人的には、厳島神社、宮島で食べたものを思い起こすと、焼き牡蠣のイメージが湧いてきます。

ところで、1441年の嘉吉の乱の頃までは(瀬戸内海を村上水軍が制覇する以前)、さまざまな海賊たちが群雄割拠していたとのこと。

その中でも、いちばん名のある海賊は、歌島(現在の向島)にある岡島(尾道駅前桟橋の対岸)を拠点とする海賊一味だったとのこと。

百島の祖となった赤松一党は、このルートを通って逃げ延びたのかもしれません。

その後、百年の間に、村上因島が、徐々に尾道、田島、鞆の浦まで支配下に置くようになりました。

百島村上水軍まで登場、存在するようになりました。

大阪の西淀川区に歌島、加島、百島という地名が残っているのも、歴史上の面白さかもしれません。

さて、今日から百年後、ヒロシマは、世界でどのような立ち位置、存在感になっているのか?

想像したくなるような今日一日でした。


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